本編

文字数 4,140文字

 やぁ、ようこそ。

 パリでの革命のことが聞きたい? うーん、どうしようかな…… あれはかなり昔の出来事だし…… ちょっと待って、いま紅茶を()れてあげるから。
 どうして革命の話を聞きたいんだい? なるほど、後学のためにか。あれはそれほど学びになるような代物じゃないんだがね。その上、僕の語りときた。君にとって良くない影響を与えてしまうかもしれない。それほど強烈だったんだよ。僕の見た革命は。

 そうだな…… まず、バスティーユ牢獄の話からしようか。僕にとって革命はそこからさ。僕はあの頃十六歳でね、英国系の裕福な商家に生まれて、そこそこ楽しくやってたんだ。三男坊だから、兄ほど重荷もなくてね。よく通りに出て近所の友達と遊んでたな……
 バスティーユには砲撃が撃ち込まれていた。僕が駆け付けたときには既に戦闘が始まっていてね。跳ね橋の鎖を狙っていたんだ。砲弾が尽きると、誰かが店からかき集めたワインのガラス瓶なんかを、砲弾の代わりに詰めて撃ってたんだよ。あれは面白かったな。
 牢獄の司令官は攻撃の激しさを見て直ぐに降伏した。しかし、熱狂的な民衆たちに取り囲まれて、殺されてしまった。
 僕は集まった他の人たちと一緒に監獄の倉庫に行った。そこには武器と、それほど多くはなかったけど――穀物が貯蔵されていたんだ。この頃、フランスは全国的に穀物が足りなくてね。災害による不作が原因なんだけど、穀物価格が異常に高騰して、普通の人たちの給料じゃとてもパンにありつけない時勢だった。彼らはそれを見て、やはり貴族たちは我々の反抗への報復として穀物を差し押さえているのだ、と確信した。
 これは当時流行っていた噂だね。事実かどうかはわからない。ただ、多くの人々がそう信じていたということが重要なんだ。
 まぁ、僕と言えば、彼らのあまりの熱狂ぶりに恐れを抱いていたんだがね。飢餓への恐怖・焦りが、彼ら民衆を歯止めの効きそうもない激しい怒りに導いた。さすがにこれはまずいぞ、というのが直感でわかった。この怒りの中に加われば命はない、と。
 外に出ると、ある老人が殺されていた。群衆を妨害したというかどで。君はその老人が本当に彼らの邪魔をしたと思う? 答えは闇の中だね。まぁ、その人は裕福で権力を持っていたらしいんだけど、だからといって突然殺されるのは割に合わないと思うね……
 僕はこの時から、自分の目で見たもの以外は本気で信じないと決めたんだ。頭に入れておく位はするけど。たぶん僕と同じように思った人はいるんじゃないかな…… あの頃はほんと、流言飛語(りゅうげんひご)が多かったからね。
 僕の語りもかなり主観が混じってるし、記憶違いや聞き違いも多いと思う。あまり真に受けない方がいいと思うよ。

 サン=ラザールではいくつか貴族の邸宅が焼かれ始めた。革命に与さない教会も同様だ。農村も何か荒れてたみたいだね。ヴェルサイユへの行進があったのもこの頃だ。僕? 僕はこのとき昼寝してたよ。勉強した後でね。
 翌年は豊作だったから、街の騒乱も少しは落ち着いた。シャン・ド・マルスでは革命の式典が盛大に執り行われて、そこには国王も出席したんだ。ああ、この時期では憲法の成立で革命が終了したと見なされていたんだよ。皆の表情も比較的明るかったな。立憲君主制も夢ではなさそうだった…… まぁ、結果は知っての通りだが。

 僕にはある友達がいた。ガスパールという年少の子だ。彼は二十年以上前に解放された黒人奴隷の子供だった。うん、パリではそういうことも少しはあったんだ。もちろん、奴隷貿易の中心地である港町では起き得ないことではある。革命で成立した憲法にだって権利は保障されてなかったしね。
 僕は彼や数人の仲間たちと新聞づくりを始めた。当時は流行ってたんだ。少人数で独自の新聞を発行するのが。印刷機を借りて活字を集めたりしてさ…… 楽しかったな。ま、僕たちの新聞も例に漏れず、初版で絶版になったんだけど。
 僕は革命派寄りだった。兄以外の家族からは眉をひそめられたけど。注意されても聞かなかったもんだから、父は僕に手を焼いてたんだろうね。いま思えば、危ないことでもあるし、心配かけてたのかな……
 新聞といえば、自派を有利にするためデマを書き連ねるものもたくさんあった――というより、こっちがよく売れたのかな。下卑(げび)た誹謗中傷も多くてね。僕は不快に思って避けたものだが、素朴な人は信じちゃうんだな。根が善良なもんだから、こういう策に引っ掛かって拳を振るう。僕が初めに決めた「この目で見たもの以外は本気で信じない」、という姿勢はあながち間違っていないのかもしれないな。まぁ、これは実際に間近でも見間違えたり、思い込んだりすることもあるから、あまり信用できない信念でもある。俯瞰(ふかん)できる理性や知識が感情的な行動を抑制するんだ。

 話を戻そう。革命による社会の大きな変動と、過激な新聞や風刺画のせいか、世論は革命と反革命で二極化した。市民の過激な言動もこれでは治まらない。僕も少しは呑まれてたのかもね。初めて人を殺したんだから。
 そう驚かないでくれよ。君ももう大人なんだろ? 話を最後まで聞いてくれ。
 寒い日でね。裏路地はまだ暗くなかった。僕はガスパールを迎えに行った。自衛のためでもあるけど、彼は絡まれやすかったから、ピストルを持ってね。パリで武装してる人は珍しくなかったよ。たぶん僕が手に入れたものは、廃兵院から押収されたものじゃないかな。
 彼の家の近くに行くと、彼は老婆に怒鳴られていた。聞くに耐えない言葉でね。後から聞いた話だと、その人はこの辺りで厄介者として知られていたらしい。様子を窺っていると、彼が箒かなにかで何度も殴られ始めた。僕はピストルで背後から老婆を撃った。弾と火薬は詰めてあった。その人は呻いて呆気なく倒れた。どうも即死らしい。ガスパールは急いで僕の手を引いて走った。路地裏を何度も降りたり、曲がったりした。十分現場から離れた階段で、僕たちは疲れて座り込んだ。お互い笑ってしまった。彼は助かった、殺されるところだった、と言っていた。この事は誰にも言わなかった。
 思ったより理解できる経緯だった? 駄目だよ、殺しに理解なんかしちゃあ。
 僕の引き金は軽かった。家に戻るためセーヌを渡ったけど、相変わらずの悪臭だった。生まれたときから暮らしてると、なんとなく馴れるものだけど、この日は橋の上から見る濁流が印象に残った。
 次の日には、事件のことは忘れていた。まぁ、自分でもどうかとは思うが。

 国王一家の逃亡未遂もあって、次第に、街の様子はおかしくなった。別の友人が党派の関係なしに暴力的になった。諸外国からの侵攻が始まって、市内は緊張感に包まれた。僕は気晴らしに壁の外の丘まで出かけた。丘は家の密集する市内と違って閑散としていた。その日は風が強く、曇っていて薄暗かった。上からパリは小さく見えた。
 この頃には家族のほとんどが英国に帰っていた。情勢のまずさを察してね。父の判断は素早かったと思う。翌年には国外行きの船は停められて、パスポートの発行も無くなった。
 父にはフランスのために戦う、と言っておいた。彼は僕の行動を黙認したよ。
 僕は飲食店を経営している知り合いの家に居候することにした。もう実家には戻らない方が良かった。略奪で荒らし回られてたからね。
 知り合いの弟と一緒に、彼の家族と偽って兵役に就いた。相手はプロイセンだった。

 ヴェルダン要塞では、中の囚人たちが敵軍に呼応して暴動を起こすのではないか、という噂が流れていた。人々は囚人たちを外に出して、次々と殺していった。僕は遠くから成り行きを傍観していた。
 ある女の人が、要塞から出されて、犠牲者の死体の山を登らされていた。どうもその人は王妃の側近だったらしい。彼女は殺気だった人々から「革命万歳」と言え、と脅されていた。彼らに少し躊躇があったのは、彼女が若く見えたからだろう。彼女は怯えていて、顔を覆って嫌だと言った。彼女は山から引きずり下ろされて、殺された。
 あまり覚えていないが、そのあと僕はプロイセン軍と戦って、砲弾で吹き飛ばされた。一日で病院送りさ。足が綺麗に直ったのは奇跡だったね。片腕はいまでも動かしづらいんだが。
 お茶を淹れ直してくれるのかい? 有難(ありがと)う。そんな具合悪そうに見えるのかな……?

 そんなこんなで、ずっと病院にいたもんだから、しばらくギロチンを拝んだことはなかったのさ。あんまり見たいものでもなかったけど、足が治ってから、友人に連れられて広場に行ったんだ。
 その日処刑されるのは先代国王の愛妾だった。彼女は国外に居たそうだが、フランスに戻っていたんだな。理由はわからない。僕のいたところは処刑台からは遠かったが、背は高い方だし、目も悪くなかったから、様子はよく見えた。彼女は落ち着いているように見えた。
 しかし、ギロチンを目の前にして、突如泣き崩れ、大声で喚き始めた。当然の話だ。
 僕は戦慄(せんりつ)してしまった。なんとか平静を保つのに神経を使った。笑っちゃうよね、僕は人を殺しても、殺されるのを見てもなんとも思わなかった奴なのに。周りを見渡すと、さっきまで息巻いていた群衆が静まりかえっているのに気付いた。あとで聞いた話なんだが、いままでギロチンで殺された人々はどうも粛々と死に臨んだ例が多かったらしい。叫び声を上げるのは彼女が初めてだったそうなんだ。
 僕は恥知らずにも怒りを覚えてしまった。どういうことだ? お前たちは俺と同じじゃないのか? 人を殺してもなんとも思わないやつじゃないのか?
 こうも思った。どうやら僕には案外良心というものがあったらしい。自分が人非人(にんぴにん)でなくて良かった、と。奇妙な安堵(あんど)があった。
 矛盾してるだろう? でも、僕はこう思ったんだ。

 とにかく、こんなところには居られなかった。早々にその場を後にしたよ。

 あとは、どうにか英国に帰って来て、こうしてここで座って紅茶を飲んでいるという訳だ。
 疲れたかい? 僕もだよ。いろいろ喋ったけど、罪人にならないために僕の経験から教訓を得られるとすれば、狂騒からは距離を置く、身の危険を感じたらさっさと逃げる、精々このくらいだ。
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