第1話

文字数 1,998文字

いじめをきっかけに不登校になった僕がM高に転入したのは高一の三学期だった。
M高は通信制の高校だが独自の通学制度を設けていた。といっても登校は自由。一応授業もあったが出席するかは生徒次第。校則はひとつ。「幸せを目指せ!」
週に三回は通学することにした。生徒は個性的な人ばかり。世界が広がった気がした。
M高には多数の部活があった。ある日僕は写真部からの勧誘を受けた。相手は赤いモヒカンでピアスだらけの女子だった。以前の僕なら関わることを躊躇しただろう。だがM高で過ごすうち個性に対する偏見は減っていた。深く考えず誘いに応じる。
写真部の具体的な活動はたったひとつ、卒業を控えた三年生のアルバムづくりに協力することだった。
僕を写真部に勧誘した張本人のモヒカンは写真の知識を殆ど持ち合わせていなかった。「シャッター押しとけばいいんでしょ」
そのくせ彼女は何かと僕の撮影態度に注文をつけた。「今カメラ向けたらまずいよ」何度たしなめられたことだろう。曰く僕は「とことん鈍感な奴」らしかった。彼女の制止はときに厳しいこともあった。だが彼女の注意に対し嫌な気は一切起こらなかった。上手く言葉にできないが前の学校の連中とは何かが決定的に違っていた。
早春、先輩達を主役とした卒業アルバムの見本が学校に届いた。放課後、アルバムを開いてはっとする。
載せられた写真はどれも盛大に加工されていた。人物はCGのようだった。加工は生徒の姿だけに留まらず先生や校舎の窓にまで及んでいた。
これ程の加工をしてもいいのだろうか? 僕の不安をよそにモヒカンは誇らしげな顔をしていた。
女子生徒二人組が近づいてくる。「卒アル! できあがったんだ!」
怒られるかもしれないと思った。いくら自由な校風とはいえ一生の思い出になるかもしれないアルバム写真をこれ程加工しても大丈夫だろうか?
だが先輩達は笑顔だった。「めっちゃ盛れてるじゃん! ありがと」
彼女達だけでなく、僕の知る限り全員がアルバムのできを絶賛していた。
卒業式の手伝いを終え喫茶店に入る。
「先輩達、喜んでくれてたね」
彼女は笑った。「不安だった?」
「うん」
「撮影のときはいろいろごめん」一転、真剣そうに顔を引きしめ謝罪してくる。「君、生徒のなかで誰が先輩か分かってなかったでしょ?」
図星だった。M高にはクラス分けもなければ年齢もバラバラな為に上下関係が曖昧だった。実のところ、僕はアルバムに収める被写体の区別さえついていなかったのだ。
「伝えればよかったね。カメラの前で微妙な顔するのが下級生。キメ顔つくるのが三年生。感覚だから見極めは難しいけど」
初めて知った彼女の繊細な観察眼に驚かされる。彼女と前の学校の連中の違いが少し分かったような気がした。
「加工もガンガンしちゃえばいいんだよ。三年生、修学旅行は東京だったんだ。前に流行ったアニメ映画に出てきた東京が綺麗でさ、そのイメージで実際行ってみたらみんなガッカリしたんだって。SNSとかもそうじゃん? みんな実際よりかなり盛ってる。そりゃ誰だっていい感じに見られたいよ。実際、じゃなきゃキメ顔なんてしないし。だから私は先輩達にとっての理想を収めようと思ったんだ。あ、アルバムに載せてるのとは別に贈った写真は殆ど加工してないよ。そっちは君が撮ったのも多い。評判よかったんだから。ありがとね。お礼にしちゃショボいけど、これ」
差し出されたのは二枚の写真だった。一枚は僕を真正面から撮ったもの。言われてみれば確かにキメ顔をしているようにも見える。写真の中の僕はかなり美化されていた。もう一枚は僕を横から撮ったもの。こちらには手が加えられていなかった。生々しい横顔は強張っていて、そのくせ楽しそうだった。
「君はどっちの写真が好き?」
もちろん一枚目、そう返そうとした瞬間彼女はポツリ呟いた。「私はどっちも好き」
途端に恥ずかしさが込み上げてくる。だが同時にとても嬉しかった。敵わないと思った。オレンジジュースの甘酸っぱさが特別なものになる。
卒業アルバムの表紙には『≠ユートピア』という題がつけられていた。彼女の発案らしい。
「ユートピアってどういう意味でしょう?」
本の名前だった気がする。
だが彼女の答えはより説得力があった。
「元々は『どこでもない場所』って意味なんだって。そう考えるとぴったりじゃない? だって青春って、後から振り返ったら『どこでもない場所』だから」
いくら鈍感な僕でも彼女が自分で言った台詞に照れているのは分かった。
いつの日かこのやりとりさえユートピアになるのだろうか? 嫌なことも多くあった。だがそれだけではない。少なくとも僕は二枚の写真を持っている。かけがえのない二枚の写真を。
僕は決して強くない。だからきっとこの先何度も現実に疲れ、ユートピアを求めるだろう。
そのときはこの写真を見返そう。そして思い出すのだ。今ここにいる現実以上理想未満の僕を。
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