第1話

文字数 4,949文字

私を見てくる怯えた目。
その助けを求めるか弱い目を見ていると、もっともっと突き落としてしまいたくなる。
吉川ユリコの目は支配欲というか征服欲をかりたてる。
「脱げよ」と私は迫った。
「早くしろよ」とカヤ。
脅しても脱がないで首を振るだけ。小さく。弱く。
抵抗する姿に苛立ちを募らせていたのか、ユイは吉川ユリコの長い髪をつかんで乱暴に振り回す。
「脱ぐまで帰らせないから」
ユイは吉川ユリコの顔に近づけて言ったけど、吉川ユリコは何も言わない。
そのすぐあとに「パンッ」という乾いた音が鳴った。
ユイが吉川ユリコの頬をぶったのだ。
倒れてきた顔が私の足元にちょうどよく来たので蹴ってやったら鼻血を流した。ぽた、ぽた。
「あーかわいそう」と私たちは笑った。
誰もいない放課後の科学室に私たちの笑い声が充満する。
裏校舎にある科学室は放課後になれば誰も来ることはない。
倒れたままでいる吉川ユリコの髪をつかんで無理やり立たせると、両目から一筋の涙をこぼしていた。
涙と鼻血で汚れた不細工な面。
この泣き顔も、そう。もっとイジメてやりたくなる。もっと、もっと。
「ねえ、見て。泣いてる~」
私たちはまた笑った。
「ねえ、鼻血もついちゃったからさ、脱ごうよ」とカヤ。
耐えられなくなったのか、吉川ユリコは震える手でゆっくりとブラウスのボタンをはずしていく。
裸になった体は華奢だけど、透明で美しいくらいの白肌だった。なんか悔しい。
「鼻血たれるから鼻おさえろ」「出会い系アプリにアップしとくから」「あんた処女卒業できるよ。よかったね」「五万ぐらいでやらせる?」「いいんじゃない?」「これくらいなら妥当でしょ。一応、女子高生だし」なんて笑いながら写真に撮っていく。
科学室を出る間際、ちらっと後ろを振り返ると吉川ユリコは脱いだ服をかき集めていた。
かわいそうなユリコちゃん。みじめだね。

ファミレスに寄った私たちはさっそく吉川ユリコの写真を出会い系アプリにアップして、カモを待った。
とりあえずホテル代込みで五万。私たちは体を汚すことはない。汚れるのは吉川ユリコだ。
その十分後には「それでOKです。」と連絡がくる。
「来た、来た~。バカが来た~」
私はカヤとユイに連絡内容を見せた。
「やったじゃん」とカヤ。
「すぐ連絡くるもんだね」とユイ。
連絡をよこした男は四十代の自営業の男らしい。
女子高生とやれるという汚らしい中年男の顔が思い浮かぶ。キモチワル。
ユリコごめんなさいね。でもいいでしょ?あんたの生きてる価値なんてこれくらいなんだから。
その男に待ち合わせ場所と待ち合わせ時間を指定したら男はそれでOKだという。
男に指定した同じ待ち合わせ場所と時間を吉川ユリコにも伝え、「絶対、来いよ」と念をおす。
けれど、吉川ユリコが来ることはなかった。

翌日の放課後。
私たちは吉川ユリコを科学室に連れ込んだ。
「なんでお前、昨日来なかったんだよ」と私は迫ったけれど、もごもごして何も答えない。
「聞こえねえんだよ!」
吉川ユリコは「だって」と小さな声で言う。
「だって、何?」
「だ、だって……怖かったから」
「分かったって言ったよね?」
「うん……」
「嘘つきな子は罰を与えなきゃ」
吉川ユリコの目が怯えた目になる。
そう、これ。これよ。私が待ってたのは。突き落としてやる。
「カヤ、あれちょうだい」
「ほい」とカヤが渡してきたのはバリカンだ。
「カヤ、ユイ。おさえといて」
「了解」
二人が吉川ユリコの両脇を抑え込んでからバリカンのスイッチをいれた。
吉川ユリコが小さく首をふる。
やめるわけないでしょ。バカ。
額から頭頂部にかけてバリカンをいれていくと頭の真ん中だけ頭皮があらわになった。
長くて黒い髪が床に落ちていく。
「落ち武者っぽい~」
私たちはゲラゲラ笑った。吉川ユリコは泣いていた。小さく震えながら。
この泣き顔。本当にそそる。
「ユイ、ユイ。早く、撮ってよ!このハゲ」と私は笑いながら言った。
「分かった。ちょっと待って。腹痛い」とユイも笑いながら言う。
ユイは吉川ユリコを写真におさめていく。
「あ、ねえ、カヤ。あれは、あれ」と私。
「あれね。ほい」とカヤはポケットからハサミを出した。
ハサミを受け取った私は吉川ユリコの側面の髪を切ろうとした。
「もうちょっと落ち武者らしくしてあげるからね」
ユイとカヤの笑い声。
私が吉川ユリコの髪を切ろうとしたその時だった。
「ヤメロー!!」と吉川ユリコが叫んだ。
そのあまりの大声に私たちはひるんでしまう。
吉川ユリコから出したとは到底思えない大声。そんな声を出せたの?
私たちがひるんでるすきをついて吉川ユリコが科学室から逃げていく。
「逃げんじゃねえよ!」
私たちはあとを追った。
吉川ユリコの逃げ足は意外と早く、なかなか追いつくことができない。
階段をどんどん上っていく。
もしかして屋上?
その予想はあたる。世界が終わりそうな曇り空がひらけた。
屋上に出た吉川ユリコは柵まで走っていく。
「なにやってんの?」
私は聞いた。
「死ぬ。私……死ぬから」
「バカじゃないの」とユイ。
「冗談やめてもどってこいよ」とカヤ。
「戻らない。戻っても地獄だから」
「じゃあ、死ねば」と私は突き放す。「あんたなんか死んだって別にどうでもいいし」
「石川エリナ」
「なんだよ」
「お前だけは絶対許さない。呪ってやる。ワスレルナ」
そう言い残して吉川ユリコは屋上を飛び降りた。

吉川ユリコの死は自殺と処理された。
これはニュースでも小さく報道されたけれど、学校側はイジメはなかったと主張した。
あんな髪型をして死んだのだからイジメがないわけないのだが、学校はそれをもみ消したのだ。
吉川ユリコの死後、調査がはいったけれど、私は知らぬ、存ぜぬで通した。
彼女とはあまり話をしたことがないので、わかりません。おとなしそうな子でいい子だったと思います。さあ?イジメられていたという話は聞いたことないですけど。
学校側は話を大事にしたくなかったようで生徒達への調査は形だけという感じで終わった。
吉川ユリコの命などその程度のものだ。
先生の説教も本当にくだらない。
命の重さは同じ?命を大切にしましょう?はっバカじゃないの。なにキレイごと言ってんのって。自分の命なんだからどうしようと自分の勝手でしょうが。
それにしても。
あれからというもの死の直前の吉川ユリコの目、そして声がちらちらと浮かんできてしまう。
心底、人を憎んだような目と声。あれは吉川ユリコじゃなかった。
強いて例えるなら、悪魔……か。
お前はだけは絶対許さない。呪ってやる。ワスレルナ。
頭から離れない。離れていかない。

私の日常に変化が起こり始めたのは吉川ユリコの四十九日が過ぎたころだった。
いつものように学校に行き、後姿のユイに「おっはよ」とあいさつする。
「おはよー」と振り返ったユイの顔を見て私は小さな悲鳴をあげてしまう。
「どうしたの?エリナ」
声だけはユイだ。声だけは。
「ねえ、どうしたのエリナ」
「ち、近づかないで!」
「え?」
吉川ユリコの顔になっているユイは怪訝な顔をする。
「何?ちょ、どうしちゃったの?エリナ」
「近づくな!」
私はカバンから手鏡をだしてユイに渡した。
「見てよ、顔。早く!見て!」
怪訝な顔をしながらもユイは手鏡で自分の顔を見た。
「何?なんか今日のメイク変?」
「メイクじゃねえよ!ユイの顔、吉川ユリコの顔になってんだよ!」
「はあ?大丈夫?エリナ」
後ろから手鏡をのぞいてみる。
ユイじゃない。アイツだ……。アイツがいる。
その時、「おはよ」と声がする。
カヤだ。
「カヤ!」
よかった。カヤはカヤの顔だった。当たり前のことに安堵する。
カヤをユイの席まで引っ張っていく。
「ちょちょちょ、エリナ。どうした?」
「いいから」
ユイの席まで連れて行ってカヤに聞いた。
「カヤ、ユイの顔見て」
「何?」
「おかしいでしょ?」
「どこが?まあ、ユイの顔はもとからおかしいけど」
「なんだとー」とユイがつっこみをいれる。
「ふざけんじゃねえよ!」
私が叫ぶと教室中が静かになった。
「ふざけてなんかねえよ。頭おかしいんじゃないの?エリナ」
「ごめん」
皆の視線と沈黙が気になり、私はしかたなく自分の席に戻った。
ワスレルナ……。
またあの声が執拗に聞こえてくる。

その日から私の日常が狂い始める。
次の日、ユイだけじゃなくてカヤの顔まで吉川ユリコの顔になっていたのだ。
しかもそれは二人だけにとどまらなかった。
病気が感染していくように日が経つにつれて誰かの顔が吉川ユリコの顔に変わっていく。
いつしか私は「頭のおかしい人」として孤立してしまう。
朝、学校に行くと誰とも目を合わさないように、目を伏せながら歩いていく。
それは教室に入っても同じだった。
私が教室に入ると、急に静かになってヒソヒソとした話し声になる。
死の間際に見せた憎悪の目が私に向けられる。
「見てんじゃねえよ!」
大声で叫んで教室を飛び出した。
そうしないと耐えられなかった。狂いそうだった。
職員室に飛び込んだ私は担任の先生のもとへといく。
「先生、お願いです。お願いします。吉川さんの住所を教えてください」
「ちょ、ちょっとどうしたの?急に、石川さん。泣いてるじゃない」
「お願いします。先生、お願いします。吉川さんにお線香あげたいんです」
「落ち着いて。最近あなたおかしいわよ」
「いいから!教えてっていってるでしょ!」
渋々という具合に先生は教えてくれた。
学校からそう遠くはない。
私を引き留める先生の声が聞こえたけど、もう学校なんてどうでもよかった。

「吉川」という表札がある。
家は閑静な住宅街にあり、新築らしい奇麗な家だ。
インターホンを押すと、五十代くらいの女性がでてきた。
おそらく母親だろう。雰囲気が吉川ユリコに似ている。
娘を失った悲しみのせいかとてもやつれて見える。
私がわけを話すと家の中に通し、仏壇の前まで案内してくれた。
彼女の遺影は私が見たことのない笑顔だった。
その屈託のない笑顔を見ていると心が痛まないわけでもなかった。
「本当にありがとうございます」と母親はお茶を持ってきて言った。
「いえ」
「あなたが初めてきてくれたお友達なんですよ」
「そうなんですか」
お友達……。私と吉川ユリコの関係を話したら一体この人は何を思うだろう。
「あの子は本当におとなしくて学校のことなんて全然話してくれないんですよ。でもよかった。お友達が一人でもいて」
私がなんて答えていいか迷っていると「すみません」と彼女は謝った。
「ついつい嬉しくなっちゃって。どうぞお線香あげてやってください。娘も喜びます」
「……はい」
私はお線香をあげて目をつむり手を合わせた。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。もう許して。頼むから。もうやめて。お願いします。許してください。ごめんなさい。ごめんなさい。
ひたすら謝り続けた。そして許しを請い続けた。
気が遠くなるくらいに。

時計を見るとお昼の一時を過ぎていた。
それでも学校へは行かずひたすらベッドの上で横になり続ける。
学校に行かなくなって一ヵ月以上は過ぎていた。
もう外には出られない。
吉川ユリコに謝っても許しを請うても結局何も変わらなかった。
誰かの顔が吉川ユリコの顔に変わっていくのは止まる気配を見せず、増えていくばかりで私は人の顔を見ることができなくなった。
アイツは私を許す気などないのだろう。
ワスレルナ……。
またあの声がする。私を憎む声。呪う声。
この声が聞こえてくるともう眠れなくなる。
しかたなくベッドからおりてトイレへ向かうことにした。
トイレで用をたし、洗面所で手を洗いながらふと鏡を見る。
その鏡に映った“モノ”を見た時、全身の血の気がひいた。
私は狂ったように大声を上げながら、鏡に映るアイツの顔を殴り続けた。
鏡が血で染まって見えなくなるまで、何度も何度も殴り続けた。




 
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