赤い情景

文字数 445文字

海沿いの田舎町だった
その錆びついた螺旋階段は
影の中の影の
死の中の死だ
白波は気まぐれに言葉を反射する
思えばそれは
熱帯夜の寝苦しいときに見る
じめっとした夢のように
幼い頃からずっとあったように思う
確かに兄はいつ自殺してもおかしくなかった
精神病は鏡だ
現実世界の
崩れていく蚊帳の中で
逃げることに必死だったぼくたちは
音を立てないようにガラス戸を開け
青白い月が反射する庭石の影に自らを突き落
 としたのだから
あの頃は
父も母も姉も飼っていた犬でさえ
顔の中の顔の
影の中の影に飛んでくる
一匹の蚊の羽音に怯え
台所は血の海だった
昭和のラジオは溺死した
思えばあの頃はみんなが徹底的に病まなけれ
 ば生きてさえいけなかったんだと
真夜中に聞こえてくる海鳴りの
鏡の中の鏡は
不変の中の不変だ
いったい生真面目な兄は真夜中の月に対して
 なにを見つめていたのだろうか
確実に訪れる
蚊のような夕暮れの終わりを
両手で叩き潰した兄の
手のひらに残った赤い情景
合わせ鏡じゃあるまいし
寝苦しい熱帯夜に見たあの螺旋階段を
ぼくは今でも忘れられないでいる
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