ほねとひかり

文字数 1,579文字

「骨をおぼえてる」
 重たい遮光カーテンの隙間から月明かりがもれている。この部屋の唯一の光。
 天井をみるとカーテンの襞に沿って三角形の模様ができている。きらきらする。
 このきらきらという言葉はこの人からもらった。
 撫でるでもなく、さするでもなく、骨をはさむグローブのようにごつごつとした手を感じる。
「目が見えなくなったときのため」
 そうか、この人はわたしよりも先に死ぬ。そんな簡単なことが、この人の前だと分からなくなる。曖昧になって、何もいえずにいえないことがふえていく。
 少し長くなった髭を引っ張たり、少し禿かかった頭を撫でてみたり、何もいえない後ろめたさか、ちょっと意地悪したくなる。やっと話そうと思ったら「生まれ変わったら何になりたい?」と聞いていた。
「もう一回自分がいい。今度はもっと上手く生きられる気がする」
 そっか、本当は猫とか鳥とか言ってほしかった。子どもみたいな明るさで聞いたのに。一人でいるのは寂しいけど、二人でいるのも寂しいこと、わたしはこの人からずいぶんおそわってしまった。

「冬の光だね」
 朝、駅では線路が光っている。何であんなにホームはまぶしいんだろう。家をでるときは気づかないのに、ホームに立つと思い出してしまう。わたしは目の前の光が信じられなくて、カメラに撮ってみては確認する。
「これが冬の光」
 わたしは光に敏感になった。
 公園の蛇口の光、川を流れる光、夜の自動販売機の光。赤い月や青い月、雲がかかってぼんやりとした月、真昼の白い月。お月さんといいたくなる月にも出会った。でも、夜の写真は上手く撮れない。夜はわたしの目の方が上手く光を受け取るらしい。
 何度も振り返る月との帰り道。光の欠片を探している。

 電車にのると、進行方向の右側の端の席に座ってどちらかに体をぴったりくっつけて、頭をもたれる。以前はすぐに本を開けていた。でも、今はまっすぐ前を見つめている。すると、少し青みがかったガラスの向こうに、白くて長い塔が見えてくる。それは空が青いともっときれいに浮かび上がる。
「あの焼却炉」
 といわれて、初めて焼却炉だと知った。あの近く。「あの焼却炉」をしっかり見ないと一日が上手く始まらない気がする。わたしだけのおまじない。
 
ベッドのまわりに本がたくさんあると、よく眠れる気がする。日記を書いたら一日がちゃんと終わるような気がする。あの人に「おやすみ」といわれたら安心して明日が迎えられそうな気がする。
今どこら辺を走っているだろう。トラックが川を越えるとき、少しだけわたしを思い出すらしい。

 小さい頃、寒いときは服を着ているよりも裸で抱き合った方が暖かいということを、おませな漫画で知ったとき、そんなの嘘だと思った。でも、それは本当だった。
 おしゃれな服は脱ぎにくいことも、電気はやっぱり消してほしいことも、腕枕はむつかしいことも、くっついたら離れたくないことも、わたしは何にも知らなかった。
 知ってしまったら戻れない。元の場所には戻れないなら、わたしは少しだけ変わっているのかもしれない。このままとるにたらない日々をおくるだけだったわたしにも、あの小説の、あの映画の欠片が降ってきた。そう思ったけど、わたしはずいぶん遠くにきてしまって、世界とは三車線ほど離れていて、この物語はわたしのものだと思えるような気持ちは何一つ手に入らなかった。

 出会ってはいけないときに出会ってしまったわたしたちは、出会ってはいけないひとだったのだろうか。もしも子どもが生まれていたら生まれてはいけない子どもだったのだろうか。
 触れることが変化する時代に恋をしてしまったわたしは距離感がうまくつかめない。
 どうしたら大事にできるだろう。この関係をながく続けるには、何をして何をしなければいいのだろう。
 大切な人を大切にする方法。今、やっと知りたくなった。

 
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