第1話

文字数 2,288文字

僕の趣味は早朝ジョギングだった。
時刻は5時をまわったところだ。
あの角を曲がれば中間地点。僕は腕時計を見ながら、タイムを確認した。
角を曲がると、大きな看板を持った男が立っている。
『タイムマシーン売ります!』
そう看板に書かれた文字に驚き、僕は足を止めた。
肩で息をしながら、看板を持つ男に訊いた。
「タイムマシーンを売るって本当かい?」
「いらっしゃい、お客さん。ええ、本当ですよ。本物のタイムマシーンを売ってます」
男は得意げに話した。
21世紀になって早20年以上経つが、いまだにタイムマシーンが完成したという話は聞いたことがない。
ドラ〇もんのようなネコ型ロボットでさえ、完成していないのだ。
「タイムマシーンか。本当にそんなものがこの世にあったら、今頃世界はパニックになってるんじゃないか? フェイクニュースでも見た事ないぞ」
男は頭をぽりぽり掻きながら、あっけらかんと言い放つ。
「本当はずっと前からあるのに、あなたのように誰も信じていないだけなんですよ」
「そ、そうなのか……」
不思議と男が嘘をついているようには見えなかった。
「ちなみにいくらで売ってるんだ?」
「10億です」
「じゅっ、じゅうおく!?」
僕は驚愕して目を剥いた。
「ええ。通常なら10億なんですが、なんと今だけ! キャンペーンにつき、1憶で販売していますよ」
男は人差し指を立ててにっこり笑った。
「キャンペーンって、なんの……?」
「タイムマシーン普及キャンペーンです」
「あ、そう」
一気に怪しくなった。なんだそのキャンペーンは。
僕が疑いの目を向けても、男は笑顔を崩さなかった。
「お客さん、あなたは特別にもっとお安くしてあげましょう」
「へえ。いくらに?」
「あなたの現在の貯金額でいいですよ」
「え!? 一千万でいいのか!?」
「一千万あるのですか。いいですねぇ」
男は微笑んで、頷いた。
が、直ぐに厳しい表情になる。
「一千万ですと、一回分になりますね」
「何が一回分なんだ?」
「タイムマシーンの使用回数ですよ」
「一千万でたった一回しか使えないのか!?」
「タイムマシーンのエネルギーは原子力に匹敵しますからね。一千万でも大特価なんですよ」
「まあ、一回でもいいか……」
僕には原子力の知識はなかった。原子力発電所という名称は聞いたことあるが、どのようなものかと問われれば答えることはできない。
「そのタイムマシーンは、過去にも行けるのか?」
「ええ、過去も未来もどちらでも可能です。ただし前後100年までになります」
「100年? なぜ?」
「歴史を大きく変えさせないためです。100年くらいなら、まあそこまで大きくは変わらないか、という製作者の意向です」
「て、適当だな……」
「で、どうします、お客さん。買いますか?」
僕は想定以上に悩んでしまっている。
ここまで話しても、男が嘘をついているようには思えなかったのだ。
たしかにキャンペーンは怪しいと思ったが、安く買えるに越したことはない。
そして僕には後悔している出来事があった。
それを変えられるなら、と心の奥で期待し始めている。
「わかった。買おう。これから銀行へ行ってお金を用意するから待っていてくれ」
「ありがとうございます。では、こちらも準備してお待ちしております」
男は深々と頭を下げた。

僕は開店時間ちょうどに銀行へ行き、一千万円を引き出して男のもとへ戻った。
男の後ろには、先ほどまではなかったミニカーのような乗り物があった。
これがタイムマシーンなのだろうか。
「その後ろにあるのがタイムマシーンなのかい?」
「ええ。そうですとも。お待ちしておりました」
男はまた深々と頭を下げた。
「では、先に金額の確認をさせていただきます」
そう言って男が両手を差し出したので、僕は一千万円が入った鞄を渡した。
男は束になっている一万円札を慣れた手つきで数える。
「はい。たしかに。一千万円、頂戴いたします。どうぞ、乗ってください」
男がタイムマシーンのドアを開けた。
中は車のような構造になっており、一人分のシートとハンドルがあった。上を見ると、ルームミラーまでついている。
おそるおそる乗り込むと、ハンドル脇に年月日を入力するボタンが見えた。
「簡単に説明しますと、行きたい年月日を入力して、ハンドルの真ん中にある赤いボタンを押すだけです。安全のため、シートベルトは忘れずに」
「安全のため? 危険なのか……?」
「時空間を移動しますので、念のためです。さあ、行きたい年月日を入力してください」
僕が入力を始めると、男はドアを閉めた。
入力が終わり、顔を上げると、男が笑顔で手を振っている。
僕は息を飲んで、震える手で赤いボタンを押した。
すると、男が一瞬のうちに消えてなくなり、まるで万華鏡の中を覗いているような視界に変わり、すぐにまた切り替わった。
僕がまばたきしている間に、到着したようだ。
ドアを開けておりると、見覚えのある古民家が目の前にあった。
辺りは薄暗く、静まり返っている。
僕は慣れた手つきで古民家の鍵を開け、足音を立てないようにそうっと中へ入っていった。
奥の寝室でおじいさんは寝ているはずだから、最初から金庫のある仏間を目指した。
僕は一ヶ月前、この家でおじいさんを殺して一千万円を盗んでいった。
おじいさんを殺したのはやり過ぎたと後悔していたところだったのだ。
今度はお金だけ盗んで帰ろう。
金庫から一千万円を持ち出し、タイムマシーンへと戻って来た。
はて。帰るときはどうすればいいのだろう。
年月日を入力するボタンを押しても、数字が変わることはなかった。
「一回分って、片道一回分ってことなのか……?」
血の気が引いた僕の顔がルームミラーに映っていた。
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