前編
文字数 2,020文字
秋本番。
晴れて空は眩しいのに、肌寒い。だからか調子を崩す人が多いみたいで、あちらこちらでクシャミ、鼻水。
「鼻ノーブル、ありましたか、何でも屋さん……」
本日の依頼主の権藤さんに問われた俺は、トリプル保湿と潤い成分配合を謳うやわらかティッシュを差し出した。
「隣町のドラッグストアに、なんとか」
「はー、ありがたい。もう、ハナかみすぎて、痛くて……」
ぶぁーくしょい、と権藤さんはクシャミをした。買ってきた鼻ノーブルを、さっそく開けている。──窓からの光を受けて、鼻の下に氷柱のようなものが輝いてたけど、見なかったことにしておこう。
ぶー、とハナをかむ音を聞きながら、俺は言った。
「この辺りのスーパーやドラッグストア、個人薬局やコンビニも見てみたんですけど、軒並み鼻ノーブル切れてました。このところの冷えで、鼻風邪引く人が増えたんでしょうか」
来週には次が入荷するみたいですよ、と一番近いドラッグストアで聞いた情報を伝えておく。
「ありがとうございます……」
体力を使い切ったていの権藤さん、ぐったりしてる。
「僕の場合、花粉症と風邪が重なって、もう身体中の水分がハナに……」
不発になったクシャミに顔をしかめつつ、もう一枚鼻ノーブルを引っ張り出す。
「あ”ー……」
「秋にも花粉症ってあるんですね。俺、権藤さんに聞くまで知らなかったです」
「そうなんだよ、ブタクサとか、ヨモギとか、カナムグラとか……」
もうあいつら燃やしてやりたい、でもどこにどれだけ生えてるのか分からない、と権藤さんは嘆いてる。
「まあ、花粉症はともかく、風邪はね。ご注文のビタミンCドリンクも買ってきましたし、あと食事ですね。片手で食べられて栄養のあるやつ作りますから……出来たら持ってきますね」
お仕事に戻ってくださっても大丈夫ですよ、と言うと無言で頷き、ビタミンCドリンクを開けて一気飲みしてる。
「風邪薬、のむと眠くなるから……はぁ……」
ハナをすすりながら、権藤さんはキーボードに向かった。よれよれの虚ろな表情と裏腹、軽快なタイピングの音が聞こえてくる。
権藤さんは流行りの作家さんらしい。そういえば、本屋に行くと“権藤 礼”名義の本が必ずといっていいほど並んでる。書くのは早い、らしいんだけど、花粉症と風邪のダブルパンチを食らいながら書くのはしんどいだろうなぁ……。
ご飯を炊いて、その間に汁物を作る準備をする。食欲はあるそうだから、具沢山の豚汁にしようと思う。大根と人参と玉葱、豚バラ。椎茸を入れると風味が増す。後は味噌を入れるだけにしておいて、炊いたご飯を海苔で巻いてロングおにぎらず。
おにぎらず、って、熱々のご飯でも扱いやすくていいよな。昔、初めておにぎりを作ろうとしたとき思い知ったよ、炊きたてご飯があんなに熱いだなんて。
ツナマヨネーズとレタス、卵焼きと胡瓜。塩だけのも巻いて。ラップに包んで食べやすく切って。この間、画家の宇佐見さんちでモデルやったとき(ぬ、ヌードなんかじゃないんだからね!)、ご馳走になったラップサンド見て閃いたんだよな。ネットで調べてみたらそういうレシピもあったし。
パンとご飯はわりと互換性あるけど、さすがにジャム巻いたご飯は嫌だな。ピーナツバターは、どうだろう……うーん、やっぱり気持ち悪いかも、てなことを考えながら、味噌を鍋に入れて豚汁を完成させる。
大きなマグカップがあったから、そこに豚汁を入れてスプーンを添え、海苔巻きおにぎらずを皿に盛って、さあ風邪引き流行作家さんの元へ。
「権藤さん、出来ましたよ」
部屋のドアをノックすると、クシャミで返事。──大丈夫か?
「はあ……腹減った……」
PCデスクの脇にあるゴミ箱は、鼻ノーブルの山。権藤さん、鼻赤いし目も涙目。重症だ。
「まあ、おしぼりでも。手とか顔、拭いてください。ちょっとすっきりするかも」
軽くレンジでチンした熱々ハンドタオルを渡す。礼を言いながら権藤さんはそれを受け取り、しばらく顔に乗せて温かさを堪能してた。うんうん、それいろいろほぐれて気持ちいいよね。商店街にある行き付けの床屋さん、あれやってくれるから気に入ってるんだ。
「今、一本終えたとこです。ちょうど良かった」
手も拭きながら、ふう、と溜息をついておしぼりを丸めてトレイの隅に置く。
「そうなんですか? 明日が締め切りってお聞きしてましたけど、それなら今日はもう食べたらゆっくり眠れますね」
PCチェアに座ったまま、ツナとレタスの海苔巻きおにぎらずを齧りつつ、権藤さんは力なく首を振る。
「いや、あとまだ一本あるだな、これが……。明後日締め切りなのに、真っ白……」
「え……」
「週刊誌二つ持ってるから……あはは」
ひとつ食べ終えてきっちり飲み込むと、権藤さんはまた鼻ノーブルに手を伸ばした。ぶー、とハナをかんで、溜息をつく。
「いつもなら締め切り前に仕上げるんだけどね……」
ブタクサヨモギカナムグラメッスベシ、と呪文のように呟いて、マグカップの豚汁に手を伸ばした。
晴れて空は眩しいのに、肌寒い。だからか調子を崩す人が多いみたいで、あちらこちらでクシャミ、鼻水。
「鼻ノーブル、ありましたか、何でも屋さん……」
本日の依頼主の権藤さんに問われた俺は、トリプル保湿と潤い成分配合を謳うやわらかティッシュを差し出した。
「隣町のドラッグストアに、なんとか」
「はー、ありがたい。もう、ハナかみすぎて、痛くて……」
ぶぁーくしょい、と権藤さんはクシャミをした。買ってきた鼻ノーブルを、さっそく開けている。──窓からの光を受けて、鼻の下に氷柱のようなものが輝いてたけど、見なかったことにしておこう。
ぶー、とハナをかむ音を聞きながら、俺は言った。
「この辺りのスーパーやドラッグストア、個人薬局やコンビニも見てみたんですけど、軒並み鼻ノーブル切れてました。このところの冷えで、鼻風邪引く人が増えたんでしょうか」
来週には次が入荷するみたいですよ、と一番近いドラッグストアで聞いた情報を伝えておく。
「ありがとうございます……」
体力を使い切ったていの権藤さん、ぐったりしてる。
「僕の場合、花粉症と風邪が重なって、もう身体中の水分がハナに……」
不発になったクシャミに顔をしかめつつ、もう一枚鼻ノーブルを引っ張り出す。
「あ”ー……」
「秋にも花粉症ってあるんですね。俺、権藤さんに聞くまで知らなかったです」
「そうなんだよ、ブタクサとか、ヨモギとか、カナムグラとか……」
もうあいつら燃やしてやりたい、でもどこにどれだけ生えてるのか分からない、と権藤さんは嘆いてる。
「まあ、花粉症はともかく、風邪はね。ご注文のビタミンCドリンクも買ってきましたし、あと食事ですね。片手で食べられて栄養のあるやつ作りますから……出来たら持ってきますね」
お仕事に戻ってくださっても大丈夫ですよ、と言うと無言で頷き、ビタミンCドリンクを開けて一気飲みしてる。
「風邪薬、のむと眠くなるから……はぁ……」
ハナをすすりながら、権藤さんはキーボードに向かった。よれよれの虚ろな表情と裏腹、軽快なタイピングの音が聞こえてくる。
権藤さんは流行りの作家さんらしい。そういえば、本屋に行くと“権藤 礼”名義の本が必ずといっていいほど並んでる。書くのは早い、らしいんだけど、花粉症と風邪のダブルパンチを食らいながら書くのはしんどいだろうなぁ……。
ご飯を炊いて、その間に汁物を作る準備をする。食欲はあるそうだから、具沢山の豚汁にしようと思う。大根と人参と玉葱、豚バラ。椎茸を入れると風味が増す。後は味噌を入れるだけにしておいて、炊いたご飯を海苔で巻いてロングおにぎらず。
おにぎらず、って、熱々のご飯でも扱いやすくていいよな。昔、初めておにぎりを作ろうとしたとき思い知ったよ、炊きたてご飯があんなに熱いだなんて。
ツナマヨネーズとレタス、卵焼きと胡瓜。塩だけのも巻いて。ラップに包んで食べやすく切って。この間、画家の宇佐見さんちでモデルやったとき(ぬ、ヌードなんかじゃないんだからね!)、ご馳走になったラップサンド見て閃いたんだよな。ネットで調べてみたらそういうレシピもあったし。
パンとご飯はわりと互換性あるけど、さすがにジャム巻いたご飯は嫌だな。ピーナツバターは、どうだろう……うーん、やっぱり気持ち悪いかも、てなことを考えながら、味噌を鍋に入れて豚汁を完成させる。
大きなマグカップがあったから、そこに豚汁を入れてスプーンを添え、海苔巻きおにぎらずを皿に盛って、さあ風邪引き流行作家さんの元へ。
「権藤さん、出来ましたよ」
部屋のドアをノックすると、クシャミで返事。──大丈夫か?
「はあ……腹減った……」
PCデスクの脇にあるゴミ箱は、鼻ノーブルの山。権藤さん、鼻赤いし目も涙目。重症だ。
「まあ、おしぼりでも。手とか顔、拭いてください。ちょっとすっきりするかも」
軽くレンジでチンした熱々ハンドタオルを渡す。礼を言いながら権藤さんはそれを受け取り、しばらく顔に乗せて温かさを堪能してた。うんうん、それいろいろほぐれて気持ちいいよね。商店街にある行き付けの床屋さん、あれやってくれるから気に入ってるんだ。
「今、一本終えたとこです。ちょうど良かった」
手も拭きながら、ふう、と溜息をついておしぼりを丸めてトレイの隅に置く。
「そうなんですか? 明日が締め切りってお聞きしてましたけど、それなら今日はもう食べたらゆっくり眠れますね」
PCチェアに座ったまま、ツナとレタスの海苔巻きおにぎらずを齧りつつ、権藤さんは力なく首を振る。
「いや、あとまだ一本あるだな、これが……。明後日締め切りなのに、真っ白……」
「え……」
「週刊誌二つ持ってるから……あはは」
ひとつ食べ終えてきっちり飲み込むと、権藤さんはまた鼻ノーブルに手を伸ばした。ぶー、とハナをかんで、溜息をつく。
「いつもなら締め切り前に仕上げるんだけどね……」
ブタクサヨモギカナムグラメッスベシ、と呪文のように呟いて、マグカップの豚汁に手を伸ばした。