第1話

文字数 19,677文字

死体、死体、死体、死体・・・
目に映るもの全てが死体だった。
「少尉、この倒れている人達、全員死んでるのでしょうか?
ただ眠っているだけのようにも見えますが…」
一人の兵が尋ねる。
「ああ、全員が死んでいる。
これまで奴が現れた地に生き残りは一人もいない」
少尉が答える。
兵の言った通り、街の住人は皆、ただ眠っているだけのようだった。
街には今しがたまで普通に生活していた匂いが漂っている。
戦争ともなれば、街は噴煙と瓦礫の山と化し、欠損した死体が転がり血飛沫が散る。
だが、街も人も何一つ傷ついてはいない。
ただ人々が倒れている以外は、至って平和な街の景色だった。
「もう1キロはこの光景が続いていますが…」
重ねて兵が呟く。
少尉に連れ立って偵察に訪れた兵3人は、いずれもげんなりした様子だ。
「こんなものじゃない。奴がひとたび力を発動すれば、半径3キロの人間は一瞬で死に至る」
「3キロ…!?」
「現実離れした数字だが、真実だ。民衆に動揺を与えないよう被害は過小に報道されている。
末端の兵にも真相は伝わっていまい」
ふと目をやると、まだ5歳くらいの子供が倒れていた。
手に握りしめた茶色の袋からは、ジャガイモやトマトが散らばっている。
おつかいの帰りだったのだろうか。
「こんな子供まで…まさしく"悪魔"ですね」
一行は、この光景を作り出した主に憎悪が自然とこみ上げてきた。
「"悪魔の一族"の仕業に間違いなかろうが…これだけの芸当ができる者はそうはおらん。おそらくは…」
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夕焼けが沈みはじめ、空が紫に染まっていく。
「ふわああ…」
古びた木のベッドを軋ませ、一人の少年が起き上がった。
これからがバルの活動時間だ。
バルは埃だらけでボロボロの鏡に映った自分の姿を見て顔をしかめた。
短い寸詰まりの手足、妊婦のように飛び出た腹は、醜い子豚を連想させた。
細い目、大きく広がった低い鼻、突きだした分厚い唇、どのパーツを見ても醜い顔だ、とバルは思った。
油ぎった髪にまで目を游がせてから、バルは忌々しげに鏡から目を背けた。

床に置かれた小さな丸テーブルから、茶色い紙袋を取り上げ、中の串肉を出して貪る。
牛肉に塩をかけ、串を刺して焼いただけのもので、バルの好物だった。
取り置いていた3本を食べ終え、串までしゃぶって捨てると、バルは粗末な寮を出た。

街の中心部に向かってひたすら歩き続ける。
すれ違う人が徐々に少なく、やがてほとんどいなくなり、
街が夜の闇に包まれた頃、バルは街の中心の時計塔に着いた。
時計塔の横に備え付けられた倉庫に入り、バケツとモップを取り出し、水道からバケツに水を入れると、
再び時計塔に戻り、ドアを開けて電気を点けた。
かなり薄暗いが、スイッチを入れるだけで電球の灯りが点る。
"南側"の世界でも、まだ都市の一部にしか使われていない、珍しい代物だ。
スイッチを押すだけで灯りが点るなんて時代は進歩したなぁとバルは改めて感心すると、螺旋階段を上り始めた。
「ひい、ふう……」
頂上までは約30メートルある階段を、バルは幾度も休みながら上り続ける。
ようやく頂上にたどり着くと、バケツを床に下ろし、
モップを水に浸けて、またひとしきり休む。
「はあっ、はあっ……よし、やろう」
一人呟くと、バルは階段をモップで擦り始めた。
この時計塔を夜の内に掃除しておくこと、それがバルの仕事だった。
バルはモップの水を絞ることもなく、ひたすら階段を擦りながら下りていった。

ーーーそれは掃除を始めて、5分ほど経った頃だった。
「あの…」 唐突に上から声がした。
女の声だった。
「わっ!」
バルは驚いて後退り、階段から落ちそうになった。
「ごめんなさい…お仕事中に声をかけてしまって…」
バルは見上げて、声の主を見る。
灯りに仄かに照らされたシルエットは、バルとさして年の変わらなさそうな少女だった。
12~3歳ほどだろうか。
黒髪に、足下まで伸びた黒のローブと、黒ずくめの姿だから気づかなかったのかもしれない。
「ううん、全然大丈夫。でも何でこんな時間にここに…?」
バルは問いつつ、改めて少女の顔を凝視して、驚いた。
少女が、絵に描いたような美少女だったからだ。
薄明かりにも、神が創ったような相当に整った顔をしていた。
避けられ、忌み嫌われこそすれ、滅多に女に話しかけられることのないバルだった。
それもなぜ、こんな美少女が自分に声をかけてくるのだろう。
バルはいぶかしんだ。
「それは……ちょっと街の夜景を見てみようと思って……」
少女は躊躇いがちに答えた。
「ふぅん…まぁ全然ぼくはいいけど…」
バルはいまいち納得できなかったが、少女と話せる喜びの方が上回っていた。
「…この街、夜、綺麗だよね。電気が灯るから」
しばしの沈黙のあと、バルが言うと
「ですよね…!そうなんです!だから…」
と少女が食いついた。
しかし、バルは言ってみたものの、まだこの街に電気は普及しておらず、灯りはまばらだ。
こんな時間に本当に夜景を見る為にいたのか、疑問は解けないままだった。

再び、しばしの沈黙のあと、今度は口を開いたのは少女だった。
「突然ですが…この街にカミラスが攻めてくるという噂、聞いたことありますか…?」
本当に突然の話だった。
カミラスといえば隣の国だ。
それが攻めてくるとはどういうことだろう。
「カミラス…?カミラスとはふかしんじょーやく?を結んでるはずだけど…」
難しい話はバルにはわからなかったが、隣国とは互いに戦争をしないと取り決めていることくらいはバルでも知っていた。
「…不可侵条約は反古にされます。カミラスは"北"につきました。
3日後にはこの街に攻め込むつもりです」
少女は年齢の割に大人びた口調で答える。
確かに世界は北と南に分かれた大戦争の真っ最中だ。
だがこの街は前線からはまだ遠く離れている。
何より、なぜこの少女はそんなことを知っているのだろうか。
「何でそんなことわかるの?」
バルが問うと、少女は戸惑いの表情を浮かべた。
「…噂で聞いたんです。私はカミラスからこの街に来たから…」
バルは釈然としない思いだった。
「カミラスから…?もうじき攻めてくるのに…?」
再びバルが問うと
「あはは…そ、そうですよね…」
と、少女は明らかに狼狽した。
「ですがこれは本当の話みたいなんです…信じてもらうのは難しいですが…」
少女は気を取り直して続ける。
「ううん、信じてないわけじゃないけど…」
「…3日後にカミラスが攻めてきた時は瞬く間に街は包囲されます。
そうなればもう逃げることはできないと思います。
ですから今のうちに避難した方が…」
ようやく少女が言いたいことが理解できた。
だがバルは少女の話を信じていなかった。
そんな噂は聞いたこともなければ、こんな少女が国家の機密情報を知っているはずがないことくらいバルでもわかる。
嘘をついて騙そうとしているのだろうか。
少女の目的は何なのだろう。

「でも仕事があるから…ぼくでもできる仕事やっと見つけたんだよ。
この仕事なくしたら次が見つからない…」
バルはこの清掃の仕事に就くまで、幾度も仕事を変え、あるいは解雇されてきた。
時計塔の夜間清掃ならば、誰とも関わることなく、自分のペースで終えられる。
それは他人との交流を極端に苦手とするバルの天職だった。
「お金は私が出します。新しいお仕事が決まるまで生活できるだけの…だから早く逃げた方が…」
少女は真剣な目をして訴えた。
だが、この言葉によって、バルの少女に対する疑いは確信へと変わった。
なぜ初めて会っただけの人にそこまでするのか。
まして嫌われ者の自分に。
何か裏の企みがあるに決まってる。
そう、バルは確信した。
「…もしかして、そうやってぼくをどこかに連れてって、壺とか買わせようとかしてないよね…?」
バルが疑いに満ちた顔で聞くと、少女はどうしていいかわからず困惑した。
「それか罰ゲームでぼくを騙そうとしてるとか…」
バルは続ける。
これまでの11年の人生、騙され利用され虐げられ踏みにじられてきたバルだった。
少女が何か悪巧みをしている。
その方がよほど信じられる可能性だった。
「あ、怒ってないんだよ…でも本当のこと教えてほしい…
この仕事なくなったらぼく本当に困るから…」
少女が黙ってしまったのを見て、バルは慌てて顔色を伺うように言う。
何かしら企んでいるであろう少女に対する怒りはあった。
だがそれにしても、バルは他人が怖かった。
人は自分を傷つける力を持っている、そして自分は哀しいほど非力であることを、
バルは11年の人生で骨身に沁みさせられていた。
怒りと恐れの入り雑じった目で少女を見るバルだったが、少女の答えは予想に反したものだった。
「ですよね…こんな話、信じてもらえるはずないですよね…」
少女は怒ってはいなかった。
ただ落ち込み、困惑した表情で呟いた。
「でも本当の話なんです…!どうしたら信じてもらえるか…」
少女は独り言のように呟き、俯いた。
しばし考えているようだ。
バルもまた、どうしていいかわからなくなった。

しばらくの沈黙の後、少女は時計塔の切り抜き窓を指した。
「…3日後の明け方、この窓からカミーユ平原を見ていてください。
カミラス軍はカミーユ平原から攻めてきます。
カミラス軍の姿が見えたら逆方向の南…テトのパン屋さんがある方へ逃げてください。
南は包囲が一番薄いはずですから、逃げられる可能性があります。
テトのパン屋さん、知ってますか?」
少女は逃げる手筈を説明したが、全て嘘だと確信したバルは最早、空ろにしか聞いていなかった。
「あぁ…うん。知ってる…」
バルが曖昧に答えると、少女はまだ何か言いたげな顔をしながら、
「でしたら、私はこれで…」
と言い、階段を降りたーーーー
と、次の瞬間、少女は階段を転がり落ちていった。
「ーーーっっ…!」
少女は、階段と階段の繋ぎ廊下でようやく落下を止めると、痛みに呻きながら再びよろよろと立ち上がった。
「あ、足下気をつけて。暗いから」
バルが声をかけると、
「うっ、うん…それでは…」
と言い残し、ふらつきながら少女は去っていった。
ーーーバルがモップを搾らない為にできた水溜まりで少女が足を滑らせたことには、バルは全く気づいていないようだった・・・
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ーー3日後ーー
「7、8…あっ!」
時計塔の掃除を適当に終えたバルは、モップを逆さに立てて遊んでいた。
「また落としてしまった…10秒って難しいな…」
バルはモップを拾うと、再び掌の上で逆さに立てようとして、ふと思い出した。
「そういえば今日か…」
あの変わり者の少女が、戦争が起きると言った日である。
だがやはり、街には何の変化もない。
「カミーユ平原を見ろって言ってたけど…また階段上がるの面倒くさいな…」
バルはあらかた掃除を終えて、螺旋階段の下まですでに降りていた。
少女は何者だったのだろう。
何か裏の企みがあったのか、変わった娘だったのか。
いずれにせよ録なものではなかった。
バルは改めて思った。

ーーその時だった。
ドンという、耳元で太鼓を鳴らされたような音が響いた。
次いで、雷が間近に落ちたような、凄まじい轟音。
「雷……!?いや…まさか……!」
煙の臭いがした。
何かが焼け焦げる臭い。
ドン、ドン、ドンと太鼓を連続して鳴らす音。
「ひいっ!」
バルは耳を塞ぐが、爆音は体にまで響いてきた。
恐る恐る塞いだ耳を開けると、次に聞こえてきたのは人々の悲鳴と絶叫だった。
「助けて!」「戦争だ!!」「殺される!」「逃げろ!」
耳を澄ますと、そのような声が届いてきた。
「そんな…馬鹿な……本当にっ…」
バルは愕然として、立ち竦んでいた。
「たしか…テトのパン屋って言ってたっけ…テトのパン屋ってどこだったっけ…!?
それに今から逃げても、すぐ包囲されるって…」
バルは頭も回らなくなった。
どれくらいそうしていただろう。
爆音が鳴り止んだ。
人々の悲鳴の波も少し収まったようだ。
皆、避難したのだろうか。
「ぼくも逃げないと…早く、早くっ…!」
だが、バルは腰が抜け、その場から全く動けなくなってしまった。
ドアまでたどり着けず、外の様子さえわからない。
再び人々の悲鳴が近づいてくる。
大砲の音が鳴り響いていたのとは逆方向からだ。
次に聞こえてきた言葉は、バルの背筋を凍らせるものだった。
「囲まれてる!」「逃げられない!」
パン、パン、という音。絶叫。
鉄砲の音だ、とバルは察した。
ひとしきり砲撃を終えた後は、カミラスの兵が突撃し、一人一人皆殺しにしていくつもりなのだ、と思った。
あの少女が言っていたことは本当だった。
だが今になって、逃げていれば良かったと後悔しても遅かった。
バルは少女が助けに来ることをどこかで期待していた。
誰も知らない国家の機密情報を知っていた少女。
それは"能力者"だったからかもしれない。
だとしたら、その能力を使ってーーー。
しかし、どれだけ待っても少女は来なかった。

「ここはまだ開けてないぞ!」「3、2、1、突入!」
バンというけたたましい音と共に、3人の男が勢いよくドアを開けて突撃してきた。
全員まだ10代の若者のようだ。
「ひいっ!」
バルは恐怖で全身を硬直させた。
「何だ…子供じゃないか」「どうする?」
3人はしばしの間相談を始めた。
バルは恐怖のあまり一歩も動けずにいた。
「殺そう。住民は皆殺しにしろという命令だろ」
1人の男が言う。
誰も異論はないようだった。
「やめっ…やめてくださいっ…!命だけは…何でもしますから…」
バルは恥も忘れて、口から命乞いの言葉が漏れた。
無駄とわかっていても言わずにはいられなかった。
「誰がやる?」
だが、バルの命乞いには誰一人耳を貸さず、3人は粛々と指令を実行しようとしていた。
「俺がやろう」
1人が名乗りを上げた。
そうして、掌をバルに向ける。
「動くなよ。苦しむからな」
そう言うや、掌が真っ白に輝き始めた。
「うわあああ!助けてえ!」
バルは叫ぶと、3人に突進した。
虚を突かれた3人は一瞬退く。
その隙に、バルは螺旋階段をかけ上がった。
「チッ…手間かけさせやがって」
言うと、1人が光り輝く掌をバルに向けた。
次の瞬間、掌から目も眩むような炎が噴出した。
バルはすんでの所で炎を回避する。
"能力者"のようだ。
「待てっ!このガキっ!」
3人は怒号を発しながら階段を上り追いかけてきた。
バルは自分のどこにこんな勇気があったのか不思議だった。
毎日、階段を上っていたことで知らず鍛えられていたのか、
自分でも信じられない速さで階段をかけ上がっていく。
先の能力で、螺旋階段の下に火をつけられることをバルは恐れた。
そうなれば、逃げ場もなく焼き殺されてしまう。
だが、頭に血が上った3人にその気はないようだった。

「うわあああっっ!!」
今度は悲鳴を発したのはバルではなかった。
1人が階段で滑り、咄嗟にもう1人を掴んだ為に、2人揃って階段下に転がり落ちたのだ。
バルがモップを搾らない為にできた水溜まりによるものだ。
1人は、もう1人の下敷きになり、骨が折れたらしい。
バルは見る余裕がなかったが、それは掌から炎を出した能力者だった。
痛みにより、2人共に動けずにいる。
「大丈夫か!?」
「先に行け!」
1人が叫んだ。
「チッ…!拭いとけよっ!」
無事だった1人が舌打ちすると、再び追いかけてきた。

「はあっ、はあっ」
バルは息が切れ始める。
喉は焼け付くように熱く、心臓は鼓動で破裂しそうだった。
だが、立ち止まる事は死を意味する。

「待てコラァ!」
追ってきた1人が言うや、バシンという鋭い音と共に、壁や螺旋階段が鉄の鞭を幾条も叩きつけたように削り取られた。
この男も何らかの能力者のようだ。

バルの体力は限界に近づいていた。
だが、バルには一つだけ知っている事があった。
この街の住民なら誰でも、バルなら尚更ーーー
そこにさえたどり着けば、あるいは。
その一心で、ようやくバルは階段の頂上にたどり着いた。

そこは、無数の歯車が剥き出しになった部屋だった。
バルは廊下を進み、その先にある、船のハンドルのようなものに手をかける。
再び鉄の鞭を打ち付ける、鋭い金属音が鳴り響いた。
「わっ!」
鉄で出来た歯車に、深く削り取られた鞭の跡が幾条も付く。
「はあっ、はあっ、、豚野郎のくせに足が速いじゃねえか」
追いついた男が吐き捨てる。
「だがもう逃げられんぞ、このデブ」
バルは一瞬、恐怖を忘れ、ムカッとした。
怒りをハンドルに込め、力一杯回し続ける。
「この期に及んで何を企んでやがる!止めろ!」
ヒュッと風を切る音。
バルは咄嗟に身を屈めた。
再び、鋭い金属音と共に、つい先ほど体があった場所に深々と鞭の跡が付く。

「わあああああっ!」
バルは恐怖に襲われるが、身を屈めたまま、それでもハンドルを回す手を止めない。
「止めろと言ってるだろ!」
男が歩みながら、再び手を振るうーーその時だった。
ボォン!ボォン!と、爆発するような音。
「あ"っっ!!」
それは時計塔の鐘が鳴る音だった。
毎日6時に必ず鳴るこの音がバルは嫌いだった。
それは凄まじい轟音だからだ。
バルはハンドルを回すことで、時計塔の文字盤を6時に戻し、鐘を鳴らした。
予め、予期していたバルに比べて、至近距離で鐘を鳴らされた男は、音による吐き気のあまり動けなくなった。
「うわあああああっ!」
バルは叫ぶと、再び男に突進した。
大人顔負けの体重があるバルである。
力を込める余力のない男は、予想外の突進に吹っ飛び、歯車に頭を打ち付けそのまま動かなくなった。

バルは階段に向かって走り続ける。
2人があのまま倒れていてくれたら、あるいはーーー。
バルは一縷の望みに賭けていた。
だがーーー。

「わっ!」
1人の男が出口の前に立ち塞がっているのを見たバルは、慌てて立ち止まった。
無事だったもう1人が追いついてきたのだ。
男は、倒れている男を一瞥し、ゆっくりとバルに近づく。
「…どうやってこいつを…?」
バルはその問いには答えず、踵を返して逃げ出した。
だが、先に回したハンドルの所で、壁際に追い詰められてしまう。
「…大したガキだが、これで終わりだ」
男は掌をパンと叩き合わせ、そのまま両手を上にかざす。
両手の上にはエネルギーが集まり、巨大な白い球が出来上がった。
バルは今度こそ死んだ、と思った。
あの白い球が当たれば痛いだろうか。
それとも熱い・・・
いずれにせよ、せめて一瞬で死ねるように祈った。
と、同時に、光の球は放たれた。
光は触れるもの全てを消し去りながら、バルの元に一直線に向かい、
凄まじい轟音と共に、壁に大穴が空いた。
光の通った跡の物は全て蒸発し、消し飛んだかのようだった。
バルもまた・・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ぎゅっと閉じた目を開けると、屋根裏のような部屋にいた。
と思った瞬間、景色は目まぐるしく切り替わり続ける。
一瞬、見える景色もまた屋根裏や倉庫の中のようだ。
再びどこかの屋根裏部屋の中に入ると、そこで景色の切り替わりは終わった。
そこには使われなくなった家具などの物が乱雑に置かれていた。
ここが天国、あるいは地獄ーーあの世なのだろうか。

「…ごめんなさい。遅くなってしまって…」
女の声がした。
綺麗な声だと思った。
天使か妖精の類だろうかーーー。
バルは女を見て、時計塔で逢った少女だと気づいた。
「君は…もしかして…?」
バルが問うと、
「…そうです。私は"悪魔の一族"です」
と少女は答えた。
だがバルは"悪魔の一族"とは何か知らず、初めて聞く言葉だった。
「悪魔の一族、って何?」
バルが再び問うと、少女は自分が早とちりしていたことに気づいたようだ。
「ご存じない…ですか?」
「うん」
少女はひどく落胆したようだった。
言わなければ良かったという後悔が全身から現れている。
「…忘れてください」
少女は消え入りそうな声で言う。
「気になるよ」
天使かと思いきや、悪魔とは何なのか。
地獄にでも連れて行かれるのか。
バルは困惑した。
「…戦場を抜けられたら、落ちついた場所に着いたらそこで説明します」
「ここはどこなの?」
「どこかの家の屋根裏です。まだ包囲を抜けられてはいません」
改めて見ると、少女は疲弊しているようだった。
そして、どうやら自分は死んだ訳ではないようだ。
「大丈夫?」
「…うん。もうじき包囲の境界線だから。魔力も回復したし…行こう」
そう言うと、また目まぐるしく景色が切り替わり始めた。
どこに連れて行かれるのか・・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「将校3人がかりでこの様とは。情けない」
住民の殲滅をあらかた終えて時計塔に来た男が言う。
「それも無能力者の子供1人に。能力者ではなかったのだろう?」
「おそらくは。能力者であれば、この状況で能力を使わない事は考えられません」
「ただの子供に能力者2人もやられるとはな…」
「ですが少佐、最後は確実に仕留めました。ご覧の通り」
光の球を放った将校は、壁の大穴を指して言う。
「それで、死体はどこにある?」
少佐が問う。
「跡形もなく蒸発したものと思われますが…」
「ならば確実に死んだという保証はなかろう」
「はっ……」
「要注意人物として上に報告しておけ」
「それほどですか…?」
「無能力者の子供が、能力者2人を無力化したのだ。どうあれただ者ではない。
どこかに陰を潜め、ゆくゆく危険人物にならぬとも限らぬからな。
あるいは…何者かが……」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


列車から降りたら、そこはバルが今まで住んでいた街よりだいぶ寂れた町だった。
列車は戦火に巻き込まれる前にかろうじて逃げた乗客達でごった返している。
「ここは…?」
バルが問う。
「隣国のコーラス国サザン市。今日はここで休もう。
あまり長居はしたくない国だけど…」
「何で?」
「治安の悪い国だから…それもあとで説明します」
「あ、敬語じゃなくていいよ。堅苦しいし」
「…うん。じゃあホテルに行こっか。そこで色々説明するね」
そう言うと、少女はバルをしばらく導く。
なぜか少女はこの町の地理を知っているようだ。
十分ばかり歩くと、寂れた町にしては小綺麗なホテルに着いた。

「…何から説明しようか…?」
少女が独り言のように問う。
「うーん…そういえば名前まだ聞いてなかったね。何て名前なの?」
「…プルート・ディ・ラグランジア」
「ぼくはガレン・ハンニバル。バルって呼んで」
「うん。私はランで」
「…ずっと気になってたんだけど、"悪魔の一族"って何?」
バルはランが買ってくれたジュースを啜りながら問う。
「えっとね…説明するのは難しいんだけど…」
ランは前置きして続ける。
「私は…300メートルくらいかな…にあるものを視ることができるの。目で見なくても」
「目で見なくても?」
「うん。そして300メートル以内にあるものなら自由に瞬間移動させることができる…テレポートだね」
バルは時計塔から逃げる時、目まぐるしく景色が切り替わったのを思い出した。
「"空間支配"とも呼ばれるこの能力を持って生まれた一族のことを、今では"悪魔の一族"と言うの」
「悪魔の一族はみんなそれができるの?」
「うん。人によって能力の有効範囲は異なるけど。私は300メートルくらい…」
「何で"悪魔"なの?」
「説明すると長くなっちゃうけど…」
ランは続ける。
「私たちは約400年前の戦争に敗れた一族なの。聞いたことない?エウロペの大戦…」
「うーん…聞いたことあるようなないような…」
「その戦争に敗れた私たちの祖先は、二度と戦うことができないように、当時の4人の賢者達に封印をかけられて…」
「封印?」
「一つは能力の封印。本来、私たちの能力はもっと広い有効範囲なんだよ?300メートルよりずっと…」
300メートルでも反則のような能力だと思ったが、本来の力はそれ以上と聞き、
バルは自分が思っていたより大きな存在を相手にしているのかもしれないと少し怯んだ。

「もう一つは感情の封印…これが私たちが悪魔と呼ばれるようになった原因…」
「感情の封印って?」
「私たちは怒ったり、誰かを嫌ったり、敵と思ったりすることができないんです」
「そんな人いる?本当に!?」
バルには信じられない思いだった。
「うん。だから私、怒るって感情がわからなくて…ないから…」
人を、世の中さえも憎んで生きてきたバルには、それが幸せなことなのかわからなかった。
けれど、ひどく残酷な処罰であるように思えてならなかった。
「ううん、正確には無いんじゃなくて、封印してるだけ…だから…」
「だから…?」
「最近、といってもここ何十年かだけど…封印が解ける人達が現れるようになったの。
さすがに400年も代々続く封印は賢者達にも無理だったみたい…」
「それの何が悪いの?」
「私たちは怒りって感情を感じたことがないから、封印が解けて初めて感じるその感情をコントロールできなくて… 一度、封印が解けると、暴走してしまう人が多く現れたんです。
その時は能力の封印まで解けるし、そうなると止められる人はいなくて…」
ランが言うには、怒りの感情が長きにわたり封印されていたため、 怒りを制御する脳の機能が退化したのではないかとのことだった。
「そういうことが続くうちに、悪魔と呼ばれるようになって…
ついには封印が解ける前に一族を皆殺しにしてしまおうという人達も現れて…」
「ひどい!勝手に封印しておいて、勝手に殺すなんて!」
バルは憤った。理不尽な話だと思った。
あまりにも理不尽だ。
「えっ…?」
ランはその反応が予想外のようだった。
「ランは何も悪くないのに…」
バルは悔しげに呟く。
「そっ…か。そう思ってくれる人もいるんだね…ありがとう」
ランは驚きとともにバルを見た。
「でも、ついにはそれが世界連合で可決しちゃって…」
「それでどうなったの?」
「一族の多くは殺されました…そのほとんどがまだ封印の解けてなかった人達… 私のお母さんとお父さんも…」
バルは話の重さに言葉を失っていた。
「でもそれから間もなく、北の帝国ポラリスが世界連合を脱退して、南の大国シレスティアルに戦争を仕掛けた…んだけど、聞いたことあるかな…?」
「えっ、、うーん…」
話相手もおらず、新聞も読まないバルにとってこの種の話は疎かった。
「ポラリスとシレスティアルは共に世界連合の中枢を占める国…事実上の世界大戦だよね」
「う、うん、そうだね…」
「実際、世界は北のポラリス側と南のシレスティアル側に分かれたんだけど…
でも戦況は南側が有利で…」
「それで?」
「ポラリスの皇帝、エンペリオールがついに包囲されて、あと少しで殺されるという時に、 彼を助けたのが私たちの一族なんです…」
「何でそんなことを?」
「賭けに出たんです…私たちを味方につけて窮地を逃れたエンペリオールは、戦況を巻き返して…」
「賭けって?」
「窮地を救われたエンペリオールは私たちを保護することにしたんです。
危険な存在だけど、その恐るべき力は戦力になると考えて…」
「それを見越して助けたってこと?」
「うん。だから今では北側に行けばひとまず安全…
でも戦争には行かないといけないけれど…」
「えっ!?じゃあ何でぼくが住んでた街にいたの?
カミラスは北についたって言ってたような…ならぼくの街は南側…」
「それは…言えないんです。ごめんなさい…」
ランは全てを語ったわけではないようだ。
バルはジュースを飲み干し、再び口を開く。
「でも、それなら北が勝てばいいね!勝てそうなの?」
「ううん…一時的に巻き返せはしたものの、保ってあと4年、だと思う…」
「そんな…」
「でも、希望がないわけじゃないんだよ?あと4年の間に見つかれば…」
「希望って何?」
「能力を消すことができる能力者を探してるの。いるかもわからないけど…」
バルはそんな能力者は聞いたことがなかった。
雲を掴むような話だと思った。
「見つかればいいね…あっ、それで旅してるの?」
「そ、そうだね。それもある…かな。 能力を消すことができないと…それしか…」
ランは口を濁した。

幾ばくかの謎を残したままだったが、それよりもバルにはどうしても聞いておきたいことがあった。
「ランと一緒にいるところを見つかって、捕まったら、ぼくはどうなるの?」
「最悪の場合、拷問の上、死刑…だと思う」
ランは一呼吸置いて、躊躇いがちに答える。
バルは胸に重石を入れられた気持ちになった。
「それじゃあ…」
この娘と一緒にいるわけにはいかない。
そう思った矢先だった。
「大丈夫だよ。ここは北にも南にも、世界連合にも属してない国だから、その点は…」
「何で?どういうこと?」
ランが言うには、ここは、 独裁者、マフィア、カルト宗教の三勢力が覇権を争い続けている、極めて治安の悪い国なのだそうだ。
その為、どこの勢力も取りたがらず、世界連合にもそもそも加盟していないという。
「じゃあひとまず安心ってわけだね。よかった…」
「でも別の意味で危険な国です。長く留まるのは… そういえばまだ聞いてなかったね。バルはどこに行きたい?」
問われて、バルは困った。
北側に行けばとりあえずは安全だが、結局は、4年内には戦火に包まれる事になる。
ランと別れて、南側に一人で行くべきだろうか。
「少し考えさせて」
バルは答えを保留することにした。
「うん」

バルはふと壁にかけられた時計を見上げる。
時計は午後4時を指していた。
「お腹減った…何か食べに行こうかな」
バルが呟く。
「ここのホテル食事出るよ」
「何時ごろ?」
「夜は6時から」
バルは再び時計を見上げる。
「まだ2時間もある…やっぱり食べに行ってくる」
昼は食べていたが、とても2時間も待つ気にはなれなかった。
「お金はある?」
ランが問う。
バルは古びた汚い財布をポケットから取り出し、中を確認する。
「ん……少しなら…」
財布には硬貨が多少入っていた。
選ばなければ何かは食べられそうだ。
「私が出すよ」
ランが言うと、バルは驚きの目でランを見る。
「いいの?何から何まで…」
ランはローブを探り、シックな財布を出した。
「これ使って」
ランは財布を渡す。
中を見ると、札が数枚入っていた。
「こんなに…?」
「あんまり持ってると誘拐されたりする心配があるから…今はこれだけしかあげられないけど、落ち着いたらバルが暮らしていけるだけのお金を渡すね」
「何で…?」
「私、お金持ってるから…大丈夫」
ランは何かを隠すように答える。
「う…、うん」
バルは一瞬躊躇しながらも、それ以上問わず、踵を返す。
「じゃあ…」
「待って」
ランが呼び止める。
「この町、危ないところが多いから…私が少し案内する」
「うん」

「それでこっちに行ったらパスタの美味しいお店があって…ラティークっていう私が好きな…」
バルはパスタに興味がなかった。
案内を長ったらしくも感じていた。
「焼き肉は?僕、焼き肉食べたい」
バルは単刀直入に聞き、切り上げようとした。
「焼き肉ならこの道を5分ほど行ったところに2件あるよ。あ、でも…」
ランは不安気な顔をする。
「ん?」
「その先には行かない方が…」
「何で?」
「マフィアの縄張りだから…」
バルはマフィアと聞いて少し怯む。
「すごく危ないから…行きすぎないように気をつけて」
ランが警告する。
バルも少し不安になるが、もう腹は保ちそうになかった。
「うん。じゃあ…」

「うん。美味い」
バルは焼き肉に舌鼓を打っていた。
たしかに5分ほど歩くと、すぐに焼き肉屋が目に入った。
ここ数年、焼き肉なぞ食べられていなかった。
特に、故郷を発ってからは一度も・・・
バルはカルビや塩タンなど、思うがままに鉄網に乗せて焼きつつ、ふと疑問がよぎる。
あの娘はなぜここまでしてくれるのだろう?
そもそも、あの娘は何者なのか?
"悪魔の一族"と名乗ってはいたが、未だ素性知れずの娘だった。
実はとんでもないことになっているのではないか、と思う。
これまで無縁だったはずの"世界"という巨人に、自分が触れてしまったような・・・
それでも、バルはもともと物事がギリギリに差し迫るまで考えない性質だった。
すぐに意識は目の前の焼き肉に移る。

この機会に食べられるだけ食べておこうと腹にパンパンに肉を詰め込んだバルが焼肉屋の外に出た時には、辺りは闇に覆われていた。
「もう暗くなってる…帰ろう」
バルはしばし余韻に浸りつつ帰途につく。
しかし、しばらく歩いたところで何か引っ掛かるものを感じた。
「いつまで経ってもつかないな…もう10分は歩いてるのに… ん?もしかして…逆の道を来た…?」
バルは目印になるものはないかと、闇夜に目を凝らし、建物を見ながら歩く。
と、不意に、強い衝撃が体に加わり、後ろに跳ね返された。
「痛って!」
男の声。
バルは驚き、男を見上げる。
目の前には180cmはあろう長身の男が立っていた。
黒のスーツ姿に、黒髪をオールバックにし、夜なのになぜかサングラスをかけている。
よそ見をして歩いていたので、ぶつかってしまったようだ。
顔を見ると、齢は20代後半くらいだろうか。
顔つきも、出で立ちも、見るからにチンピラという風情だった。
これがランの言っていたマフィアだろうか?
よりにもよって、とんでもないのに当たってしまったと思った。
「てめェ!どこ見て歩いてんだ!」
男は怒声と共に、懐から素早く黒いものを抜き、バルに突きつける。
拳銃だ!
男が手に持っているものに気づいたバルは、恐慌状態に陥った。
さっきまでいた世界が急に別のものに変わったように思えた。
「すっ!すいませんっ!!」
バルは叫ぶように、口をついて謝罪した。
それ以外、できることは思いつかなかった。
まずいとは思ったが、まさかぶつかったくらいで自分のような子供相手に銃を突きつけてくるとは思わなかった。
しばらく、沈黙の間・・十秒ほど経った後、男は何を思ったか
「ん?…今の感触…」
と呟く。
男は拳銃を持った手を下げ、逆の手でぺたぺたとバルの胸を触りはじめた。
バルは何なのかわからず困惑する。
助かったのか・・・?
「お前…この町丸腰で歩いてんのか?」
男が問う。恐怖で頭が真っ白になっていたバルは、一瞬何のことかわからなかったが、
時間を置いて、男が自分が武器を持ち歩いていないことを問うているのだろうと理解した。
「は…、はい」
バルは慎重に返事する。
「度胸があるのか馬鹿なのか…余所者か?」
男は呆れたように問う。
「はい…隣のクラニスから…」
答えると、またしばらく沈黙の間があった。
男が何を考えているのかわからなかった。
すると、男は拳銃をしまい、再び懐に手を入れ、何かを取り出した。
それをバルに差し出す。
見ると、別の拳銃のようだ。
「やるよ」
男は言う。
バルは状況に追いつけず戸惑う。
「古い型(タイプ)だからな。俺はもういらねェ」
男が手に持っている拳銃を見ると、小型のリボルバーだった。
手のひらくらいの小ささだ。
男の言う通り、銃は古びていて年季を感じる。
「やるっつーんだからもらっとけよ。これでも無いよりゃマシだ」
バルは、男がなぜ心変わりしたのかいまいちわからなかった。
情けない自分を見て、脅威になり得ないと思ったのだろうか。
「あ…ありがとうございます」
バルはおずおずと拳銃を受け取った。
ぎこちない動作で銃を懐にしまう。
「それとな、坊主」
まだ何かあるのかとバルは一瞬警戒する。
「こんな所夜にブラブラうろつくな。ぶっ殺されっぞ」
男は警告した。
「は…、はい。……それでは…」
バルは頭を下げて言うと、踵を返し、急いでその場を立ち去った。
男はそれ以上何も言わなかった。
まだ緊張して、足取りがぎこちない。
何分か歩き、ようやく後を振り返ると、男の姿は影も形も見えない。
バルは一息ついた。
運良く、そんなに悪い人じゃない人にぶつかったのか・・・?
いや、マフィアだから悪い人か・・・?
バルはさっきの出来事をあれこれ考えながら歩き続ける。

ふと、懐に入れていたリボルバーを取り出して、しばし眺める。
地味で古風な銃だが、格好いい、とバルは思った。
銃を手にしたのは初めてだったが、こうして持ち歩いていると、自分が力を得たような気がした。
以前より少し自信を持って町を歩ける。
バルは目線をキョロキョロさせ辺りを伺い、誰も見ていないことを確認して、再び銃を懐にしまう。
しかし、いつまで歩いても探しているホテルにたどり着かない。
もうとっくにホテルに着いていて良さそうなものだが・・・
「ここの辺りを右に曲がるんだったかな…?また道に迷ってしまった…あっ!」
バルは闇夜の先に、背の低い自分よりもさらに小さな人の姿を見つけた。
子供のようだ。
子供は手に何かを持ち、構えている。
棒だろうか。
と、思った瞬間、子供は目にも止まらぬ速さで棒を振り回す。
棒はとても目では追えず、消えたかのようだった。
剣術の練習でもしてるのだろうか?
バルはこんなにも速く動ける人を見たことがなかった。
人間業には見えない。
しばらくバルは見惚れるようにその様子を眺めていた。
子供の動きが止まり、再び棒を構えた。
このままずっと立ちつくしてるわけにはいかない。
「ちょっとごめん…」
話しかけるのは躊躇われたが、バルは声をかけた。
「あ?」 子供は不機嫌そうな声と共にバルを見る。
歳はバルより幼く、10歳に満たないくらいだろうか。
この町にもまばらに灯る電灯は、子供の銀色の髪を微かに照らしていた。
露骨に不機嫌さを現す子供に少し気後れしながら、バルは 「道を聞きたいんだけど…」
と続けた。
「道?」
子供が問い返す。
バルは薄明かりに目を凝らして子供の顔を見る。
まだ幼さの残る顔だが、美形だ・・とバルは思った。
これは女の子にモテるだろうな・・とバルはあらぬ方向に思考が移る。
自分とは住む世界が違う、違う人種だ、と思う。
緊張が増しつつ、
「えっと…何てホテルだったっけ…」
バルは思考を元に戻そうとして呟く。
「あ、思い出した。シャトールホテルってどこにあるかわかる?」
「シャトールホテル?」
子供は言うと、バルが今来た道を指し
「この道左見て歩いてりゃあるよ」
と答える。
バルは意外とちゃんと答えてくれたことに嬉しくなる。
しかし、また道に迷ってしまうかもしれない。
「やっぱり通りすぎてたのか…それがよくわからなくて…」
バルがぼやく。
「チッ…面倒だけど行ってやるよ」
子供は持っていた棒を地面に放り投げて言う。
どうやら子供はついてきてくれる気らしい。
またしてもバルの予想外の答えだった。
「いいの?」
「どうせやることないしな」
言うと、子供は歩き始めた。
案内してくれるようだ。
バルは一瞬遅れて、慌ててついて行く。
少し無言で歩いたところで、バルは疑問に思ったことを聞く。
「君はこんな夜に一人で何してたの?」
「修行」
子供はそっけ無く答える。
「修行?」
「将来、戦士になる為のな。こんな町抜け出してやる」
バルは、ランがここは危険な国と言っていたことを思い出した。
町並みも、バルが住んでいたクラニスより大分貧しい。
子供はこの国を出て、どこかに仕官するつもりなのだろうか。
「お母さんは?」
再びバルが問う。
「集会」
と、だけ子供が返す。
「集会?」
「イクオリティ教会のな。イカれてんだよ。私は神に選ばれた、だとか言ってな」
イクオリティ教会というのは、ランが言っていたカルト宗教のことだろうか・・?
バルにはいまいち全容が見えない。
「神に…?君のお母さんが?」
「最近イカれ具合が酷くなってんだよ。しばらく帰ってこないとさ」
言うと、何も知らない様子を見て取ったか、今度は子供の側から
「あんた他所から来たのか?」
と、問い返す。
「うん。クラニスに住んでたんだけど、戦争で…」
バルが答える。
「それならこの国もすぐに出た方がいいぜ。もうじき戦争になるからな」
子供が事もなげに言う。
「戦争!?ここも!?」
バルは驚いて問い返す。
「ああ。うちの教祖が新兵器の開発間近でな。これが完成すれば勝てる!だとさ」
子供は続ける。
「母親もそれで呼ばれてんだよ。最後の仕上げ…だとかで。
ま、これ本当は外部の奴に言っちゃいけないんだけど」
バルはランに忠告された時、すぐ逃げなかったために窮地に陥った記憶が蘇った。
子供の言ってることが真実かはさておき、それなら逃げておくに越したことはないだろう。
「今すぐこの国を出た方がいいの?」
バルは重ねて問う。
「今すぐってこともないだろうけど…いつも教祖の気まぐれで決まるからな」
それだけ言うと、子供は何かに気づいたように前方を指す。
「あれ、お前を探してるんじゃないか?」
「えっ?」
見ると、遠くから黒い人影が駆け寄ってきた。
ランだ。
「あっ、いた!その子は!?」
ランは息を切らして立ち止まる。
帰りが遅くなったので、探してくれていたようだ。
「じゃあな。明日もいるんだったらまた来いよ。面白い所案内してやる」
それだけ言うと、子供はランを無視してくるりと向きを変え、去っていった。
面倒がられていると思っていたが、どこかに誘われるとは、またしてもバルには意外な思いがした。
「道に迷って…案内してもらってた」
バルは答えるが、ランは何があったかには最早あまり興味がないらしく、慌てた様子で
「状況が変わりました!今すぐこの街を発った方がいいです!」
と少し叫ぶように言う。
「すぐに戦争にーーー」
「さっきの子に聞いた」
バルは遮って言う。
ランは先の戦争同様、何らかの方法でこの国の状況を知っていたようだ。
「知ってた!?良かった。じゃあ今すぐ出発しよう」
ランは急かすように言う。
ずいぶん焦った様子だ。
「それなんだけど…もう1日だけ待ってもらっていい?」
バルは少し言いづらそうに問う。
「1日?なぜ…?」
ランは怪訝な顔をして問い返す。
「さっきあの子に…面白い所を案内してやるって誘われて… 人とどこか行くのなんて誘われたの初めてだから…ダメかな…?」
バルが言った通り、人にどこか一緒に行こうと誘われたことは、バルには初めての経験だった。
こんな風に子供同士、話したことも、もはやおぼろげにしか思い出せない遠い記憶だ。
バルにはまるで、初めて友達ができたかのような気持ちになっていた。
「でもっ…!」
ランは強く抗議するように言う。
「1日だよ…明日戦争になるってわけじゃないでしょ?
それにあの子にも本当に戦争になるって…君も逃げた方がいいって伝えておきたいし…」
バルがごねると、ランはしばし考えた後
「でしたら…明日あの子に会ってから…明日中に出発しましょう…!」
と、妥協した。
折れてくれたようだ。
「明日中かぁ…わかった。そうしよう」
どのみちあの子とは明日中に別れないといけないことに、少し名残惜しさを感じつつ、バルも了承する。
「じゃあ…ホテルに帰ろう」
ひとまずお互いに妥協した結論が出たところで、2人は帰途についた。


「よう」
翌朝、バルが先日子供のいた辺りに向かうと、子供は家の壁に寄りかかったまま、軽く手を上げて出迎えた。
行ってもいなかったら馬鹿みたいだとどこかで思っていたバルは少し嬉しくなる。
まるで本当に友達ができたみたいだ、と思った。
「じゃあ行くか」
子供は立ち上がって、歩き始めた。
「面白い所ってどこなの?」
バルが問う。
「見てのお楽しみだ」
子供は思わせ振りに言う。
バルに微かに不安が過る。
「見て損はしねーぜ」
子供がバルの不安を打ち消すように言うと、バルの微かな不安は期待へと変わった。
「そういえばさ…」
「ん?」
「名前何ていうの?」
「レオ。レオでいいよ」
「僕はガレン・ハンニバル。バルって呼んで」
互いに軽く自己紹介を終えると、バルは気になっていたことを聞いてみることにした。
「ところで…こんなのもらったんだけど、何て銃か知ってる?」
言うと、バルは懐から先の拳銃を取り出す。
レオは少し驚いた顔をしたが、すぐにつまらなそうな顔に変わり
「何だ…AP36じゃん」
とだけ答える。
「凄い銃なの?」
「凄いも何も…昔っからある銃だよ」
「ふーん…」
バルはこの銃を気に入っていたので、レオの冷めた反応を残念に思う。
考えてみると、さっき会ったばかりの子供に高価なものを与えるはずもないか・・・
「誰にもらったんだ?」
「ここのマフィアに…」
バルが答えると、レオは先ほどより驚いた様子で
「マフィア!?余所者が!?」
と問い返す。
「うん」
「よく生きてたな」
レオが少し感心したように言う。
「うん。ドキドキしたよ」
バルとレオは何気ない世間話をしながら歩き続ける。
しかし、しばらく歩いても着く気配はない。
また、10分くらい前から、木々が鬱蒼と生い茂るなだらかな丘に入っていたことも、バルの疑問を膨らませていた。
意外と子供らしく、秘密基地にでも招待されるのだろうか?
「まだ歩く?」
バルが問う。
バルは足が疲れはじめていた。
「もうすぐだ」
それから数分歩くと、突然、高いフェンスに突き当たった。
鉄網のフェンスの上には鉄条網が張り巡らされ、向こう側は木が伐採されたのか、開けた平地になっていた。
平地以外には何も見当たらない。
「着いたぜ」
言うと、レオはフェンスをすいすいと上り、鉄条網に差し掛かると、懐からナイフを取り出し、瞬く間に鉄条網を切り裂いてしまった。
鉄条網がこんなに簡単に切れてしまうものなのか、バルは不思議に思った。
レオはフェンスを軽く乗り越えると、猿のような素早さで向こう側の地面に降りる。
バルはまたしても、レオの万事鮮やかな身のこなしに見惚れていた。
やっぱり違う人種なのだ。
「来いよ」
呆けていたバルをレオが誘うと、バルもフェンスを上り始めた。
レオとは対照的に鈍重なバルは、のろのろと慎重にフェンスを上る。
やっとの思いでフェンスを乗り越えたバルが改めて前方を見上げると、 そこには今までに見たこともない巨大な鉄塊が聳え立っていた。

鉄筋を幾重にも束ねた、恐鳥類を連想させる長い脚が8本地面に伸びている。
その脚の上に載っているのは、異常に巨大な機械仕掛けの黒い球だった。
球の側面には、これまた巨大な、閉じた目を思わせる隆起がいくつもついている。
高さは50メートルはあるのではなかろうか。
突然目の前に現れた、異様な迫力を発するこの黒い物体を前に、バルは放心していた。
これは、まるで・・・
「凄い…!何これ…?」
「"蜘蛛"だ。教団はそう呼んでる」
レオの答えに、バルは得心した。
そう、これはまさに、巨大な蜘蛛のようだった。
機械でありながら、なぜか生きているように見える。
「バカみてぇに金かけて作ったんだろうな。うちの教団、金は腐るほどあるから。
バカな信者共から搾り取った金が…」
レオが解説する。
ここまで行動を共にしたところ、バルには、レオは意外と人と話すのが好きなように見えた。
「兵器なの?」
「ああ。こいつが"切り札"だろうな。これが完成間近ってこたぁ…もうじき戦争だ」
聞くまでもなく、これを平和的に利用する画は欠片も思い浮かばなかった。
これが先日レオが言っていた教団の新兵器のようだ。
しかし、こんな所に来てしまっていいのだろうか・・・
バルに不安が過る。
「もっとも、これ以上詳しいことは俺も知らねーが…ん?」
ガコン、ガコン、、と、鈍い金属音が響く。
「何の音…?」
不気味な音がしばし続いた後、突然、"蜘蛛"は巨体に似合わぬ速さで動き始めた。
蜘蛛が早足で歩いているかのようだ。
しかし、蜘蛛は少し歩いて、平地の中央に陣取ったところで動きを止める。
「止まった…?」
2人は体を強張らせて、ただ蜘蛛の動きを見つめていた。
完全に気を奪われている。

突然、ガシャン!という鋭い音と共に、側面の隆起が2つに割れて、勢いよく開いた。
中から巨大な黄色の半球が現れる。
まさに蜘蛛の目が開いたかのようだ。
キュイイ、、と、高い音が響き続ける。
同時に、蜘蛛の目が光り始めた。
蜘蛛の周囲に、金色の光の雪が舞う。
金に光る雪もまた、ゆっくりと蜘蛛の目に吸い寄せられていく。
それは2人がこれまで見たことがない美しい光景だった。
「何だ…?」
音が鳴り止む。
一瞬の静寂の後、目の前に太陽が現れたかのような眩い光に照らされる。
「耳ふさげ!!」
咄嗟にレオが叫ぶ。

バルはその声に、反射的に耳を塞いだ。
眩しさに目も閉じたバルだったが、耳を塞いでも、列車が目の前を通過するような音が・・その数十倍の轟音に襲われる。
眩しさが少し和らいだ頃、目を開けると、青白い光の帯が"蜘蛛"の目から全方向に彼方まで伸びていた。
非現実的な光景だ。
ウォンン・・と大気を切る音。
音が鳴り止む。

遥か彼方で、赤く光が弾ける。
まるで夕日のようだ。
遠くで空間が歪む。
景色の歪みが、砂煙と共に近づいてきた。
音だ!
バルは爆音と衝撃波が迫ってくることを直感し、耳を塞ぐ手に力を込め、再び目も塞いだ。

ドオッッ・・!という、凄まじい音。
全身が重く殴られたように響く。
鼓膜が破れそうだ。
「う・・あ"ッ!!」
キイイ・・ンと耳が鳴り続ける。
バルはわけもわからなくなっていた。
どれだけそうしていただろうか。
ようやく、まだ舞い散る砂ぼこりの臭いを嗅げるくらいに、正気を取り戻していた。
彼方からは、8方向から、火と煙のキノコ雲が空高く上がっている。
人間を滅ぼす"天使"がいるとするなら、これなのだろうか、とバルは思った。
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