第1話

文字数 3,763文字

 沙織には二つの楽しみがあった。それで一日の死にそうなくらい嫌いな仕事が忘れられる。
「ただいまー」
 沙織が2kの自宅の玄関を開けて言う。
「にゃー」
 玄関で猫が座って沙織を出向かてくれた。
「だだいまー。ごめんごめん、お腹空いたね。ちょっと待っててね」
 沙織は猫缶を使い豪華な『猫料理』をつくった。
「お猫様。どうぞ、おなかにお納めください」
 かしづく沙織。猫はおいしそうにガツガツと餌に食らいつく。
「どうでしょうか。お猫様。お口に合うでしょうか?」
 猫は耳だけで反応して、そのまま食べ続ける。その様子を神妙な面持ちで見つめる沙織。
 猫が食べ終わると片付けるのも後にして、猫を豪華な猫用ベッドに誘う。
「どうぞごゆっくりお休み下さい、お猫様」
 ベッドの猫に一礼すると、さっきの餌の入れ物を洗いにキッチンへ行く。猫に背を向けずに下がりながら部屋を出て行った。
 猫は夢見心地で毛づくろいしている。その内目を細めてスヤスヤと寝てしまった。

 沙織と薫が社内食堂でランチをとっていた。
「最悪だよねー」
「ほんとほんと」
 二人はしばらく嫌いな上司の話で盛り上がっていた。
「そういえば沙織の家の猫ってどうしてるの?」
 薫にそう言われて固まる沙織。
「あの方をそんな呼び方しないで」
 静かに言う。
「お猫様って呼んで!」
 少し語気が強くなる。
 薫は激しく頭を振った。
「違う。違うよ! 沙織!」
「違わない!」
「なんで自分の事大事にしないの! あなたの中にお猫様がいるじゃない!」
 沙織は薫の言葉に目を見開く。
「本当のあなたはお猫様なのよ」
 薫が諭す。
「だから、自由なの。猫のようにね」
 沙織は衝撃で固まったままだった。
 するとふいに食堂のテレビのニュースが聞こえた。
「次のニュースです。今日正午ごろ、国会議事堂前に、『no!!お猫様』と書かれたプラカードを掲げ、日本猫化法案成立の反対を訴える団体が占拠しました。これを鎮圧すべく、放水車が出動する騒ぎとなりました。けが人などは出ていません」
 テレビを見ていた薫は静かに沙織に手を差し伸べた。沙織は小さく頷き、その手を取った。
「お猫様は自分の中に……」
 薫は静かにその言葉を口にした。

 沙織は混乱していた。日本は今、猫化、反猫化に真っ二つに分かれていた。猫を崇拝して自分自身を猫化するとした宗教団体が母体の団体。それに反対して、みんなが猫になったら経済が成り立たない、日本猫化法案は悪法だとして成立を阻止する団体。沙織はどちらにも入れなかった。確かに薫に誘われ、色々な猫化を訴える講演を観たが、いまいちピンとこない。しかし、あの衝撃は今でも鮮明に思い出せる。
『本当のあなたはお猫様なのよ』

 猫化の波は沙織たちの会社にも来ていた。
「にゃーお」
 なんとあのイケメン、イケボの間島君がとうとう猫化してしまった。間島君は自分の机に飛び乗り毛づくろいしている。
 みんなは恐怖におののいている。
「ま、間島ー! やめろ! おりろ!」
 普段から裏返り気味な声の課長が更に裏返りまくって叫ぶ。
「お、おい! みんな手伝え!」
 我に返ったみんなが間島君を降ろそうとする。
「フー!!」
 間島君は背中を丸め、最大限の威嚇をする。
「あっ、すみません。猫化対策センターですか?」
 裏返りまくった声で電話をする課長。猫化対策センターとは、政府が設置した猫化のあれこれにアドバイスをする、そんなセンターだ。
「実は部下が猫化してしまって、どうすれば、はい、はい。え? しかしそれは……」
「くそ! 痛って! こいつ!」
 間島君は降ろしにかかった同僚の手を噛んだ。男四人がかりで机から引きずり降ろされ運ばれていく。
 ああ。間島君。あのイケメン、イケボの間島君。うちのお猫様の次に尊かった間島君。
 ああ、ざんねん……。

 再び薫とのランチ。ほかでもない間島君の話。
「でもさあ、一応猫じゃん、間島君」
「まあ……」
「じゃあ、お猫様と同じじゃん?」
「うーん」
「ほら、そこよ、問題は。あんたお猫様の事勘違いしてない?」
「……」
「あまねくところにお猫様あり。って言うじゃん。それよ」
 そんな言葉は聞いたこともなかったが黙って薫の話を聴く。
「沙織もお猫様なんだって。信じなよ。お猫様である自分をさ」

 家に帰った沙織はお猫様にかしづき丸まって寝るまで全力で奉仕した。お猫様が寝た後、ノンアルビールを飲みながら、もんもんと考えていた。
 お猫様ってなんだろう。うちのお猫様に対する態度は変えるつもりはない。でも薫の言うお猫様もピンとこない。あの尊いお姿のお猫様と私、ましてや全てがお猫様なんて到底思えない。
 間島君。お猫様になっちゃったな。彼は自分のお猫様を受け入れたんだな。やっぱりイケメンだな。あーあ。明日からどうしよう……。

 次の日いつも通り出社すると、隣の席の間島君が普通に座っていた。
「ま、間島君。どうして……?」
「あっ、沙織さん。おはよう」
 爽やかな笑顔で沙織に挨拶をした。やはりイケメンだ。
「……」
「どうしたんですか?」
 間島君が真顔でそう言った。
「え? ああ、なんでもない……」
 沙織は我に返り、自分のデスクに着いた。
「あっ! 課長。今日やりたいゲームが発売するんで早退しまーっす」
 間島君の言葉にそこにいた全員が凍り付く。
 口をパクパクさせる課長。
「おっもうこんな時間。日向ぼっこしてきまーっす」
 そう言うと、間島君は抱き枕をどこからともなく出して、それを片手にルンルンでその場を後にした。

 社員食堂で、またまた薫と沙織は間島君トークをしている。
「昨日間島君連行されたでしょ?」
「らしいね。わたし部署違うし」
「うん」
 ご飯を一口食べる沙織。
「今日行ったら、普通にいて、いや普通じゃなかったんだけど……」
「ふーん」
 スープをすする薫。
「なんていうんだろう……。前の間島君はバリバリ仕事やっててカッコよかったんだけど、今日の間島君は、なんていうか力が抜けた、自由? な感じで……」
「お猫様になったんじゃない?」
「ああ、確かに、言われてみればそんな感じ」
「予言。これからもっと増えるよ。あんたも早く受け入れちゃいな、自分の中のお猫様を」
「隣いい?」
 唐突に二人の話に、割って入ってくる女の声がした。二人は声の方を向く。そこには沙織の同僚の祥子がいた。
「ごめん。今お猫様って聞こえてきて……」
 薫は目で誰? と訴えている。
「ああ、この人は祥子さん。私の同僚の。この子は薫ちゃん。秘書課で私の大学時代の同級生」
「どうも」
 薫は頭を少しだけ動かして会釈をした。祥子は沙織の隣に座った。
「お猫様に詳しいの? いま流行ってる」
「まあ、ね」
 薫は曖昧な返事をした。
「ああ、よかった。今新卒の人事を担当してて。上司が猫化対策しろってうるさいのよ。勿論猫化賛成派のね。でも誰が猫化信奉者か見分けがつかなくて……」
「簡単よ」
 薫が言う。
「〇ュールって言えばいいのよ。食いつくから」
「ああ! なるほど! 大好きだもんね、猫って」
 祥子はうんうんと激しく頷いている。
「わかった、ありがとね、ごめん、この後会議があって。また教えてね」
 祥子はいそいそとその場を後にした。
「ふん」
 薫は鼻をならし、ガツガツとみそ汁をかけた白米を食べた。
 それを沙織はじっと見つめていた。

 暗い港の倉庫街。そこに二人の男と女がいた。
 女が男から写真を受けとる。そこには沙織が写っている。
「今度はこの子? かわいいじゃない」
「あなどるな。甘くかかっていると痛い目に合うにゃ」
 男はそう言うとタバコを――ではなく〇ュールを取り出した。目がらんらんに光っている。そしてそれに一心不乱に食いついた。
 女はそれを見て、
「かわいいじゃない」
 と言った。

 沙織の会社のオフィス。間島君は日向ぼっこに行っている。最近ぽかぽか陽気で絶好の日向ぼっこ日和だ。確かにそうなのだが……。
「間島はまた日向ぼっこか?」
 課長の目は充血してる。連日の猫化した間島君の職場の態度での心労で眠れないのだろう。課長は間島君が提出された書類を見つめている。
「仕事はなんだかんだちゃんとやっているしなー。ってか前より仕事出来てる気がする」
 同僚の男が椅子にもたれ背伸びをして言った。こめかみをピクピクさせる課長。
「そうそう。なんか最近の間島君いいよねー。私も猫化しようかな」
 みんなが一斉に笑う。
「課長。課長も猫化すればいいじゃないですか」
「バカ言うな」
 更に大きくみんなの笑い声が一斉に沸いた。沙織も自然と笑っていた。そんな自分に気づき少し驚いた。ああ、なんか楽しいな。そんな思いが心に灯った。
 ドカーン。
 唐突に和やかな課に爆音が鳴り響いた。なんと、会社の窓に大きな穴が開いていた。
「な、なんだ!?」
 よく見るとそこから見える外にはまん丸に太った猫の被り物をした男が、なにやらヘリコプターの様な乗り物に乗って、そこにいた。
「ハローエブリワン」
 男は耳障りな声であいさつをした。
「ここに沙織と言う女がいるときいたぞぉ」
「え!?」
 沙織は急に名指しされ、素っ頓狂な声おあげた。
「お前だなぁん」
「ひっ!」
 沙織は思わず一歩引いた。
「さあ、来るんだぁん」
 男が穴から室内に入ってきて沙織に手を伸ばす。
 その刹那。BB弾が男に向けて大量に飛んてきた。
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