私の聖書愛

文字数 1,185文字

私が聖書と出会ったのは中学生の時だ。
通っていた学校がカトリック系の女子校だったから宗教という科目があって全生徒必ず入学する時に聖書を買って中学高校と合わせて6年間キリスト教や聖書について学んだ。それ以外にも学校生活ではキリスト教関連の行事が多く、ミサに参加したり地元の教会を回って神父さんの話を聞いたり聖書の教えがあちこちに散りばめられていた。

聖書の中から好きな言葉を選んで書道の時間に書いたり、クリスマスには画用紙を切ってもみの木の葉をつくりそこに書いて飾ったりもした。今でも自分が書いたそれらの言葉はしっかり覚えている。そういう訳で私はキリスト教徒ではないけれど今の自分の考え方は聖書に通じるものがある。

卒業してから20年近くたっているが今でも手元には聖書がある。授業で学んだことを思い出しながら一つの文学として読むことがあるし、思い悩んだときは心の中にストックされている言葉を思い出し、関連している部分を読み返す。またランダムに開いてみて今の自分に必要な言葉を探してみることもある。私がいいように解釈しているだけで、それはそういった意味ではないといわれてしまう部分もあるかもしれないが、好きな言葉の多くは聖書にあるといっても過言ではない。

「明日のことは明日煩えば良い。その日の苦労はその日だけで十分である。」という一節がある。時々似たような言葉を聞くことがあるが他の誰でもない、歴史と叡智が詰まった聖書に書かれている言葉となるとなにかすごい説得力があるのである。誰かに言われたなら時に反発しそうだが聖書にそう書かれているとああそうだな、もう明日のことで悩むのはやめようという気持ちになる。「何事にも時がある」というのは私がよく自分にかける言葉の一つだ。なにかしたいことがあるけどできなかった時、なかなか望んでいる未来が来ない時、まだ今はその時ではないだけでいつかその時は来るはずと前向きに考えることができる。今は準備期間と切り替えることもできる。そうすると気持ちが楽になるのである。

聖書の物語や言葉は私の心に平安をもたらし幾度となく私は救われてきた。気がつくと生きることに迷ったら聖書を読んでいた。どこを読んだらいいかわからない時も適当に開いたところにその時々の自分に合った必要な言葉と出会うことができた。まさに求めよ、さらば与えられんということなのだろうか。
社会人になって美術館に宗教画を見に行ったり旅行も兼ねて教会やステンドグラスを見に行ったり、聖書の世界を深めている。映画や舞台を見ても聖書の内容を理解していたからこそ歴史的な背景がわかり、登場人物の心情や行動、場面をより理解できたこともたくさんある。聖書が人生を豊かにしてくれた。若い時に聖書に出会えてよかったと思う。これからもバイブルは私の心の友であり続けるだろう。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み