徘徊少女
文字数 3,798文字
天から優しく落ちてくる夜。夜は降るものだ。
私は騒がしいお日様よりも、静かなお月様に愛されたい。
ゆるゆると、メロトロンの音色のように優しい光。
世界の全部が見えてしまわないように、隠してくれるヴェルヴェットのような心遣い。
表情豊かに欠けては満ちてゆく、喜怒哀楽。
なにもかも、私よりも人らしい。そんなお月様が好き。
私が夜の住人になったのは必然だ。
ジャンパースカートを着て、パンプス履いて、長い髪の上にはカチューシャ。
日傘を差して、何から何まで黒尽くめ。ああ、めくるめく黒ロリ。
そんな服装で、今夜も街を徘徊しています。
多くの人はお日様が好き。健康的と云うのもあるのでしょう。けれどきっと、便利というのが理由の大半のような気がします。
人との出会いも、お買い物に出るのだって、明るいほうが断然効率が良い。
この世界、昼を中心に回っている。
私にだって、青空の良さは分かります。
けれども、夜でなければ出会えない物もたくさん在る。
例えば夜に咲く花。
夜の花は昼の花よりも恥じらいがあるから好き。俯き加減に咲いていたかと思うとポトリと落ちる。含羞 に耐えられなくなって、とうとう散ってしまうのだ。
そんなところが、素敵。
それから、夜は昼よりも優しい。だから人の多くは安気 な心持ちで眠りにつけるのだろうし、サナギが蝶に羽化するのも、夜が慈愛に満ちているから。
空を仰げば今宵は満月。月が明るい。でも本当は私、三日月のほうが好き。
空に張り付いた爪痕のような細い細い傷。私は空に手を伸ばして爪を立てる。すると幾つも幾つも三日月が出来て、私の頭の中の夜空が傷だらけになる。
まるで自傷行為の代替 のようで、心地良い。
深く息を吸って、吐く。これを三回繰り返すと、夜の中に居る自分を実感できる。
夜の空気は昼のものと異なり、僅かに濡れている。だから体に早く馴染む。浸透圧が違うのだ。
パンプスの黒で冷たいアスファルトをノックすれば、ああ、何もかもが夜だらけ。
さぁ、散歩を続けましょう。
しばらく歩くと公園の入り口が目に留まった。
普段は通らぬ道なのだけれど、たまには気紛れも良いでしょう。
深夜の公園は静かで、秋の虫が慎ましやかに鳴いている。虫の声と私の靴音だけで、なんだか得した気分。
ちょうど誰も利用者の居ない時の温泉に入れて、貸切りの気分を味わう。あの感じに似ている。
でも公園内の街灯が妙に眩しく遊歩道を照らすものだから、私は自然と早足になってしまいます。まるで光に急 き立てられているみたい。
せっかくの気分が、台無し。
歩き疲れてしまって、一休み。
何処か遠くで救急車のサイレンの音がする。
サイレンの音はセイレーンが語源だと何かで読んだ記憶があった。
美しい歌声で人を惑わせる海の怪物。あの赤い音に吸い寄せられたら私、きっと骨しか残らない。
出来れば救急車には乗りたくない。
風が、まだ紅葉前の木々の葉を揺らして去っていった。
ここにあるのは桜の木で、今が花咲く季節なら淡いピンク色の、雲のような夜桜が見れたことだろう。
今時分の桜は味気無いものです。どうにも親近感が湧きません。春が華やか過ぎるから、余計に物足りなく感じてしまうのでしょうか。
それでもザワザワと直接心を撫でられるような、ドキドキする感覚は嫌いじゃないのです。
はっとして枝を見上げると、人の体が在った。頼りなくぶら下がったそれは不安定に幹と並んで、まるで宿り木のような歪 さだった。
形姿 から女性のようで、長い髪が枝垂 れのように揺れている。
「綺麗……」
本音が思わず口から出た。今までにも何度か死体を見たことがあるけれど、醜い首吊り死体というものには会った例 がない。
私も自殺をするなら首吊りにしようと思う。
「呼ばないの? 警察」
木々の向こうから人の声。弱々しく響いて夜に溶けた。
「朝になれば、見つけた誰かが呼ぶでしょう」
私は日傘の中で冷静に努 めた。怯える気持ちを覚 られたくない。
「死体を前にして、随分と落ち着いているね」
影から出てきたのは線の細い青年だった。巻き毛気味の髪が端整な顔にとてもよく似合っている。肌が病的に白いのは、月明かりのせいかもしれません。
「死体に会うのは初めてでは無いもの」
今夜で三度目だ。四度目だったかもしれない。夜を歩いていれば、こんなこともある。
初めて見たときも、私は取り乱したりはしなかったと思う。
「あなたが第一発見者?」
「第一発見者はまだ居ない」
警察に連絡した者が発見者なのだと渇いた声で抑揚無く言いながら、青年は首吊りの木に細い背中をあずけた。
もしかしたら、この青年が女性を殺した後に、木の枝に死体を吊るしたのかもしれない。
自殺に見せかけた偽装殺人。
何もかもが私の勝手な妄想だけれど、もしも当たっていたら私は今、誰も居ない夜の公園で殺人者と二人きり。危ない、危ない。
なんてことを思いながらスリルを楽しんでいる自分が、一番危ない。
「この女性はね。不倫をしていたんだ。妻子持ちの上司とね」
蒼い月の光を浴びながら、女は哀しそうな瞳で何処かを見ている。
「ところが男は彼女に離婚すると約束したにも関わらず、結局は家庭を選んでしまった」
青年は静かにすぐ其処 のベンチに腰を下ろすと、お手上げの身振りで首を振った。
伸びた前髪が凛々しい線形の眉を滑る。
「よくある話と云えばその通りだけど、悲しいね」
何故、彼はそんなことを私に話すのか?
端整な横顔は何を知り、何を隠しているのでしょう。
「なんて妄想をしてみた」
まるで他愛無い悪戯 がバレてしまった子供のようにはにかむ 。青白い頬に心なし、朱 が差す。
街灯の下で、彼はとても愛くるしい。
私のほうが年下だろうけれど、可愛いと思った。
「不謹慎だわ」
「本心で言っているのかい?」
青年が苦笑する。確かに私は彼の出任 せに怒っています。でも、それは自分がからかわれた からで、彼女のためではありません。それから、彼に少し寄せてしまった心に対して。
それに私だって、不謹慎だ。さっき青年に対して変な妄想をして、ちょっとしたスリルに酔ったばかりで、他人 のこと、どうこう言えない。
「死んだ人に同情するのは人間の良くない癖だ。彼女が善人だと何故分かる?」
それはその通りかもしれません。でも死者を冒涜するのは、品が無い。
「生きていれば、死にたい理由も必ず持っている」
生だの死だの、私にはまだ良く分からない領分なものだから、言われてしまうとそんな気にもなってしまう。
主体性の無い自分が情けない。
私は疲れてきたのでベンチに座った。青年からなるべく距離を置いて端に落ち着いたのは、失礼だったかもしれない。
「大人はね、生きなければならない理由を毎日必死で考えてるし、望んでもいる。生きる理由が無くなったと思えば、命を絶つのは当たり前だよ」
「不倫の末路としては相応 しいってこと?」
「だから、それは妄想だ。想像力の無い僕が、貧困な発想で可能性の一つを口にしただけなんだ。真実なんて彼女にしか分からないさ」
君には少し難しすぎたかな。なんて言いながら、彼はトートバッグの中から銀の魔法瓶を取り出すと、紙コップに紅茶を注ぎ始めました。
豊かな香りが私の処まで茶の温かさを届けに来ます。そういえば、今夜は昨夜よりも冷える気がする。
「貴方も生きる理由を探しているの?」
「君も飲むかい?」
紅茶の紙コップが、私と彼の丁度真ん中の位置に置かれる。
私はソレに手を伸ばすために、少しだけ青年に近づく。
紅茶に口を付けると、芳醇 な温もりが私の頼りなさを内から包んでくれるようで泣きたくなりました。
「そのダージリン、僕が淹 れたんだ」
「美味しい……」何だか癪 な気分でお礼を言う。
夜が降る公園で、私は美青年の淹れた紅茶を飲んで温まっている。傍には死体。見上げれば月の蒼 。
彼女はきっと、夜の住人だったのだ。それなのにお日様の下に出て行ったものだから、結局何かが磨り減って死んじゃった。
そんなことを考えながら、青年の横顔を見つめています。
視線に気づいた彼が、「そのうち分かるさ」と言葉を残して去っていきました。
公園を出ると、集合住宅の中にぽつんと灯 る孤独な窓を見つけました。
あの四角に切り取られた薄いオレンジの中に住むのは幸せな人かしら。不幸な人かしら。
生きているの? 死んでいるの? 笑っている? 泣いている?
元気を出して。きっとあなたは大丈夫。と、心の中で呟きました。
私は騒がしいお日様よりも、静かなお月様に愛されたい。
ゆるゆると、メロトロンの音色のように優しい光。
世界の全部が見えてしまわないように、隠してくれるヴェルヴェットのような心遣い。
表情豊かに欠けては満ちてゆく、喜怒哀楽。
なにもかも、私よりも人らしい。そんなお月様が好き。
私が夜の住人になったのは必然だ。
ジャンパースカートを着て、パンプス履いて、長い髪の上にはカチューシャ。
日傘を差して、何から何まで黒尽くめ。ああ、めくるめく黒ロリ。
そんな服装で、今夜も街を徘徊しています。
多くの人はお日様が好き。健康的と云うのもあるのでしょう。けれどきっと、便利というのが理由の大半のような気がします。
人との出会いも、お買い物に出るのだって、明るいほうが断然効率が良い。
この世界、昼を中心に回っている。
私にだって、青空の良さは分かります。
けれども、夜でなければ出会えない物もたくさん在る。
例えば夜に咲く花。
夜の花は昼の花よりも恥じらいがあるから好き。俯き加減に咲いていたかと思うとポトリと落ちる。
そんなところが、素敵。
それから、夜は昼よりも優しい。だから人の多くは
空を仰げば今宵は満月。月が明るい。でも本当は私、三日月のほうが好き。
空に張り付いた爪痕のような細い細い傷。私は空に手を伸ばして爪を立てる。すると幾つも幾つも三日月が出来て、私の頭の中の夜空が傷だらけになる。
まるで自傷行為の
深く息を吸って、吐く。これを三回繰り返すと、夜の中に居る自分を実感できる。
夜の空気は昼のものと異なり、僅かに濡れている。だから体に早く馴染む。浸透圧が違うのだ。
パンプスの黒で冷たいアスファルトをノックすれば、ああ、何もかもが夜だらけ。
さぁ、散歩を続けましょう。
しばらく歩くと公園の入り口が目に留まった。
普段は通らぬ道なのだけれど、たまには気紛れも良いでしょう。
深夜の公園は静かで、秋の虫が慎ましやかに鳴いている。虫の声と私の靴音だけで、なんだか得した気分。
ちょうど誰も利用者の居ない時の温泉に入れて、貸切りの気分を味わう。あの感じに似ている。
でも公園内の街灯が妙に眩しく遊歩道を照らすものだから、私は自然と早足になってしまいます。まるで光に
せっかくの気分が、台無し。
歩き疲れてしまって、一休み。
何処か遠くで救急車のサイレンの音がする。
サイレンの音はセイレーンが語源だと何かで読んだ記憶があった。
美しい歌声で人を惑わせる海の怪物。あの赤い音に吸い寄せられたら私、きっと骨しか残らない。
出来れば救急車には乗りたくない。
風が、まだ紅葉前の木々の葉を揺らして去っていった。
ここにあるのは桜の木で、今が花咲く季節なら淡いピンク色の、雲のような夜桜が見れたことだろう。
今時分の桜は味気無いものです。どうにも親近感が湧きません。春が華やか過ぎるから、余計に物足りなく感じてしまうのでしょうか。
それでもザワザワと直接心を撫でられるような、ドキドキする感覚は嫌いじゃないのです。
はっとして枝を見上げると、人の体が在った。頼りなくぶら下がったそれは不安定に幹と並んで、まるで宿り木のような
「綺麗……」
本音が思わず口から出た。今までにも何度か死体を見たことがあるけれど、醜い首吊り死体というものには会った
私も自殺をするなら首吊りにしようと思う。
「呼ばないの? 警察」
木々の向こうから人の声。弱々しく響いて夜に溶けた。
「朝になれば、見つけた誰かが呼ぶでしょう」
私は日傘の中で冷静に
「死体を前にして、随分と落ち着いているね」
影から出てきたのは線の細い青年だった。巻き毛気味の髪が端整な顔にとてもよく似合っている。肌が病的に白いのは、月明かりのせいかもしれません。
「死体に会うのは初めてでは無いもの」
今夜で三度目だ。四度目だったかもしれない。夜を歩いていれば、こんなこともある。
初めて見たときも、私は取り乱したりはしなかったと思う。
「あなたが第一発見者?」
「第一発見者はまだ居ない」
警察に連絡した者が発見者なのだと渇いた声で抑揚無く言いながら、青年は首吊りの木に細い背中をあずけた。
もしかしたら、この青年が女性を殺した後に、木の枝に死体を吊るしたのかもしれない。
自殺に見せかけた偽装殺人。
何もかもが私の勝手な妄想だけれど、もしも当たっていたら私は今、誰も居ない夜の公園で殺人者と二人きり。危ない、危ない。
なんてことを思いながらスリルを楽しんでいる自分が、一番危ない。
「この女性はね。不倫をしていたんだ。妻子持ちの上司とね」
蒼い月の光を浴びながら、女は哀しそうな瞳で何処かを見ている。
「ところが男は彼女に離婚すると約束したにも関わらず、結局は家庭を選んでしまった」
青年は静かにすぐ
伸びた前髪が凛々しい線形の眉を滑る。
「よくある話と云えばその通りだけど、悲しいね」
何故、彼はそんなことを私に話すのか?
端整な横顔は何を知り、何を隠しているのでしょう。
「なんて妄想をしてみた」
まるで他愛無い
街灯の下で、彼はとても愛くるしい。
私のほうが年下だろうけれど、可愛いと思った。
「不謹慎だわ」
「本心で言っているのかい?」
青年が苦笑する。確かに私は彼の
それに私だって、不謹慎だ。さっき青年に対して変な妄想をして、ちょっとしたスリルに酔ったばかりで、
「死んだ人に同情するのは人間の良くない癖だ。彼女が善人だと何故分かる?」
それはその通りかもしれません。でも死者を冒涜するのは、品が無い。
「生きていれば、死にたい理由も必ず持っている」
生だの死だの、私にはまだ良く分からない領分なものだから、言われてしまうとそんな気にもなってしまう。
主体性の無い自分が情けない。
私は疲れてきたのでベンチに座った。青年からなるべく距離を置いて端に落ち着いたのは、失礼だったかもしれない。
「大人はね、生きなければならない理由を毎日必死で考えてるし、望んでもいる。生きる理由が無くなったと思えば、命を絶つのは当たり前だよ」
「不倫の末路としては
「だから、それは妄想だ。想像力の無い僕が、貧困な発想で可能性の一つを口にしただけなんだ。真実なんて彼女にしか分からないさ」
君には少し難しすぎたかな。なんて言いながら、彼はトートバッグの中から銀の魔法瓶を取り出すと、紙コップに紅茶を注ぎ始めました。
豊かな香りが私の処まで茶の温かさを届けに来ます。そういえば、今夜は昨夜よりも冷える気がする。
「貴方も生きる理由を探しているの?」
「君も飲むかい?」
紅茶の紙コップが、私と彼の丁度真ん中の位置に置かれる。
私はソレに手を伸ばすために、少しだけ青年に近づく。
紅茶に口を付けると、
「そのダージリン、僕が
「美味しい……」何だか
夜が降る公園で、私は美青年の淹れた紅茶を飲んで温まっている。傍には死体。見上げれば月の
彼女はきっと、夜の住人だったのだ。それなのにお日様の下に出て行ったものだから、結局何かが磨り減って死んじゃった。
そんなことを考えながら、青年の横顔を見つめています。
視線に気づいた彼が、「そのうち分かるさ」と言葉を残して去っていきました。
公園を出ると、集合住宅の中にぽつんと
あの四角に切り取られた薄いオレンジの中に住むのは幸せな人かしら。不幸な人かしら。
生きているの? 死んでいるの? 笑っている? 泣いている?
元気を出して。きっとあなたは大丈夫。と、心の中で呟きました。