第1話

文字数 1,864文字

 ヤツの余命宣告なんて、信じなかった。
 もうかれこれ、四半世紀以上の付き合いになるヤツは、私にとって腐れ縁であり、親友であり、相棒であり、分身である。
 老後は、一緒に老人ホームに入って、若い介護職員をおちょくって遊ぼうと言っていた。
 殺したって死ぬようなヤツではない。
 だから私は、入院中のヤツに頼み事をした。
「実は小説、書いてんねん。新人賞にでも出してみよかなって思ってるから、出来上がったら読んでくれへん。率直な感想、聞かせてや」
 ヤツは意外そうな顔で言った。
「あたしなんかの意見、参考になんのん?素人やで」
「読者に素人も玄人もあらへん。せや、万が一、入賞して、東京で授賞式とかあったら、あんた、付いて来てや。一緒に東京、行こ」
 私の申し出に、ヤツは鼻の穴を広げて、にんまり笑みを浮かべ「よっしゃ」と張り切って答えた。
 そもそも、実のところ、私は小説家志望ではない。書くのは好きだが、書くよりも読む方がずっと楽だし、楽しい。
 けれど、あまりにも突然のヤツの病の告白に戸惑った私は、つい突拍子もないことを言ってしまった。
 まあでも、周りの人間の幸せを自分の幸せに変換してしまう能力に長けたヤツなら、私の新たな目標を一緒に楽しんでくれるだろうし、それで治療がいい方に向けばいいと思ったのだ。
 そんな私の思惑を知ってか知らずか、読み終わったヤツは、興奮気味に電話してきた。
「めっちゃおもろかった、正直、予想以上や。これ、いけんちゃうん」
 おだてられた私は調子にのって、本当に新人賞に応募した。そして、一次選考だけ通過できた。
 結果をヤツに知らせると、ヤツのテンションはますます上がった。
「よし、新作書け。はよ書け、すぐ書け。そんでさっさと入賞して東京連れていって。さらにそっから売れっ子になって、あたしをマネージャーとして雇え」
 入退院を繰り返していたヤツは仕事を辞めていた。他の人に迷惑をかけるのは嫌だけど、私相手の仕事なら、なんとでもなると笑って言った。
 私はだんだん、びびってしまった。
 コピーライターという職業柄、文章の善し悪しの判断には自信がある。だから、自分の力量がどの程度か、ちゃんと把握できている。
 途中選考まではいける作品もあるが、入賞して、ましてや小説家になるなど、到底ムリな話なのだ。だから私は、ヤツに言った。
「あんな、今、活躍してはる作家さんらの作品が、懐石料理とか、フルコースとかやったとするやん。それで例えたら、私の書くもんは、まあ、風呂上がりのコーヒー牛乳やねん」
 私の言葉にヤツは首を傾げる。
「なにそれ、フルーツ牛乳やったらあかんのん」
「いや、コーヒー牛乳の方が好きやねん」
「どっちでもええけど。ごめん、たとえがようわからん」
「あんな、一日がんばって、風呂入って、コーヒー牛乳一気に飲んで『うまっ』って言うて終わり。飲んだことも忘れる、その場限りのちっちゃい快楽やねん」
 そう説明すると、ヤツはふうんと鼻息を吐き出し、なんだかうれしそうに詰め寄った。
「それって、なんかあんたらしい。ええやん、一瞬の『うまっ』で。それがあって、明日からもがんばろって思えるやんか。あたしは好きやな、そういうのん。だからがんばって。あたしはあんたのファン、第一号や」
 そうまで言われると、後には引けなかった。 
 私はヤツにケツを叩かれながら書いて、出して、落選を繰り返した。

 当初、年末までもたないと宣告されたヤツだったが、医者が驚くほどクスリが効いて、翌年もその翌年もその先も元気だった。
 そもそも、余命半年というのは、何も治療しないか、投薬してもまったく効かない場合のことなのだ。今の医療でそんなこと、あるはずなかろう。
 余命宣告なんてのは、注意喚起みたいなもんなんだ。

 しょっちゅう一緒に旅行へ行った。アホほど食欲もあった。念願だった猫を飼い始めた。多少、体力は落ちてるが、何にも変わらないじゃないか。
「ほんで、あんた、いつ死ぬのん」と、ブラックな冗談を言ってしまえるくらいなのだ。言われる本人も「死んでる暇、ないねん」と笑顔で返してくれた。
 だから油断していた。

 結局、私は間に合わなかった。
 たくさんの約束はできない約束となった。
 腐れ縁で、親友で、相棒で、分身だったヤツは、あっちの世界の先輩になった。
 そして私は、一文字も書くことができなくなった。
 
 いつもの別れ際の「ほなまた」に、もう答えてくれないヤツのかわりに、形見の猫がニーニーと鳴いた。
 その声が、「新作は?」と言ってるように聞こえた。
〈完結〉
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