若蛇

文字数 3,854文字

 私の父は無類の爬虫類好きだった。どうして好きなのかと理由を訊いたら、「見た目が良いから」と答えた。私は父が爬虫類を好いている理由が理解できなかったが、父も父で、私が光るガイコツのおもちゃを集めたり、ホラー映画に登場する怪人のフィギュアを集める趣味が理解できないと言っていたから、お互いの趣味嗜好に関しては、どれだけ時間をかけて話し合っても、どれだけコレが好きだと語っても、お互いに「いや、それは好きになれない」と否定し合う。

 でも、猫や犬を好きになる母の気持ちは、私も父も理解することができた。母が好きになるものに対して、私と父は口を揃えて「良いね」とか「可愛い」などと感想が言えた。けれど、その場では良い感想を言っていたとしても、なんだかんだで私も父も、この世で最も好きなものは母が選ぶものではなく、私の場合は〈怖いもの〉で、父の場合は〈爬虫類〉なのである。母は私と父の趣味を「変わっている」とまるで別の生き物を見るような目をして言っていたが、母からすれば私と父の好きなものは〈変なもの〉らしく、つまりは、私と父と母は血の繋がりはあるけれども、好きなものはそれぞれ違っているということになる。

 いや。どちらかというと、私は父寄りの人間なのかもしれない。大多数の人間が好きになる猫や犬よりも〈怖いもの〉が好きで、「ホラーが好きなんて頭がおかしい」と友達から批判される私と、「見た目が気持ち悪い」と様々な年齢層の人間から嫌悪される〈爬虫類〉を好きになる父は、好きになるものの部類こそ違えど、変わり者同士だ。変わったものを好きになる仲間だと私は思っていた。

 で、その父なのだが、普段は爬虫類みたいに無口で、父から私に絡んで来ることはまず無い。だから、私が初めて父の変わった趣味を知ったのは、保育園を卒業する少し前の、礼儀も知らず、好き勝手にドタバタ走り回っていた頃、父の自室に興味本位で飛び込んでしまった時であった。そして私は、生まれて初めての〈恐怖〉をそこで知ったのだった。

 父の自室に入ってぐるりと周囲を見渡せば、嫌でも目に入る整然と並べられた長方形のアクリルガラスの中で、恐竜の模型みたいにじっとしている蜥蜴だの、カラフルな色の靴下をネジって固めてそこに置いたみたいにとぐろを巻く蛇だの、河原の石ころみたいに水中と陸を行ったり来たりする拳大の亀だのが、何故だか私にはホラー映画に登場する怪人よりも危ない存在に思えて、私は蛇に睨まれた蛙の如く、その場で硬直してしまった。

 そこへ、用を足しに行っていた父が戻って来て、「凄いだろう? 全部父さんが一人で集めて、一人で世話をしているんだ。父さんは爬虫類が大好きなんだよ」と頭を撫でられながら教えられて、私はその時の父が、アクリルガラスの中にある恐怖の元と同等の存在に思え、大声を上げて泣いた。そんな私に父は「何も怖くない」と優しく言い聞かせてくれたが、それでも私は泣き止まず、歩けずで、結局、私の声を聞いてすっ飛んで来た母に抱きかかえられて自室まで運んでもらい、ガイコツのおもちゃやら両手に装着した鉤爪を振り上げて笑う怪人やらが待つ大好きな場所でなんとか心を落ち着かせることに成功したのであった。

 それから数年は、私の中で爬虫類と、爬虫類がいる父の部屋は、決して近寄ってはいけない危険なものとして認知されていたが、小学五年生になって、保育園の頃に持っていたトラウマが、学校生活で得た様々な思い出によって上塗りされて消えた。或いは、単に私の精神が恐怖に慣れてしまったのかもしれないが、兎も角、さっぱりと消えてしまっていて、父の自室を普通に出入りするようになっていた。と言っても、別に爬虫類が見たくて父の部屋を出入りしていたわけではなく、夕飯の支度が整ったことや、ちょっと外出する時などに、父に一言告げることが行動の目的であった。

 壁や天井を這い回るヤモリや、雑木林からするすると現れる蛇や、学校の教室に置かれた水槽の中でのっそのそと歩く亀を見ても、今はもう怖くはない。しかし、小学五年生になっても、怖くて見られないことが一つだけあった。それは、餌を食べる瞬間だ。全ての爬虫類の食事シーンが怖いわけではないが、蛇が餌を食べる瞬間だけは、どうしても直視できない。奴らは食べ物を人みたいによく噛んで呑み込まず、口に銜えた後、そのまま喉奥へと移動させるのだ。

 父は飼っている爬虫類に与える餌を通販で買っている。でも、蛇に与える餌だけは、自分で捕らえていた。家のあちこちに父が設置した、針金を編んで作られたような形のネズミ捕りに引っかかったネズミを、生きたまま蛇のいるケージの中に投入し、狩りを行わせているのだ。

 私は一度だけ蛇の捕食を見たことがあり(一度だけ見て、もうダメになったのだが)、蛇はケージ内に落とされて慌てふためくネズミの胴体に容赦なくかぶりつき、それでもうネズミは動けなくなったのに、まだ生きていると判断してか、長い体を押し当て圧迫し、完全に絶命するまでその体勢を保ち続けるのだ。そしてネズミがピクリとも動かなくなった後、ゆっくりと腹の中に収めて行くのである。

 初見の感想は、「残酷だ」だった。別に生きたネズミでなくとも、死んだネズミを通販で買って餌として蛇に与えればいいのに、と私は思ったが、父は金を節約したいのか、はたまた蛇の狩りのシーンが見たいのか知らないが、この餌やりの方法を変える気は無いらしい。父は「蛇の捕食は見ておいて損はない」などと言って、私にそれを見せたのだが、損しか無かった。蛇の捕食シーンは、新たなトラウマとして、私の心に、それこそ蛇みたいに絡みついて離れなくなってしまった。初めて見せてもらったその日から、中学一年生になった今日まで、蛇は私の心を締め付け続けている。

 ある日の夕方。私が部活を終えて家に帰ると、珍しく父の方から私に話しかけて来た。両手に大きなケージを抱えていて、その中では、私の身長と同じくらいの長さのアオダイショウが舌をチロチロ出し入れしながら這い回っている。「どうしたの?」と首を傾げる私に、父は蜥蜴みたいに真面目な顔をして、言った。

「こいつは五年くらい前に、庭で保護した蛇だ。初めて見た時は手の平にのせられるくらい小さかったのに、今はこんなに大きくなっちまった」

 私と家族が暮らす家は、山の中腹辺りに建っており、玄関に立って見て正面と後ろは杉の木が生い茂る林で、左右には砂利の敷かれた道がある。なので、正面から後ろの林へ、或いは後ろの林から正面の林へ移動したい蛇が、家の敷地を横断して行く。それで、横断中にたまたま父に見つけられてしまった蛇が、その場で捕獲されて、強制的にペットにさせられてしまうことがよくあった。蛇にとっては堪ったものではない、と私は初め思ったが、後から聞いた話によると、父は見つけた蛇を片っ端から捕獲する悪質な乱獲者みたいなことはしておらず、捕獲するのは、野良猫に襲われて傷を負ったベビースネークに限られたそうだ。それ以外の蛇は、見つけても無視していた。

 父が抱え持っているケージの中を這い回る蛇の頭部には、幼い頃に野良猫に襲われた傷がまだ残っていた。体中を覆う鱗が、傷を避けて貼り付けられているように見えた。

「大きくなったら野生に帰す。野良の蛇は、いつもそうしているんだ。こいつはもう、自分で餌を捕らえられるからな」

 父が蛇に死んだネズミではなく、生きたままのネズミを与えていた理由を、私はこの時になってようやく理解できた。蛇に狩りをさせていたのは、野生に出た後も、同じように獲物を捕らえられるようにさせるための訓練だったのだ。

 しかし、それはわかったが、蛇のネズミ狩りを私に見せて、私に何を知ってほしかったのかまではわからなかった。

 父は私を連れて庭に出ると、持っていたケージを花壇の脇に置き、横にして、中にいた蛇を野に解き放った。蛇は少し戸惑った様子で鎌首を擡げ、周囲に危険が無いか舌をチロつかせて念入りに確認したのち、長い体をズルズルとくねらせながら草むらの中に入って行った。傷を負っているところを助けてもらって、約五年もの間、世話をしてもらったことに対する恩が一切感じられない、素っ気ない別れ方だった。

 何が面白かったのか、父が、唐突に笑い出した。

「こうして見ると、やっぱり小さいな。もう少し様子を見てもよかったが、年寄りになるまで家に居られると、野生に出た後、可愛い雌蛇に相手にされないかもしれないからな。それは流石に可哀想だから、こんくらいで丁度良かっただろう」

 きっとこの後、あの蛇は一匹で野を這い回り、可愛い雌蛇を見つけたら求愛の仕草をとって、そして運良く結ばれることができたら、私の母みたいに子を産み、育てるのだ。

 蛇も人も、姿形が違うだけで、生きる上でやることは全部同じだ。生き物の命を自分が生きるための糧とすることも、人も蛇もやっていることは同じ。私が昨日食べた牛のステーキも、形と食べ方が違うだけで、ケージの中で蛇とネズミがやっていることと、本質は同じなのだ。

 父は空になったケージを片手にぶら下げ、寂しげな背中を私に向けた。

「お前が家を出る時は、俺と母さんにちゃんと感謝を伝えるんだぞ……」

 そう呟いた後、父は庭の隅にある水場へ歩いて行き、空のケージを一人寂しく洗浄し始めた。

                                        〈了〉
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