備管別の日常

文字数 4,420文字

 情報自衛隊福山基地・備品管理部別室──通称「備管別」!

 それは名実共に「もう一つの世界」そのものと化したネットワークの海を監視し、その動静を記録し、急迫不正の危機に際しては類い稀な情報技術の辣腕を振るって実力を行使する情報自衛隊の切り札である!

 だが、予算と人員削減の波はこの特殊諜報部隊にも容赦なく押し寄せ、今の彼らは少尉一名、軍曹一名から成る正隊員たった二名の零細部署であった!



 ここはH県福山市。情報自衛隊福山基地は街を見下ろす蝙蝠山の中腹に立つ学校の校舎のような建物で、山全体が自衛隊の敷地であり、山林を切り開いた土地にぽつんと立つ老朽化したその隊舎は一見すると地方の中学校そのものであった。


 教室ほどの広さの部屋は奥に行くほど段差で低くなる小シアターのような造りで、一番奥の壁面中央にはネガIPS方式の大きな液晶スクリーンがあり、その両側を一回り小さなサブスクリーンが挟んでいる。三つのスクリーンは画面内を区画分けされ、それぞれに様々なネットワークの環境データや個別のコンテンツ内容、ツイートや動画、投稿イラストなどがスタッフロールのように表示されている。
 六段から成る部屋の段差は左右が人一人通れるほどの溝で切れていて通路になっており、左右の壁の最下段から地続きの箇所にドアが付けられていた。右手のドアは飾り気のない事務的な片開きドアだったが、左手のドアはアンチパスバックを採用したスマートホンのようなインターロック型施錠ユニットがその入退室を管理し、出入りする人物を記録するカメラが文字通り目を光らせていた。


「ヒトフタマルマル。定時報告。目標甲、平常。目標乙、平常。mrp値0.8前後で微動。許容範囲内。関連ツイート、インスタグラム画像、pixiv画像、YouTube動画、投稿観測されず。回線負荷、自然流動レベル。コンディション、オールグリーン」

 そう報告を上げた茶髪の若い男性隊員は、部屋の段差の下から三段目に並ぶ三つの席の中央に座っていた。それぞれの席は左右奥行き共に十分なゆとりがあり、各席全て、いかついタワー型PCを隠すように三面のモニターが配されている。

「確認した。現体制で監視を続行」
「了解」

 報告を受けたアイロンの効いたシャツの黒髪の男性士官はたった二人の部署のそれでも長で、上から二段目の段に設けられた二つの席の左側に座っていた。確認事項を正副の二系統で送信、記録すると彼の端末の左のモニターに今日のワークシートを表示させ、画面の時刻表示とそれを見比べた。

「休憩だ軍曹。mrpとタイムラインのモニタをこちらに回せ」
「了解。行きますよ少尉。ユウハブコントロール……ナウ」
「ナウ・アイハブコントロール。引き受けた。ゆっくりして来い」
「なんか買って来ましょうか?」
「PXか?」
「天気いいんで麓のコンビニまで出ます」
「いや、特にいい。狐坊やも他のV.I.P.sもこの陽気で昼寝のようだ。時間内なら外で食べて来てもいいぞ」
「どうしよっかな。コンビニ見てから決めます」
「携帯の電源は入れておけ」
「了解」

 V.I.P.s《ヴィップス》!

 バーチャル・インフォメーショナル・パーソナリティーズ!
 「仮想情報人格」と呼ばれる彼らは、ネットワークの世界に住む情報の発信者たちである!
 ツイッタラー! 歌い手! 絵師! ネット小説家! そしてYouTuber!
 現在のこの国では、彼らV.I.P.sの影響力は絶大であり、特に二十四歳以下の若年層に限るならほぼ全ての文化メディアにおいてV.I.P.sがその主たる発信元であった!

 21世紀初頭! 現実社会のテレビやラジオ、新聞や雑誌は多様化・スピード化する文明のミーム伝播媒体としての進化が追いつかず、変わって台頭して来たインターネットメディアの求心力は相対的に高まり、その勢力はかつて文化の中心だった一部メディア大手、知識層、国家機関を旧世代の遺物として情報社会の路地裏へと追いやろうとしていた!

 この時代の戦争は国と国の領土・資源紛争でもなく! 国家内の宗教・イデオロギーの対立でもなく! カルトや急進派組織とのテロ紛争でもない!
 それは、文化の担い手、文明の伝え手、歴史の語り手──時代という神の代弁者「巫覡(ふげき)巫女(みこ)」の座を争う旧世代の権力者たちと、新世代のV.I.P.sたちの文化リソースの争奪戦であった!

 限られた回線の占有率! そこに流れる情報量! 発信された情報の影響力!

 それらを総合判断してリアルタイムに塗り替えられるワールドワイド・ネットワーク・ランドスケープ! 通称「ピリ・レイスの地図」!

 決して表に出ることのないこの電子の紛争地図は、開戦初期からV.I.P.s優勢であり、どの権力者も! 機関も! 国家すらも! その快進撃を止めることは出来なかった!
 ことここに至り、各国政府はV.I.P.sに対し法規制を強化、ネットから得た収入に新たな税金を設けるなど、対立姿勢を明確にした!
 当然のことながら各国のV.I.P.sはその潮流に断固とした反対の立場を取り、各メディアの有力V.I.P.sを中心に国境を越えて団結、各所で「クラン」と呼ばれる同盟が形成され、同盟同士が協定で結び付き瞬く間に巨大な勢力となって現実国家群と対峙した!

 西暦20XX年、3月──。

 一見平和そのものの我が国も、水面下では火花散るネットワークリソース闘争が繰り広げられていた!
 国内だけでも複数のV.I.P.sクランが各地方で猛威を振るっていたが、中でもツイッタラーであり、歌い手・ボカロPであり、詩人でもある「ノキグチ ガラク」と呼ばれる狐耳美少年アイコンの有力V.I.P.s率いる獣耳アイコン軍団「ノキグチ同盟」の躍進は目覚ましく、そのネット発言や作品投稿、開催イベントなどの動向は政府に取って重要な戦略情報であった!

 そう! 現在、ここ備管別に席を置く二人の若者の最優先任務は、文化紛争における敵軍の将軍、ネット詩人「ノキグチ ガラク」と彼(または彼女)が率いる「ノキグチ同盟」の動静の監視と、その脅威査定なのである!

「戻りましたー」
「少し早いぞ」
「いっスよ3分くらい。少尉、休憩どうぞ」
「……8時間勤務の際、労働基準法の定める休憩は60分以上。オーバーは構わないがショートは違法だ。キチッと定められた時間休憩は取れ」
「真面目だなー、少尉は」
「軍曹。君が適当に過ぎるんだ」
「今日はもうないんじゃないですかね『ストーム24』は」
「さてな。化かすのが狐。それを監視するのが我々の任務だ」
「自分はあと59秒は休憩中であります! 任務の話はその後でお願いします」
「君が『ストームトゥーフォー』の話題など振るからだ」


 ストーム24!

 ノキグチガラクをして一躍有名V.I.P.sにせしめた電脳創作イベント!
 それは、開催日の深夜24時丁度に参加者全員が一斉に歌や詩、絵画や画像、短編小説や音楽などありとあらゆる創作物をネット上に放流するいわば電子のフラッシュモブ!
 その投稿作品数は年々増え、開催の瞬間にはネットワーク回線・サーバーへの負荷から通信ラインの速度の遅滞やサーバーの物理的破壊などを引き起こしたこともあり、一部関係者にはWEB文化の新たな潮流として、あるいは法規制の遅れを突いた新時代の情報テロとして注目されているノキグチ同盟を特徴づけるその主要な活動の一つであった!


「異常はないか軍曹」
「お帰りなさい少尉。mrp値0.9から1.2。緩やかな上昇傾向にあるも誤差範囲内。直近3時間内に関連投稿なし。凪いだ海の如しです」
「そうか。本日分のデータを現時点で一度吸い上げよう。そうしておけばクローズのルーチンが……」
「待ってください……感あり! F型通信。目標出現。ツイッターです」
「メインに回せ」
「了解。mrp値急速に上昇。140……150……160……なおも上昇中」
「警報発令。インターナルデフコン3。対象アカウントへの回線探査頻度を1080ppsパーセカンドへ」
「了解。部内警報発令。ディフェンスコンディション3。回探上げヒトマルハチマル。ヨーソロ。mrp値現在442.8mrp。高低差プラスマイナス8で安定」
「前回から22日ぶり。曜日や時間帯の法則性もなし……全く。気まぐれな狐だ」
「続いて感。F型通信。サブアカウントです」
「内容は創作と……インスピレーション」
「ストームを匂わすようなチョクの語句はないですね」
「笠岡の通信研に内容を転送して分析を依頼しろ。サブアカウントの探査頻度も……」
「1080ppsパーセカンドへ、ですね。もうやってます」
「その通りだが、次回からは命令を待て」
「失礼しました。……っとmrp値に変動。急速に増加。910……960……1000を突破。更に上がる」
「デフコン2へ移行。メインのフォックス1とサブアカウント・フォックス2、両アカウントへの基準回線探査頻度を1680ppsパーセカンドへ」
「了解。デフコン2へ移行。関係公共機関への定型警告送信を確認。回探上げヒトロクハチマル。ヨーソロ」
「笠岡の分析結果は?」
「まだ来ません」
「先月納入された高い機械は電池切れか? 分析速度が変わらないなら予算をこっちに回して欲しいものだ」
「ダイダロスですか? 一個前のゲイザーとはアーキテクチャから全然違う筈なんで。向こうさんのオペレーターの慣熟が間に合ってないんじゃないですかね」
「呑気なものだ。学者先生たちは準戦時下だってことが解ってないと見える」
「人の死なない文化と思想の戦争、なんて年寄りにゃピンと来ませんよ。フォックスの脅威査定だって子供のオイタの見張り、くらいに思ってるんでしょ」
「……監視を厳に。少なくとも我々には、この任務の重要性が解る。そうだな軍曹」
「もちろんです。
 情報の海の風向きを変えることは我々には出来ません。ですがそれを記録し、分析し、脅威を予測してその対策を練ることはできる。台風の前の気象予報のように」
「いい答えだ。今読み上げたワードの文、Dドライブに入れておいてくれ」
「……見えちゃいました?」
「いつ作ってるんだ? そんなメモ」
「前に少尉が(おっしゃ)ってた内容の私的記録です」
「………」
「今、照れてます?」
「……お喋りはここまでだ。仕事に戻れ」
「了ー解っ」
「返事は短く」
「了解!」


 電子の世界に踊る気まぐれな仮装情報人格を人知れず監視する極秘零細部隊「備管別」!

 この時!
 彼らはまだ、これから自分たちを巻き込む巨大な陰謀が胎動を始めているのを知らない‼︎
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