原美術館が解体する

文字数 1,735文字

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意識せずとも親指は自らスマホ画面を下に滑り、タイムラインを更新してくれた。
いつもならそのままスルスルと惰性でスクロールする画面も、この日ばかりはそうはいかない。

私の目に飛び込んで来たのは「原美術館 解体」というニュースだった。

閉館のニュースは知っていたものの、急に知らされる「解体」という2文字の重み。

「っつっっ、、、、!!!」

変な声が漏れる。
あまりのショックに呆然とした。いや今もしている。

原美術館は、東京品川の住宅街に佇む現代美術を中心とした私立美術館だ。
実業家、原邦造の私邸として渡辺仁が設計した。
初期のモダニズム様式を取り入れたこの建物はいま見ても洗練された居心地の良さそうな建物だ。
地方に住む私は機会を逃して行けず、憧れたまま閉館した。
だからこそ想いは募っている。インスタグラムやサイトで見る写真で、空間の纏うしゃんとした空気に陶酔し、瞳の奥で空間を描いては歩いていた。

閉館してもいつか機会はあるのかも、そんな淡い期待があったのかもしれない。
でも、解体だなんて。
今回の解体に移築の可能性があるのかはわかっていない。



歴史ある、価値あるものが段々とこの世から姿を消していくことが、私は悲しくてたまらない。

どうにかして残すことができないのか。これほど美しいものを保存していくことはできないのか。
私は、建物を残すのがどれほど大変なことなのかは知らない。維持費や法律、いろいろなことがわからない。それにこの解体の背景には私が知り得ない、様々な思いがあるのだろう。

でも本当に悲しくてたまらないのだ。



私の住むゲストハウスは、奈良の古い町屋だ。だから屋根の補修工事と一緒に外装工事を行うらしい。
屋根の補修とともに外装も綺麗にしたら安くなるとかなんとか。市か県の要請で、デザインはどこにでもあるような町屋の子綺麗な見た目(あからさまに白く塗られた壁に格子にといったイメージ)に決められているらしい。うろ覚えだが聞いた。(間違ってたらすいません)

私は初めてこのゲストハウスを訪れた時から、いい壁だなあと剥がれ落ちた塗装が作る今の景色を好いていたので心底落ち込んだ。
オーナーさんによると、以前は周辺にもっとレトロな面白い建物がわんさかあったそうだ。それがどんどん壊されて、新しい建物に生まれ変わっている。
耐久性や管理のことを考えると工事は仕方のないことなのかもしれないが、それではどこにでもある景色として、時間をかけて形成されたこの街の風景をぞんざいにするのではないか。そう思うのだ。
でも長い目を持つと、元の古い建物に似せて新しく工事するのだから、時が経てばこれも古くなるのだろう。



以前、何かの講演会で森ビルの辻社長の話を聞く機会があった。
その中で私が手帳に書き留めた「何を何の意味で保存するか」という言葉を思い出す。

その講演で私は古く価値のあるものは何がなんでも残すべきだという考えから、ただ残すのではなくどのような形で残すかが重要のなのかと考えるようになった。

誰にも知られず、ただ存在しているだけでは廃墟と化すだろう。
原美術館も、原邸から美術館へ変わる前は10年以上も空き家状態で廃墟同然だったそうだ。
空間は人に営まれてこそ光を宿す。


何でもかんでも残すのは違う気がするけれど、何でもかんでも壊すのは絶対違うと思う。
文化はポンと形成することはできない。人が時間をかけて形成されていく。
文化を守るには、私たちの関心が必要だろう。

文化には、残そうと思う人の気持ちを動かすものがある。美意識が働いていると思う。
生活の中に美しいと思う瞬間があることは、生きていて陽光を浴びるような暖かな気持ちを連れてくる。
美しいものに触れることは、満たされる愛に満ちた行為だと思う。
だから、その場所が豊かになるのだと思う。文化が芽生えた歴史を見てもそうだ。

美しさとは何も見た目のことではないし、その解釈は多様だが。


それをないがしろにしてはいけないのだ。
こんな時代だからこそ。
文化がないと、私たちの国はますます心が貧しくなるばかりではないか。
文化はすなわち拠り所になると思うのだ。



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まとまってない頭の中をさらけ出しているので後から書き直します。
とにかく、原美術館に思い焦がれている夜です。










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