靴ずれ
文字数 1,439文字
新しく買ったスニーカーのかかとが血まみれだ。靴ずれをしている。歩くたびにかかとが痛む。
ファッションに興味がないからか、はたまただらしがなく面倒くさがりやだからか、僕は靴底がすり減って穴が開くまで履きつぶしてようやく満を持して買い替える。
数日前に二年間ほぼ毎日を共にした相棒とお別れをし、値段とシンプルなデザインから試し履きもせず即決で今のスニーカーを選んだのだが、これが不味かった。いざ履いて歩いてみると履き心地はいまいちだし、靴ずれはするし、相性がすこぶるよろしくない。
同じものを買いなおせばよかった。
そこで初めて、自分はあの相棒を気に入っていたことに気付く。失って初めて気が付くとはまさにこのことなのだろう。
その後、少し調べてみたがどうやらその相棒はもう販売されていないらしく、入手することはできないようだった。残念だと落胆しつつ、とはいえ今更新しく自分に合うものを探すのは億劫だと感じ、今のスニーカーでしばらく我慢することにした。
それから半年が経った。
それだけの月日が流れれば、スニーカーも足に馴染んできて靴ずれをすることはなくなった。履き心地はどうかと聞かれたら、やはりあんまりで前のほうがよかったとは答えるが、毎日のように履いていれば慣れもあってかそういうものだと錯覚して、薄目で見られるようにはなった。
それからさらに半年が経った。
僕は今のスニーカーを履きつぶす前に新しいものを探し始めた。大きな劣化はなかったが、これ以上付き合っていくのは難しいと思ったからだ。
今度はしっかりと吟味することにした。柔らかくて履き心地もよく、デザインや色に派手さはなく、多少値が張っても自分と合うもの、気に入るものを探し求めた。しかし、そういったものはなかなか見つからない。多くの店を訪ね、この二十数年生きてきた中で一番スニーカーを見て試し履きをしたが、どれもしっくりこない。
困った。
そうこうしているうちに三か月が経ち、今履いているスニーカーにガタが来て、新しいものが必要になった。仕方なく僕は、これまで試し履きしてきた中でまだマシだと思えるものを購入し、以前までのスニーカーとはさよならをした。
そうしてまた靴ずれをした。前回のものよりは幾分履き心地はよかったが、自分の中ではしっくりとこなかった。
もうあのときの相棒のように相性のいいものと出会うことはできないのだろうか。
ちらつく過去の相棒の存在。
まるでいつまでも忘れられずにいる恋のようだ。
どれだけ素敵な人だったのだろうと終わってしまった後に気がついて、でももうやり直すこともできなくて、その悲しみを癒そうと他の人と会って、一晩過ごして、成り行きでそういう関係になって、でもなにか違うとずるずるいきながらも別れて、また別の人と一緒になって、それでもとても素敵だった元恋人のことがちらついて、忘れられずにいて、未練がましくいる。
大袈裟かもしれないが、自分にとってあの相棒はそんな存在だった。
それでももう手にいれることすら叶わないのである。いつまでもそんなじゃ絶対によくない。そんなことは分かっている。だけども、そう簡単に忘れられたらこうまで引きずっていない。
きっとこれからも新しいスニーカーと出会うたびに靴ずれをして、ことあるごとに何か違うなと相棒と比較しながら薄目で見て、今のスニーカーも悪くないなと思いながら、時間を過ごしていくことになるだろう。
相棒の代わりなんてどこにもいないのだから。
ファッションに興味がないからか、はたまただらしがなく面倒くさがりやだからか、僕は靴底がすり減って穴が開くまで履きつぶしてようやく満を持して買い替える。
数日前に二年間ほぼ毎日を共にした相棒とお別れをし、値段とシンプルなデザインから試し履きもせず即決で今のスニーカーを選んだのだが、これが不味かった。いざ履いて歩いてみると履き心地はいまいちだし、靴ずれはするし、相性がすこぶるよろしくない。
同じものを買いなおせばよかった。
そこで初めて、自分はあの相棒を気に入っていたことに気付く。失って初めて気が付くとはまさにこのことなのだろう。
その後、少し調べてみたがどうやらその相棒はもう販売されていないらしく、入手することはできないようだった。残念だと落胆しつつ、とはいえ今更新しく自分に合うものを探すのは億劫だと感じ、今のスニーカーでしばらく我慢することにした。
それから半年が経った。
それだけの月日が流れれば、スニーカーも足に馴染んできて靴ずれをすることはなくなった。履き心地はどうかと聞かれたら、やはりあんまりで前のほうがよかったとは答えるが、毎日のように履いていれば慣れもあってかそういうものだと錯覚して、薄目で見られるようにはなった。
それからさらに半年が経った。
僕は今のスニーカーを履きつぶす前に新しいものを探し始めた。大きな劣化はなかったが、これ以上付き合っていくのは難しいと思ったからだ。
今度はしっかりと吟味することにした。柔らかくて履き心地もよく、デザインや色に派手さはなく、多少値が張っても自分と合うもの、気に入るものを探し求めた。しかし、そういったものはなかなか見つからない。多くの店を訪ね、この二十数年生きてきた中で一番スニーカーを見て試し履きをしたが、どれもしっくりこない。
困った。
そうこうしているうちに三か月が経ち、今履いているスニーカーにガタが来て、新しいものが必要になった。仕方なく僕は、これまで試し履きしてきた中でまだマシだと思えるものを購入し、以前までのスニーカーとはさよならをした。
そうしてまた靴ずれをした。前回のものよりは幾分履き心地はよかったが、自分の中ではしっくりとこなかった。
もうあのときの相棒のように相性のいいものと出会うことはできないのだろうか。
ちらつく過去の相棒の存在。
まるでいつまでも忘れられずにいる恋のようだ。
どれだけ素敵な人だったのだろうと終わってしまった後に気がついて、でももうやり直すこともできなくて、その悲しみを癒そうと他の人と会って、一晩過ごして、成り行きでそういう関係になって、でもなにか違うとずるずるいきながらも別れて、また別の人と一緒になって、それでもとても素敵だった元恋人のことがちらついて、忘れられずにいて、未練がましくいる。
大袈裟かもしれないが、自分にとってあの相棒はそんな存在だった。
それでももう手にいれることすら叶わないのである。いつまでもそんなじゃ絶対によくない。そんなことは分かっている。だけども、そう簡単に忘れられたらこうまで引きずっていない。
きっとこれからも新しいスニーカーと出会うたびに靴ずれをして、ことあるごとに何か違うなと相棒と比較しながら薄目で見て、今のスニーカーも悪くないなと思いながら、時間を過ごしていくことになるだろう。
相棒の代わりなんてどこにもいないのだから。