第1話

文字数 1,509文字

冬のように暗い夜を私は走っていた。
月はなく星も見えない、ただ道が白く光ってみえるだけの暗闇で、風を顔で受けている。
もう随分走っている気がするが足の痛みはなく、息切れすることもなく、喉も乾かない。おかげで私はずっといい気分でいられて、自由を謳歌しているようだった。
夜気は冷たいが肌に心地よく、風の出来心で口に虫や髪の毛が入っても、ぺっと軽く吐き出して受け流せる。私の妨げになるものは何もないはずだった。
だが、影のように無意識だった何かが先ほどからデッサンの線を濃くして起き上がり、私との距離を少しずつ縮めて気を引いていた。
それは扉が開いたり閉まったりするような、バタンバタンという音だった。
風が吹いているから鍵のかかっていない扉が音を立てているのだろうと思って特に気に留めなかったが、私は走っているのだから扉の音は後ろに遠ざかっていくはずなのに、バタンバタンという音は遠ざかっては近づき、また遠ざかっては近づきという風に、いつまでたっても私のそばから離れないので無視できなくなっていた。
きっと私が走っている道の上空には、雲のようにいくつもの閉まりの悪い扉が浮いているのに違いなかった。
しかも音の感じから察するに、扉は木製でなくガラスでできているようだった。
木でできた扉が閉まる時のような、重々しく、本を閉じて終わりを感じた時のような静けさはなく、扉が閉まっているのにまだガタガタ鳴って、隙間だらけなんじゃないかと思わせるような気ぜわしい音なのだ。
初めはただの音としか認識していなかったものが次第に耳に障って視覚までのっとられかねず、私はどうにかしてあの音をなくせないかと思案し出した。
扉が本当にガラスでできているならばと、私は走ることをやめ、歩きながら足元を目で探った。
私が進んでいるのは土の道で、足を動かすたびに土埃が細い煙のように上がっていた。
道には小石がぽつぽつ転がっており、その中の何個かを適当に拾った。
拾った小石を腕に抱えて後ろ向きに歩きながら、前方の暗闇に向かって小石を投げた。
歩きながら投げるのは得意ではなかったが、歩みを止めたくはなかったのだ。
ガラスの扉がどこにあるかはわからないので、当てずっぽうだができるだけ高く、遠くへ投げたつもりだった。
ぽーん、ぽーんといくつか投げると、ほとんどが闇に吸い込まれて落ちる音も聞こえなかったが、やがて「ガシャン」と何かに当たったような音がした。
私は手応えを感じ、さっきよりももっと大きめの石を選んで集め、今度は見当をつけて暗闇に投げ続けると、ガシャーンガシャーンと何かが壊れるような音が続けざまに鳴った。
ガシャーン ガシャーン ガシャーン
バリバリバリバリ…。
何度も高く放るうちに音は変わり、間もなくキラキラと光る無数の何かが降伏の証のように空から降ってきた。
それは、一つ一つが赤青黄緑とステンドグラスのように色鮮やかだが、薄い影のベールにでもくるまれたような、鈍い光をまとったガラスの破片のようなものだった。
私はその場に立ち尽くし、紙吹雪をざるから一斉に降らせたようなそれらを遠目にじっと見つめていた。それらは色味があるにも関わらず雪に比べると物足りず、花のような生命力も感じられず虚しかった。
映画のエンドロールのように最後まで見届ける気にはなれず、大体見終わると私は向きを変えた。余韻に浸りたいような感慨はなかったし、待ったところでもう何も出てこないだろうと思った。
それよりも、私は走りたかった。走って足を動かしてさえいれば前へ進み、この手に何かが舞い込んでくることもあるかもしれない。
そうそれに、このまま進めば真夏の太陽が私を出迎えてくれるであろうことを信じて!
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