東京砂漠 田中

文字数 1,848文字

2100年、東京。
世界中で深刻な問題となっている温暖化は、東京を砂漠にさせた。

中小工場勤務の田中は、そんな過酷な世界で日々、ネジを作っていた………。




「田中ァ!」

埃っぽい工場に佐藤先輩の声が響く。

「お前、またミスしてるぞ」

「すみませんっした!」

「次やったら、埼玉勤務だからな」

「それだけは、まじで勘弁です」

埼玉は東京よりも砂漠化がひどい。
電車が動いていたのも過去の話。
砂まみれになりながら車で片道一時間かけて行くなんて、勘弁だ。

そんな田中にはある悩みがあった。

"佐藤先輩と飲みに行きたい"

「今日、一杯どうっすか?」と声をかければ済むのかもしれない。

しかしここは砂漠の世界。
水分は貴重で、当たり前のようにビール一杯に、1000円はかかるのだ。

気安く飲みに行きましょうなんて、
簡単には言えない。

三年前からこの工場に勤め出した。
その時から先輩にはお世話になっている。
声は大きいし、すぐ怒るし、臭い。
でも何かあった時はすぐにフォローをしてくれる、面倒見のいい、熱い人だ。
人生の先輩として、色んなアドバイスをもっと貰いたい。そう思っていた。



太陽は容赦なく照りつけてくる。
工場の中でさえ、サウナのような蒸し暑さだ。

「田中ァ!休憩!!」

「はいっ!」

休憩室は汗と砂まみれの男達で溢れている。
弁当をつまみながら、先輩と話すのが日課だった。

だが今日は、何故か先輩の姿がない。

一人寂しく弁当を突いていると、深刻そうな顔をした先輩が目の前に座った。

「…先輩、どうしたんっすか?そんな顔していたら、ますます顔が黒く見えますよ?」

「うるさい。色黒は元々だ」

周りの作業員達の笑い声が耳に触る。

「実はな、さっき部長からな…」

「…はい」

「埼玉勤務を命じられた」

「…え、まじっすか」

「まぁ、そんなに深刻にならんでも。俺が死ぬみたいな顔してるなお前はァ!!」

ガッハッハと笑い出す先輩。

いやいや、冗談じゃない!
先輩に教えて貰いたい事が山程あるんだよ!
このまま飲みに行けないなんて…
寂しいじゃないか。

「先輩、あの…」

「なんだ?」
先輩は弁当をかき込みながら、こっちを見る。

「…あの、えっと」

「男なら言いたい事、はっきり言えィ!!」

「今日、飲みに行きませんか!!」

「飲みに行くって、酒か?」

「ずっと行きたかったんです。佐藤先輩と」

「…送別会ってことか。うん、行くか」



一日の作業が終わった。
夕方になれば、多少は暑さも和らいだ。

商店街は活気付いている。
老若男女の笑い声が、赤提灯を揺らす。
そして水滴したたるビールジョッキを片手に、今日の激務を労う人達。
砂漠のオアシスはここにあったのだ。

店内に入ると焼き鳥の香ばしい匂いがした。

「いらっしゃい!」
名物女将が奥から出てくる。

「何名様…?あらま、佐藤さん!」

「お久しぶりだね、女将さん!二人ね!」

タレでベタベタになったテーブルに案内された。少し不快だが、ここが人気店な事を物語っていた。

「とりあえず、ビールでいいよな?田中、ビール飲めたっけ」

「もうビールすんごく好きです」

「さすがわかってるねぇ。俺たちにとって、キンキンに冷えたビールは一番の回復薬だもんなァ!」

運ばれてくるビール。
お通しは、贅沢に白身魚の甘酢あんかけだ。
自然とよだれが出てきた。

待ちに待った、佐藤先輩との乾杯。
色々な感情が混ざった乾杯。
思わず手が震えそうになった。

「…まあ、最初で最後になるかもしれないが。…田中ァ!」

「はいっ!!工場みたいな大声出さないでくださいよ!」

先輩は少し咳払いをしてから、
「えぇ…世間では、アルハラ、パワハラ、セクハラなどいろんなハラハラがありますが、本日こうして…」

「長い挨拶はいいですから!」

「…じゃあ。田中との出会いに乾杯ィ!!」

ジョッキが割れそうなくらい、勢いのある乾杯だった。そこには、俺たちの三年分の思いがこもっていた。

先輩とは色んな話をした。
初出勤日に俺が作業服を忘れて、先輩の臭い作業服を借りた話。
先輩が近くのスーパーでアルバイトしている女の子を狙っていて、実はその子が俺の妹だったという話。
仕事の話。
夢の話。
地球はどうなるのかという話。
かと思いきや、どうしたら彼女が出来るのかという話。

くだらない時間だった。
どうしようもなく愛おしい時間だった。

来週から先輩は埼玉に移動する。
あと数日、先輩から全て学ぶつもりだ。

まずは腹から声を出すことから始めてみようかと思う。

また先輩と飲む時には、一回りも二回りも大きくなっていよう。

何年経っても、どんな世界になっても、
また佐藤先輩と乾杯をしよう。


ー 終 ー
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