【Session55】2016年07月10日(Sun)

文字数 10,548文字

 今日は日曜日でゆっくりとした朝が始まった。ちょうどこの日は全国で、「参議院議員通常選挙」の投開票日でもあった。学も朝、自宅近くの小学校で投票を済ませ、そこから自分のカウンセリングルームがある新宿へと向かった。
 今回の「参議院議員通常選挙」は、2015年6月17日に成立した公職選挙法改正により、選挙権年齢が20歳以上から高校生を含む18歳以上に引き下げられ、そして初めて行われる国政選挙でもあった。

 学はこの選挙権年齢を18歳に引き下げたことに対して特に異論は無かったが、選挙権を18歳に引き下げたのに、成人は20歳としていることに疑問を持っていた。それは、選挙と言う国政や行政を執り行う議員を決める権利を得ながら、成人でないと言う「未成年保護法」が適用されるひと達が出てくると言うことに対する疑問だ。
 学の中では、常に権利と義務は同じ高さになければならないと考えていたので、このことについて疑問を抱いていた。そして午後からのみさき一家との「親子カウンセリング」に備えていたのだ。すると約束の15時少し前に、みさき一家は学のカウンセリングルームに訪れた。

みさき一家:「こんにちは倉田さん。宜しくお願いします」
倉田学:「こんにちは宜しくお願いします。それでは前回と同様に、最初に全員から話を聴かせてください」

 そう学が言うと、真っ先に話を始めたのが敏夫だった。

古澤敏夫:「倉田さん、聴いてください。いよいよ俺たちの町(南相馬市)も、明後日の12日に避難解除されるんです」
倉田学:「避難解除と言いますと」

古澤敏夫:「福島第一原発事故による放射能汚染の除染作業が終わり、故郷に戻れるってことですよ!」
倉田学:「すると古澤さん達は南相馬市に帰るのですか?」

古澤敏夫:「ああ、俺はそう考えているんだ」

 敏夫がそう言うと、妻の初枝がこう言った。

古澤初枝:「あなた。故郷に帰っても仕事が無いのにどうするのよ! それに、ゆうきはどうするの?」
古澤敏夫:「お前、俺たちが住んでいた故郷のことが気にならないのか? 俺だけでも先に行って、あの家と町がどうなったか観に行きたいんだ」

古澤初枝:「あなたは何時も自分勝手で、家族のこと考えたことあるの?」

 その時、みさきが二人の会話を挟むようにこう言ったのだ。

みさき:「おとうさん、おかあさん止めてよ。ゆうきが一番辛いんだから」
古澤敏夫:「お前はどーせ東京に染まったんだから、もう故郷のことなんか気にしていないんだろ」
古澤初枝:「あなた、そんなこと言える立場なの。みさきはわたし達の為に働いてくれてるんでしょ!」

 これをずーっと聴いていた勇気は、自分を責めるかのようにこう言った。

古澤勇気:「僕が『甲状腺がん』になっていなかったら…。家族皆んながバラバラにならなくて済んだのに。だから僕のせいなんだ」

 しばらく沈黙の時間が、学のカウンセリングルームに広がっていた。そして学が少し間をとりこう話したのである。

倉田学:「皆さん、よく考えてください。僕には何が正解で、何が不正解かはわかりません。でも家族なら何を家族で一番大切にするか、気持ちをひとつにする必要があると僕は思うのです。その為のカウンセリングだと僕は信じてます」

 こう学が言うと、みさき一家は今まで自分達が考えていたことが、一体誰の為のことだったのか振り返っていた。そして学は更にこう付け加えた。

倉田学:「家族だからわかり合えるだろうと思っていて、それがわかり合えなかったらどれほど傷つくか、僕もそうでした。でも古澤さん達は自分達でこの問題を解決しようと、僕のところに来ています。家族でもお互い自分の気持ちをちゃんと相手に言葉にして伝えないと、伝わらないときがあります。僕にはもう、そのチャンスは無いです。でもあなた達にはあります」

 学は自分の気持ちを正直に、みさき一家に話した。またしばらく、カウンセリングルームの中は静寂な時間が過ぎて行った。学自身も、自分のこころの中をさらけ出し、らしくなくうつ向いて瞼を閉じていた。そして瞳から涙が溢れるのを堪えていたのだ。すると勇気が最初に言葉を小さく発したのだった。

古澤勇気:「僕、今まで言ってなかったけど…。実は学校で名前に菌を付けられて、『ゆう菌』って呼ばれいて…。だから学校には行きたくたい」

 この勇気の重大な告白を聴いたみさき一家は、とても驚いて口々にこう言ったのだ。

古澤敏夫:「ゆうき! お前そんなこと学校で言われてるのか。何時からだ?」
古澤初枝:「ゆうき! そのこと先生は知ってるの?」
みさき:「なんでわたしに言ってくれなかったのゆうき?」

 これらの言葉に対し、勇気は恐る恐る語り始めた。

古澤勇気:「お父さん、実は…。高校に入学してからずーっとなんだ。それにお母さん、先生に言えなくて。お姉ちゃん、お姉ちゃんに心配かけたく無かったんだ」

 勇気が今まで家族に隠して来た勇気の本当の気持ちを、勇気はこのとき家族に初めて明かしたのだ。そしてみさき一家が、まず解決しなければならない問題が明らかとなった。学はこの勇気の問題を解決するには、みさき一家の問題で解決する問題だと思っていたので、学の役目として勇気の抱えている本当の気持ちを、みさき一家で共有させる事が出来て良かったと思った。
 それと同時に、学自身も自分の本当の気持ちを言葉に出し、それにより学のこころも大きく揺さぶられたのだった。こうしてみさき一家との「親子カウンセリング」は、勇気が抱えている勇気の学校でのクラスメイトから呼ばれている『ゆう菌』と言う問題からスタートしたのだ。そしてこの日のカウンセリングは終始この話題で終わった。

 この問題は、すぐにこの場で結論が出せる問題ではないので、みさき一家はこの問題を持ち帰り、家族でどうするか話し合うこととなったのだ。こうしてみさき一家の「親子カウンセリング」は終わったのである。四人は学のカウンセリングルームを出て、学にお礼を言って去って行った。学はその姿を観て、前回は家族バラバラであったが、今日のカウンセリングで家族一体となったように感じた。
その後、学はカウンセリングルームにあるアクアリウムの水草を眺めていた。それは自分のこころが大きく揺さぶられたので、水草を観てこころを鎮める作業の様にも見えた。
 しばらくした後、自分のディスクの椅子に座って瞑想を行ったのだ。その途中で、学はマナーモードにした自分のスマホが鳴っているのに気がついた。学はおもむろにそのスマホに出たのだ。するとその電話は一樹からの電話であった。

峰山一樹:「学くん、一樹だけど…。今日はこの後、デートじゃないよねぇ」
倉田学:「違うよ! 今日はもう、カウンセリングは終わったよ」

峰山一樹:「じゃあさぁ。今日は俺に付き合って貰うよ」
倉田学:「何に付き合えばいいんだよ」

峰山一樹:「そうだなぁ。俺とデート!」
倉田学:「一樹くん。そのデートを強調するの止めてくれない」

峰山一樹:「わかったよ。俺とのデートに付き合ってくれたらな」

 学が先日、みずきと映画の試写会を観に行ったことを一樹に知られ、学は内心「選りに選ってコイツに知られるとは…」と思っていたのだ。

倉田学:「一樹くん、わかったよ。付き合うから、どこに行けばいいの?」
峰山一樹:「そうだなぁ。池袋東口に19時に来てくれないかな」

倉田学:「池袋東口のどこなんだよ?」
峰山一樹:「『いけふくろう』前で、それとみずきママもしくは女の子も宜しくー」

 こう言って電話は切れたのだ。学はこう呟いた。

倉田学:「一樹のやつ、相変わらず調子いいんだから。あいつは大学の時から要領が良く、しかも頭がキレる。例えるなら、僕が亀だとすると、アイツは兎だ」

 そんなことを学は考えながら、学はカウンセリングルームにある時計を見た。時計の針はもうすぐ18時を指そうとしていた。学は勿論、みずきを誘うはずもないし、一緒に連れて行く女の子も居なかった。学はひとり池袋駅へと向かったのであった。そして一樹と約束した「いけふくろう」前で待っていたのだ。学が待っていると偶然、彩らしきひとが通り掛かったように学には見えた。その時、学は自分でも信じられないぐらい、その女性に声を掛けた。

倉田学:「もしかして木下さんですか?」
木下彩:「倉田さんじゃないですか。どうしたんですか?」

倉田 学:「それが…」

 その時だった。一樹が突然現れ、嬉しそうな表情を浮かべてこう言った。

峰山一樹:「学くん。良い意味で、僕の期待を裏切ってくれてありがとう」

 その声に驚いた二人は、一樹に向かってこう言ったのだ。

木下彩:「誰ですかこのひとは倉田さん」
倉田学:「えぇー、順番に説明しますね。僕の大学時代の友人の峰山一樹くん。今は学校の先生をしています。それと一樹くん、こちらの女性は新宿でOLをしている木下彩さんです」

木下彩:「倉田さんのお友達の峰山さんですね。学校の先生って、何の先生ですか?」

 この質問に対し、待ってましたとばかりに一樹は自慢げにこう言った。

峰山一樹:「そうですねぇ。C大学の教授です」

 すると彩は驚いた表情を浮かべ、こう言ったのだ。

木下彩:「本当ですか! C大学の教授ですか。まだ若いですよねぇ。わたし大学の教授ってもっと年寄りかと」

 この言葉を聴いた一樹は、更に自慢げに彩にこう言ったのだった。

峰山一樹:「いやぁー、今の大学の教授は実力があれば…。僕の年齢でもなれますよ。倉田くんから僕のことは聴いていなかったのかなぁ」

 この一連の一樹と彩の会話を聴いていた学は、二人にこう言ったのだ。

倉田学:「一樹くん、君は教授ではないよねぇ。准教授だよねぇ。それに木下さんには今偶然あっただけで、僕は木下さんをまだ何も誘っていないんだけど…」

 この言葉を聴いた一樹は、学にこう言ったのである。

峰山一樹:「相変わらず君は硬い男だなぁ。『准』を付けるか付けないかの違いで、僕は嘘はついていないよ。それに今日は、僕の35歳の誕生日なんだよねぇ。学くん、僕のお願いはわかっているよねぇ」

 学は仕方なく、駄目もとで彩にこう訊いた。

倉田学:「今日、僕は一樹くんにデートに誘われました。僕は、女の子を連れてくるよう一樹くんからお願いされました。そして今日は一樹くんの35歳の誕生日だそうです。僕たちのデートに一緒に付き合ってください」

 この学の大根役者のような棒読みの言い方が、彩にはすごくウケたのだ。そして彩はこう言った。

木下彩:「倉田さん、この告白はなんですか! もしかしてウケ狙って言ったんですか? 倉田さん、ときどき変なこと言うから。わたしは大丈夫ですよ」

 すると一樹は嬉しそうに、彩にこう言ったのだ。

峰山一樹:「彩さん。君はギリシア神話の海の女神テティスのようだ。ではでは皆んなで、宴席に向かい祝杯をあげよう」

 この辺が一樹のキザなところでもあるのだが、一樹からしたら別に普通のことであった。二人は一樹に誘われるがまま、お店へと向かったのである。学には一樹の言った意味が、だいたい理解出来ていた。その為、一樹が彩に何を伝えたかったのか学なりの解釈で彩に説明したのだ。

倉田学:「木下さん。今、一樹くんが言った意味わかった?」
木下 彩:「ぜんぜん。それに倉田さんも、わたしを呼ぶとき下の名前で呼んで貰っていいですよ」

倉田学:「わかりました。一樹くんが今言ったのは、古代ギリシア時代から伝わるギリシア神話の話に出てくる神様のひとりで、海の女神であるテティスが彩さんだってことです」

 お店までの道中、学は彩に熱心に解説しているのだから、学も相当な変わり者ではある。そしてこう学は彩に話を続けた。

倉田学:「この海の女神のテティスはギリシア神話の主神であるゼウス、つまり最高の神に見初められたんだけど、予言により結婚できなかったんだよね。そして人間であるペーレウスと結婚してしまったんだ。つまり彩さんがテティスで、一樹くんがゼウスだとすると、本来は断られても仕方がない状況であったのに誘いを受けてくれたので、一樹くんとしては届かぬ存在の海の女神を掴んだ。と言ったところかなぁ」

 この学の解説を聴いた彩は、ようやく一樹の言ったことが何となく理解できた。彩は納得すると同時に、学がとても詳しいことにも驚いた。だから彩は学にこう訊いたのだ。

木下彩:「倉田さん。なんでそんなに詳しいんですか?」
倉田学:「一樹くんと僕は、大学時代に哲学を勉強していて、その延長線で、神話とか宗教学とか民俗学みたいなマニアックな話をしていたから。それと言い忘れた。海の女神であるテティスは、すごく美しかったそうですよ」

 学がこう言うと、彩は学にこう言った。

木下彩:「今度、詳しく聴かせてください」

 その時、一樹が後ろの二人に向かってこう言ったのだ。

峰山一樹:「おふたりさん、お店に着きましたよ。ではでは、宴席に向かいましょう」

 そう言って一樹は、建物の地下1階にある中華料理のお店「白龍門」の階段を降りて行った。その後を学も彩もついて降りて行ったのである。お店の中へ入って行くと、中国人らしき女性が流暢な日本語で、学たちをテーブルの席へと案内した。三人はテーブルの椅子に座り、学と一樹が向き合って、そして学の隣に彩が座った。すると一樹がこう言ったのである。

峰山一樹:「いやぁー、僕はここのランチよく食べに来るんだよねぇ。僕、練馬駅の傍に住んでるからさぁ。池袋まで一本で出られるし。それにネーミングがいい。僕はC大学の准教授だから、やっぱり『白龍門』だねぇー」

 この言葉を聴いた彩は、すぐにこう言った。

木下彩:「峰山さん。最寄駅は練馬なんですか?」
峰山一樹:「そうだけど。もしかして近く」

木下彩:「わたしもです。わたしも練馬駅の傍に住んでます」
峰山一樹:「あぁー、そうなの彩さん。今度、一緒に食事でも」

 学はこの二人のやり取りをドギマギして観ていた。そして一樹の誘いに彩が何と答えるか固唾を飲んで見守っていた。すると彩はこう言ったのだ。

木下彩:「倉田さんと一緒ならいいですよ」

 この彩の答えに、学はどういった意味が含まれているのかイマイチ分からなかった。そして彩は今、自分のことをどう思っているのか気になったのだ。それは先日、みずきと映画の試写会を観に行った時、自分の本当の気持ちに気づいたからだ。そして恐る恐る、学は彩にこう訊いた。

倉田学:「僕だけでも駄目ですか?」

 すると彩は、普通にこう答えた。

木下彩:「いいですよ倉田さん」

 その時だった。一樹がこんなことを言いだした。

峰山一樹:「モテる男は違うねぇー、二股かい?」

 すると彩は、この言葉にすぐに反応してこう言った。

木下彩:「倉田さん。二股ってなんですか?」
倉田学:「彩さん。実は先日、僕が飲みに行くお店のひとに映画に誘われて、映画を一緒に観に行ったんです」

木下彩:「そのひと、女のひとですよねぇ。どんなひとですか?」
倉田学:「答えないと駄目ですか彩さん」

峰山一樹:「確か、みずきママだったかなぁ?」

 学は「一樹のヤツ、何で言うんだよ」と内心思った。しかし仕方なく正直に彩に話した。

倉田学:「実は、銀座にあるお店のママに映画の試写会に誘われて、それで一緒に観に行ったんです」

 これを聴いた彩は、少し興奮気味に学にこう尋ねた。

木下彩:「倉田さん。そのママって銀座クラブのママですか? 映画、何観たんですか?」
倉田学:「そうです。銀座8丁目にある『銀座クラブ SWEET』のみずきママです。そして映画は『君の名は。』です」

 こう学が言うと、彩はすぐさま訊いて来た。

木下彩:「映画の後はどうされたんですか?」
倉田学:「一緒に食事を」

木下彩:「それだけですか?」
倉田学:「それだけです。それに僕、振られましたし」

 この言葉を聴いた彩は、少し安心した表情を浮かべて学にこう言って来た。

木下彩:「倉田さん。そのひと倉田さんのこと誘っといて、振ったんですか? わたし信じられない」
峰山一樹:「学くん、そうだったのかい。辛い経験をしたんだねぇ。今日は飲もう」

 学は内心、「一樹のヤツ調子に乗りやがって今度仕返ししてやる」と思っていた。こうして三人はこの「白龍門」で中華料理を食べたのだ。最初に紹興酒で一樹の35歳の誕生日を祝って三人で乾杯した。その時、彩はこう呟いたのだ。

木下彩:「あのー、すいません。わたしアルコール(お酒)はちょっと」
峰山一樹:「彩さん、アルコール(お酒)飲めないんだ」
倉田学:「すいません。そうだったよね彩さん。それではソフトドリンクは何にする?」

 こう学が彩に問い掛けると、彩はこう言った。

木下彩:「わたし烏龍茶でもいいですか?」
峰山一樹:「ノープロブレムだよ。彩さん」
倉田学:「わかりました彩さん。烏龍茶を頼みますね」

 こうして三人の飲み物が出揃い、学は二人に向かってこう声を発した。

倉田学:「では、一樹くんの35歳の誕生日を祝ってカンパーイ!」
峰山一樹:「カンパーイ!」
木下彩: 「カンパーイ!」

 すると一樹がこう言ったのである。

峰山一樹:「学のアモールにカンパーイ!」
倉田学: 「カンパーイ!」
木下彩: 「カンパーイ!」

 この言葉を聴いた彩は、早速学にこう訊いて来た。

木下彩:「アモールって何ですか倉田さん?」
倉田学:「あぁー、ラテン語で『愛』って意味です」

木下彩:「そうなんですね。倉田さん、ラテン語わかるんですか?」
倉田学:「少しは」

木下彩:「他の言葉も話せるんですか?」
倉田学:「英語、ドイツ語、ラテン語、ギリシア語、あと日本語もかなぁ」

木下彩:「すごいですねぇー。峰山さんもですか?」
倉田学:「アイツは欧米に留学してるから、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語もわかるんじゃないの」

木下彩:「へぇー、びっくりしました。なんかわたしの偏差値じゃついていけない世界です」
倉田学:「僕たちふたりは『変差値』だから」

峰山一樹:「そう僕たち『変差値』なんだよねぇー、学くん。それと僕はヘブライ語も・・・」

 そう言って一樹が突然、学たちの会話に割り込んできた。そして相変わらずイヤミな奴だなぁーと学は思った。学は内心、「ルックスも僕より良いのに、君のモテない理由はそこなんだよ」と言いたかったが、学もひとのことを言える立場じゃなかったので何も言わなかった。

 こんな変わり者の宴は、テーブルを囲んで始まった。この時、彩は異次元の世界に舞い降りてしまった感覚を覚えた。そして彩は、普段のカウンセリングの時とは違う学を目の当たりにしたのだ。この時、彩がどう思って学のことを観ていたのか学には分からない。しかし彩はおそらく、学の普段の素の姿が見れて、とても嬉しかったに違いない。こうして三人は中華料理を食べたのであった。すると彩は学に、先日のみずきとの映画の件について尋ねて来た。

木下彩:「倉田さん。いつ映画を観に行ったんですか? 『君の名は。』の映画どうでしたか?」
倉田学:「えぇーと、7月7日ですけど。映画はアニメです。面白かったですよ」

木下彩:「倉田さん。七夕の日に観に行ったんですね。映画『君の名は。』のアニメ、わたしも観たいと思ってるんです」
倉田学:「そうですか。それじゃあネタバレしないよう、内容は話さない方がいいですね」

 そこへすかさず一樹が割って入ってきた。

峰山一樹:「僕も、『君の名は。』の映画観たいと思ってたんです。奇遇ですね彩さん。もし良かったらご一緒に」

 こうして一樹が、また二人の会話に割り込んで来たのだ。学は一樹が彩をデートに誘っているのがバレバレだったので、気が気じゃなかった。しかしよくよく考えると、自分のこの気持ちが彩のことを好きだから気が気じゃないのか、ただ単に彩の心配をしているだけなのか、学自身まだ確証が持てなかったのである。だから学はこんな言葉を口にしてしまった。

倉田学:「僕は映画『君の名は。』をもう観ちゃったから、ふたりで観てくれば」

 学は自分でも不思議なくらいこんな言葉が出て来た。そしてある意味、彩の反応を試したのである。すると彩はすぐさまこう答えた。

木下彩:「倉田さん。わたし倉田さんと映画を観に行きたいです。駄目ですか?」
倉田学:「そんなこと全然ないです。観たい映画とかありますか?」

木下彩:「『君の名は。』」
峰山一樹:「アモール、六本木心中!」

 また訳のわからないことを一樹が突然言い出した。学にはこの一樹の言った意味が分かっていた。しかし知らない振りをして無視をし、他の話を彩にした。

倉田学:「彩さんも映画『君の名は。』を観たいんですね」
峰山一樹:「アモール、六本木心中!」

 再び一樹が同じ言葉を連呼した。彩は学と一樹に六本木心中のことを訊いて来た。

木下彩:「六本木心中って何ですか?」
倉田学:「僕にも良くわからないけど」

 学は知っていたがトボけた。すると一樹は待ってましたとばかりに学校の先生のように、金八先生を真似て二人に解説をし始めたのだ。

峰山一樹:「それでは学くん。先生は君のことをよーく知っています。君はテスト問題を白紙回答するタイプじゃなかったはずです。先生は何時も言ってますよねぇ。君はわからなくても『やってみろ』ってタイプです。つまり『君の名は。』マナブ。そして『僕の名は。』カズキ」

 こう一樹は金八先生を彷彿させながら、わざとらしく学に言った。それを聴いていた二人は呆気に取られ呆然とし、一樹の説明を聴いていたのだ。すると更に一樹は話の続きをし始めた。

峰山一樹:「では、お答えします。七夕の日、学くんはみずきママと六本木でデートをしました。ところで六本木心中と言う歌は、歌手のアン・ルイスの歌です。その歌の歌詞に注目してみてください。先生は重ね言葉を含ませたつもりです。気になったら歌詞を調べてみてください。以上、今日の宿題は終わり。金八先生からでした」

 この一連の一樹の説明に、彩の頭の中は「?」状態であった。学は一樹の余計な一言が、僕の立場をどんどん狭めて行くと思ったのである。一樹にしてみれば、学と彩が二人で仲良く話していることが気に食わなかった。彩が自分の映画の誘いを断り、学となら行きたいと言ったことに対して嫉妬していたからだ。だから一樹は二人の邪魔をするようなことを言ったのである。これは一樹なりの高等な嫌がらせであった。学は何とかこの嫌な流れを変えたかった。だから違う話を二人にし始めた。

倉田学:「いやー、一樹くん。一樹くんが教えてくれたこのお店の麻婆豆腐、辛くて美味しいねぇ。このお店、四川料理だよねぇ」
峰山一樹:「そうだけど、僕は何時もランチで食べに来るんだよね。そしてこのお店の麻婆チャーハンはオススメだよ」

倉田学:「彩さん。辛いの大丈夫だったかなぁ?」
木下彩:「わたしですか。わたし辛いのいけますよ」

倉田学:「そうなんだ良かった。一樹くん、いい店紹介してくれてありがとう」
峰山一樹:「僕はこう見えても味にはうるさい方だから」

 学は一樹に気を遣いつつこう言ったのだ。しかしこころの中で学は、こう呟いていた。

倉田学:「君は味にもうるさいけど、僕に対してはもっとうるさいよ」

 こう学は思いながら、三人は中華料理を「白龍門」というお店で食べ、帰ることとなったのである。学と一樹はもう一件、別のお店で飲むことにした。二人は彩が帰る駅まで送ることとなり、池袋駅の西武池袋線 改札前で彩と別れた。
 そこから二人はまた池袋駅東口の繁華街に行き、夜景を見下ろせるBarへとエレベーターで昇って行った。二人はお店の窓際のカウンターに腰掛けた。お店の中は、ヨーロッパのアンティークに囲まれたとてもお洒落で高級感あるお店であった。一樹は学にこう訊いてきたのだ。

峰山一樹:「ところで訊くの忘れてたけど、彩さんとはどう言う関係なのかな?」
倉田学:「それは一樹くんでも教えられないよ」

峰山一樹:「わかったよ。それなら今度俺、『銀座クラブSWEET』のみずきママに会いに行くから」
倉田学:「えぇー、それはちょっと」

峰山一樹:「じゃあ教えろよ」
倉田学:「実は、彩さんは僕のカウンセリングのクライエントで…」

峰山一樹:「学くん、それはまずいよ。職権乱用だよ」
倉田学:「もとはと言えば、君が誘えって言ったんじゃないか」

峰山一樹:「僕はてっきり君の知り合いかと。それに僕は君に、君のクライエントを誘えとは一言も」

 一樹の言ったことは、確かに間違っていない。学は池袋駅で彩と会った時、一樹に理由を話して断ることも出来た。しかし学は、そうしなかった。そのことに対し学にも責任があった。だから学は一樹にこう言ったのだ。

倉田学:「彩さんとの今日のことは秘密にしておいてくれないかなぁ」
峰山一樹:「わかったよ。その代わりと言ってはなんだが、今度俺を『銀座クラブ SWEET』に連れてってね。学くん」

 学は一樹からの返事に、こう答えるしか無かった。

倉田学:「わかったよ一樹くん」
峰山一樹:「ところで学くん。何で銀座クラブのママと知り合いなんだ?」

倉田学:「実はその、『銀座クラブ SWEET』に出張カウンセリングに行ってて」
峰山一樹:「だからこないだのLINEメッセージ、そのお店のスタッフの女の子からだったんだな」

倉田学:「そうだけど」
峰山一樹:「持つべきものは友だねぇ。君は何時か僕のキューピッドになると思っていたよ」

 すると学は、こう一樹に言った。

倉田学:「僕はお店には連れて行くけど、キューピッドにはならないからな。自己責任でお願いします」
峰山一樹:「わかった、わかったよ。ノープロブレムだよ」

 学は一樹が調子に乗っていると思ったので、一応は釘を刺して置いた。その後、二人は乾杯してシャンパンを飲んだ。こうして18歳以上に引き下げられてからの初めての国政選挙である「参議院議員通常選挙」の投開票日の夜は更けて行った。またこの日は一樹の35歳の誕生日でもあり、学は久しぶりに大学時代の頃を思い起こしていたのであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み