第1話

文字数 4,868文字

転校生がやってきた。
 目が少しきつい感じで、ほっそりしていて、髪の毛が茶色い女の子。初めに会った時は、なんか怖そうな子だなぁと思ってた。。
 その子は志穂ちゃんっていって、女の子なのに青いランドセルだから、みんなちょっと変な目で見ていた。このまえ由美ちゃんが、どうして青いランドセルなの?と聞いたら、
「赤やピンクは嫌いなの。」
て言ってた。やっぱりちょっと変な子だから、なかなか誰も話しかけに行かない。だからあの子はずっと、自分の席に座ってうつむいてた
 でも志穂ちゃんは、そんなに悪い子じゃない。図工の時間、外で絵を描いていたんだけど、ピンクの絵の具がなくなった。どうしようって困っていたら貸してくれたのが志穂ちゃんだった。でも桜の絵を描いててピンクをいっぱい使っちゃうから、志穂ちゃんの絵の具がなくなっちゃう。そしたら、
「ピンクは使わないから、それあげる。」
って言って、校庭の池の中の鯉を描きに行った。志穂ちゃん絵が苦手みたい。全然鯉には見えないちょっと怖い絵を描いていて、「おばけの絵をかいてる奴がいる」ってさとるくんたちがからかってた。でも志穂ちゃんは、何も言わない。ほんとは鯉を描きたくなかったのに、わたしに絵の具を貸したから桜が描けなかったのに。でも一言も言わないで、ずっと下を向いていた。
 志穂ちゃんは、悪い子じゃない。なんであのとき言えなかったんだろう。

「ねえ、いっしょにかえろう。」
 わたしは勇気を出して、帰りのホームルームが終わって話しかけてみた。志穂ちゃんは茶色い目をまんまるにしたけど、ちょっとたってから、いいよと言った。
 ふたりだけの帰り道。少し前を歩く志穂ちゃんのランドセルは青かった。なんでって聞いたら、決められている感じがするからって。意味が分からなかった。あと、一番嫌いな時間はプールの授業だって。やっぱり意味が分からない。
「前の学校でもそうだった。」
 志穂ちゃんがぽつりと言う。
「ランドセルが青いから、持ち物が可愛くないから、スカートを履かないから、変だよってみんな言う。男の子と遊んでると、もっと女の子らしくしなさいって言われる。好きなことをやると、変な目でみられるんだ。」
 わたしは、キラキラしたピンクの鉛筆とか、フリフリのついた洋服とかお母さんが買ってきてくれるのが大好き。男の子とサッカーをするよりお友達とおしゃべりしたりする方が好き。それなのに、志穂ちゃんは好きじゃないんだ。
「じゃ、志穂ちゃんは何が好きなの?」
 わたしが聞いてみると、志穂ちゃんは少し困ったような顔になった。
「変だと思われるから、言わない。」
「思わないよ。言って。」
「じつはね、怖い話が好きなの。」
「怖い話?」
「学校の七不思議とか、お化けの話。でも、そういう話すると、みんな気持ち悪いって言うから。」
「怖い話、わたしも大好き!」
 わたしはおばけとか不思議な話が好きで、お母さんにねだって本をかってもらったりしていた。本を読んだ日の夜は、お母さんにトイレまでついていってもらってる。わたしがそう言うと、志穂ちゃんは驚いたような顔になって、今度はにっこりと笑った。
 その日から、志穂ちゃんとは毎日いっしょに帰ってる。
 うちの学校の七不思議で、夜になると体育館のボールがひとりでにぽんぽん跳ねているとか、たまに変な放送が入ってそれを聞いた人は呪われるとか。志穂ちゃんと話をするのは楽しくて、休み時間も怖い話ばかりしていた。
「なになに?何の話?」
 由美ちゃんやさと子ちゃんが加わって、そのうち男子のゆうじくんやたかあきくんも加わって、じゃあ今度放課後肝試しをしようって約束した。肝試しをするころには、志穂ちゃんをからかっていたさとるくんたちも加わってた。
 志穂ちゃんは、明るい子になっていた。もう誰も、ランドセルが青いことをばかにしていない。
 
 六年生になると、女子の間でこっくりさんをするのが流行っていた。誰々ちゃんは誰のことが好きですか?何歳で結婚しますか?初体験はいつですか?と、こっくりさんに聞く内容もだんだん変わっていった。
 志穂は、こっくりさんには興味がないみたいで、やろうとはしなかった。女子たちで話をしているときもあまり喋らないし、声も小さくて低くなった。
「どうしてみんな、男の子の話ばかりするんだろう。」
 帰り道、最近元気がないねとわたしが言ったら志穂が答えた。
「あんまりおもしろくなくて。」
 わたしも、恋愛とか結婚なんてイメージできないし、あまり楽しいと思っていなかった。でも、つまらないって言うとみんなに変だと思われるから黙っていた。
「私、このままだとずっとつまらない人生なんだと思う。」
「何言ってるの?」
「なんとなく、やっぱり自分は変なんだと思う。」
 将来わたしは絵描きになりたいって思っているけど、本当になれるかな。そんなふうに不安になることはある。だけど人生っていう言葉は、それよりもっと重いような気がする。
「志穂は将来の夢はあるの?」
「わからない。あまり考えないようにしてる。それに、どんなに頑張ってもどうしようもならないことってあるじゃん。」
「そうなのかなぁ。」
「じゃあ、自分はなんで女子なんだろうって考えたことない?そんなの、自分で決めたことじゃない。生まれてきて女の子だったから、赤とかピンクのランドセルじゃなきゃだめって、誰が決めたんだろう。」
 そう言って志穂は家の方向に歩いて行った。なんだか今日の志穂は様子がおかしかったな。でもまあいいや。明日は、今年になって初めてのプールの授業がある。

 わたしはうきうきしていた。志穂に更衣室へ行こうと声をかけたら、「今日は見学」と短く返された。
 誰々ちゃんおっぱい大きいとか、太ったから水着になりたくないとか、にぎやかな更衣室を出て大好きなプールの匂いを嗅ぐ。プールサイドには志穂が体育座りをしていて、わたしに気付くと無表情のまま手を振ってきた。
「あれ、あいつなんで着替えてないの。」
 海パン一丁のさとると子分たちが、志穂を指差す。
「おい、なんでプール入らないの。なんで?」
 志穂は顔を真っ赤にして膝を抱えてた。
「志穂ちゃん、生理なんじゃない?」
「うそー、意外。」
 周りの女子たちもひそひそと話し始めたから、わたしはさとるにやめてと叫んだ。
「うるせえだまれ、ブス。」
 さとるが冷たく言い放つ。
「なあお前どうしてプール休んでるの。まさか生理じゃないよな。お前みてーなのが生理になるわけないよな。どーなんだよ。」
「こいつまじで生理なんじゃねーの。」
「は?こいつ生理になるの?」
 次の瞬間、さとるはすごい音と水しぶきを立てて、プールに落っこちた。志穂は半泣きで、プールサイドに立っていて、女子たちの悲鳴が響いている。さとるは真っ赤になった顔を出した。
「何すんだよこの男女!!」
 そのとき、ピーピーと笛の音が鳴って、先生が息を切らし走ってきた。そしてなにも知らないくせに、志穂のことを怒鳴りつけてた。わたしは、さとるにも先生にも、志穂を助けられなかった自分にも腹が立っていた。
 志穂とはあの日から一緒に帰らなくなった。わたしが声をかける前に帰ってしまうようになった。きっと、プールの時間に助けてあげなかったことを怒っているんだと思う。

 卒業式は眠かった。みんなとは中学校に行けば会えるし、全然さみしくない。だけど、志穂とは今日でさよならになる。お父さんの仕事の都合で千葉に行くんだって、先生が言ってた。
 教室で泣いている女子たちがいる。多分卒業式の雰囲気で泣きたくなったんだろうな。でも寂しがることなんてないのに。みんな四月になれば会えるけど、志穂には会えなくなるのに、誰も声をかけない。プールにさとるを突き落とした日から、みんな志穂を怖がっている。
 最後にもう一度だけ話をしたいな。だけど、わたしのことはもう嫌いなんだろうな。青いランドセルはもう教室にはないから、まだみんながさわいでいる教室を一人で出た。
 廊下をとぼとぼ歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。振り返ると志穂が、はあはあ言いながら走ってきた。
「ねえ、いっしょに、かえろう。」
 息を切らしながら、やっとのことで志穂は言う。わたしは嬉しくなって、うんと答えた。
 久しぶりの二人だけの帰り道は、まだ息が白くなるくらいに寒かった。何か月も話をしていなかったから、何を話していいのかわからない。たぶん志穂もそう思っていたみたくて、二人ともしばらく黙っていた。すごく居心地が悪くて、何か話さなきゃと思った。
「あのさ。」
 二人が同時に言った「あのさ」。それが面白くてわたしは笑った。そしたら志穂も笑った。
「志穂から言って。」
「別にたいした話じゃないよ。」
志穂の声は、こんなにかすれて低かったのかな。
「私さ。さとるに男女って言われて考えたんだ。自分ってどっちなんだろうって。もし自分が男子で生まれてきてたら、どうだったんだろうって。」
「うんうん。」
「あんまり、自分が女子って思ってなくて。生理なんて、ひとごとだと思ってた。だからきたとき、ほんとにショックだった。」
「だから、あのときさとるを突き落したんだね。」
「このまま、保健体育で習ったように、「女性らしい丸みを帯びた身体」になっていくことや、男子と力の差ができていくことがすごく嫌だ。この高い女の声も嫌だ。男の人と付き合って、結婚して、子どもを産んで。女として生きていくって、考えるだけでこわい。」
 志穂は静かに、ほんとに静かに言った。だけど、なぜか叫んでいるように聞こえた。
「ごめん、難しくてなんて言っていいかわからないけど、わたしは別にどっちでもいいよ。志穂が女子だから友達はわけじゃないし。男子だからって友達じゃないわけじゃない。」
 志穂は黙っていた。わたしは心からそう思っていたし、あとはなにも言えることはない。たぶん、今すぐ解決できることじゃないんだ。
「だから転校するってこと、もっと早く教えてほしかったよ。」
「ごめん。」
 分かれ道が近づいてきた。わたしは志穂に、自宅の住所と電話番号を書いたメモを渡した。
「千葉から手紙送ってね。住所を書いて。」
 志穂は黙ったまま受け取らない。
「じゃあ、自分がどうやって生きていくか、決めてからでいいから。」
 しばらく迷っていたようだけど、わかったと小さく言って受け取ってくれた。
「じゃあまたね。志穂元気でね。」
「うん。」
 志穂は自分の家の方向に何歩か進んだけど、すぐにくるっと振り返った。
「初めて一緒に帰った日。いっしょにかえろうって言ってくれたあの日。すごく嬉しかった。今まで誰にも言われたことなかったから。」
 そう言って、またくるっと向きを変えて早足で歩いて行った。
 わたしだって、ピンクの絵の具を貸してくれたときはほんとに嬉しかった。怖い話や不思議な話、すごく楽しかった。でもそのあいだも、ずっと志穂は悩んでたこと、これからも悩んでいくこと、全然知らなかったよ。
 青いランドセルがだんだんと遠ざかっていく。

 隣の席からの咳払いで目が覚めた。首の左側が痛くて、無理な体制で寝てしまったことを後悔する。咳払いの主の中年男性の組んだ足先が、足元に置いたわたしのバッグ付いている。どうも、公共の乗り物は苦手だ。
あくびをしてから、ペットボトルのお茶を口に含む。ずいぶんと昔のことを夢にみたものだ。忘れていたはずの帰り道の情景やら、茶色い瞳と髪の志穂の顔やら、いやに鮮明な夢だった。わたしはバッグの中から、白い便箋を取り出す。
 あれから十八年になる。あの時絵描きになりたかったわたしは、小さなクリニックの事務員になった。本当になりたくてなったわけじゃないし、嫌なこともたくさんある。それでも、たまには仲間と飲みに行ったりして、なんとか元気にやってる。
 話したいことが山ほどあるよ。だってこの手紙をくれた相手は、どこにいても、どんな道を選んでも、わたしの大事な友達。
 新幹線のアナウンスが、千葉が近いことを知らせている。
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