第1話

文字数 1,838文字

「君は天使を信じるかい?」

 少女と見間違うかのような顔立ちに透明な白い肌、そして淡い栗毛のようなさらりとした髪の”天野臨也《あまのいざや》”は、不意に隣の席の僕にそんな問いかけをした。
「天使?」
一瞬何を聞かれたのか分からなかったので、きっと少し間抜けな顔をしていただろう。
「そう、天使」
臨也は深く濃い黒い瞳で僕を見つめ、再度”天使”と口にした。
「天使、そりゃ想像上のモノとしては知っているけど……」
僕は左手を顎先に沿えて答える。

 教室には自分と臨也の二人しかいないとは言え、急に何を真剣な表情で問うのか少し困惑した。
臨也は少し前に転校して来たばかりでまだ期間は短いが、自分が隣の席だったので学校のことや、この町”御影町(みかげ)”のことを教えたりと会話したり隣で一緒の時間を過ごす中で、彼があまり冗談を言う性格ではないことは分かっている。

「天使はね、本当に居るんだよ」
臨也はなおも続ける。
「今夜見に来ない?」
その問いにハッとした瞬間、教室の窓から風が吹き込み、桜の花びらを運びながら薄黄色のカーテンを揺らした。

 その日はもうどうやって学校から帰って来たかあまり覚えていない。
恐らく臨也の言葉に怖い物見たさのような好奇心と、同時に恐怖心をくすぐられ、心が大きく揺れたからだと思う。

――夜22時頃に来て――との臨也との約束が頭にこびりついて離れず過ごしていたので、晩御飯を食べてるときに両親にそれを悟られないように振る舞うのが大変だった。
食事もそこそこにお風呂に入り、いつも通り自室に戻った僕は、ベッドで仰向けになり天井を眺めながら枕元の目覚まし時計が刻む音と共にその時が来るのを静かに待った。

――夜22時――
約束の時間になったので、ベッドから起き出てそっと部屋のドアを開ける。
そのまま廊下の右奥にある両親の部屋の様子を伺うが、話し声なども聞こえなかった。
意を決して自分の部屋の前にある1階に降りる階段を、1歩1歩足音を立てないように降りていく。階段の途中から玄関に繋がる廊下横のリビングでは電気が点いていないことを確認し、玄関からそっと家を出た。

 春になろうかというのにまだ夜はひんやりとした風が肌を撫でていく。
自転車を漕いで熱くなった身体にはそれが丁度気持ち良い。
自宅から町はずれの森に囲まれた臨也の家までの20分間を、僕は罪悪感や恐怖心、好奇心と共に夢中で自転車を漕いだ。

――天野宅――
 町はずれの大きく深い森に囲まれた道路を走っていくと、開けた場所に1件の洋館が建っていた。2階建ての洋館はところどころツタで覆われていて、洋館の横にあるガレージは扉が開いたまま朽ちた自動車が置いてあった。本当に人が住んでいるのか疑問に思いつつも僕は玄関の扉の前に行き、自転車を降りた。
チカチカと玄関の柱の電灯が瞬いていて、小さな羽虫がその周りを飛んでるのを見た僕は、ゴクッと喉を鳴らしながらドアノッカーで扉を叩いた。

 2回ほど鳴らしたところで扉が開き、臨也が迎えてくれた。

「やぁ、時間通りだね。いらっしゃい。どうぞ入って」
促さるままに入る。
「おじゃまします」
怯えているのが伝わったのか、臨也はクスっと微笑んだ。
和ましてくれようとしたのか、この館は代々天野家の所有していたが、臨也の父親が若い頃に家を出たけど少し前に戻ってきたのだと教えてくれた。

「さぁ、天使は地下に居るんだ。行こう」
臨也と僕は屋敷の奥に進み、広い屋敷を歩き回り、ある廊下の突き当りの扉の前まで来た。
その扉を臨也がカギを使って開けると、その向こうにはどこまでも続きそうなくらい長く、暗い階段が現れた。
臨也が壁のスイッチを操作し、階段の両壁の電灯がか細い灯りをともした。
そのまま臨也に続いて階段を下りていく。

「ここだよ」
階段を降り切ったところにある扉を臨也がゆっくりと開ける。
少しの埃を舞わせながらギギギと鳴る扉を開けると、そこは薄暗い地下室になっていた。
その地下室の奥、そこには薄緑色の光を放つ大きなガラスの容器のような物があった。
そして、その中には1人の天使が居た……

いや天使だったというべきか、その天使は既に生きてはいないのだから……

ガラスの容器の中を満たす液体の中に、天使が入っている。
その表情は悲しそうな泣きそうな顔をしていて、何かを言おうとしているかのように小さな口が開かれていた。
「こ……これって……」
震える声で僕は臨也に尋ねる。
「そう、これが天使だよ。綺麗だろ」
臨也はうっとりとした表情で天使の入ったガラス容器を撫でた。








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