第1話

文字数 1,429文字

いつもの改札を通り、いつもの電車に乗る私はいつもの席に座る。
7時25分発の電車だ。最初の駅であり、そこまで大きく無い駅であるため、いつも同じ席に座ることができる。そして私はいつも通り家から持ってきた新聞を一面から読み始める。
すると、私の斜め前の席に20代前後のカップルが慌ただしく座った。すぐにドアが閉まる。
「セーフ!!」「暑いよー!!」
この車両全体に響くような大音量で報告してくれた。少し不愉快である。
この車両には良いのか悪いのか私とカップル以外には存在しない。それにも何かしらの不愉快さが込み上げてしまう。なぜこの車両に、、、と。
男の方は茶髪でピアスを右耳にだけ付けている、いかにも大学で羽目を外しはじめたような軽薄さ丸出しの外見、いや顔もヘラヘラしている。減点である。イライラがまた少し蓄積する。
一方で女性の方は黒髪の長髪で伏目がちな一見気の弱そうな風貌である。先程の大声をあげた女性とは思えない。しかし、あの大声での会話以降、二人とも黙ったままである。男の方はスマホを見ながらなにやらニヤニヤしている。女性の方は伏目がちな目を向かいの座席の下に固定して動く気配がない。二人ともこれから帰宅だろうか。私の住んでいる街は大きく無いとはいえ、駅の周りには居酒屋やカラオケ、バーなどもある。一方、次の駅は無人駅である。もちろん何も無い。田んぼが一面に広がる駅だ。昨日から二人で駅の居酒屋やバーでお世話になり、先程の電車で家路に着くのだろうかなどと考えていると、例の無人駅に電車が止まった。私は新聞に目を通すフリをしながらカップルの動向を観察していると、男の方が女性の方に一瞥してそのまま無言で無人駅に消えていった。カップルでは無いのだろうか。男の姿はすでに見えず、電車は何事もなかったように次の駅へと向かっていく。女性の方は動かない。私の注意もすでにその女性から新聞の内容へと戻ろうとしたその時。鼻を啜る音が聞こえ、その方向へ目をやると女性がシクシクと泣き始めたのである。なるほど。ここで私は自分でこのカップルと思しき二人の異性の1日を推察してみた。無論、間違っている可能性も大いにあり得る。答えは明確であろう。別れたということだ。男の方から別れを切り出し、男が電車から降りると何かしらの気持ちが湧いてきたのだろう。あんな男と別れても涙が出るのが不思議でたまらない。もちろん、あんな容貌をしている男が優しく、気の利く男である可能性もあるか。女性は涙を拭うこともせず、ただただ涙を流している。無益な涙であることを早く理解して、次に進んでほしいが。私は声をかけようとも思わないが、新聞に集中することもできず、次の駅で人が入ってくるのを切望していた。いつもは短く感じる次の駅がやっと目前に迫った時、ぬっくと女性が立ち上がり、伏目がちな目のままドアの前までのそりのそりと歩いていった。私は何が背中を押したのか分からぬまま、ドアが開く前に「お嬢さん。涙を拭いなさい。」と女性の背中に出来るだけ優しい声音で語りかけていた。ビクッと身震いしたかと思う間もなく、人がいたことを今気づいたという顔をしてこちらを向いた。それだけであった。すぐにドアが開き、この車両から早く抜け出したいとばかりに一度もこちらに振り返ることもなく呆気ないままにドアが閉まる。すぐに電車が動き出し、彼女の横顔をそっと窓越しに見たが、表情は分からなかった。
そして私は新聞に目を戻し、日がな一日を過ごす。
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