真知子

文字数 1,990文字

『仕事が立て込んでいて、
 時間が取れそうにないの。
 ごめん、また連絡するね』


 そう送信して、深いため息をつく私。

 メールの送り主は、かつての同僚で親友の真知子。彼女とは好みや趣味が合うことから仲良くなり、お互いの結婚式では友人代表でスピーチもし、退職後も頻繁に連絡を取り合い、家族ぐるみで親しく交流する間柄でした。

 仕事上の愚痴や、婚家でのトラブル、その他諸々、いちいち説明せずとも即座に理解・共感出来るほど、プライベートな事情まで熟知している私たちは、強い信頼関係で結ばれていたと思います。


     ***


 ある日、私の夫、仁志の浮気が発覚。寝耳に水のことで、謝罪を受けたものの、どうしたら良いのか分からず、藁にも縋る思いで真知子に打ち明けると、


「そっか、大変だったね、美羽」

「信じてたのに、こんなふうに裏切られるなんて、惨め過ぎて…。このことは、誰にも言わないで欲しいの」

「分かった。大丈夫、私がいるから」


 静かな口調でそう答え、優しく気遣う言葉に救われた私。真知子がいてくれて、本当によかった、と。


     ***


 後日、私を心配して、わざわざ我が家を訪れてくれた真知子。その後どうなったのか訊かれ、まだ結論を出せずにいると答えると、


「そうなんだ。私たちも心配してて、駿くん(真知子の夫)が言うにはね、仁志くんもほんの出来心だったんじゃないかって」


 一瞬、頭の中がフリーズし、


「…え? 駿くんが何で…?」

「駿くんも、ふたりのことすごく心配してるんだよ」

「このことは誰にも言わないでって、お願いしたよね?」


 すると、真知子はあっけらかんと答えたのです。


「大丈夫だよ。駿くん口が堅いし、誰にも話したりしないから」


 返す言葉が見つからない私に、悪びれる様子もなく、夫婦でディスカッションした内容をつらつらと話し続ける真知子。

 百歩譲って、夫婦間で話題にすること自体は暗黙の了解として、そこを責める気はありませんが、私から駿の意見を求めたり、駿が伝えて欲しいと切望した訳でもないのに、『夫の浮気』という繊細な問題に対し、あまりにもデリカシーに欠けるというもの。

 例えるなら、公共のプールの中でおしっこをする人がいると頭では分かっていても、まさかの飛び込み台の上から放尿する現場に遭遇したような衝撃でした。

 悪気なく話す真知子からは、駿との盤石の信頼関係が垣間見え、それ故に、サレ妻となり、夫婦関係が崩壊している私とはあまりにも対照的で、輪を掛けて惨めな気持ちになりました。


     ***


 そもそも仁志の浮気が発覚したのは、接待と偽り朝帰りをし、泥酔状態でソファーで寝ていた彼の携帯に、明らかに女性と分かる『今日は楽しかった♥』という着信を、偶々通りかかった私が目にしたことから。

 気が動転して、寝ていた仁志を叩き起こし、きつく追及した私に対し、逆ギレして開き直る態度に、激しい口論に発展。挙句、彼の口から放たれたのは『お前なんかより、相手のほうが女としてずっと上だ』という受け入れ難い言葉でした。

 妻として、女性として、そこまで侮辱された以上、一緒にはいられないと離婚を決意したのですが、翌日になり、女性とはキャバクラで知り合って数回遊んだだけで、激昂されてカッとなり、酔っていたので心にもないことを言ってしまったと謝罪され、何とか離婚だけは思いとどまってほしいと懇願されたのです。

 でも、『心にもないこと』というのは、違うと思う私。むしろ人の本音は、理性が欠如している時のほうが、ポロっと出ることを知っているから。

 夫には浮気をされた上に、逆ギレして人格まで深く傷つけられ、信頼して打ち明けた親友からは、あまりにも無神経な仕打ち。いったい私が彼らに何をしたというのか? 人を信じることがトラウマになるほどのダメージを受けた出来事でした。


     ***


 その後、苦渋の決断で仁志との再構築を選択。私たちは夫婦で会社を経営しており、どちらか片方が欠けても成立しないため、あくまでビジネスを優先した形でしたが、一度崩れた信頼は元には戻らず、仮面夫婦を続けています。

 一方、真知子に相談したことは今でも後悔していて、彼女の声を聞くと、一連の出来事がフラッシュバックして、仁志から受けた屈辱に涙が止まらず、いっそ、親友だった真知子に関する記憶を失えば楽になれるのに、それも叶わず。

 この『混ぜるな危険』の如く化学反応から身を護るべく、真知子には再構築する旨と、心配を掛けた謝罪のみを伝えると、それ以降、彼女とは距離を置くことにしたのです。

 今も真知子からはお誘いの連絡が来ますが、電話には出ず、返信はメールのみ。下手にブロックして、返信がないことを心配し、悪気なく自宅まで押し掛けられることを避けるため、今日もまた、当り障りのない返信をする私。

 やがて、真知子が愛想を尽かすその日まで…

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