第1話

文字数 8,461文字

 私はその男の写真を三枚持っている。
 一枚はビキニ姿でボンキュボンの…おっとこれは私のコレクションだった。やり直し。
 私はその男の写真を三枚持っている。
 一枚目は小学生ぐらいであろうか、大勢の女性に囲まれていた。男の顔はニヤケており、美醜を解さぬ人でも「いやらしいガキやなあ」と腹の中で思ってしまうであろう。
 二枚目は大学時代であろうか、顔はイケメンだが恐ろしくキザに変貌しており、渋面をしているが俺は女にモテるんだぜい、と顔に書いてあるようだった。ここまでいやらしくキザったらしい顔は今まで見たことが無かった。
 三枚目は最も奇怪なもので年齢性別不詳、さらには全裸だった。見ているとイライラして破り捨て唾を吐き足でぐりぐりと潰してしまいたくなる。まあ実際にそうしてしまったが。

  第一の手記
 恥の多い生涯を送ってきました。
 しかし実は、その『恥ずかしい』ということに得も言われぬ快感を知らず知らず覚えていたのです。
 自分には人間の生活というものが全く理解できませんでした。
 なぜ「服」を着るのだろう、裸になれば楽なのに、と幼少のころずっと思っていました。猫も犬も動物は服を着ません。だから服は単なる装飾だと思っていましたが、案外実用品だとわかり衝撃を受けました。
 自分は生来「お道化」が好きで、よく兄妹や使用人を笑わせていましたが、一番ウケたのは「裸になる」ことでした。
 特に女性の前で裸になり「ゾウさんだよ~」とすると、「妖ちゃん(自分の名は妖二といいます)やだあ」と笑いながら目を手で隠しますが、実際は指の間からゾウさんをしっかり見ていたのです。
 自分が「パオーン」と言いながら追いかけるとキャッキャ言いながら逃げますが、わざと捕まり、自分のゾウさんをしっかり触ったり、中にはサッと口に咥える女性もいました。
 自分は、多少恥ずかしくはありましたが、その頃は人が笑ってくれた、ということに満足感を得ていると思っていたのです。
 しかし、皆が笑っている中で、一人だけ蔑みの眼で自分を見ていた使用人の女性がいました。その眼を見た瞬間、自分の中で「ゾクッ」っとする妙な感覚があったのです。実に不思議な感覚でした。
 その日の夜、自分はあの眼つきに囲まれている夢を見ました。そして明くる朝、気が付くと初めて夢精をしていました。あれが全ての始まりだったかも知れません。
 それから自分はあの女性が一人になった時に、おもむろにゾウさんを見せました。やはりあの眼つきをしました。
 女性は身じろぎもせず見ていましたが、やがて自分に唾を吐きつけ立ち去りました。自分は恥ずかしさのあまりその場に立ち尽くしていました。が、またあの妙な感覚に、いえ、それ以上の快感と言えるものを認識しました。
 翌日、自分が部屋で一人勉強している時に、あの使用人の女が入ってきました。掃除をするわけでもなく、ただ自分を見つめているのです。あの蔑みの眼で。
 そして自分に近づき耳元で「今日は出さないのか」と囁きました。自分は恥ずかしさで首まで赤くなりましたが、その心とは裏腹に立ち上がり、ズボンを脱ぎました。そして女は私が出した途端、ゾウさんに唾を吐きつけたのです。
 女との奇妙な関係は、女が二年後に使用人を辞めるまで続きました。そして風の便りに女が女王様になったと聞きました。自分が女王様の本当の意味を知ったのは大分後の事でしたが。
 どうやらこの体験が、自分の性癖をその種の人間に嗅ぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになった気もするのです。

 第二の手記
 自分は生まれ故郷の田舎を離れ、東北の、ある大きな街の高校に入学しました。
 その高校は所謂「進学校」と言われるところで、ろくな勉強もしていなかった自分がよくも入れたものでした。
 そして、この土地にある親戚の家に間借りし、高校に通ったのです。
 自分は、高校では例のお道化は少し控えめにし、キザなS男性を演じました。自分の顔は、使用人たちに「ニヤついていなかったら綺麗な顔立ち」と言われていたので、クラスでは「イケメンS系」としてよく女性にモテました。
 そして、イケメンSがたまに道化をすると、さらにモテる、ということを学びました。
 こうして、故郷を離れ、高校でもてはやされていましたが、正直、いつ自分のあの性癖がバレるかと思いヒヤヒヤしていました。
 しかし、一年が過ぎ、もはや自分の正体を隠ぺいし得たのではとほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。
 そして、こういう奴はご多分に漏れず「ドS女子」なのです。
 放課後、女子生徒を侍らせ、いつもようにSキャラを演じながら、時々お道化を言って喜ばせていました。
 そこに、あの女生徒が来たのです。クラスであまり目立たず、少し暗い目をした、そしてよく見れば目が切れ長の美人。竹子という名でした。
 竹子は自分たちから少し離れた場所で読書をしていましたが、自分の取り巻きの女子が、「竹子もこっちに来なよ」と言いました。自分はあんな暗い女はこちらに来るまいと思っていたのですが、案に反しこちらに来たのです。
 そして、竹子は自分の前辺りに大人しく座ったのですが、その眼は、かつてあの使用人の女がした蔑みの眼でした。自分はその眼に見つめられながらSと道化を演じ、背中に冷や汗を流していました。
 やっと皆が帰ったあと、自分は椅子から暫く立ち上がれずぐったりとしていました。何とか立ち上がり、辺りを見回すと、誰もいなかったはずの教室にいつの間にか竹子が立っていました。あの眼で。竹子は自分に近寄り、耳元で囁きました。
 「嘘S…ドMのくせに…」
 その瞬間、自分は忘れかけていた高揚感に包まれました。
 「やっぱり…ついてきなさい」
 竹子が自分に命令したので、黙ってその後を歩きました。そして着いた先は、彼女の家でした。
 竹子に部屋の中に引きずり込まれたあと、何をされたかはあまり覚えていません。ただ一つ言えるのは、自分は竹子の奴隷となっていたということです。
 竹子は自分がドMだということを決して他の生徒たちに言わなかったので、自分の学校生活は基本的に今まで通りでした。
 ですが、放課後、必ず竹子の家に行くことが日課に加わりました。これは自分が好きで行っていた訳ではありません。竹子の命令ですから仕方なかったのです。
 竹子は自分に毎日日記を書けと命令しました。竹子に何をされたか、何をしたのか、克明に書かされました。
 竹子の家に行って最初にされることは、この日記の点検でした。竹子は満足そうな顔(というより舌なめずりしている獣のような顔でした)で読みました。
 この時竹子は二つの予言をしました。お前のこれからの人生は、ありとあらゆるドSに見つかり、ご褒美を貰えること、そして、お前は偉い物書きになれるという事でした。
 この二つの予言をドSの竹子によって額に刻印せられて、やがて、自分は逃げるように大学生活を送るため東京に出てきました。
 大学は、高校の時と同じく、よくこんなところに入れたなあというぐらいの国立大学で、学部の仲間や、サークルの人たちはとても上品でした。
 自分は高校の時とは違い、お道化はしませんでした。むしろ若干顔をしかめていたかもしれません。
それは、東北出身なのでお国訛りを気にしてのあまり喋らなかったことと、もちろん例の竹子の予言のせいもありました。
 しかし、その寡黙なイケメンという姿が、更にキザさを増幅させ、また、女性に惚れられるという循環になりましたが、一年経過しても竹子の予言は当たりませんでした。
 だんだんと訛りが取れ、東京生活と大学にも慣れてくると、自分のお道化の虫がむくむくと湧き上がってきました。
 竹子の予言がもう当たらぬと思い、お道化を交えながら都会の夜の街を大学の仲間と謳歌していました。
 しかし、予言はやはり当たってしまったのです。偉い物書きになる、ではない方が。
 その日、新宿の夜街を大学仲間と遊んでいた自分は一人はぐれてしまいました。
 自分は酔うと物事が億劫になる質で、仲間を探すことを早々に諦め帰ろうとしました。しかし、目の前に今まで避けていた場所があったのです。あの魔窟、歌舞伎町センター街が。
 自分は誘われるように街中を進んでいきました。気が付けば辺りはいかがわしい看板で一色です。
 魔窟に入った以上仕方ありません。ここは穏便に済ませようと思い、異様な動悸を押さえ、なるべく安そうで良心的そうな店を物色しました。
 しかし、客引きからすれば、キョロキョロと街を歩いていれば完全にカモにしか見えないでしょう。あらゆる客引きに引っ張られ、腕がちぎれそうになった時、かなりの大男が現れ、無言で自分の肩を抱くと近くの店に連れ込みました。
 「大変だったねえ、大丈夫?」
 大男は体に似合わない猫なで声で自分に話しかけ、カウンターに座らせました。
 「ここは危ない街だから気をつけないとね」
 自分の前にはホットウイスキーが出されました。どうしたものかと戸惑っていると、大男がいかにも善人面で、
 「大丈夫、ぼったくりじゃないから。ある人に貴方を助けてあげなさいって言われたの」
と言いました。
 いったい誰だろう、仲間が見つけてくれたのだろうか、自分はそんなことを考えながらホットウイスキーを口にしました。
 暖かいウイスキーは自分の心ふんわりと溶かしていきました。そのまま心地よい酔いを楽しんでいると、店の奥の部屋から聞き覚えがある声が聞こえました。
 大男は少しニヤケて、自分の耳に囁きました。
 「あの声の方よ。貴方を助けなさいって言ったのは。ねえ、妖二ちゃん」
 自分の身体が総毛だったのはその時です。なぜ自分の名前を知っているのか、ドアの向こうは…。
「待たせたわね。今客が帰ったから。入りなさい」
 ドアが開き、そこにはボンテージ姿の女性が立っていました。これは、もしかして…。
 「愚図愚図しないで、早く!」
 自分は尻を叩かれた馬のようにドアの中へ飛び込んでいきました。そして女王様はゆっくりドアを閉めました。
 その後、自分は一晩中、女王様に可愛がっていただきました。また明日も来るようにとの言葉にも涙を流して頷き、自分は夜が明けた新宿歌舞伎町を後にしたのです。
 下宿に帰りひと眠りすると、自分の胸には昨夜の悔恨と快感が渦巻きました。
 まさか、あの使用人が歌舞伎町で「女王様」になっていようとは。
 彼女は自分を助けた訳では無いのです。また嗜虐用のペットにするためなのです。なんで新宿に、センター街などに行ってしまったのか、やはり自分には心に巣食う悪魔がいるのでしょうか?あれほど魔窟には近づかなかったのに。
 今日は絶対行かない、そう心に言い聞かせているのですが、昨夜の事を思うと身体が熱くなってくるのです。
 そしてやはり、自分はあの店に来てしまいました。ドアを開けると大男(名前は堀林と言っていました)がニヤケて顎であの部屋を示しました。私はしょぼくれた犬のようにトボトボと中に入りました。
 喚起の入り混じった怯えと、何らかの期待に自分は震えていました。
 恥ずかしい格好にされ、嬲られ、すべてが終わった時に自分は失神しました。
 気が付くと自分はベッドに寝かされていました。うつ伏せに、そして手足を広げた状態で縛られていました。
 暫くすると大男の堀林が顔を出しました。
 「気が付いたみたいね」
 「はい…、でも、これは…?」
 「女王様がね、私にお裾分けだって」
 自分は堀林に無理やり接吻をされました。
 「もうわかってると思うけど、私はゲイ…、そしてSなのよ、どういう意味か分かるわよね」
 堀林は自分にのしかかり、尻を弄り始めました。
  「初めてみたいね、美味しそう…」
 そして、いきなり挿入されました。その激痛…、言葉にできません。暴れて逃れようにも縛られています。自分はいつしか抵抗を止めました。そして自分から受け入れていました。
 堀林の臭い息が首の後ろから漂っています。
 堀林は急に動きを止めました。そして耳元で囁いたのです。
 「もう止める?それともして欲しい?」
 止めてくれ…そう言ったつもりでした。しかし口から出た言葉は違いました。
 「して…下さい…」
 こうして自分は二晩監禁され、堀林の玩具にもなりました。
 もう自分は限界です。センター街に夜な夜な向かい、そして誰にも声を掛けずとも、むこうから、Sから寄ってくるのです。毎晩違うSに責められました。
 ある日、いつものようにSに責められていましたが、そのSはひどく暴力的なSでした。自分を殴り、蹴り、そして、その最中に首を絞めるのでした。
 そして、自分も絞めてくれというのです。自分は相手と首の絞めあいをしながら交わり、そして気を失いました。
 ぼーっとした頭で意識がゆっくり戻ってくると、そこはひどく寒々とした空気で、目を開けて見れると、白い壁に囲まれた部屋の中にいました。
 その部屋には警官姿の人がいて自分を見張っているようでした。警官は自分が目覚めた事に気が付くと、どこかに電話をしました。
 暫くすると部屋の扉が開き、私服の男が二人と白衣の医者らしき人が来て、自分に話しかけました。
 「気が付いたか?動けるか?」
 「はい…」
 「話を聞ける状態ですか?」
 私服が白衣に問いかけました。白衣は自分の胸に聴診器を当て、その後、目の中を見ました。
 「ちょっと衰弱していますが30分ぐらいなら大丈夫でしょう」
 白衣が応えると、私服が白衣と警官姿に部屋から出るよう言い、自分の方を向きました。
 「君の名前は言えるかい?」
 「…大場妖二です」
 「なぜこんなところにいるのか分かるかな?」
 「…いえ、全然わかりません」
 「君は昨日の事を覚えているかな?」
 自分は、確か、あの暴力Sと首を絞めあいながら…、
 「相手の男は…死んだよ。気持ちよさそうな顔でね。なぜ、あんなことをしたんだ?」
 「どうしてと言われても…そうしてくれと言われたので…」
 「君はゲイなのかね?」
 「いえ…違います…、ドMなんです…」
 「男女お構いなしかね」
 「はい…」
 私服はチッと舌打ちをして、小声で「この変態が」と言いました。自分は顔を赤くして下を向いていましたが、こういう時ですら、この罵倒で感じてしまうのですから確かに変態です。
 私服は自分に向かって、起訴の可能性もあるが恐らく起訴猶予になるだろう、誰か身元保証人を呼びなさい、と言ったので、とりあえず東京に居る親戚に連絡しました。
 自分は暫く保護観察ということで親戚の家に軟禁状態になりました。シチュエーション的には有りなのですが、さすがにあまり長く刺激すらないと苦痛になってきます。
 こうなるとあの私服刑事が懐かしく、また尋問を、出来れば拷問をしてもらえまいかとあらぬ妄想までしていました。
 結局、自分は心神耗弱で起訴猶予となりましたが、このまま保護観察が続くようです。親戚は自分たちが面倒を見ることが嫌になったらしく、千葉の海沿いにある一軒家、自分の親の持ち物ですが、ここに自分を押し込めました。自分の面倒は故郷から使用人が来てするようになりました。
 窓から外を見ると夕焼けの空が見え、鴎が、「M」という字みたいな形で飛んでいました。
 
 第三の手記
 竹子の予言の一つは当たり、一つは外れました。Sに寄って来られる、Mを見破られるという、名誉で無い予言のほうは、当たりましたが、きっと偉い物書きになるという、祝福の予言は、外れました。
 自分は今回の事件で大学を退学になり、することもなく、ただひたすら千葉の家に押し込められた状態でした。
 身体が疼き、誰でもよくなってきた(元々Sなら誰でもよかったのですが)ので、男の使用人にそれとなくサジェスチョンしてみたのですが、気味悪がられ余計に近づきにくくなってしまいました。
 自分の身体の疼きは増すばかりで、とうとう耐え切れなくなり、使用人の隙をついて家から脱走しました。
 向かう先は、新宿センター街、女王様のところです。どうせ監禁されるのであれば、ご褒美をくれる場所の方がずっと素敵です。
 自分は電車を乗り継ぎ、とうとう新宿に戻りました。
 懐かしい猥雑さ、身体が溶けていくようです。自分は女王様と叫びながら店の扉を開けました。いえ、開けようと思ったのです。しかし、扉は開きませんでした。どうやら、店を移ったか、潰れたか、ここは空き家になっていたようでした。
 自分はどうしたらいいのでしょう、あてどなく、女王様、とつぶやきながらセンター街を彷徨いました。
 自分はよほど恐ろしげに見えたのか、余りにも気味悪かったのか、客引きや明らかにSだろうと思う人間も声をかけてくれませんでした。
 自分はまるで幽霊のようです。気味悪がられ、避けられ、驚かれ…、それでも一晩中センター街を歩き続けました。
 夜が明け、カラスがうるさく鳴く中、自分はゴミ捨て場に寝転びました。いっそゴミになりたい…、ゴミ収集車に入れてくれないかしら…と虚ろな頭で考えていました。
 その時です。自分の名を呼ぶ声が聞こえたんは。誰ですか…もしかして女王様…、
 「妖二、迎えに来た」
 違う!この声は竹子!…様…
 「私の家に来なさい」
 高校の時のように竹子は自分に命令しました。自分もあの頃のように竹子様の後を着いていきました。
 竹子様の家、いえ、そこは店でした。竹子様はある一部屋に入り自分を入れ、鍵を閉めました。そして、来ていた地味目の服を脱ぎ、裸になりました。自分は手伝おうかと竹子様に近づきましたが、「待て」の命令が出たので直立で待機しました。
 竹子様は裸で化粧を始めました。一時間ぐらい経ったでしょうか、「待て」の命令がやっと解けました。化粧が終わったようです。 
 自分は派手な顔になった竹子様に衣装を着るのを手伝うように命令されました。ボンテージ、網タイツ、装飾物、自分が全部着けさせていただきました。
 「さあ、妖二も裸になりなさい」
 自分は服を脱ぎました。いつの間にかゾウさんは起立しています。
 「もう勃ったの。まだダメよ。萎えさせなさい」
 自分は足を開いての正座を命じられました。
 そして思い切りゾウさんを踏まれたのです。自分は快感のあまり射精しました。
 人間失格、奴隷合格。自分は既に人間などという高尚なものではありません。竹子様の奴隷です。
 「一晩中、いえ、ずっと可愛がってあげるわ。それから、日記もまたつけなさい。私と会えなかった大学時代の事も、すべて書きなさい」
 竹子様は、また日記、いえもう手記と言えるかもしれません。それを書くよう命じたのです。
 今まで自分は幸福も不幸もありませんでした。
 ただ、一さいは過ぎて行きました。
 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
 でも、人間をやめ、竹子様の「奴隷」になれたことで、幸せしかありません。
 時間はこの部屋では止まっています。
 自分はことし、二十七になります。あまりに風貌が怪しいので、たいていの人から、人間だと思われていません。
 それでいいのです。奴隷なのだから。
 
 あとがき
 この手記を書き綴った変態を、私は、直接には知らない。知りたくもない。けれども、この手記に出て来る「東京の親戚」ともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。
 然るに、ことしの二月、私は千葉県に疎開している友人をたずねた。その友人は、「東京の親戚」の息女で、この手記の妖二のいた家に疎開していたのだ。
 雑談の中で、あなたは妖ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、息女は奥へ行って、三冊のノートブックと、三枚の写真を持って来て私に手渡し、
「何かの材料になるかも知れませんわ」
 と言った。
 その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手にノーマルな私の筆を加えるよりは、これはこのまま、どこかに載せた方が有意義な事のように思われた。
 「このひとは、まだ生きているのですか?」
 「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、東京の親宛に、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は妖ちゃんにきまっているのですが、その小包には、妖ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。しかし、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
 「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたのご両親へ嫌がらせのつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど」
 「私たちの知っている妖ちゃんは、とてもキザで、気持ち悪くて、あれでドMなんて…お化けみたいな気味の悪い子でした」
 
  
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