定点プレイヤー

文字数 10,875文字

「自然が一番よ。何でもそうよ。野菜だってそうでしょう。自然が一番」
 お義母さんは乾いたタオルやら着替えやらを戸棚にしまいつつ、呪文のように「自然が一番」と繰り返していた。そこで野菜を引き合いに出すのがすごい、と密かに感心してしまう。私はトマトやらキャベツやらと一緒くたにされるのか。
 まあ、でも年長者の、特に血のつながりはないけれど身近な年長者の言うことには素直に従っておくべきだろう。長いものに巻かれておこうと「そうですね。自然が一番」と同じように呪文を唱えてしまったあのときの私を私は呪いたい。野菜と並列で考えられるのもおかしい、と主張したい。
 私の体重のせいなのか、すっかりクッション性を失ったベッドで寝返りを打つのも、最近はおっくうになってきた。そんな調子だから、トイレのために起き上がるなんてもってのほかだ。出産前には毎日浴びるように飲んでいたコーヒーやら紅茶を完全に絶っても、尿意は自然と沸き起こる。また自然か。自然現象とは面倒なことばかりだ。
 とはいえ尿意を我慢し続けるにも限界があるので、散々膀胱を酷使させてから私はしぶしぶトイレへと向かう。ぺたぺたとやたら音のなるスリッパも悩みの種だ。足音一つでどこへ向かうのか、どんな体調なのかまでばれてしまいそうな気がする。
 さすが病院、とそこを評価するのもどうなのかって話だけれど、トイレは清潔そのものだ。家の便座は温かくもならない。お義母さんが「自然が一番」の一声で、尻の温もりさえ奪うのだ。本当は和式がいいとまで文句を言われ、今が西暦何年かご存知ですか、と言い返したいのをぐっと堪えた。
 用を足すとやっぱり痛む。切開したところがずきずきとうずく。このあと看護師さんに消毒お願いします、と声かけするのがまた憂鬱なのだ。羞恥プレイにも程がある。
 消毒をしている最中に、タイミングの悪さだけはピカイチの旦那が現れた。「ちょっと待ってくださいねー」という看護師さんの指示にも、「いやあ、全然大丈夫です」と謎の受け答えをするあたりの天然さも時折私を苛つかせる。私が大丈夫じゃないんだよ、私が。あの母にしてこの息子ありか。
「調子どう?」
「……大丈夫だよ」
 股が痛いよ、股が。あっけらかんと言えない私は、結局大丈夫と答えるしかない。何だか負けた気がする。誰も勝負していないのに。
「すぐそこにラーメン屋できたんだね。知ってた?」
「……知らないよ」
 ずっとここにいるんだから知るわけないだろう。当然すぎるツッコみは口にするだけ虚しい。黙って見過ごすから、私の青筋が浮いていることには気がついてほしい。
「さっき食べてきたんだけどさ」
「……食べたんだ」
「美味かったよ。すっごい濃厚でどろどろなんだけどね」
 残念ながら私のため息にも気づかないまま、旦那のラーメンレビューは止まらなかった。精進料理か、とちゃぶ台をひっくり返したくなるような質素なメニューばかり口にしている私は、食べ物に対するストレスが溜まっていた。ラーメンはもちろん、ハンバーガーや牛丼、パンケーキ。とにかくジャンクなものが食べたい。股がぴりぴりと痛むだけで、ほかはいたって健康体なのだ。
 むかむかする私に、旦那はさらにとどめを刺してくる。
「母親がまた来てくれるらしいから」
 安心して、と続けられるであろう去り際の情報に、まるで安心できない、と身構える。案の定、早めの夕飯が出され、一口サイズがやたら大きい人参を箸でつついているところにお義母さんがせかせかとやってきた。「食べ物で遊んじゃだめよ」と露骨に顔をしかめられる。だってこれ嫌がらせのような大きさじゃないですか、という反論は当然飲みこむ。人参は飲みこめない。どうしても無理。小さい頃から苦手な食べ物の筆頭だ。
「調子どう?」
「……大丈夫です」
 股のあたりがどくどくと脈打つ。その痛みは太ももあたりまで蔓延していて、実際に悲鳴を上げているのは、どの部分なのか判断がつかなくなる。股周辺が均等に不自然な熱を持って、自分の体が途中だけぽっかり他人の体にすり替わっているようにも思えた。
苦悶が表情に漏れてしまっていたのだろうか。お義母さんはそっと眉をひそめ、声をひそめる。
「自然は自然だし。いいと思うわよ。気落ちしないでね」
 的外れな励ましを受けてはじめて、痛みがあってよかったと思う。眉間にうんとしわを寄せても、股が痛いんです激痛です、と言えば説き伏せられるからだ。「大変だったわね」としきりにこぼしながら、お義母さんはお茶を淹れてくれる。
 地域の出産育児コミュニティで知り合ったママ友は、最初から帝王切開を選んだ。お腹を閉じたあと、下半身の麻酔は片足だけ切れていって、両足に施されているはずのマッサージ機が故障していると勘違いしたらしい。右足だけに伝わる振動に戸惑い青ざめていったせいもあるのか、その後ひどい貧血に襲われ、入院が長引いたそうだ。「子どもとの対面どころじゃなかった」と笑う彼女は、私よりほんの一足先に出産を終えただけなのに、もうずいぶんとたくましい母親に見えた。
「立派よ。とっても立派よ」
 自分より一足どころか百足くらい先に出産を経験した大先輩のことを、どうして私は疎ましく感じるのか。箸の先でごろごろ転がした人参を代わりに食べてくれたならいいのに。そうしたら無条件で尊敬するのに。
 お義母さんと人参を残して、私は再びトイレに向かった。途中、病院内の案内図が目に入る。あらゆる科が勢ぞろいしているが、『小児科』の文字がひときわ目立ち迫ってくるように感じたのは、今後のことをおぼろげながら描いているからだろうか。
 どれだけ明るい未来にも、いつかは暗い陰が差す。保険のマニュアルは欠かせない。
 腹、というより股を痛めて産んだ我が子は、まだ保育器の中にいる。

          ○                  

 息子が怪我をした、と聞いたときは気が動転して人生初の地団太を踏み、息子が骨折をした、と判明したときは医療保険のパンフレットを洗いざらい再読し、息子が入院をする、と決まったときはもう通常運転の私に戻っていた。
 ラグビー部に入部したときから怪我は覚悟していたし、これから振り込まれるはずの保険料を算段すると、過去の自分の功績を褒めたたえたい気持ちのほうが強い。ようやく日の目を見る毎月の保険料。と言うと、まるで息子の不幸を祈っていたみたいで聞こえが悪いが、保険は博打のようなものだ。
 最初は病院での生活が新鮮だったのか、息子は一定の興奮状態を保っていた。けれど、三日もすればすぐ飽きてきたらしい。ジャンプ読みたい、タブレットでネットサーフィンしたい、ガリガリ君食べたい、などと自由奔放に、これ幸いとばかりに要望を口にして、私は完全なる小間使いと化した。かつて息子を出産したとき、ただただベッドに横たわる空白の時間の埋めがたさを知ったことも手伝って、ついつい甘やかしてしまう。
「もういいよ。やるよ、それ」
 ある日、息子は読み終えたジャンプを、背丈も年齢も一回りくらい下と思われる少年に手渡していた。透けるような白い肌の少年だった。彼はおずおずと受け取り「ありがとう」とささやいているように見えた。実際に声が聞こえたわけじゃない。ただ、はっきりと耳に届いた息子の言葉のほうで、自然と返ってくるお礼は想像できたのだ。
 その光景は微笑ましいというより誇らしい。私はない胸を張って、周りに誰かいないのか、と一人そわそわした。
「さっき漫画あげてたでしょ」
「あー。もう全部読んだから」
「仲良い子なの?」
「別に、たまたま」
 息子の返事は素っ気ない。ギャラリーのいない廊下で、期待に膨らませていた風船はみるみるしぼむ。せっかくの誇らしさは、あっさりと霧散してしまった。こちらを見もしない息子の横顔が、旦那に似てきた。小さい頃は私似だと言われていたのに、いつの間にか父親の遺伝子のほうが濃くなっている。
一読しただけで他人に譲渡するような雑誌が何週分積み重なったら、治療費に匹敵するのだろう。不毛な計算を頭の中だけでしつつ、ぼうっと窓の外を見つめる息子と同じくらい、実は私もこの入院生活に飽きている。飽きるということは、終わりが見えるということだ。
 程なくしてめでたく退院の日を迎えると、大きく背伸びをして、ずいぶん深く呼吸できるような気がした。飽きたといっても、やっぱりどこかで神経を張りつめていたのかもしれない。自分が入院していたわけでもないのに、解放感で胸が満たされる。
 息子は微妙な反応を見せていたが、今夜はお祝いをしようということで準備している。旦那も「なるべく早く帰るよ」と口先だけでは言っていた。お義母さんは積極的に参加表明をして、朝からあさりの砂抜きをしていた。息子くらいの年齢で、貝の美味しさが受け入れられるのかどうかは甚だ疑問ではあるが、私は私でこっそりと唐揚げの下準備を進めておいた。息子の好物なのだ。
「お疲れ様。退院おめでとう」
 相変わらずつるつるして転倒を促すような病院の廊下を歩きながら、むっつりと黙りこくったままの息子に話しかけた。無反応の息子に一瞬無反応で返してから、「今日はごちそうだよ」と話題の転換を試みる。それでも無言のままなので「唐揚げだよ」と具体的な料理名で釣ることにする。ぺたぺたと間抜けな音を引き連れて、私は「ポテトも揚げようか」とひたすらご機嫌を取りにかかる。あさりのことは伏せておいた。
 息子は突然、歩みを止めた。すぐさま静止できなかった私はバランスを崩し、スリッパが片足脱げた。食後のプリンに引っかかってくれたのだろうか。
「ジャンプあげたやつさ、今朝死んだ」
「え? ジャンプ? あの子?」
 唐突な息子の告白に、私は単語を並べた間抜けな返答しかできなかった。あの子ってどの子だよ、とツッコまれるかと思ったけれど、息子は深刻な口調で「うん」とうなずくだけだ。私はスリッパを履き直す。
「昨日まで普通だったのに、朝起きなかったって。眠ったままだったのが救いだったって」
 私が来る前にそんな事態が起こっていたとは。これまで身内や仲間内で不幸に遭遇したことのない息子にとっては、初めて目の当たりにする現実だった。
 さらに身内や仲間内ではない、ここ以外では会うことのない他人という距離感もまた、彼を悩ませているのだろう。笑う。怒る。泣く。シンプルな選択肢しか持ち合わせていなかった息子は、そのどれにも当てはめられない感情に戸惑っている。中学生にしては物憂げな、複雑な表情を浮かべ、途方に暮れている。この顔は旦那には似ていない。私にも似ていない。
 私は私で親になったからといって、別に病院慣れしているわけではない。ましてや人の死に関するリアクションに正解なんてものはない。私はただ「そう」と言うだけに留めた。それっぽい言葉を並べるほど若くはないし、からからと受け流すほど円熟してもいない。中途半端な大人でごめん、とだけ思う。
「自分が死ぬってわかってなくて死ぬのって、そっちのが怖くね?」
 帰りの車中、沈黙を貫いていた息子がつぶやいた。私はハンドルを握り直す。
眠るように死ぬのは、もがき苦しんでのたうち回って死ぬよりはまし。きっとそういう意味で、周りは突然の不運を慰めるのだろう。もし息子がひたすら苦しむだけの日々が果てしなく続くのなら、私も同じような意見で自分を納得させる気がする。残された者の方便だということは承知している。どっちがまし、と比較する必要も本当はない。
ハンドルを何度か切ってから「そうだねえ」とだけあいまいに返す。語尾を伸ばすのっておばさんくさいな。自覚はあるけれど、もう元には戻せない。
 そういえばナースステーションでお礼を言ったとき、夫婦らしき男女が廊下の隅で寄り添っていたことを思い出す。女性のたくましい体つきとは対照的に、男性がやけに痩せ細っていたせいか印象に残っている。幅の違う体を寄せ合って、二人ともじっとうつむいていた。もしかしてあの子の両親だったのかもしれないな、とぶしつけな想像力が働く。
 あわてて振り払うが、息子はそんな私には気づかない。完全に窓の外を向いていて、横顔さえ窺えない。
 道なりの直線コースに入る。アクセルを踏む足にほんの少し力が入る。

          ○

 脂っこいものと距離を置くようになり、夜食や間食の頻度が減っていき、そもそもの食べる量も下降の一途をたどる。
 ぶよぶよと横にばかり成長していく私とはまるで真逆のコースをひた走っていた旦那は、健康志向に目覚めたのだとばかり思っていたけれど違った。単純に寄る年波には勝てず胃腸が若くなくなってるんだな、とのんきに構えていたのも違った。れっきとした体調不良だと気がついたときには、救急車に同乗していた。ああ、人生初体験だ。すっかり痩せ細った旦那をながめながらそう思った。サイレンがやけに遠くに聞こえた。
 子どものいたずらみたいなちょっとした影がレントゲン写真に写りこんだだけで、どうして人はこんなに動揺しなくてはいけないのだろう。
 手術の日程や内容が事務的に決定していっても、私はそれを誰かに伝えることはしなかった。伝える相手がいなかった。旦那の両親はあっちの世界へ旅立ったか片足を突っ込んでいるかの状態だし、私の両親も遠方で足腰を弱らせているし、自分の子どもを目の前にすると「大丈夫だよ」としか言葉が出てこなかった。ママ友には「もしかしたら息子お願いしちゃうかも」といつもより陽気に手を合わせるのが精いっぱいだった。
「来週プレゼンがあるんだけどなあ」
 旦那は遠い目をして言った。ピンチヒッターとなる同僚の鈴木さんが一度見舞いに来てくれたが、初対面の私が心配になるくらいでっぷりと肥えていて、そのくせどんよりと顔色の悪い人だった。妙に白い花を持ってきて、それとの対比で余計に彼の土気色が際立った。
「任せとけよ」
 そう言って胸をたたく鈴木さんを旦那は頼もしく思っているのだろうか。妬ましく思っているのだろうか。寝間着としてレンタルしている病衣の替えを戸棚にしまいながら、はっきりと後者を選んでいる自分が情けなかった。
 旦那が普段着用しているパジャマは、前開きになっていないスウェットタイプだった。新たに適当なものを購入してきてもよかったのだけれど、何やかんや病院の都合に合わせていくのなら借りるのが一番手っ取り早い、と看護師に説得されてしまった。細かいことにこだわらない性格の旦那は、それをいとわなかった。私だけがレンタル代をいちいち頭の中で計算してしまう。やめたいのにやめられない。
「鈴木さんってちょっと顔色悪いよね」
「夜、あんまり眠れないって言ってたなあ」
「鈴木さんってちょっと太ってない?」
「あいつ、不摂生しまくりだからなあ」
 のんびりとした口調の旦那が、重湯を飲んでいるのが納得いかない。まるで洗濯のりみたいなどろりとした液体は一向に減らない。「鈴木は麺バカだから、週七日はラーメン」と目を細める旦那が、なぜ笑っていられるのかも私には理解できない。
「じゃあ健康診断とか、あちこち引っかかっちゃうんじゃないの」
「それが不思議と問題ないんだよ。C判定は体重だけ」
 目につくあらゆる理不尽に吐き気がするのに、私は一日の大半を病院で過ごす。おかげで勝手がわかり、ずいぶんと施設内に詳しくなる。
 扉がスライド式のトイレは西側。旦那の好きな作家の本が置いてあるのは二階下の本棚。ジャムパンが売店に並ぶのは毎週月曜。隣のベッドに横たわる、おじいさんの話し声は独り言。
 コインランドリーの横でわかりにくく販売されている、一分一円換算のテレビカードを旦那は大胆に使う。ろくに見てもいない国会答弁のニュースなんか消してしまえ、と思う。声を荒げる議員たちの言い分は、みんなどこか的外れだった。くだらない揚げ足取りを披露するくらいなら、莫大な医療費をどうにかしてほしい。やり場のない怒りだけが募る。旦那はすでにうたた寝している。私のほうが熱心に画面を注視している。
 花瓶の水を取り替えながら、家でテレビを見ていたなら、自分はここまで苛立っていなかっただろうな、と気づく。気づいてからさらに、憤りは加速する。ちょっと放置しただけで、花は首をかしげるし、水はすぐに濁る。見舞いの花ほど、困るものはない。鈴木さんの風貌に、花は似合わない。
 手術当日も、直前まで旦那は見るともなしにテレビをつけていた。視覚も聴覚も何か紛らわすものが欲しかっただけなのかもしれない。入院生活が長引けば長引くほど、許さなくてはいけないことも多くなった。
 結局、手術中の待機時間、私も手持ち無沙汰になってテレビをつけていた。カード度数減ってるじゃん、と旦那にからかってほしかった。
「手術は無事成功しました」
 日本語って便利だな、と感心しながら、それを駆使する医者にもまた感心して深々と頭を下げた。旦那は麻酔がよく効いているのか、待てど暮らせど目を覚まさない。人によってまちまちです、と医者は平均的な説明をしてくる。一時間やそこらで起きる人もいれば、何カ月も意識が戻らない人もいる。その振り幅の広さに私は苦笑する。
「大丈夫ですよ」
「よかったです」
 型通りの応酬を終えて、窓の外が暗くなってきても、旦那は眠りこけたままだった。一度家に戻るか、と腰を浮かしたところで鈴木さんがやってきた。医者の言葉をなぞるように、いっそ医者よりもわかりやすくある一点を強調して「手術は無事成功しました」と報告すると、「よかったです」と鈴木さんは破顔した。相変わらず顔色は悪いが、無邪気に目を細める彼に私も思わず目を細める。胸がちくちく痛んで直視できないのだ。
「プレゼンは?」
「大成功です」
 よかったです、という私の返事はちゃんと声になっていただろうか。「よろしければ、夕飯ご一緒しませんか?」という彼の申し出にはしっかりとうなずいていた。帰って自分で用意する気力が残っていなかったし、湧いてくる気配もなかった。空腹の実感だけがむくむくと目を覚ました。
 病院の夜は早い。不意に真夜中に目を覚ましたとき、わけもなく誰かに見張られている気がして怖くなる。病院の夜は早い分だけ長い。起きたときに「ああ……」と嘆息する確率も高くなる。ずっとうめいているような独り言ばかりの隣のおじいさんにとっては、常に夜が続いているのかもしれない。夜にだけ出会える誰かとしか、もう話すことができないのか。
 テレビカードの残りは、あと何分だっけ。
 思い出せないまま、私は鈴木さんとラーメンをすする。「ああ……」と感嘆してしまう。鈴木さんはにやりと口元をゆがめて「美味いでしょう、ここの」とどや顔をしてみせる。あごのラインが首の脂肪に埋まった彼は、どろどろの白濁スープがよく似合った。白い花なんかよりも、ずっと。
 この店のCMを務められるのではないか、と期待してしまうくらい美味しそうに、豪快にすする。店員もほかの客も、そして私も彼の食べっぷりに見入った。
 スープを胃に流しこむたびに「ああ……」しか出てこない。とてつもなく体に悪そうな味がした。この先何年も、内蔵のどこかに居座りつづけそうな濃厚さだった。

          ○

 ずっとここにいるなあ。
 一日中、という意味ではもちろんだけれど、もっと長い目で見てもそうだ。私は年がら年中、極端に言えば一生中、ずっとここにいるなあ、と思う。
 生まれたときから、ずっとここ。ずっと無表情な天井と、ベッドを囲う簡易的なカーテンばかりをながめていると、私の人生はここ以外知らない。なんて、妄想に駆られたりもする。楽しいことや、悲しいこと、笑えること、つらいこと、似たようなこと、違うこと。いろいろあったはずなのに、ここ以外の場所で生きていた私が、どんどんどんどん遠ざかって、はるかかなたへ追いやられてしまう。やがて蜃気楼のように揺れて、それはもう私ではなくなってしまう。ここはそういう力を秘めている。
 カーテン越しに声を聞くだけだから、年齢のほどはわからないけれど、お隣さんも大変そうだ。私なんかより、うんと若いのに、まるで根が生えてしまったかのようにここにいる。
 ずいぶん小声で話すなあ、と思うけど、私の耳が遠いだけなのかもしれない。まるで密談を交わすような男女の低い声で、何とか聞き取れた言葉は「おじいさん」だった。
 私のことを言っていたら、どうしよう。別にどうもしやしないけど、私は一応おばあさんのはずだ。
 昔、私も思っていた。人間は年を取ると、あるいは生まれたてであると、性別があやふやになる。男女の見分けがつく時期なんて、実はとっても短いんじゃないか。過剰に男らしさ、女らしさを意識して磨いたりしなくても、そもそもそんなあいまいな境界線に固執しなくても、別にいいんじゃないか。
 だって、ずっとここにいるんだから。
 いや、いないんだっけ。いないときも、あったんだっけ。そこもあいまいになる。あいまいなのに、人が自分をおじいさんと思っているのか、おばあさんと思っているのかは気になる。トイレに向かうとき、何とうわさされているのか気になる。自尊心や羞恥心は、最後の最後まで残る。体に悪い成分のように、こびりついてずっとずっと居座る。もう自力でトイレに行くことはないのだけど。
「お熱、測りましょうね」
 年を取ると、性別どころか年齢も超越するのだろうか。まるで体温の測り方を、まだ覚えていない子どもに向かって話しかけるように、看護師は私に微笑む。上手く測れると、褒められる。少し数字が高いと、「大丈夫ですよ」と励まされる。
 医者と看護師以外に、私を訪ねる人はいないから、彼らがカーテンを開ける一瞬の隙を狙って、窓の外に目を凝らす。曇っているなあ。寒そうだなあ。夕暮れだなあ。ずっと同じ光加減、ずっと同じ温度に守られる私は、天候に左右される人たちは大変だなあ、とのんきに思う。
「雨、降りそうですね」
「ああ」
 私の言葉に、医者は素っ気なく返す。天気の話なんて、確かに意味のないものだけれど、もう少し愛想よくしてもいいんじゃないか。
「佐藤さんとこ、大変だよ。ボケてて家族に暴力振るうらしい。まあ体は元気ってことだけど。高橋さんはすごいよ。ゲートボールに加えて、登山もやり始めた」
 医者は私の身辺調査でもしているのか、次々と近所の人たちの名前を挙げていく。ただ、佐藤さんの顔も、高橋さんの顔もおぼろげだった。医者が「だから大丈夫だよ」と言う理由もわからなかった。いったい何が「だから」につながるのか。
「田中さんは?」
「え?」
「田中さん」
「……死んだよ」
 田中さんの名前は浮かぶのに、顔にはやっぱりもやがかかってしまう。磨き方が悪くて、曇ったままの窓ガラス。その向こう側に、田中さんはいる。ずっとここにいると思ってたけれど、いずれ曇った空の、あるいはそのもっと先へ行く。
 医者は目を伏せた。「そんなこと言うな」「そこと比べるな」と叱られる。体温を測れたり、人参を残さず食べるだけで、手をたたいて喜んでくれる看護師とはえらい違いだ。殴りかかってきそうなくらいの形相で、そのくせ泣きだしてしまいそうな表情で、医者は唇を噛んだ。私はそれ以上、口にする言葉がなかった。
 医者が帰ったと思ったら、また医者が来た。さっきとは違う医者だけれど、そんなにこまめに来なくてもいいのに。
「食欲あるみたいですね。熱もなさそうだ」
 今度の医者は、甘口だった。自然な手つきでパジャマをそっと剥いでくる。私は誰かのパジャマを失敬しているのだけれど、簡単に前で開くものだから都合がいい。医者はそっと私の心音に耳をすませる。自分の鼓膜では拾えないかすかな雑音を、医者は丁寧に、見逃さず、カルテに書き記す。
 一度でも見逃してくれたら、そのまま更生する、昔の不良漫画みたいな展開はあったりするのかなあ。旦那に勧められて、しぶしぶページをめくっていたら止まらなくなった、あの少年漫画は何だっけ。時代を越えて、息子もはまっていた。病院に、置いてあるだろうか。あの、何階か下にある、本棚に。
「もうすぐオリンピックですね。それに向かっていきましょう」
 医者の歯は、やたらと白い。黄ばんでいても困るけれど、不自然なほど白くて、目がくらむ。そして向かうって、何で? 私は別にオリンピックに出ないし、オリンピックにさほど興味はない。例えばいつかみたいに、開催地がここであっても、興味のなさは変わらない。あのときは、皆が皆、熱に浮かされて、私だけ浮いていたっけ。ところで次のオリンピックは、何年後? どこでやるの?
「大丈夫ですよ」
 もしかして、私は何かの種目に出場するんですか。そう尋ねようとしたときには、もう医者はいなかった。それから、誰も来なかった。必要なときほど、誰もそばにいない。待つほうは、タイミングを受け入れることしかできない。
 そうこうしているうちに、見飽きた景色のほうも、私を見飽きる。ずっとここにいるんだから、そりゃあ飽きるよなあ。旦那も息子も、飽きていた。田中さんも、飽きていた。あんまり会えずじまいだったけれど、お義母さんも、飽きていたんだろうなあ。
 私も、そうだった。周りよりも、退院が延びて、すっかり飽きていたなあ。
 不意に、股のあたりが、うずく、ような気がした。古傷も、いいとこなのに。実際に、うずいている、わけでは、ないのか。記憶が、勝手に、痛みを、ねつ造しているだけ、だ。あやふやな、痛みに、それでも私は、歯を、食いしばる。指先に、力を、こめる。寝返りを、何度も、打つ。かさかさ、と、シーツが、軽い音を、立てる。
 ずっとここにいて、闘っては、祈る。祈っては、闘う。比べるもの、それはないはず。ずっとここに、いるのだから。ずっとここにいて、強烈な、一人芝居をしている。闘っては、祈る。祈っては、闘う。それだけだ。
 ずっとここにいるけれど、闘うのにも、祈るのにも、飽きて、ようやく私は、ここ以外にいく。飽きると、いうことは、終わりが見える、ということだ。終わりは、白い。天井、カーテン、ベッド、少年の肌、ラーメンのスープ、花瓶の花。そのどれよりも、真っ白だ。
 私を見下ろす眼差しも、私を呼ぶ声も、私に触れる手も、もう止められはしない。
 私は定点から脱出する。
 背中を押してくれたのは、またここから始まる、遠いようで近い、希望に満ちた産声だった。


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