第2話

文字数 2,690文字

「ミミズクさん、あなたが話しかけたの?」
「そうだよ、アカツキ姫」
「わたしを知っているの?」
「きみの美しさは有名だからね。でも、きみがこんなに歌がうまいと知っているのは、わたしだけかもしれないな」

 ミミズクは黒いくちばしをカチカチと動かしながら、男性の低い声でしゃべります。言葉を話すミミズクなんて初めて見ましたが、歌声をほめられたのもまた初めてだったので、アカツキ姫は嬉しくなりました。

「きみはここにいたくないのかい?」
「ええ、本当は出て行きたいのよ。こんな窮屈なお城を出て、あの魔法の森の中で自由に生きたいわ」
「でもきみは、豪華なドレスを着ておいしいものを食べて、働かなくてもよくて、大事に大事にされてるじゃないか。それに立派なお婿さんをもらえるんだろう?」
「それはわたしが王様の娘だからよ。みんな髪がきれいだの目が美しいだのほめてくれるけど、誰もわたしの中身を見てくれないの」

 ミミズクはふわっと羽毛を逆立てました。まるで人間が肩をすくめているような仕草でした。

「もし本当にここを出て森へ行きたいのなら、連れて行ってあげるよ」
「本当に!?」

 アカツキ姫は鈴の音のような声を跳ね上げて、ミミズクを見上げました。

「本当さ。わたしはあそこからやって来たのだからね。一緒に来るかい?」
「行く! わたしあなたと一緒に行くわ!」

 姫がそう答えたとたん、ミミズクは両の翼を大きく広げました。姫の視界を全部ふさいでしまうほど大きな翼です。剣先のような羽におおわれたそれは、いつの間にか人間の腕に変わりました。

「では、おいで、アカツキ姫」

 ひさしから飛び降りてきたのは、真っ黒い外套(がいとう)を着た男でした。背が高く骨ばった体つきで、ひどく肌の生っ白い男です。黒い髪に白い筋が混じってはいましたが、アカツキ姫のお父様よりはだいぶ若く見えました。
 男はびっくりするアカツキ姫を抱き寄せると、外套の(すそ)をひるがえして夜空へと舞い上がりました。

 風が、体に沿ってものすごい勢いで流れていきます。爪先は何にも触れません。アカツキ姫は固く目をつむって男の腕にしがみつき、耳をかすめる風音だけを聞いていました。 




 森に舞い降りたアカツキ姫は、お客様としてもてなされました。
 姫を連れて来たミミズク男は蛮族の(おさ)で、族長は代々動物に姿を変えることができるのでした。族長は自分のことをヒイラギ王と名乗り、仲間たちを『森の民』と呼びました。

「好きに過ごしなさい。ここで暮らすのも、帰るのも、きみの自由だ」

 ヒイラギ王のお屋敷は、カシの巨木の上にありました。森の民はみな木の枝の上に家を作って住んでいるのです。その中でもヒイラギ王の住まいはいちばん立派で、高さの違う枝にたくさんの部屋が連なっていました。アカツキ姫はそのうちのひと部屋をもらいました。

 約束どおり、アカツキ姫はそこで自由に暮らすことができました。
 いつ眠っていつ起きてもいいし、大声で笑っても歌ってもしかられないし、木から降りて森の中を走り回ったってとがめられませんでした。黒い髪と白い肌を持つ森の民の中で、金色の髪をした姫の姿はとても目立ちましたが、族長のお客様を傷つけようとする者はおりませんでした。木を切ったり薪を割ったり狩りをしたり、森の民はみな忙しいのです。
 絵本に出てくる魔法使いが住んでいると思っていたアカツキ姫は、少しがっかりしました。確かに森の民は不思議な道具をたくさん持っていました。ぜったいに狙った的を外さない矢や、簡単に火を起こせる火打石や、水源からひとりでに水を運んでくる管の仕組みなどがそれです。けれど、それらの魔法は彼らの生活を少し便利にしているだけで、森の民もワダツミ国の民と同じ人間なのでした。

 それでも、アカツキ姫にとっては珍しいもの初めてのことだらけで、数日間はワクワクとした毎日が過ごせました。木の名前を覚え、美しい花を摘み、リスや小鳥を追い回して遊びました。
 夜に訪ねてくるヒイラギ王とのおしゃべりも楽しいものでした。

「ねえ、あなたたちはどうしてこんな不思議な力を持っているの? 悪魔と取り引きをしたの?」
「違うよ。ここには悪魔はいない。すべてを造った神様もいない。わたしたちの神様はわたしたちには関係なくそこらじゅうにいるんだ」
「よく分からないわ。そこらじゅうって、木とか土?」
「そう。草や花や動物や空気や、全部から少しずつ力を貸してもらって、森の民は生きているんだよ」

 ヒイラギ王の言うことはやっぱり難しかったけれど、コハクのような金色の瞳は好きでした。一緒に見る細い月は姫の胸を甘ずっぱい思いで満たしました。

 しかし、しばらくするうちに、アカツキ姫はそんな生活に飽きてしまいました。
 ワダツミ国のお城にいる時と違って、外国からの使者や商人が珍しい品々を見せてくれるわけではありません。素敵な詩を詠んでくれる詩人も、楽しい歌を聴かせてくれる歌手もいません。自由に過ごせるとはいえ、いつまでも新鮮な気持ちでいるのは難しいことでした。
 それに森の民の生活は質素で、ワダツミ国でのぜいたくな暮らしになじんだアカツキ姫には貧乏臭く思えました。沸かしたお湯で体を洗えず、服は獣の皮を縫い合わせた飾りけのないものです。小間使いをひとりつけてもらいましたが、その女性は姫の金髪をきれいに結うことすらできませんでした。ふかふかの布団もありません。食事は木の実やきのこや干した肉ばかりで、姫は新鮮なお魚が食べたくなりました。

「帰りたくなってきたんじゃないのかい?」
「いいえ、またお城に閉じ込められるのはごめんだわ」

 ヒイラギ王に訊かれても、アカツキ姫は首を振るばかりでした。
 本当は家出を後悔していたのですが、姫のプライドがそれを口に出させませんでした。望んだのは他でもない自分だったのですから、いったいどんな顔をして国へ帰ればいいというのでしょう。蛮族について行ってホームシックにかかって帰って来たなんて知られれば、なんておばかさんなお姫様だと、国中の笑いものになるに違いありません。

 ――誰かが助けに来てくれればいいのに。

 アカツキ姫はふと思いつきました。

 ――そう、わたしは誘拐されたのよ。それを伝えれば、きっとお父様は軍隊を送ってくれるわ。

 姫は自分が着ていた絹の寝間着の裾を破り取って、そこに木炭でメッセージを書きました。蛮族の長にさらわれて魔の森の奥に幽閉されていること、彼らの力の源は森そのものにあること。そうして布を木の枝に結びつけて、森の小川に流しました。この川はワダツミ国の真ん中を通って海まで流れているのです。 
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