第2話 幻想の共同体

文字数 2,116文字

 数日前仕事帰りに歩いていると、ニュース音声が耳に入ってきた。町中のいたるところに埋め込まれている指向性スピーカーから絶え間なくコマーシャルや臨時ニュースが飛び込んでくる。耳を機械化すれば音を遮断できるのだが。

≪今週の妖怪による死者は2名でした。先週と比較して3名減。先月の同じ日と比較して2名増となります。制圧部隊の迅速な対応により被害は最小限にとどまりました。それではスバル重工代表のコメントです≫

≪暴走を誘発するのは浮遊する想像力です。この度の犠牲者は夫婦でした。結婚記念日に先日発売された義眼の最新モデルをお互いに送りあった矢先のことだったようです。もう一度言います。暴走を誘発するのは浮遊する想像力です。我々スバル重工はこれまで想像力と現実を一致させるために邁進してきました。しかし人間の想像力は果てしないものです。どれほど速く走れる義肢を手に入れようと、夢の中ではさらに速く駆け回るのです。それでもなお、我々は想像力と技術が重なる日を希求します。覚めても夢の中の速度で走る日を願うのです≫

 100年ほど前まで、人類の科学技術は肉体を置き去りにするように発展していた。ネットワークの整備により物理的な距離は克服され、居住地は意味を持たなくなった。次に仮想空間の発達によってほぼすべてのできごとがその空間内で完結するようになった。

 仮想空間ではどのような姿にもなれる。人間の姿である必要さえない。人々は自分が望んだ自分を手に入れられる快感に没頭しのめり込んでいった。アップデートのたびに更新される自分は、この上ない解放であり肯定と捉えられた。

 人々はより快適でリアルな仮想空間を要求し、企業は技術でそれに応え続けた。すぐに肉体の運動と仮想空間内の運動にタイムラグがなくなり、やがて肉体の運動さえ必要がなくなった。脳波がそのまま仮想空間での運動に直結し、しだいに人々は肉体を持つ意味を見失っていった。そうなると肉体の持つ生々しさや理不尽さは耐え難いものとして扱われるようになった。

 仮想空間で食事をとっていたため、空腹の原因がわからずそのまま餓死してしまうようなケースさえあったらしい。とはいえ、仮想空間があろうがなかろうが餓死する人間はどこかにはいる。警鐘を鳴らす者は少なく、技術は加速度的に進歩していった。

 仮想空間にダイブするためのカプセルに栄養補給用のチューブが取り付けられたとき、人類は問題に直面した。というよりも、直面していることを認めざるを得なかった。人々がフィジカルな接触を行わなくなったとき、労働力の再生産、つまり妊娠・出産はどのようになされるのか、という議論はこれまで後回しにされていた。が、いよいよ無視できないところまで人口が減少してしまっていたのだ。

 どれほど技術が進歩しオートメーション化が進もうが、その技術を管理し運用する存在は必要となる。管理・運用する人工知能が生み出されようと、それを管理する存在が必要になるだけで、より高次の人工知能を無限に生み出すことはできない。人間が最終的な管理者になることは構造上不可避だ。もちろん仮想空間で生活を簡潔させることができない労働者階級は存在していたが、彼らだけで現実世界の維持運営は不可能だった。

 人口減少と、半ばインフラ化した仮想空間に参入できない労働者階級のフラストレーションが、社会を不安定化させていった。仮想空間から出られない者と仮想空間に入れない者の分断は、修復不可能なものとして受け止められ、それぞれがそれぞれの世界で無気力に座り込んでいるような状況だった。

 哲学や倫理は無力だった。肉体は感じたい時に感じたいものを感じられるとは限らない。人々は仮想空間が提供するリアルタイムな肉体感覚に支配されていた。また、グロテスクな映像さえ漂白され無臭化されている仮想空間に慣れすぎた人々は、体温すらも嫌悪し現実世界での関係を編み直すことを拒んだ。問題の解決を思想に求められないことを悟った政府は、さらなる技術を生み出すべく企業に多額の援助を開始した。

『現実を可能性の束にしましょう。それは無限に拡張を続けます。あなたはその一つを選んでください。かつてファッションと呼ばれたもののように。もはや仮想空間は不要です。日常と非日常の往復を、日常の中で実現します』

 声明を発表したスバル重工は当時革新的なテクノロジーを次々と実用化していった。その中でも人々を熱狂させたのは義肢をはじめとする機械仕掛けの身体だった。それは多少の手間と苦痛を伴うものの、仮想現実で行っていたことの再現と言ってよいものだった。それらは、政府の助成金により極めて安価で供給された。

 人々は仮想現実にフルダイブすることで、そこが「現実」であると思い込もうとしていた。しかし実際に合金の腕や天使のような翼を手に入れた者は、カプセルには戻らなかった。わずかにこびりついていた負い目のようなものすら払拭された人類は、これまでの停滞を取り戻すように発展を再開させた。

 以後、現在にいたるまでの100年間、スバル重工は都市計画・機械化身体の製造販売・治安維持を独占的に請け負い、拡大を続けている。
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