「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界」を読んで

文字数 1,477文字

630ページを超える大部の「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界」を2度読みしてしまった。

著者は元日経記者でフリーランスジャーナリストの佐々木実氏。本書は2019年度の城山三郎賞と石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞をW受賞している。
内容は経済学者宇沢弘文の生涯を様々なエピソードを交えて丹念に著した一代記である。

宇沢弘文は東大の数学科の学生から経済学者に転じ、抜群の数学的素養を駆使し、若くして数理経済学者として世界に名を馳せた。
しかし、次第に市場原理主義に限界と不信を感じ、当時世界最高の権威であったシカゴ大学経済学部教授の座を捨てて帰国し、格下である東大の経済学部の助教授に就任する。

帰国後は市場に委ねてはならない社会的共通資本(交通・教育・医療・一次産業・自然など)の重要性を訴えるなど主流の経済学を批判する立場に転じ、公害・環境問題や成田空港問題にも関与した。
こうした言動の結果、経済学の奥の院を構成する者たちと距離ができてしまったのか、
確実と言われたノーベル経済学賞を受賞することなく2014年に86年の生涯を閉じた。

私自身もかつては経済学部の学生の端くれであったが、東大生でもなく、また、さほど勉強熱心なほうでもなかったので宇沢先生のことはずっと「若いころは天才的な数理経済学者だったそうだけど、今は長いあごひげをはやして自宅と大学を走って通うなど奇行が目立つ先生」ぐらいしか認識していなかった。

ところが、今は休刊になってしまった講談社のノンフィクション雑誌「G2」の2015年の18号に掲載された「宇沢弘文 資本主義の探究者」という長文の記事を通勤電車の中で読んで感嘆した。著者はもちろん佐々木氏だった。
まず「難解で一般の関心も薄い経済学の変遷を分かりやすく記述できるジャーナリストが日本にいるんだ」ということに驚いた。
また、宇沢弘文の人となりを一人でも多く知ってほしいという著者の想いが抑えた筆致ながら十分な根拠をもって示され、私は宇沢弘文を再認識することができた。
おそらくこの記事は今回の「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界」に集大成されたのだろう。

特筆すべきは本人・家族をはじめ交流のあった世界の経済学者等に長期にわたり精力的に取材し、また、難解な経済学の理論をよく理解したうえで平易に解説していることである。この本を執筆するために費やした労力と時間はいかばかりであったかと想像する。
そして執筆の原動力となったであろう「宇沢弘文を埋もれたままにしておられるか。」という著者の気概が見事に結実したことに敬意を表し、心から祝福したい。

佐々木氏には2013年に出版された「市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像」という実証的な根拠をもとに竹中平蔵氏を批判的に描いた著作があり、これもいくつかの賞を獲得している。
私が前述のG2掲載の記事を読んだ後にその本を読んだ時にも、「よくこれだけ調べたな」と感心し、
佐々木氏はすごいジャーナリストだと改めて感銘を受けたが、今回の「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界」にはさらにそれを上回る「感動」までをも感じた。
おそらく執筆対象者への著者の想いの差がなせるわざだと考える。
本書の巻末に書かれているメーテルリンクの「青い鳥」にまつわるエピソードは限りなく美しく哀しい。

本格的なノンフィクションは完成までに多大なエネルギーを要するため、余裕を失くしつつある出版界には負荷のかかるジャンルではないかと推察するが、このような著作の存在は絶やしてはならない明日への希望の松明だと思う。
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