女流作家

文字数 3,076文字

 本日は暑い中、ようこそおいでくださいました。すぐに冷たい麦茶でもお出しします。どうぞかけてお待ちください。結構な陽気ですからね。こういう日は家で涼しくして過ごすのが一番です。まあ、編集のあなたは他の作家先生のところにも行かなければならないから、そんなことも言っていられないですね。
 ごめんなさい。私はいつも一言多いらしいので。いつも無意識に言ったことで人を傷つけてしまう。私の悪い癖です。本当にごめんなさい。
 え?無意識でやってしまうことは人それぞれあるもの?それがその人の個性?面白いことをおっしゃいますね。確かにそうかもしれませんね。だからこそ、人はそれぞれ違っていて、その違いをお互いに認め許しあい、そうすることで和を作るものなのでしょうね。
でも、世の中には「和を作りたい」と思う人とそうでない人もいますからね。
 実は、私にはもう一つ無意識でやってしまうことがあるんです。なんだと思われます?それは空想です。空想は物心ついた時から私のいわば相棒のようなものです。空想はいつもどんな時でも、私を助けてくれました。人は誰も私を助けてなどくれませんでした。ええ、誰一人として。 私が一番つらい時、助けてくれたのは空想です。たとえば、あたたかく美味しそうなご飯、キレイに整理整頓された部屋、そしていつも笑顔のやさしいお母さん。目の前のものを心の目で置き換えて、現実とは似ても似つかないこんな空想をしてヘラヘラ笑っていると、本当の母にぶたれました。
「ヘラヘラ笑って、薄気味の悪い子」
と言われて。その途端に、美味しそうなご飯もキレイな部屋もやさしいお母さんも消えて現実に引き戻されました。ひっくり返ったちゃぶ台、掃除のされていない汚い部屋、いつも怒ってばかりいる母のいるいつもの部屋に。
 けれど、私が空想をやめることはありませんでした。母が死んだ後も、空想は私と共にいました。
 母が死んだ理由ですか?自業自得ですよ。当時ヤクザと付き合っていた母は、ヤクザに浮気を疑われて殴り殺されたんです。私の目の前で。その後のことはあまりよく覚えていません。警察が来て、近所の人が来てたような気がします。
 そして、私は遠い親戚の家に行くことになりました。その親戚は優しいご夫婦で、私を本当の娘のように育ててくれました。子供のいなかったご夫婦は私に愛情と学問と世間一般のたしなみについても色々教えてくれました。今まで獣のような生活をしていた私にはすべてが新鮮で、驚きに満ちたものでした。もうそのご夫婦は亡くなってしまいしたが、今でもとても感謝しています。
 やさしいご夫婦にもらわれた後も、それでも私は空想することを捨てませんでした。もう小さな頃からの習慣というか、空想は私の生活の一部でした。捨てることなどできるはずがありません。空想がない人生なんて私には考えられません。空想があったからこそ私は生きてこられたのですから。空想がなければ、私は今ここでこうしてあなたにお話しを聞いていただくこともできていませんし、空想したことを文章にすることで食べていくこともできていなかったはずです。空想は私の救いであり、生きる術であり、私の守り神のようなものです。空想にはどれだけ救われたかわかりません。空想がなければ、私はいつどこで死んでもおかしくなかったと言っても過言ではありませんし、私から空想を取り上げてしまったら、私は私ではなくなります。
 世間一般から見たら、私は母の言う通り「薄気味の悪い子」なのでしょうね。けれど、世間の人は誰も私を助けてくれなかったのに、とやかく言われる筋合いはないですし、空想なしには私の人生は語れません。だからたとえ「薄気味悪い」とあなたに思われようと、こうして話しているのです。
 私の作風が「独特」と言われるのも小さい頃からの空想のたまものなのでしょうね。ある有名な批評家にいわれました。
「あなたの作品を読むと、現実と空想の境を行ったり来たりする感覚を覚える」と。
正直私もそう思うんです。今ここにいる私は本当の現実を生きているのかしら。それとも今生きているのはすべて空想で、ある時起きたらそこが現実の世界なんじゃないかと。そんなつまらないことばかり考えて一日を過ごしているもんですから、いけないのでしょうね。    
 けれど、その空想のおかげでこうして作家として食べていけるのですから、空想もあながち悪くはないなと思えます。私はいつもこの世とこの世ではない世界を行ったり来たりしていたいと考えています。それができることが幸福なのか不幸なのかはわかりませんが、私はそこで他人の目には見えないものを見て、感じて、そうやって生きていきたいと思って毎日を過ごしております。
 あら、もうお帰りになりますか?いえ、あまり長居もできませんよね。私もそろそろ新作の執筆に取り掛かりたかったので好都合です。本日は暑いなか、ありがとうございました。

 編集の彼が帰っていくのを見送りながら、私は一つ、彼についた嘘について考えていた。私のついた嘘。果たして彼は見破っただろうか?いや、見破れるはずがない。嘘をつく時は真実を少し混ぜることでそれが「本当」らしくなることを私は昔から知っている。そして、今回もそうした。
 彼についた嘘。それは、母を本当の意味で殺したのは私ということだ。ヤクザが母を殴り殺したのは本当。けれど、そうなるように仕向けたのは私。私が一番欲しいものを母はくれないとわかったあの時、母を殺そうと思った。私の人生の為に。私の欲しいもの、母からの愛情は生涯手に入ることはないと悟ったあの日。母の帰りを待っていたヤクザに「母が知らない男と腕を組んで歩いているところを見た」と言った。ヤクザは半信半疑だったが、私が空想でこしらえた状況を話すといきり立った。そして、その夜母は殺された。私の目の前で。 
 別段悲しいと思わなかった。その時にはもう母など私の人生にはいらない存在、一言で言えば邪魔なだけだった。たった一人の娘にも見捨てられた母。けれど、それは自業自得だ。母自身が招いたことだから、仕方がない。親から愛されない子供を産んだ代償は高くつく。子供はどんな親でも慕う。愛されたいと思うもの。けれど、母は「親」でいるより、「女」であることを選んだ。その点で言えば、同じような目にあい、最期まで親を慕った子供より私の方がはるかに幸せだったと思う。母からの愛情は生涯もらえないと早々に悟った幸運な子供だったのだから。悟らないままだったら、いずれ見捨てられ、誰からも看取られることなくたった一人で野垂れ死にするしかなかっただろう。
 ちょうど今ぐらいの時期だった。ひぐらしが鳴いていた。その悲しい鳴き声は母の死を悼んでいるようにも聞こえた。けれど、私の心に悲しみなどかけらもなかった。むしろ、これで疫病神の母から逃れられると心底安堵していた。だから、代わりにひぐらしが鳴いていたのだと思う。実の娘に殺され、その死を悼む者は誰もいなかったから。ひぐらしが鳴くと私はいつも母を思い出す。私が自分の人生の為に殺した人。殺したことを後悔したことはない。けれど、ひぐらしの鳴き声を聞くたびに母を殺してから心に開いた穴にすき間風が入ってくる気持ちがする。この気持ちに名前をつけたくなくて、私は今日も空想の世界に入り込む。
 空想は私のすべて。空想は私の守り神。私はいつも空想に助けられて生きてきた。これからも、私は空想と共に生きていく。 
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