味噌汁

文字数 2,039文字

 昼休みになり、晴子(はるこ)は教材を鞄に仕舞って弁当箱を机上に置く。弁当の中身はハンバーグにグラタン、ブロッコリーと、自分の好きなものばかりだ。冷凍食品の技術には感謝してもしきれない。
 そこに、幼馴染の武史(たけし)が現れる。彼女の机上に、野球部らしい大きな弁当箱をドスンと置き、空いている椅子を寄せて座る。
「今日も、ここいっスか」そうは言うものの、許可を取る前に既に弁当箱を広げ始めているのだから仕方ない。武史の弁当箱の半分以上は白飯だ。これとは別にもう一つ弁当を食べるのだから、さすが年頃の男子である。
「いいけどさ、他の男子とかと一緒にご飯食べないの? ずっと私のトコ来るけど」晴子はミニトマトを口に運びながら訊いた。
「いいのいいの。あいつらはいつでも話せるけど、晴子は今じゃないと話せないしな。部活も長いし」それが当然かのように、普段の陽気な調子で武史は答えると、いただきます、と手を合わせ、米を豪快にかき込んだ。
 少し経って、突如思い出したように武史が喋りだした。
「俺さ、味噌汁が美味い女と結婚したいんだよね」
「ど、どうしたの、藪から棒に」
 いつもは「昨日の巨人戦がー」とか、野球の話しかしない武史から「結婚」という単語が飛び出してきて、晴子はあからさまに戸惑った。
「俺が朝に寝坊して起きてきてさ、慌ててスーツ着て『あーもう時間ねぇからこのまま行くわ』って言ったら、妻が『何も食べないのは体に毒よ』なんて言って、一杯のじゃがいもの味噌汁を差し出すのよ。そんで、それをがーってかっ込むのよ。どう、よくね?」
 この時、やけに揚々と語る武史が大変かわいく見え、晴子はクスッと笑った。
「目をキラキラさせちゃって。意外とロマンチストなんだね」
「なんだよ、人を小馬鹿にする感じ」武史は眉間に皺を寄せる。
「だって、本当にバッカみたいなんだもん」
「あーなんかムカつくな。お前が将来旦那に困っても、もう取ってやーらね」そう言って、武史は再び米をかき込み始めた。
「余計なお世話です~」
 ほんっと、余計なお世話。その言葉がひとりでに出ないよう、晴子も弁当箱を持って米をかき込んだ。

 放課後の図書委員の仕事を終え、晴子は構内の薄暗い道を歩いていた。その最中、彼女はすぐ脇の校庭のある一点を見て、無意識に立ち止まった。
 野球部の活動に精を出す武史を、晴子は見つめていた。確かポジションはショートで「ショートは守備の要で、超カッケーからな」と彼は言うが、興味が無いから正直よくわからない。
「晴子さー、武史君のこと好きだよね」
 隣を歩いていた同じクラスにして図書委員の朱美(あけみ)が、上の空な晴子に唐突に話しかけた。
「えっ?」晴子は、不意を突かれて目を見開いた。
「完全に“女”の目してるしね。それに、昼休みにいつも一緒だし~」朱美はしたり顔をしながら晴子を小突く。
「女の目って、あなた何歳よ……。それにあれは、あっちがいつも勝手に来るから」
「それ、完全に脈アリじゃないの~! ねぇねぇ、告らないの?」
「告らないよ、別に。そんな仲じゃないって言ってるでしょ」
 そう言って晴子が再びスタスタ歩き始めると、「つまんないの」と朱美も続いた。

 武史とは幼馴染だ。ただの幼馴染だったはずなのだ。それがなぜか、いつしか彼のふとした挙動にドキドキして、ユニフォームを着て白球を投げる彼が堪らなく愛おしくなった。
 おそらく、私は武史に恋をしている。彼はどうなんだろう。昼休みに私と二人でご飯を食べて、彼はドキドキしないのだろうか。

 翌日の昼休みも武史は弁当箱を持って晴子の席にやってきた。いつもの大きな弁当箱と背丈が低く少し太い円柱状の容器を晴子の机上に置く。
「あれ、そんな弁当箱持ってたっけ?」
「スープジャーな。今日、自分で味噌汁作ってきたんだ」
「奥さんに作ってほしいんじゃなかったっけ」
「そうだけど、ほら、よく考えたら自分でも作れた方がいいなって。一人暮らしするかもしれないし、練習練習」
「そっか」そのまま晴子は自分の弁当を食べ進めようとしたが、武史はなぜか不服そうにこちらを見ている。
「自分じゃあうまくできたと思うんだけど、試しに飲んでみてくんない?」武史はジャーを晴子に差し出す。
「あ、そういうこと? 味見してほしかったわけね。そうしてほしいならそう言えばいいのに」
 ジト目で武史を責めると、彼はばつが悪そうに視線をずらした。晴子も淡白な素振りをしているが、心臓はバックバクだ。

 それは、じゃがいもとわかめの味噌汁だった。じゃがいもは大きなものを四分割したのか、二口くらいの大きさだ。「もっと小さく切りなよ」と容赦なく一バツ。

 啜ってみる。

 じゃがいもとわかめを食べてみる。

 時間が経っているだろうに、微かに湯気が立っている。

 晴子はジャーを武史に返して、訊いた。

「武史さ、今日はいつ部活終わるの?」
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