第1話

文字数 2,228文字

「もうこれで最後です」と書かれた手紙が届いた。最後だと言い切ることで、自らの希望を通そうとする相手の重さ、嫌らしさが肩にかかった気がして、私は手紙を置いた。
送り主は、東和田貴子という女で、前の会社で一緒に働いていた。自費出版を扱う小さな出版会社で私は営業を担当していた。東和田も営業だったが、髪が長く、ところどころからまっており、顔もやたらに白く生気の無い目をしており、年齢は40歳くらいだろうか。私は挨拶くらいしかしたことがなかった。むこうも挨拶しても、ふふっと会釈するくらいだった。
小さな会社だから、案件を共有したりしそうだが、東和田は営業という名であるが、簡単な経費入力等事務をしているらしく、よく実態がわからなかった。社長の遠い親戚らしく、社長自身は、丸顔の気の良いおじさんだったので、社員はそれ以上追及せず、東和田が仕事をしなくてもしょうがないかと皆に思われていた。
会社には、自費でも形として、自分の言葉を残したい人達が、日に10名程度やって来た。地方都市にしては、営業をかけていないのに、まぁまぁの人数だった。
一歩会社の外に出ると、道にはバーチャルスクリーンに誰かの発した言葉が、例えば、「疲れた」とか「この道うんこ臭くて陰気だな」とか、そんなどうでもいい言葉がおびただしく書き込まれており、それを見ないで歩くことは難しい。車を運転する際のみ、車のフロントには書き込みが移らないように処理されるので、見通しを確保でき、書き込みを見たくないので、車を運転したがる人が増えてきた。インターネットという昔のサーバーに、以前は書き込まれていたのだが、皆の発言がサーバーを上回り、以前の書き込みを削除しようとしても、それぞれが著作権を言い張るため、削除が進まなくなった。そして、公共の道にも、スクリーンが登場し、余白は瞬く間に発言で埋まっていった。道を歩くと誰かの思念がからみつき、疲れがたまる。会社や自宅等誰かの所有物は、スクリーンをオフにしないと、仕事へのやる気とか、家族への不満とか、つい書き込む人間が増え、軋轢ができ、業務や生活に支障が出る。オフにはするが相手との真意の探りあいになり、気が休まらない。
新たに空白の場所を求めるように、自費出版にたどりつく客が多かった。本としてなら、物質的に形が残る。たいていは、家族への感謝や、自分の信念を伝えたいという崇高な人達だったが、言葉が溢れかえる外から建物の中に入っても、誰かの思念に触れるのは、ぐったりすることだった。
東和田は、たいてい無表情であり、何か伝えたいという感情が欠如しているように見え、私は彼女を意識したこともなかったし、いてもいなくても同じように仕事ができたので、ある意味助かっていた。
私は、言葉に触れる時間に晒され、徐々に疲れが溜まり、言葉を扱う仕事は限界と感じ、出版社を退職した。
新しい食品卸の会社にも慣れてきたとき、出版社をやめて半年程経った頃、東和田から手紙が届くようになった。バーチャルチャットでのやり取りが普通の今、あえて手紙を出すのは珍しいし、東和田に住所を教えたこともないので、なぜ東和田がそうしたかわからなかった。更にわからないのは内容で、「お願いします。お願いします」とだけ書いてあったが、肝心の何をしてほしいかが書かれていなかった。
男として彼女に好かれてしまったのかとも考えたが、会社で目が合ったりしたこともなく、彼女の何ものにも無関心な態度から、それはないだろうと思った。お願いします手紙が1ヶ月に1度送られてきて、10回は繰り返されたが、私は手紙を出すことはなかった。そして先ほどの
「これで最後です」の手紙が送られてきたのだ。だいたい何を要求しているかわからないが、人の唯一の空間である独身賃貸1LDKの空間に手紙を送ってくること事態、平穏が妨げられる。考えてほしい。東和田の汚い髪の印象がなぜか頭をかすめた。
そうしていると、前の会社の社長からチャットで、すぐに生配信の国道3号線を見てほしいとのことだった。面倒だったが、社長は基本的に良い人で、変な依頼をする人ではなかったし、見てみることにした。東和田が車が行き来する間を縫うように、白いワンピースを着て、踊り、呻いていた。言葉になっていないが、メガホンで何か音を発していた。車が気づいて急速に東和田を避けて走っていた。道のバーチャルスクリーンには、更に書き込みが増し、黒い虫が大量に発生しているようだった。東和田は、ふらふらと反対車線に歩いていき、終にトラックに牽かれた。スクリーンが真っ黒になり、突然消えて、道のみとなった。サーバーがダウンしたのだ。あの道のスクリーンが消えたのは、スクリーンが出来できてから初めてだったと思う。数時間空白が保たれたが、またスクリーンは復活し、黒い文字で埋まった。東和田の遺体は撤去された。
わたしは、勝手に手紙を送り付け、勝手に死んだ東和田を迷惑と思ったが、なぜだかスカッとしたというか、あの道の空白が目に優しかってた。もう内容とか関係なく何かを感じたり、人に遠慮なく東和田のように死ねたらいいが、死ぬ勇気がないので、好きな時に笑おうと思った。前は、阿呆かと嫌いだった他人の言葉も許せるようになった。許せるって何様だ~、はは~と夜道で声に出した。それがまた、道の自販機の上のスクリーンに書き込まれ、灯りが灯った。



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