トンネル監視員のお仕事

文字数 2,000文字

 トンネルに響くのは足音だけで、そのことがなおさら静寂を感じさせる。ここに並ぶ人々はみな無口で表情がないが、白壁に照らされてか明るく見える。僕は今日もただただ行列を監視する。見習いとはいえ退屈な仕事、無駄な時間。何か問題が起こるはずもない。みな、懺悔も感謝も戸惑いも憤怒も全て終え、ここにきて並んでいるのだ。感情も言葉もなく、前に並ぶ人のあとを同じ速度で歩いている。
「エクスキューズミー、エクスキューズミー」
 人の声を聴いたのはいつぶりだろう。目をやると流れに逆らうように後ろを向き、声をあげる人の姿がある。30代くらいの男、アジア人。後ろに並ぶ男は欧米人か、体の大きさは1.2倍ほどはある。後ろの男は無反応、それが当たり前である。全ての感情をなくし歩くトンネルなのだから。
「困ったな、後ろに行きたいのだけど……」
 僕らは基本的に誰とでも意思疎通ができる。とはいえ話しかけるつもりはない。それは僕の仕事の範疇を超えているし、面倒なことは勘弁だ。しかし、気になって見つめてしまったのがいけなかった。
「あ、そこの子。僕の声聞こえてますよね?」
 僕までの距離は幾ばくかあるが目が合ってしまった。幸いなことに近づいてくるそぶりはなかった。もし列を外れるようなことがあれば、状況を説明するという仕事が後々増える。声をかけられたくらいなら報告義務さえないはずだ……なのになぜ監視管理係から『連絡』が届くのか。話を聞いてやれ? 嘘だろう?
「静かに」
「ああ、よかった。言葉が通じるんですね。その、一緒に来たはずの娘と別れてしまって」
 なるほど。様子から見るに親子で事故にでもあったのだろう。
「このトンネルを抜ける間に私たちの姿形はなくなってしまうのですよね? どうせなら最後は娘と歩きたいのですが」
「ここにくる人間は1日平均16万人、少しのタイミングの差で会えないことはよくあるんだ」
「その高さから見渡して見つかりませんか? 最後は橙色のワンピースを着ていて、背丈はちょうど1メートル、そう、あなたと同じくらいなのですが」
 一応ぐるりと見渡したが、この数ではそう簡単には判別できない。
「ちょっと、見当たらないな」
「そうですか……あのう、お調べ頂いたりはできませんか? 娘は鷲崎万里子というのですが……いや、役所じゃあるまいし、無理ですよね……」
 調べられないことはない。だが、調べる道理もない。ない、というのに、調べてやれと『連絡』だ。
「鷲崎万里子……ここには来ていないようだ」
「え? ということは、生きているんですか? どう考えても無理な状況だったのに。いや、よかった、よかった……それならばいいんです。ご面倒おかけしました」
「……いや、ちょっと待って。あなたらの言う所の『現世』にも居ない」
「というと、どういう……?」
 そうなると答えは一つしかない。僕は自然と高所を降りて人間の前に立つ。
「先に亡くなったのは?」
「娘が亡くなったのならば、娘が先だと思います。我々の車はうしろからトラックに突っ込まれたのだと、朧気ながら一瞬バックミラーで見た気がします」
「ああ、やはり。そうなると行先はここではなく、賽の河原だ」
「……そこには行けますか? 連れて行っていただけませんか?」
「それは無理だ」
 面倒ごとは嫌いだ、ましてあの場所に戻らなければならないなんて。
「あの子が生まれてからすぐ妻を亡くし、一人娘に不憫な想いをさせました……せめて……愛しているよと伝えてくれるだけでいいんです、それだけで」
 ちょっと持ち場を離れる、となぜ『連絡』したのかはわからない。わからないが僕の足が動いたのだ。死してなお娘を想い流れたもう流れないはずの涙、そんな安っぽいものごとき、どうということもないのに。

「おや。またわしが恋しくなって戻ったのかい?」
 河原に近づくにつれ重くなった足取りが、その一言でより重くなる。二度と戻りたくなかった場所、二度と見たくなかった婆の顔。
「人を探している。それだけだ」
「ふん。トンネル監視係ごときが偉そうに」
 あの頃より子供の数が増えた気がするが、変わらず誰もが泣いている。幸いなことに橙色のワンピースはすぐに見つかった。
「鷲崎万里子か?」
 僕と同じ背丈の身体は少し震えていたが、こくんと頷いた。
「婆、この子はここから連れて行くぞ」
「天使見習いにそんな権限あるもんか。それに、その子は来たばかりじゃないか」
「この子の母は既に亡くなり、父も亡くなった。もうここにいる必要はない。その事を知らずに、ずっとここで泣いている必要もないんだ」―かつての僕のように。

 あの日あの男の声を聴きながらぼんやり頭に浮かんだのは、遠い昔、父と呼んだ人の顔だったのだろうか。もう覚えてもいない。
 持ち場を離れたにも関わらず、僕はなぜか監視管理係に昇格した。なにもかもが無駄だという顔をした監視員に今日は初めて『連絡』をいれる。
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