Dominion

文字数 3,051文字

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 ――バカな奴がいた。そいつはドレッドヘアだった。ドレッドヘアは頻繁に洗えないのだという。だけどそいつは臭わなかった。ファブリーズを常備していたからだ。事あるごとに吹きかけていた。頭皮には絶対によくないだろう。それでもそうしていたあたり、周りに気を遣う出来た男だったのかもしれない。俺と本条は専門学校の同期だった。本条はプログラマーになりたかったらしく、一方で俺の目指すところはネットワークエンジニアだった。

 という話は案外どうでもよく、ではなんの話がしたいのかって、それは本条という男と関わった時間を文章として残したいわけだ。

 本条はほんとうにバカだった。俺のバイト先であるコンビニに顔を出しては、「飲もうぜ」と力強く一言、明らかな酔っぱらいの状態で誘ってきた。本条のせいで「おまえはあんなくだらない男と知り合いなのか」と店長からお叱りを受けたくらいだ。だけど、俺にとって本条は言ってみればおもしろい奴だったので、店長の言い草には腹が立った。ぶん殴ってやろうかとも考えたけど、俺はそこまでバカではないので見逃してやった。見逃してやっただなんて言うと上から目線すぎるだろうか。そんなこと知ったこっちゃない。俺は本条が好きだった。深酒がすぎると三車線の道路の真ん中で寝転んでけたたましいクラクションの中にあっても爆睡してしまう本条のことが好きだった。

 釧路からやってきたガキがいた。同じ専門学校に通う18のガキである。バイトもせず、アパートの家賃を全部親に頼るようなクズだった。そいつの家がたまり場になった。よく「三国無双」やらをやったものだ。俺は夏候惇が好きだった。それだけだ。夏侯惇がどれだけ偉いのか知らなかったし、知らないままでいいとも思う。なお、その場には男ばかりの中に女が混じっていた、しかも一人だけ。いま思えばいつ襲われてもやむを得ない状況なのだが、誰も彼女を女として見ていなかった。陰キャの陰キャたる所以だ。いくら相手がFカップという尊いパイオツの持ち主であろうと、誰も手を出すことなんてしなかった。ま、可愛い話ではないか。男と女のいやらしさを伴わない共存。美しいではないか。

 派手に話が逸れた。
 本条の話だ。
 彼の話を続けたい。

 本条は専門学校に通いながら、クラブの支配人をやっていた。支配人。なんとも大仰な響きを持つ身分だが、つまるところ、カウンターの向こうで酒を作っていただけだ。俺は本条のことをアホだなと思った。なにせクラブだ。そういう場所においては年をとってもバーテンならやっていけたと考えたからだ。むしろ年を重ねたほうがそれらしい雰囲気が出て良かったのではないだろうか。

 本条の家に遊びに行ったことがある。映画を観たりショッピングができたりする「札幌ファクトリー」なる複合施設があるのだけれど、そこから徒歩で30秒ほど離れた場所にあるビルの二階が彼の根城だった。居酒屋の跡だった。本条のおじだか誰かが経営していたらしいのだけれど潰れてしまって、紆余曲折あって本条のものになったらしい。俺は一度、招かれたことがある。ほんとうに、まるっきり、もろに居酒屋の跡だった。おもしろいと感じたものだ。トイレへと続く戸は開け放たれたままで、業務用のデカい冷蔵庫の前にPCデスクが置かれ、パソコンもその上にあった。本条は俺に言ったものだ。「どんな媒体を介するものでもとにかくヒトとヒトとの繋がりに興味があるから、それをうまく円滑に体験する手段があるならぜひとも教えてほしい」と。残念ながら当時の俺はまだまだITというジャンルに疎かった。本条は「だったらおたがいに詳しくなったときにはまた会おうぜ」と述べた次第である。


 ――俺はネットワークエンジニアになった。本条はあまり出来がよくなかったので、プログラマーにはなり損ねた。だったらなにになったのかというと、やっぱりクラブでバーテンをやりながらDJもこなしているのだと耳にした。機嫌良くやっているらしいとの話だったから、それはそれで、俺は安堵した。DJ、そう、DJだ。本条の家にはターンテーブルがあった。ドラムンベースが好きった。俺が「スクラッチってなんだ?」と訊ねると、「そんなことも知らないのかよ」と軽く馬鹿にされた。俺たちの共通点、それは紫煙を愛していたということだ。俺はアメスピの燃費の良さが好きでいつもそれを吸っていたのだけれど、本条はしょっちゅう銘柄を変えていた。あれも違うこれも違うと言い、文句を言いながらマルボロを吸っていた。


 ――俺はもう、エンジニアを始めてから長くなっていた。そんな折に本条が死んだのだと、専門学校時代の同級生から聞かされた。おいおいおいとツッコミを入れたくなった。本条、どうして死んだんだ? また道路の真ん中で寝ていて、それで轢かれちまったのか? 笑った。そのとおりだったから。バカだな、本条。おまえはモテただろうし、だからめんどくさくなるくらい女を抱けただろうに、あっという間に死んじまうなんて。おまえの楽しみは、おまえがおもしろいと心から言えたことは、いったい、なんだったんだ? やっぱりバーテンをやることだったのか? やっぱりターンテーブルをいじることだったのか? 葬儀に出て、花を手向けるとき、俺は少しだけ泣いた。ドレッドで笑顔の本条の遺影を見て、ちょっとだけ泣いた。


 ――本条は「音楽に支配されるのが気持ちがいい」のだとよく話していた。支配。なんとも重苦しい言葉だ。でも、なんとなく、わかるような気がした。なにかに支配されているあいだは、なにも考えずに心地良い思いができる。それが音楽であれ、読書であれ、映画であれ、麻薬であれ。本条はそのへん、よくわかっていたのだと思う。エンタメの知識については彼に敵わなかった。だけど、本条にも知らないことがあって、それは「スナッチ」という映画だった。「スナッチ」。86カラットのダイヤモンドをめぐって様々な立場にあるニンゲンが陳腐なまでにそれを奪い合うというお話だ。俺は本条の自宅の居酒屋、そのカウンター席に座って、本条と一緒に「スナッチ」を観た。本条はたびたび笑った。こんなにおもしろい映画があったのかとご満悦だった。そのときの本条は、「スナッチ」に支配されることが気持ち良かったのだと思う。素直で正直な本条らしい話だ。


 ――品川区、臨海部の天王洲。運河を目の前にするデッキに座って缶コーヒーを飲み――要するに仕事をサボりながら、俺はそのたび、本条のことを思い出す。おまえ、つまらない死に方をしちまったんだから、やっぱバカだよ。それでもおまえはこの先もずっと、俺が死ぬまで俺の心にしがみつき続けるのだろうし、俺はそれでもいいと思ってる。

 おまえは学生時代、俺のバイト先のコンビニに酩酊状態で顔を出しては、ほんとうにくどいくらいによく言っていた。「仕事終わったら飲みに行こうぜ」と。俺はその頃、朝七時に家を出て、夜の十一時過ぎに帰宅するというハードスケジュールだった。だからまあ、日頃の疲れもあって付き合うのはつらかったのだけれど、いま思えば、もっと付き合ってやっていればよかったと思う。

 ズブロッカ、それにボンベイサファイア。

 本条、おまえに教えてもらった酒は、時折、俺のことを支配するよ。
 頭も身体も支配してくれて、おまえのことを思い出させてくれるよ。

 天国にもファブリーズはあるのか?
 あったら、いいな。
 なかったらおまえ、間違いなく臭いだろ?
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