第1話

文字数 10,021文字

原爆なんて要らない?

1.プロローグ
2011年3月11日に東日本を襲った大地震は、マグニチュード9.0と、人類の観測史上、1960年のチリ地震、1964年のアラスカ地震、2004年スマトラ島沖地震に次ぐ4番目の規模で、それにより巻き起こされた津波によって16000人以上の尊い命が失われた。しばらくすると、地震学者という人たちの中に、「私はこの地震を予言していた。私は今後30年以内にマグニチュード7.0以上の地震が起こる確率は30%以上であると予言していた。」と発言する人が出たりしたが、マグニチュード7.0と9.0ではその規模は1000倍の差があり、それが「予言」と言えるのか甚だ疑問である。一般人から見ると、「今後30年以内に私が宝籤に当たる確率は30%である。」と言っているのと余り変わり無いように聞こえる。それが1億円なのか、10万円なのか、1000倍というのは大きな差であろう。

2.武器は何のためにある?
武器は何のためにあるのか、考えたことはあるだろうか。そう、相手から富を奪うため、屈服させて自らの意思に従わせ、富を貢がせるための脅しの手段の場合もあれば、実際に相手をこの世から抹殺し、最終的にはその全てを奪うための手段という場合もある。それが集団と集団、国と国という対立構図になれば、戦争という形態になり、軍隊という専門集団が必要になり、高性能な武器を持ち、使い方が上手な方が勝ちになる。実際に闘いをせずとも、脅かすだけで相手を屈服させられれば、味方の損失も無く、ほぼ無料(タダ)で目的を達することが可能になることは言うまでもない。ある日本の「識者」が、「相手が攻めて来たら、さっさと領土をやって戦争を避けるべきだ。」などと堂々とテレビでしゃべっていたが、征服者から見ればこれ以上の味方は居ないであろう。何しろ脅しただけで領土とそこにある人と資本と知識、その上生産手段と熟練した労働者という現代の富の素まで手に入るのだからこれは脅かさずには居られない誘惑以外の何物でもない。
戦わずして相手を屈服させるために人類は強力な武器を発明し続けてきた。石器時代には棍棒、鉄が使えるようになると刀や槍、さらに時代が下って中世になり石弓が発明された時には、「最終兵器」と恐れられたという。その後火薬の発明と大砲や鉄砲への応用、さらに時が進むと鋼鉄製の戦艦や、はたまた飛行機、ミサイルとエスカレートし、原爆の発明に行きついた。これぞ「最終兵器」と呼ぶにふさわしいものであったが、広島と長崎の爆撃に使用され、人類はその使用に二の足を踏むこととなった。「最終兵器」ではあるが、実際に使えなければ、脅しの手段としての効果は甚だ薄いものがある。

3.研究者としての出発
時は2070年、「地震予知」という言葉が風化して久しく、日本の「地震」学者たちは文字通り「自信」を無くしていた。そんな中、佐野孝夫は日本一と言われる京西大学のその中でも一番入学が難しい理学部地球物理学科を優秀な成績で卒業し、大学院博士課程も無事修了して助教として母校に勤務することになった。2011年までは「地震予知」という言葉が流行った時があったが、東日本大震災以降60年が経過し、その言葉が聞かれなくなったのは、「予知」が不可能であることにやっと気付いたからであろう。2046年生まれの孝夫にとってはそんなことは生まれるずっと前の全く知らない出来事で、幼少時に祖父母から津波の凄まじさを聞かされた記憶が微かにあるに過ぎなかった。
2070年代の大学は、日本一の京西大学と言えども研究費の先細りで余程の研究成果を挙げなければ十分な研究費も貰えず、したがって、大規模な実験を必要とする研究などほぼ不可能になっていた。これは、2000年頃から大学に求められるものが「イノベーション」という名の事業化となり、「科学の奥義を窮める」などということは研究費の獲得という観点からは最も遠い世界になってしまっていたからである。したがって、日本の科学者にとっては、2021年を最後に50年間ノーベル賞など夢のまた夢になってしまっていた。すぐに「事業化」できることなど、大学でやらなくても会社でも、個人でも誰でもできる事であり、逆にアメリカでは20世紀から連綿と、有望な発案にお金を出す「アントレプレナー」という人たちが居て、50のアイデアの内1つが成功して100倍の利益を生めば元が取れるという、まさに「千三つ」の世界が展開されていたため、次から次へと新しいスタートアップが生まれていたのである。
そのような民間の支援の仕組みもない日本では、大学で基礎研究をやろうとしても、全く研究費のあてが無いのが実情になって久しい。孝夫は考えた。「これから大学で40年以上も研究を続けていくためには、その時の流行のテーマを追いかけるか、30年先に実用化できる研究テーマを見つけるか、いずれしかないだろう。自分は不器用な方だから、研究テーマをサーフィンの波乗りのように渡り歩くのは無理だろう。すると、30年後に実用化できるような、超長期的研究テーマを見つけなければ。そんな長期的な研究では、まともな研究費は貰えないだろうから、紙と鉛筆である程度裏付けができるようなテーマでないと駄目だなあ。150年くらい前の日本の物理学の先輩たちが、紙と鉛筆だけでノーベル賞を取ったのと同じ境遇かあ。一体日本はこの150年間に何をしてきたのだろうか。」

4.大陸は動く
そもそも「大陸は動く」ことを提唱したのは、1912年のドイツのウエゲナーであり、幾多の変遷を経て、1960年代から「プレートテクトニクス」という地球表面が十数枚のプレート(板)で覆われ、その一枚一枚が地球内部の融けたマントルの対流によって動いているという理論によって裏付けられた。一般にはプレートとプレートの境界で地震が起こり、火山が噴火する。プレートが動く速度は高々毎年数cmという微々たるものではあるが、100年で数m、10万年経過すれば数kmにも達し、それが一度に動けば、2011年の大津波のような大規模な災害に繋がるのだ。普通は、数年に一度蓄積されたエネルギーが放出されるため大きな地震は起こらないが、1000年分のエネルギーが一度に放出されると、マグニチュード9クラスの地震になるという。
では、何故マントル対流が起こるのであろうか。そもそも地球が46億年前に生まれた時から、地球は冷え続けているのであるが、地殻中に含まれる放射性のウランとトリウムの核分裂のエネルギーのお陰で地球内部は岩石や鉄さえもが溶解するほどの高温を保っている。地球の半径は約6300km、中心から3500km程の「核」と呼ばれる領域は鉄でできており、溶けた鉄が動くことで地球に磁場が生じ、太陽風や超新星爆発など地球に飛んでくる様々な高エネルギー粒子によって地球上の生物が死滅するのを防いでくれているのである。その上に2800km程の厚さの融けた岩石からなるマントルがあり、その表面に10km程の極薄い地殻からなるプレートが浮いているのである。プレートは熱いミルクの表面に張った薄いたん白の膜のようにマントルの動きに従って地球表面を動き回り、それが大陸の移動現象として観測される。月や火星は既に「核」が冷え固まってしまっているため、磁場は失われ、太陽風や超新星爆発に起因する放射性物質や高エネルギー粒子が嫌という程地表に降り注ぎ、生命の生存には全く不向きな環境になっている。人類はウランとトリウムにもっと感謝しても良いであろう。
実は、2070年頃になると、2000年頃から兆候として微かに見えてきた大陸の移動がより活発になってきた。世界各地で大地震が続発し、それまで余り地震を経験したことの無いヨーロッパやアジア、アメリカなどの大陸中央部でも、度々地震に見舞われることになった。恐らく東日本の大津波もその端緒だったのであろう。つまり、地球上のいたるところでマントルの上昇によるプレートの移動が起こり始めていたのである。

5、火山の噴火は制御できるか?
孝夫が京西大学に職を得てから20年の月日が経過し、45歳を過ぎた頃に彼は教授に昇格した。特に卓越した世界的成果を出したわけではないが、それなりに世の中のニーズを捉えた研究成果を発表し、また、京西大学教授としてそれなりに政府の政策決定にも関与するようになったためと本人は思っていた。しかし、心の中では「30年かけてでっかい仕事をする」と決めていたので、それが評価されないのは甚だ不満ではあった。
実は孝夫の選んだ「30年かけたでっかい仕事」とは、「プレートテクトニクスの制御」であった。地球内部のマントル対流のメカニズムを理解すれば、それを制御できる可能性はあると確信し、一歩一歩研究を進めていた。彼は考えた。「マントル対流は地球の何処で起こっても良いはずなのに、何故決まった場所で起こるのだろうか。その理由が分ればプレートテクトニクスを制御できるはずだ。小笠原の西之島のように、日本の領海内に海底火山を噴火させられれば、日本の領土や領海がいくらでも広げられる。そうすれば、日本の発展に少しは貢献できるだろう。」
孝夫の理論では、2000年頃からプレートの動きが活発になってきたのは、マントルを融かすエネルギーを供給している核分裂反応が局在化し地球上のさまざまな場所でいわゆる「ホットスポット」ができ、その場所で地震や火山噴火が起こるようになったからで、逆に言えば、「ホットスポット」を作ってやれば地震や火山噴火を人工的に起すことが可能になる。問題は「どうやって?」に絞られる。孝夫のアイデアはこうだ。「そもそも、マントル対流は起こる原因は、地球の中心部が大変な高温で、そこで温められたマントルが軽くなって上がってくる場所がマントル対流の吹き出し口になるはずだ。そうなれば、その吹き出し口を目的の場所に持ってこれれば良い。そのためには、岩盤の弱いところを作ってやれば良いのではないか。」一般の人にはあまりにも荒唐無稽に聞こえるこのようなプロジェクトは、当初全く相手にされず、研究費の目途は全くつかなかった。しかし、孝夫の粘り強い説得で、21世紀後半には既に3流国に転落していた日本に大いなる危機感を持った経団連が動き、遂に国防関係の予算から大型の研究費を獲得することに成功した。

6.大規模実験の成功
小笠原の西之島は何故噴火したのか。そこにマントルの吹き出し口があったからである。もともと海底火山の吹き出し口があったためにその近傍の弱い岩盤を突き破ったと考えるのが適当であろう。では火山の噴火を制御するために、どうやってマントルから見て弱い岩盤を創り出すのか。ここに孝夫のアイデアがあった。そもそも1000度以上の高温の物体がそれより低い融点を持つ物体と接すれば、当然融点の低い物体は融ける。それを使って地表までマグマを導き出せれば見事に噴火が起こるはずである。融点が低い物質は、岩石などの組成だけでなく、圧力の加わり方によっても創り出せるが、逆に外部からのエネルギーの注入による局所的な高温化などによって岩石の融点を実質的に低くすることができる。無論、噴火させる場所により実験的に様々な方法の中から最適な方法を決めることはできるが、単純にはエネルギーを局所的に注入して岩石を融かすことができれば目的は達せられることになる。
このような考察の元、孝夫は試作したエネルギー照射装置を使ってモデル実験に取り掛かり、小規模なレベルの実験に成功した。つまり、エネルギー照射装置で岩盤を加熱し、柔らかい地殻を作る基礎実験に成功した。その結果を敷衍して、更にスケールの大きな実験を始める計画であったが、最初から「国土と領海の拡大」などという大風呂敷を広げると、失敗した時に致命的な影響が出るので、まずは「火山活動の制御は可能か?」といったテーマで上述の大型研究費を獲得し、西之島の比較的近くにある長年噴火したことがなく、しかも海面に顔を出していない海嶺で実験することになった。安全面や将来的な発展の可能性を考慮し、比較的遠隔で噴火させる場所にエネルギーを送るという方法を取った。地殻中をあまり減衰せずに伝搬できるエネルギー波を、指向性を持たせて送るエネルギー照射装置を10台ほど製作し、丁度がん治療の放射線照射装置のように中心のある一点にエネルギーが集まるように、目的の海嶺周辺の十ヶ所に分散させて装置を置いた。エネルギー波は精密に照射方向を制御し、海嶺下部のマントル表面にエネルギーを集中させると、孝夫の思惑通りマントルが上昇し、見事に噴火が始まった。周囲からのエネルギー照射を続けていると、噴火は益々盛んになり、遂に海嶺が海面上に頭を出して島になった。1年程噴火を続けさせた結果、直径20km程の大きな島に成長し、「小笠原新島」と名付けられて、日本の領土が少し広がった。鳥が飛来し、植物が生え、生命活動が始まったのはそれから数年後であった。更に人が入植できるまでには何年もかかったが、孝夫の理論は見事に結果を出すことができた。
「小笠原新島」の成功に、日本中が熱狂し、次から次へと孝夫の理論を使った新しいプロジェクトが提案された。沖縄、玄界灘、日本海、北海道、太平洋等々の候補の中から、新島の形成し易さ、地政学的な重要性などを勘案して優先度を決め、多くのプロジェクトが発足し、日本の国土は数万平方km広がり、更に領海も排他的水域も大幅に広がって、何年か後には全ての島で人の経済活動が始められ、日本は再び成長軌道へと舵を切ることができた。やはり、経団連のような長期的視点に立てる団体が発言力があるということが国の将来を切り拓くのだということを孝夫は改めて認識した。

7.国際スパイの暗躍
孝夫の周りに、独裁国家であるチョーナ国、オシア国、イルイル国などの専制国家のスパイが暗躍し始めたのは、火山噴火の制御という人類初の快挙を成し遂げた直後であった。政府はボディーガードを付けて孝夫等研究の中心メンバーの身の安全を確保すると共に、研究データを「厳秘」に指定して、100年前の半導体、ディスプレイ、太陽電池、リチウム電池などの機密情報漏洩に起因する技術の流出と、産業そのものを海外に奪われたことに起因する国力の低下を繰り返すまいと厳重な対策を取った。それでも産業スパイはしつこく情報の剽窃を試み、10億円、100億円という札束が乱れ飛んだという噂も出るほどであった。
孝夫は研究の肝であるエネルギー照射装置の設計図を公表しないことは無論、装置製造現場から情報が漏れないように、部品を多種類発注して、組立は厳重に管理された制限区域で行い、全体像は孝夫にしか分らないように工夫を凝らした。それでも、プロのスパイの手にかかると少しずつ情報が洩れ、チョーナ国、オシア国、イルイル国では装置の試作と実験が始まったことが漏れ伝え始められた。

8.地震も制御できる?
孝夫が火山噴火の制御に成功した2090年代には、プレートの動きがより活発になって、世界中で地震が観測され、それまで全く地震の無かったチョーナ国のスーハンでも地震が起こり、世界一の高さを誇っていたスーハンセンタービルは、地震が起こることを想定せずに設計、建設されたため、あっという間に崩壊して多数の犠牲者を出したりしていた。丁度2020年頃に中東やアフリカで起こった悲劇が繰り返されたのである。孝夫は考えた。「火山噴火も地震も元はと言えばプレートの動き、とどのつまりはマントルの動きなのだから、同じ手法で地震も制御できるだろう。そうすれば、溜まっているエネルギーを無害なレベルの形で放出させ、人類に危害が及ばないようにできるはずだ。例えば、プレートに溜まった応力を緩和するには、丁度ガラスや金属の焼き鈍しのように、応力の溜まった部分を少し長時間温めてやれば良いはずだ。うんと温めればマグマが噴出してきて火山になるけれど、良い具合に温めれば地震の予防になるはずだ。」
火山噴火の制御を実証した孝夫は、京西大学教授というネームバリーの上に大きな実績を上げていたため、今度は比較的すんなりと国防関係予算から超大型予算を獲得できた。「さて、モデル実験の場所を決めなくては。」孝夫は考えた。「小笠原新島のように、人の住むところから場所が離れていれば何をやっても余り危険は無いけれど、日本国内では大きな地震を起こすと被害がどうなるか分らないから、困ったなあ。」地震制御プロジェクトが始まった2090年代には、世界人口は150億人を突破し、都市人口は130億人を超えて、まさに地球上は都市だらけの過密状態になっていた。「南極はまだ誰も住んでいないから実験には最適だけど、万が一氷床が破壊して大量の水が溢れ出して海水面が上昇したら飛んでもないことだし、かといって、月や火星では既に核もマントルも冷え固まっているから実験できないし、困ったなあ。」
そんな時、孝夫のプロジェクトのことを聞きつけたアメリカから、こんなオファーがあった。「我が国のアラスカ北部であれば、300km四方殆ど人が住んでいない場所があるので、実験してみないか。」そこでカナダにも協力を求めてまずは地殻を良い具合に温める実験を始めた。アメリカは特に西海岸で地震が頻発し、また、ロッキー山脈でも再び造山運動が始まるなど、地震の制御はアメリカにとっても喫緊の課題になっていた。アラスカでも、デナリ山周辺で度々地震が起こるようになり、実験はその北方、北極海に面したアメリカとカナダ国境付近の地域で行われることになった。
アメリカとカナダが実験に加わったことで、予算的にも潤沢になり、100台近いエネルギー照射装置を用意することとなった。地震を起させる予定の場所を中心にして、約100台のエネルギー照射装置をほぼ円形に並べ、一斉に焦点に向けてエネルギーを照射したところ、地殻そのものはあまり動かないが、溜まった応力を緩和する上手い焼き鈍し条件を見つけることができた。その結果に力を得た合同研究チームは、地殻の変形が非常に大きくなりつつあり、あと数年で大地震が発生すると予想されるロッキー山脈で実験を行うことにした。実験が上手く行けば、地震を全く起さずに、地殻の変形が緩和され、応力が無くなれば地震の脅威を取り去ることができるはずである。アラスカで使用したエネルギー照射装置100台余りに、更に念のため100台の新しいエネルギー照射装置を準備し、最も地殻のエネルギーが溜まっていると思われる場所を中心に並べた。少しずつエネルギーを照射する焦点の場所を移動させて、1日24時間、少しずつ照射エネルギーを増減させたり、照射位置を少しずつずらすことにより、10日間で長さ約500km、幅約60kmの応力発生帯の地殻の焼き鈍しをした結果、最終的に地殻の変形がほぼ無くなり、マグニチュード7以上の大きな地震が発生する可能性を未然に防げることが実証された。これよりも大きな規模の地震の場合は、より長時間、広範囲にわたってゆっくりと加熱して地殻のエネルギーを緩和すればよいことも分かった。日本で2020年頃から心配されていた南海トラフ地震の原因となっている地殻の変形も、この方法で焼き鈍し緩和させることにより、地震発生の危険は完全に抑えることができた。かつての地震大国日本は、今や地震の無い国として世界にアピールすると共に、この技術で世界中の地震を未全に防ぐ組織を立ち上げて、世界の国から尊敬を集めるようになった。無論、設立から150年近く経過して、全くの無用の長物となっていた国際連合からも表彰されることとなったが、孝夫のような学者にとってはそんなことは全く意味のないことであり、権威主義に凝り固まった政治家たちだけが有難がった。

9.「最終最終兵器」
コンピュータ、ネットワーク、ジェット機、ロケット、果ては自動運転など、もともと軍事技術として開発されたものが、民生技術として世の中に不可欠になるものもあれば、ダイナマイトや飛行機、半導体、撮像素子のように元々民生技術として開発されたものが、重要な軍事技術として転用される場合もある、「軍事研究反対」などと叫んでいる学者連中は、コンピュータや、ネットワークやジェット機やロケットや果ては自動運転の使用になぜ反対しないのであろうか。
今回も火山噴火と地震の発生を制御できるという結果に最も反応したのはアメリカの国防省であった。彼らは敵国の目的の場所に火山を噴火させたり地震を起させることができれば、原爆以上の「最終最終兵器」になると考えたのだ。孝夫は人類が噴火や地震と言った自然災害から逃れる方法として噴火や地震の制御技術を開発したのであるが、その達成できることがそれまでに人類が出来ていることを遥かに越えた時、「最終最終兵器」になるのである。
アメリカの国防省は、早速傘下の研究所にこれまでの研究結果を持込んで兵器化の研究を開始した。地震を起こさせるためには、局所的かつ急激な地殻の加熱により、岩石の急激な膨張を局所的に起させることが有効であることも実験的に証明された。マントル上部をゆっくり加熱すれば火山噴火が起こることも確認した。さらに彼らは、これまでの実験で兵器化を妨げている最大のポイントは、1万km以上もの遠く離れた場所に火山噴火や地震を起こさせることができなかった点のみであると結論付けた、特に仮想敵国であるチョーナ国、オシア国、イルイル国は、大陸の真ん中にあることもあって、比較的国土が大きく、1万km以上離れた場所からエネルギー波を目的地点に収束して照射することができなければ兵器としては使用できない。そこで彼らは遠隔地からソリトン波を使ってエネルギーを送り込んで集中させ、火山噴火や地震を起こさせる実験を始めた。ソリトン波とは、波のエネルギーが殆ど減衰せずに高速に長距離伝搬する現象で、1960年に三陸地方を襲ったチリ地震津波の原因となったことが記録されている。
アメリカ国防省は孝夫たちが最初に実験したアラスカとカナダ国境付近の荒涼としたツンドラ地帯で兵器としての最初の実験を行い、所定の効果を確認した。実験を繰り返すうちに、1万km離れた場所からでも目的地点を囲むように1000台ほどのエネルギー照射装置を配置しエネルギーをある一点に集中照射させると、火山噴火や地震を起こさせることが可能になることが分かった。1万kmと言えば地球の四分の一周だから、ほぼ地球上のどこからでも、敵国の首都や、主要軍事基地などの地下に照射エネルギーを集中させれば、非常に短時間に、汚染も無く完全に破壊できることになる。しかも、エネルギー照射装置は小型で、普通の建物の地下室にでも設置できるため、敵からは発見、破壊されにくいという長所もある。さらにミサイルや航空機と違って途中で迎撃される心配もない。諸外国に設置してある自国の大使館の地下室にも置ける小型装置が開発され、地球上のさまざまな場所に設置された。アメリカはこのエネルギー照射装置は威嚇するだけで敵国を屈服させることができる「最終最終兵器」と期待し、陸軍、海軍、空軍、海兵隊、宇宙軍に次ぐ6番目の組織である「地殻制御軍」が結成された。しかし、敵もさる者、チョーナ国、オシア国、イルイル国など、アメリカが「仮想敵国」と位置付けている国々は、様々なスパイ活動を駆使してアメリカの秘密を盗み、密かにエネルギー照射装置をコピーし実戦配備した。

10.原爆なんて要らない?
この「最終最終兵器」は原爆と違って、難しい原料は要らない、貯蔵設備も要らない、ロケットや爆撃機などの運搬手段も要らない、製造に巨額のお金もかからない、メンテナンスも要らない、使った後の汚染も気にしなくて良い、ただエネルギー照射装置さえ持って、色々な場所に設置すれば良いという理想的な兵器であり、世界中の国が欲しがったため、アメリカだけでなく、それをスパイが盗んでコピーした装置をチョーナ国、オシア国、イルイル国などがじゃんじゃん造って「国際援助」合戦という形で供給した結果、殆ど全ての国がこの「最終最終兵器」を持つことになった、したがって、従来の「最終最終兵器」であった原爆は無用の長物と化してしまった。しかし、全ての国がこの「最終最終兵器」を持ってしまったので、結局原爆と同じ「持っていても使えない」兵器になりさがってしまうことになった。一方で、世界中で日本だけが金科玉条のように「敵国を攻撃する武器は持たないという原則」を頑なに守った。
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