真夏の遺品
文字数 3,573文字
真夏の遺品
八月某日の午後十時、六階建てのマンションの一階にある駐車場で死体が発見された。
被害者はビルの最上階から落下したものと見られており、全身打撲・内臓破裂による即死であると鑑識から報告があった。もう一つ付け加えると被害者は生前に薬物の使用もしていたとのこと。
最上階の、落下地点のほぼの真上の通行路には靴が一足と手紙が三通、綺麗に揃って置かれていた。警察は手紙についた指紋や靴のサイズから、それは被害者の遺品と見て間違いないとしている
「……とまぁこんなところか」
新米刑事である私は先輩刑事から事件のあらましを聞き終わり、メモ帳を閉じてから尋ねる。
「それで、その手紙というのは……」
「ああ、これだ。ちゃんと手袋つけろよ?」
「それくらい分かってますよ」
この先輩はどうにも私を馬鹿にしたがる傾向にある。新米だからと言っても若手の中では期待の新星だとか呼ばれているくらいには出世街道を歩んでいるというのに。それに私よりもこの人の方が間が抜けていると思う。遅刻の常習犯だし、重要な捜査情報を私に伝え忘れることも日常茶飯事だ。
私は言われた通り、しっかりと手袋をつけてビニール袋に入った手紙を受け取る。手紙は三通あった。消印を見て順番に読もうとするが残念ながらそれは見当たらなかった。差出人の名前も、書いていない。
「先輩。これはどれから読めば……」
「どれからでもいいだろ? とりあえず読んでみろ」
そう言って先輩は部屋から出て言った。おそらく煙草を吹かしにでも行ったのだろう。あんな先輩のことは放っておこう。
見ると手紙はある女性に向けられたもののようだ。私は椅子に座り、封を開かれた三つのうちの一つを手に取り、中身を取り出し、広げた。
一枚目の手紙
貴女と一緒にいられる方法をやっと見つけた。
今、会いに行きます。
「やっぱり遺書か……」
私は深夜の誰もいない部屋で独り言つ。
短い手紙。ただ「会いに行く」と言うメッセージ。スマホのメッセージアプリで済むような内容だが、これが事件現場に手紙という形で残されていることから被害者の遺書であると容易に推測できる。恐らく、被害者は愛する誰かを亡くしてしまい、それの後追い自殺を試みたのだろう。
しかし、まだ手紙は二通もある。結論はもう少し読んでから出しても遅くはない。
二つ目の手紙をビニール袋から取り出した。
二枚目の手紙
もう手紙を出してから何日経ったでしょうか。思い出すことすら出来なくなるくらい遠い昔の出来事のような気がします。苦しい。苦しいです。
それでも、私は貴女を愛しています。
前の手紙では言えなかった言葉をここに何度でも書きます。私は貴女を一目見た瞬間から愛してしまったのです。
貴女はもうこの場所に来ることはないのでしょう。私の手紙は貴女の心に届かなかったのでしょう。
その理由も知っています。
貴女は既に結婚していたからです。幸せな生活を既に貴女は手に入れていたんだ。
朝には夫を玄関まで送って、朝の忙しい時間が過ぎて昼になれば洗濯物を干す。そして晩御飯の買い出しや近所の人たちとの他愛ない会話をして、たまにフィットネスクラブで汗を流し、ウィンドウショッピングを楽しむ。夜になれば、夫は帰ってきて幸せな団欒風景が窓の外からでも透けて見えてきます。
そんな貴女が、貴女の夫が羨ましい。
貴女を愛している。
この場所にいる間、どれほど貴女のことを考えただろうか。今では貴女のことを考えるだけで胸が苦しくなる。恐らくもう貴女には会うことは叶わないのだから。
貴女を愛している。
ただその一言さえ言えずに私の人生は幕を閉じるのです。
これだけ同じ言葉を並べると陳腐に聞こえてしまうかも知れない。しかし、私は何度でもあなたにこの言葉を言いたい。
貴女を愛している。
ずっと前からあなたのことを愛しているのだ。貴女の夫よりもずっと!
叶うならば、貴女の元に行きたい。会って楽しく話をしたい。会って壊れるほどに抱きしめたい。会って狂おしいほどに交わりたい。会って、貴女と共に生きたい。
愛している。もう一度だけでいい。貴女に会いたい。
二枚目の手紙を読み終わり、私は疑問を持つ。
「遺書……じゃ、ない?」
一通目の短文と比べると、手紙を書き慣れていないような、もしくは精神が錯乱しているような、乱雑な言葉が印象深い。それは当事者以外には読み辛く、当事者以外には意思を伝える気もないと言ったことが見て取れた。まぁ手紙などそんなものだろう。
推測するに手紙の差出人である被害者はこの手紙の「貴女」に会うことは叶わなかったのだろう。「貴女」の家まで辿り着いたものはいいものの、「貴女」は既に結婚しており、愛すべき夫がいた。その幸せな家庭を遠くから眺めて、ある種の呪詛のように愛の言葉を連ねている。
そう考えると被害者は少しストーカーの気があったのかも知れない。家を特定するところから始まり、一日中「貴女」に纏わり付いてその日の様子をわざわざ証拠として手紙に書いている。いや、それももしかしたら被害者の想像の範疇の話なのかも知れないが……。
どちらにしろ被害者は「貴女」に対して恋愛感情を抱いてしまった哀れな男という訳だ。だからと言って自殺をするほどのことでもないだろうに、と私は思うが、人の考え方は人それぞれと割り切るしかない。
そして私は最後の手紙に手をつける。疑問を解消するためとは言え、あまり気は進まない。
愛と憎しみは紙一重というが、私が想像しているのはまさにそれだ。もしかしたら本物の呪いの言葉でも書かれているかも知れない。あるいは二枚目の手紙の後半のように狂おしいほどの「愛しています」という言葉の羅列かも知れない。
愛というものは美しいものだろうが、人の、ましてや叶わなかった恋文など仕事でなければ読む気も起きない。私はそれほど良い趣味は持っていないのだ。
これがもし、あの顰 めっ面の間抜けな先輩刑事が書いたものであれば、面白可笑しく読めただろうに。
三枚目の手紙
初めまして。突然のお手紙で申し訳ありません。貴女は私のことをご存知でしょうか。恐らく顔も知らないでしょう私からの手紙はもしかしたら迷惑以外の何物でもないのかも知れません。
しかし、私は時折、駅のホームで貴女をお見かけしておりました。ホームの向こうで煌びやかに風にはためく髪、伏し目がちな柔和な瞳、少しの笑みを浮かべる唇、その美しさに私は一目で胸を打たれてしまいました。仕事に疲れ切った人生に喜びを与えてくれました。貴女という存在が居たから私は仕事も頑張れました。貴女をお見かけできた時は喜び、居なければその日は少し落ち込んだりもしました。しかし今はもう駅に行くことも叶いません。
私は今、病院に入院しています。病名はガンです。末期だと診断されました。親類は既にこの世にはなく、天涯孤独の身です。こんな私を哀れだと笑うでしょうか。
もし、少しでも私に慈悲をお与えいただけるならば、病院内にあるコーヒーショップでお茶などご一緒できれば、と思っております。お時間や日時はいつでも構いません。病院での生活はとても暇ですからずっと、ずっと待って居ます。貴女の気が向いた時、いつでも良いので来て頂ければ幸いです。場所は駅の近くにある大学病院の205号室です。何卒よろしくお願い致します。
手紙を読み終えて、私が考察に入ろうとした時、唐突に扉が開く音が聞こえた。驚いて振り返るとそこにはコーヒー缶を持った先輩が居た。
「どうだ? 気分が悪いだろ」
まだ考えるべきことはあるが率直な感想を言うと……。
「そうですね。あまり見ていて気持ち良いものではないですね。余りにも……悲しすぎます。叶うはずのない恋の末に自殺だなんて……」
先輩刑事は煙草とコーヒーの匂いが入り混じった臭いがする口を開けたまま呆けている。
「お前、何言ってんだ?」
先輩の顔は私の言葉を理解できなかったらしい。読解力も足りないのか、この人は。
「いや、そういうことでしょう? この遺書からはそう受け取れましたが……」
「はぁ?」
「え? ど、どういうことですか?」
先輩の威圧のような言葉に私は慌てふためいてしまい、ついつい私は先輩に問いの意味を聞き返してしまう。
「……あ、分かった」
先輩は今にもポンと手を打ちそうなほど呆気なく納得のそぶりを見せる。何が分かったと言うのだろう。私は先輩の言葉を待つ。
「言ってなかったか? 被害者は女性だぞ」
その夜、某大学病院の庭で男性の落下死体が見つかった。
八月某日の午後十時、六階建てのマンションの一階にある駐車場で死体が発見された。
被害者はビルの最上階から落下したものと見られており、全身打撲・内臓破裂による即死であると鑑識から報告があった。もう一つ付け加えると被害者は生前に薬物の使用もしていたとのこと。
最上階の、落下地点のほぼの真上の通行路には靴が一足と手紙が三通、綺麗に揃って置かれていた。警察は手紙についた指紋や靴のサイズから、それは被害者の遺品と見て間違いないとしている
「……とまぁこんなところか」
新米刑事である私は先輩刑事から事件のあらましを聞き終わり、メモ帳を閉じてから尋ねる。
「それで、その手紙というのは……」
「ああ、これだ。ちゃんと手袋つけろよ?」
「それくらい分かってますよ」
この先輩はどうにも私を馬鹿にしたがる傾向にある。新米だからと言っても若手の中では期待の新星だとか呼ばれているくらいには出世街道を歩んでいるというのに。それに私よりもこの人の方が間が抜けていると思う。遅刻の常習犯だし、重要な捜査情報を私に伝え忘れることも日常茶飯事だ。
私は言われた通り、しっかりと手袋をつけてビニール袋に入った手紙を受け取る。手紙は三通あった。消印を見て順番に読もうとするが残念ながらそれは見当たらなかった。差出人の名前も、書いていない。
「先輩。これはどれから読めば……」
「どれからでもいいだろ? とりあえず読んでみろ」
そう言って先輩は部屋から出て言った。おそらく煙草を吹かしにでも行ったのだろう。あんな先輩のことは放っておこう。
見ると手紙はある女性に向けられたもののようだ。私は椅子に座り、封を開かれた三つのうちの一つを手に取り、中身を取り出し、広げた。
一枚目の手紙
貴女と一緒にいられる方法をやっと見つけた。
今、会いに行きます。
「やっぱり遺書か……」
私は深夜の誰もいない部屋で独り言つ。
短い手紙。ただ「会いに行く」と言うメッセージ。スマホのメッセージアプリで済むような内容だが、これが事件現場に手紙という形で残されていることから被害者の遺書であると容易に推測できる。恐らく、被害者は愛する誰かを亡くしてしまい、それの後追い自殺を試みたのだろう。
しかし、まだ手紙は二通もある。結論はもう少し読んでから出しても遅くはない。
二つ目の手紙をビニール袋から取り出した。
二枚目の手紙
もう手紙を出してから何日経ったでしょうか。思い出すことすら出来なくなるくらい遠い昔の出来事のような気がします。苦しい。苦しいです。
それでも、私は貴女を愛しています。
前の手紙では言えなかった言葉をここに何度でも書きます。私は貴女を一目見た瞬間から愛してしまったのです。
貴女はもうこの場所に来ることはないのでしょう。私の手紙は貴女の心に届かなかったのでしょう。
その理由も知っています。
貴女は既に結婚していたからです。幸せな生活を既に貴女は手に入れていたんだ。
朝には夫を玄関まで送って、朝の忙しい時間が過ぎて昼になれば洗濯物を干す。そして晩御飯の買い出しや近所の人たちとの他愛ない会話をして、たまにフィットネスクラブで汗を流し、ウィンドウショッピングを楽しむ。夜になれば、夫は帰ってきて幸せな団欒風景が窓の外からでも透けて見えてきます。
そんな貴女が、貴女の夫が羨ましい。
貴女を愛している。
この場所にいる間、どれほど貴女のことを考えただろうか。今では貴女のことを考えるだけで胸が苦しくなる。恐らくもう貴女には会うことは叶わないのだから。
貴女を愛している。
ただその一言さえ言えずに私の人生は幕を閉じるのです。
これだけ同じ言葉を並べると陳腐に聞こえてしまうかも知れない。しかし、私は何度でもあなたにこの言葉を言いたい。
貴女を愛している。
ずっと前からあなたのことを愛しているのだ。貴女の夫よりもずっと!
叶うならば、貴女の元に行きたい。会って楽しく話をしたい。会って壊れるほどに抱きしめたい。会って狂おしいほどに交わりたい。会って、貴女と共に生きたい。
愛している。もう一度だけでいい。貴女に会いたい。
二枚目の手紙を読み終わり、私は疑問を持つ。
「遺書……じゃ、ない?」
一通目の短文と比べると、手紙を書き慣れていないような、もしくは精神が錯乱しているような、乱雑な言葉が印象深い。それは当事者以外には読み辛く、当事者以外には意思を伝える気もないと言ったことが見て取れた。まぁ手紙などそんなものだろう。
推測するに手紙の差出人である被害者はこの手紙の「貴女」に会うことは叶わなかったのだろう。「貴女」の家まで辿り着いたものはいいものの、「貴女」は既に結婚しており、愛すべき夫がいた。その幸せな家庭を遠くから眺めて、ある種の呪詛のように愛の言葉を連ねている。
そう考えると被害者は少しストーカーの気があったのかも知れない。家を特定するところから始まり、一日中「貴女」に纏わり付いてその日の様子をわざわざ証拠として手紙に書いている。いや、それももしかしたら被害者の想像の範疇の話なのかも知れないが……。
どちらにしろ被害者は「貴女」に対して恋愛感情を抱いてしまった哀れな男という訳だ。だからと言って自殺をするほどのことでもないだろうに、と私は思うが、人の考え方は人それぞれと割り切るしかない。
そして私は最後の手紙に手をつける。疑問を解消するためとは言え、あまり気は進まない。
愛と憎しみは紙一重というが、私が想像しているのはまさにそれだ。もしかしたら本物の呪いの言葉でも書かれているかも知れない。あるいは二枚目の手紙の後半のように狂おしいほどの「愛しています」という言葉の羅列かも知れない。
愛というものは美しいものだろうが、人の、ましてや叶わなかった恋文など仕事でなければ読む気も起きない。私はそれほど良い趣味は持っていないのだ。
これがもし、あの
三枚目の手紙
初めまして。突然のお手紙で申し訳ありません。貴女は私のことをご存知でしょうか。恐らく顔も知らないでしょう私からの手紙はもしかしたら迷惑以外の何物でもないのかも知れません。
しかし、私は時折、駅のホームで貴女をお見かけしておりました。ホームの向こうで煌びやかに風にはためく髪、伏し目がちな柔和な瞳、少しの笑みを浮かべる唇、その美しさに私は一目で胸を打たれてしまいました。仕事に疲れ切った人生に喜びを与えてくれました。貴女という存在が居たから私は仕事も頑張れました。貴女をお見かけできた時は喜び、居なければその日は少し落ち込んだりもしました。しかし今はもう駅に行くことも叶いません。
私は今、病院に入院しています。病名はガンです。末期だと診断されました。親類は既にこの世にはなく、天涯孤独の身です。こんな私を哀れだと笑うでしょうか。
もし、少しでも私に慈悲をお与えいただけるならば、病院内にあるコーヒーショップでお茶などご一緒できれば、と思っております。お時間や日時はいつでも構いません。病院での生活はとても暇ですからずっと、ずっと待って居ます。貴女の気が向いた時、いつでも良いので来て頂ければ幸いです。場所は駅の近くにある大学病院の205号室です。何卒よろしくお願い致します。
手紙を読み終えて、私が考察に入ろうとした時、唐突に扉が開く音が聞こえた。驚いて振り返るとそこにはコーヒー缶を持った先輩が居た。
「どうだ? 気分が悪いだろ」
まだ考えるべきことはあるが率直な感想を言うと……。
「そうですね。あまり見ていて気持ち良いものではないですね。余りにも……悲しすぎます。叶うはずのない恋の末に自殺だなんて……」
先輩刑事は煙草とコーヒーの匂いが入り混じった臭いがする口を開けたまま呆けている。
「お前、何言ってんだ?」
先輩の顔は私の言葉を理解できなかったらしい。読解力も足りないのか、この人は。
「いや、そういうことでしょう? この遺書からはそう受け取れましたが……」
「はぁ?」
「え? ど、どういうことですか?」
先輩の威圧のような言葉に私は慌てふためいてしまい、ついつい私は先輩に問いの意味を聞き返してしまう。
「……あ、分かった」
先輩は今にもポンと手を打ちそうなほど呆気なく納得のそぶりを見せる。何が分かったと言うのだろう。私は先輩の言葉を待つ。
「言ってなかったか? 被害者は女性だぞ」
その夜、某大学病院の庭で男性の落下死体が見つかった。