第1話

文字数 1,977文字

 買い物に付き合えと汁馬(シルヴァ)に呼び出された。深夜十二時前である。こんな時間に開いている店は限られているし、第一実店舗でモノを買うなど前時代的なことをあいつがするわけがない。ネットショッピングなら一人で勝手にポチればいいだけだし、一体何の用だと、俺はシェアキックボードを汁馬の家まで走らせる。

「よっ!」

部屋に入ると汁馬がのんきそうに右手をあげた。

「よっ! じゃねえ。こんな時間に何?」
「知ってるか? 躁彌(ソーヤ)、次にくるもん」

汁馬は俺の質問に質問で返してきた。

「知らね。そうやって俺を情弱扱い。どうせモノじゃねんだろ」
「当然」
「情報とか?」
「それももう古い」
「じゃあなんだよ」

そこで汁馬は鼻の穴を開いてみせ、タブレットPCを俺に手渡した。

「躁彌に頼みがあるんだ」
「買い物に付き合えってんだろ、最初に聞いた」
「俺は今からあっちに向かう。そしたら、そこに書いてある通りにして欲しいんだ」
「あっちってどこだよ?」
「まあ、店、だな」
「店? こんな時間に営業してんのかよ」
「四時までやってるから」
「四時って朝の四時かよ。正気か」
「ドイツに本拠地を置いてるらしくて、向こうの夜九時に閉店だとよ」

日本とドイツの時差は八時間、サマータイムに入った今は七時間で、日本の明け方四時はドイツの夜九時だ。

「夜の十時から二時までの間は寝た方がいいんだと」

俺をその寝るべき時間帯に呼びつけておきながら汁馬はそう言った。

「ただこっちは好都合だけど。やっぱこういうのは深夜の方がはかどるだろ」

いまだ俺がついていけていない内容を一人でしゃべり、汁馬はゴープロを自分の頭に装着した。全身鏡の前にあぐらをかいて座り、「じゃ」と右手をあげる。

「待て待て、じゃ、じゃねえ汁馬。何が始まるんだ」
「それがわからないんだ」
「は?」
「実はまだ一度も成功してない」
「なんか買うのがそんなに難しいのか?」
「買うのかどうかもわからん」
「おい」
「だからそこに書いてある通りにしてくれないか」

汁馬は俺の手の中のPCをあごで指した。ディスプレイにテキストが貼り付けてある。

「この質問を読めばいいのか?」

そこにはあなたは今どこにいますか? 何をしていますか? どんな気持ちですか? などと書かれていた。

「そう。少しくだけた、いつも躁彌が俺に話してるみたいにしてくれると助かる。その方が自然だろ? あと」

そう言って汁馬がこちらを向くと、頭のゴープロのレンズが俺を捉える。汁馬は自分の頭を指差して言う。

「これに録画はされるけど、俺の様子が違ったら、それも書き残しておいて欲しい」

そしてまた鏡の方を向いた。

「おい、まだよくわからんのだが」
「早くしないと、閉店に近づくにつれ混むみたいなんだ」
「なんで?」
「さあね。みんな今日の日を清算したいんだろ」

そうして汁馬は自分の両ひざの上に手のひらを上にして両手を置いた。背筋を伸ばし、目をつぶる。まるで瞑想をする人みたいだ。深い呼吸を繰り返し、どこかへアクセスを、試み、て、いる……ような……


✳︎✳︎✳︎


「おい! おい、起きろよ!」

肩をつかまれ、揺り動かされて目が覚めた。寝ていたわけではない。意識がどこかへぶっ飛んでいた。

「お前、買えたのか?」

俺の視界の中でようやくピントが合った汁馬が像を成す。俺は引き戻されて、汁馬の部屋へ戻ってきた。

「ああ、待ってくれ。今めちゃくちゃ気持ちいいとこだったんだぜ」
「何だよ? 何を買ったんだよ?」
「わかんね。初めてだ、こんなのは。言い表せるもんじゃない」
「ちくしょう何で躁彌なんだ」
「日頃の行い」
「それなら俺だって」
「無心だったからじゃね?」
「俺が煩悩にまみれてるみたいに言うな」
「煩悩、まさにそれとは程遠く」
「何だよ、どうだったんだよ?」
「大麻でもキメてたのかもしれない」
「あながち間違いではないかもな、ドイツに繋がったのなら」

 俺はドイツと繋がったのか。いいや、どちらかというと、というよりどちらもくそもないが、言うならば俺は壮大な宇宙と繋がっていた。
 モノ、情報、ときて次は意識らしい。大概のモノは作り尽くされ、することもほとんどAIに取って代わられた。欲の前に満たされてしまう環境では、欲しいモノもやりたいコトもさほどない。さらには興味のない情報にまで晒されて、俺たちはもううんざりしてたんだ。
 大きかったりくそ小さかったり、偏ってたり凝り固まっていたり、あるいはふにゃふにゃとフレキシブルだったりと、意識ほど個々で固有のものはない。思い込みや偏見なんかは、すぐビッグデータに繋がるAIには絶対にできない技だ。
 人間の、人間らしい営み、意識のやり取りが何を成すのかは知らない。それでも俺はどこかの店先で、確かに意識の買い物をした。汁馬のゴープロに保存された俺の様子を見るまでもなかった。それはまだ俺の全身に残る、恍惚とした爽快な浮遊感が証明していた。
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