ナナエ

文字数 1,869文字

 人は死ぬと花になるらしい。私達は、まだ自分が死ぬと知らずに笑っていた。

 高校2年の夏。その年はあまりにも暑く、蝉ですら鳴かずに死んだ、静かな夏だった。コンクリートの地面で干からびたみみずを眺めながらわたしとナナエは道を歩いていた。5分前に買ったクーリッシュはすでに溶け、袋の中でシェイク状になっている。あと数秒もすればバニラ味の液体になるだろう。
「ナナエ、わたし、ひまわりになりたい」
結露をハンカチに染み込ませ、かすかにでも涼を得ようと額を拭く。気化熱によりほんの一瞬ひやりと涼しい風を感じ、再び灼熱に戻った。
「どうしてそんな暑苦しいものになりたいのさ」
「ひまわりってめちゃくちゃ種獲れるじゃん。ジャックポットみたいに。景気が良くて好きなんだよ。」
情緒がない、とナナエが笑いながら、2本目のパピコの封を切った。
「アタシは何の花が良いかな。でも、ヒトとして死にたいな。」
ナナエは遠い未来の話をするように、目を細めて笑う。遠くから風鈴の音が風に乗って通り過ぎた。

 ナナエの訃報を聞いたのは翌日の事だった。事故死だった。ヒトとして死にたいと言っていたナナエの夢は叶う事がなかったようだ。線香の匂いのする中、人気者のナナエのために泣く女子の輪から外れ、わたしは、ナナエが何の花になったのかばかりが気になった。

 人が死ぬと花になるよう設計されたのは、人口の爆発的な増加が叫ばれた頃のことだった。増えた人数はやがて減るものだ。一日あたりの死亡者数があまりにも増え、火葬場も霊園もパンクさせ、人間はしばしば群衆性を持つ生物に喩えられた。各家庭のコンポストを使うよう政府から通達があったが、人ひとりを土に還すには時間が足りなかった。道端に捨てられた死体が病気の媒介となり、さらに死体が増えた頃にようやく実用化された『サクラメント』は、CO2排出量も限界を超えた日本人が打開策として出した画期的な技術だった。

 早速日本では、国民全員にサクラメントを行う義務が課せられた。生まれてすぐの赤ん坊にも安全に処置出来るため、ある年代以降に産まれた者にはほとんど自動的にサクラメントが施された。また、見た目の美しさやコストパフォーマンスの良さから、義務化される前に生まれた年代からも概ね好評だった。それでもごくわずかに拒む人々はいたが、いざとなれば強制的に処置することも容易く、問題となることはほとんどなかったようだ。

 サクラメントは、人間の脳と身体が死んだ時、身体中に埋め込まれた砂粒より小さな無数のカプセルが自動的に溶け出して、瞬時に死体を分解し発芽する特殊技術だ。日本の心である(サクラ)と、洗礼(サクラメント)。そして哀悼(ラメント)を組み合わせた造語だという。カプセルにランダムに配合された成分と、死亡時点でのその人のおおよその遺伝子体系により花の種類は決定された。名前のせいで誤解されがちだが、咲く花は桜に限らない。

 ナナエが何の花になったのか、結局わたしたちは知らされる事がなかった。通常遺体から咲いた花で埋め尽くされるはずのガラスの棺の中身は、遺影の中で斜に構えたナナエとは対照的に、安物の紙の桜で満たされていた。その事自体は珍しくなく、故人の意向でそうなる事もあれば、遺族が花粉症であるためにその選択を取らざるを得ない場合もある。

 偽物の桜を棺の中から一輪ずつ手渡され一度帰ったわたしは、どうしても

が欲しくなった。着替えもせずにもう一度火葬場へ、自転車を立ち漕ぎして向かう。オレンジとブルーが混じった夕焼けがいよいよ黒に飲み込まれようとする頃、自転車を乗り捨てて火葬場に飛び込むと、本物のナナエが専用の袋に詰め込まれ、炎の中へ投げ込まれる所だった。驚いた遺族とお坊さんにやんわりと叱られたものの、口外しない事を約束し、友人であった事実もある事から、

を特別に見せてもらうことが出来た。

 ナナエの花はまだ咲かなかったようだ。袋の中にあったのは、小さな小さな、星のような形の多肉植物だった。セダム、というらしい。その場では言わなかったけれど、ナナエらしいと思った。小さな株をいくつか、家から持ち出したジャムの空き瓶に分けてもらった。それから、非礼を詫び、何度も感謝を伝えるうちに、ようやく涙が溢れてきた。掌の中のナナエは優しい黄緑色をしていた。

 茶さじ一杯ほどのセダムは順調に増えて、今は私の部屋のベランダにいる。柔らかい果肉は、どこかナナエの指先に似ていた。
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