第1話

文字数 1,735文字

 男が武術に興味を持ったのはいつのころだったのだろうか。
おそらく中国系のカンフー映画からだったろう。カンフーの大スターといえば、まずブルース・リー。たしかにアクションはすさまじかったが、リアルタイムでなかったせいか、それほどのめりこまなかった。次に現れたジャッキー・チェンにはハマった。酔拳、蛇拳、笑拳など大いに笑い、真似もした。
 ところがジャッキーはそういうカンフーものから離れていき、刑事ものやスパイものにシフトしていった。それらも面白かったが男は不満だった。
 そのあとに現れたのがリー・リンチェイ(ジェット・リー)で、中国武術界の至宝とまで言われ、鳴り物入りでデビューし、その本物の技に酔いしれた。ところが彼もまた武術ものから離れていった。
 物足りない物足りない。
 そんな男だから本物の武術に入門するのは当然の流れだろう。それで日本にいながらにして中国武術に入門したのだが、それはどう考えても中国武術とは似てもにつかないもので、単なる空手の亜流にしか思えなかった。それでも不満を抱きながら修練に励み、男の身体が常人以上に頑健だったもので、あっというまに強くなり、道場で一番になってしまった。
 男は道場主になるように勧められたが、それは断った。そんなことが目的で始めたのではなかったからだ。
 それなら本場中国に行くしかないと、彼はお金を作って飛んだ。これはという道場に入門させてくれと頼みこんだが、いかにも武骨で荒くれ者の風貌のせいか、どこも断られた。
 ただ、ある一つの道場で老道場主からどういうわけか気に入られ、蛙拳、鴨拳、鷹拳などを教わり、奥義とされる書物まで授かった。
 ありがたく頂戴して帰国したが、なにせ中国語は片言しかできない。それでも知り合いの中国人に頼んで翻訳してもらった。そしてわかったことはとてつもない奥義が記されていることだった。
 これで武術を極められる。そう確信した。
 それには山に籠って修行しなければならない。それで近畿地方のある山に籠ることにした。そこで自給自足しながら、奥義を読み込み、鍛錬に精進した。
 数年後、男は極めたと自覚した。
 山に潜む、熊や猪、猿などを一瞬にして倒せた。こうなれば里に下り、腕試しをしたい。
 男は数年ぶりに人里に下り、武道という武道の道場を訪ねまくった。相手を挑発し、決闘にもちこみ、連戦連勝していく。
 それでいつのまにか顔が知れわたり、男が道場前に現れたとたん、扉を固く閉ざし、灯りを消して、いかにも誰もいないかのように居留守を使うところまで現れた。
 またなかには姿を見るなり道場の先生になってほしいと申し出もあったが、丁重に断った。それが目的ではないからだ。
 そしてまた新たな道場を探した。
 そうして門先に白い葡萄のオブジェがぶら下がっているおかしな道場にぶちあたった。葡萄と武道をかけているのかとそのダジャレに不覚にも一瞬笑ってしまったが、だんだん腹がたってきた。小癪なと門を叩く。
 あっさり道場主が現れた。おじいさんだった。でも初めて嫌な感じがした。なぜならその道場主があの奥義を授けてくれた老人にそっくりだったからだ。
 それでも闘わねばならない。老人はあっさり決闘を受け入れた。
 この老人がたった一人しかいない道場で、男は向き合った。男はいつものように奇声を発すると、老人は呼応するかのように大きく両腕を広げた。
 どこにも隙はなかった。これほど隙がないのは初めてだった。まるで鎖で縛られたかのように動けなかった。
 そして老人は両腕をぐるぐる回し始めた。
不覚にも目が回りそうになる。頭を振りたいところだが、それもできない。老人が腕を回すうちにそこにいくつもの老人の顔が現れた。
分身の術か。顔の群がったさまは、まるで葡萄ではないか。恐るべし、どれが本物の顔かわからない。
 動かない身体を無理矢理動かして、その一つの顔を突いた。
 でも空振りだった。
 そのかわりに真正面から拳が飛んできて、床に撃沈した。
 初めての経験だった。
 男は土下座して、この奥義を教えてくださるよう頼み込んだ。
 だが老人はこう言う。
「武道は無道(ぶどう)であってはならない。自分の道を行きなされ」
 またダジャレかと口惜しく思うのだった。
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