第4話

文字数 3,444文字




まるで、墨汁を垂れ流したような空だった。豪雨、いや暴風雨である。
 ただでさえ、物物しい天候の上にこの建造物の中からは、魔物の様な殺気が茫洋として漂流し、周辺の空気は極めて、重々しい。
 風は衛兵の鎧を斬るように鋭く、雨は歩哨の兜を抉るように、叩く。
しかし、流石に良く鍛えられた将卒達である。強健な彼等の公国への愛国心は威風堂々として、その体内に稠密しているのであろう。
 足の裏から、強靱な根が生えたように、天空に向かい、佇立している。
・・・が、次の瞬間、その優秀な軍人達が一様に息を飲んだ。
 なぜなら、いつのまにか、ある長躯の男が射兵達の最大有効射程の半分くらいの所まで、散策するかの如く闖入してきていたからだ。
 漆黒のレインコートを、羽織り、テンガロンハットを目深に被った男は超然と・・・しかし、着実にこの邪悪な建物の正門に吸い寄せられるように近づく。
 門番の2人が色めき立つ。異常な周章狼狽振りである。
「貴様、何者だ!!?許可証を見せろ!!!」
当然の詰問である。
・・・しかし、返事が来ない。テンガロンハットの男は冷笑しているだけだ。
あたりは、車軸を流した様な雨である。寂寞とした雰囲気の中、轟音のような雨音が反響していく・・・。
 極めて酷薄な静寂は或る男の出現によって崩壊した。
その男も将士達に気付かぬ内にテンガロンハットの男の真後ろに居た。
「・・・いい加減にしろ。ブライアン軍曹。これで3度目だな・・・。俺の可愛い部下を愚弄しおって・・・。今までの2回は所用で留守にしていたが、今日はそうはいかん。」
 威圧的な言動であのブライアンに対しても物怖じしない。年齢はブライアンよりも2,3歳上かもしれない。
その男もやや長身で髪は赤黒く、立派で由緒が有りそうな、ガンメタリックグレイの甲冑を身に纏い、意志力を感じさせる雄勁な眉毛を眦とともに吊り上げている。
 言葉は剣呑で、野生的であるが、どこか品格を感じ、語気に予想より棘が無いように感じられるのは何故だろうか。
 当のブライアンの方も蒼惶せず、哄笑し、こう言い放った。
「なるほど、今日はもう一人かつての上官がいらっしゃったか。御拝顔賜り、恐悦至極で御座います。エリオス中佐殿。」
明らかに機知に富んだ冗談を言ったかのようなブライアンを見た、門番2人が自分の立場を思い出した様に捲し立て始めた。
「僭越ながら、ブライアン軍曹殿、少し悪戯にしては度が過ぎませぬか。我々も公国軍人である以上、職責を全うしなければならない・・・」
そこまで口上を述べたとき、エリオスが右手をかざして遮った。
「もうよい。ブライアンの事は私がなんとかする。職務に戻って良い。」
「しかし、エリオス中佐殿・・・。」
もう一人の門番が口を挟む。
「畏れながら、エリオス中佐殿。この前の二つの事案もブライアン軍曹が原因だとすると流石に問題でしょう。全部で三度もここに無断で出入りされたらば我々の面目が・・・。」
 一瞬、エリオスの眉目が伏し目がちになったが、こう続けた。
「勿論、お前の言うことは筋が通っている。ただ、この件は私に任せておけ。お前達の腹蔵の無い意見もちゃんと上に具申しておくので、心配するな。」
2人の若い門番は目を合わせ、渋い表情になったが仕方ない。軍隊で上官の命令は絶対である。
「さあ、気を取り直して行こうか。ブライアン。貴様がここに現れた理由は一つしか無いからな・・・。さあ、正門を開けよ!!!」エリオスは、この建物の中に大音声で叫んだ。
ブライアンもしたり顔で相変わらず2人の若い門番を軽侮する冷笑を浮かべていたが、急に口元を強らせ、こう言った。
「すみませんな・・・。エリオス中佐殿。この土砂降りでは素晴らしい鎧兜が随分汚れてしまったでしょう。エリオス中佐殿がいらっしゃっても、まさかこのように、出張って来るとは思いませんでしたので。」
「まあよい。しかし貴様、もう少し修身する事を覚えろ。物事には限度と言うものが有るぞ。上官がこれでは部下にも示しがつかんだろうが。実践躬行せねばな・・・。」
「そうですな・・・。」
そう言う会話をしながら、二人の職業軍人たちはこの伏魔殿の奥へ消えていった。
暫くして、正門がギギギッと音を立てて閉まって行くと、二人の若い番兵は小さい声で耳打ちし始めた。
 辺りは誰も居ない上に、天上界の水分が全て落下してくるような嵐である。爆音の様な音が木霊している。普段は職務上、私語は厳禁なのだが、こういう事が有った後なのだ仕方有るまい。
「なんだって、エリオス中佐はあんなにブライアン軍曹に寛容なんだ?普通なら最低でも閉門(謹慎処分)だろう。あれじゃあ軍紀が乱れてしょうがないんじゃないか?」
エリオスは謹厳実直で知られる人格者である。部下に対して優しい時は優しいが、厳しい時は厳しい。メリハリが効いていて公国軍人の中でも人望も厚い。しかし、今回の案件に対する処置は余りにも、秩序的では無い・・・。
もう一人の門番が口を揃える。
「確かにちょっと不可解だよな。もし俺たちがあんなことをしでかしたら、頬骨が砕けるまで ブン殴られるだろうな・・・。いくらブライアン軍曹がかつての部下だったとはいえ、甘過ぎるよな・・・。そもそも・・・何でこんな監獄なんかに用があるんだ?」
 鈍色の空から風雨が、怒濤の様な勢いであり、全く収まる気配は無い。それどころか、轟音と共に、稲妻まで天空に駆け始めた。
 門番達は不思議な謎を頭に抱え乍らも所定の位置に戻り、ブライアンが文字通り訪問する前の所定の位置に戻った。
 やはり、そこには自らの職掌に矜持の有る公国軍人の姿があった。





 黴臭く仄暗い廊下が何処までも続く。敢えて環境を劣悪にするためなのだろう。30フィート毎に篝火が照明代わりにメラメラと燃えている。 
 石造りの壁に投影されたブライアンとエリオスの像はもがき苦しんでいる人間のようだ。暫く二人は無言であったが、最初にエリオスが切り出した。
 「一応、念の為に訊いておくが・・・副作用止めは飲んでいるだろうな・・・?」
 「勿論ですよ。エリオス中佐。ただ・・・自分の中の魔物が少しずつ、増長してきやがってますね・・・それだけは確かです・・・。」
 また、二人の間に沈黙が流れた。跫音だけが無間地獄の様な空間を制覇していく。
エリオスはやや頭を垂れ、深い溜息をこぼし、沈鬱な表情となる。
 「・・・要するに何も飲まないよりはマシ・・・って言う事だな・・・。」
溜息と同じで言葉も地面に零れ落ちる。
 先程の門番の前での、精悍で不敵な面魂はどこへいったのだろうか。憮然としている。
 「昔はお前も剛毅木訥とした好漢だったのにな・・・。只管、残念だよ・・・。罪深いものだな、戦争というものは・・・。薬漬けの上、一人の有能な武臣の人格までも・・・。」
 押し黙っていたブライアンが悟ったように言い返した。
 「数日前の大通りの白金の騎士と、一悶着起こした一件、お耳に入ったのでしょうか?」
 「ああ、まあな。だが、正直難しいよ。この問題は。お前もこの国を守る為に粉骨砕身、・・・孜々として働いた訳だからな・・・。特に文臣を中心に朝野には、魔薬の副作用をどうにかしろ・・・と言ってくる輩が多いが、身命を賭して戦った者にしか分からない物が戦場には転がり過ぎているからな・・・。」

 「済みませんでした。中佐殿。つまらないことで、頭に来てしまって。ご迷惑をお掛けします。自分で言うのは何ですが、このように、冷静でいられる時はいられるのです。ただ、昔に比べれば・・・堪忍袋の緒が切れるのが、極めて早くなったり、先程の様に子供の悪戯のような企図を実践してしまったり、奇行をしようとする衝動に駆られると・・・踏みとどまる力が漸減していく実感があります・・・。」
 ガラにも無く、ブライアンも俯いている。現況の忸怩たる思いは真実のようだ。
 「いや、良い。信用する・・・。性情が矯激になるのは、間違いなく魔薬の副作用だな。その証拠は・・・。」
と、エリオスが言い終わると、二人は突き当たりにある大きな鋼鉄の門扉に到達していた。
 「この扉の向こうに・・・な・・・。」
そう言うとエリオスは懐から複雑な形をした鍵を取り出し、苦虫を噛みつぶすような顔つきで鍵を開けた。
 ガチャン・・・。ギギギ・・・。
重厚な鋼鉄の門扉を力任せに開けると、錆びた鉄の臭いと、黴の臭い、炬火の松脂の臭い・・・。
その他、数種類の異臭が二人の鼻腔を、強く穿ってきた。
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登場人物紹介

フェーデ…記憶喪失の若者。出生から背景から係累から全て謎。ただ、社会通念上の常識は兼ね備えている模様。


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