文字数 3,856文字

「こちらのお部屋をご利用ください」
 中は一人ではもったいないくらいの広さだった。天蓋つきのベッドに大きなドレッサー。
調度品も中々の年代物だが、埃一つついていない。掃除もきちんと行き届いているようだ。
 この部屋、使っていいの?
「はい。ご自由にお使いください」
 そう言いながらラデルはリュックを丁寧に置いた。直接地面に置かず、なにか敷物を敷
いていた……気がする。
「なにか御用がありましたら、こちらのベルを鳴らしてお知らせください。すぐにお伺い
します。夕食のお時間までごゆっくりとお寛ぎくださいませ」
そういってラデルは静かに扉を閉めた。とりあえず私はふかふかのベッドに飛び込んだ。
枕に顔を押し付けたりごろごろと転がってみたり。いつもは野宿でベッドで寝るなんてど
のくらいぶりだろうか。久々にゆっくり寝れるか落ち着かなくて寝付けないか……そうこ
うかんがえているうちに、眠気が私を襲いに来た。もうだめだわ……ちょっと寝る。抵抗
できずにそのまま深い闇へと落ちていった。



 ……どのくらい寝ていただろうか。目が覚めた時は頭がシャキっと冴え渡っている位、
爽快な目覚めだった。外は真っ暗だが……うーん。なんか気持ちよく寝たって感じ。軽く
のびをしていると、コンコンとノック音が聞こえた。
「お客様。お休みのところ失礼致します。御夕食の準備は整いました。食堂までお越しく
ださい」
 あ、はーい。って、そんな時間まで私爆睡してたの??てか、今は何時よ……。あ、
そうだ。今日は確認することできないんだった。
  ぐうう ぐぐうう
 お腹の虫が騒ぐころ、夕飯時。よし、食べてやろうじゃない。夕食とやらを。私はささ
っと準備をして食堂に向かった。
 ……えっと。食堂ってどこ?
 と、とりあえずいい匂いのする方へ向かえばいいわよね。匂いを頼りに歩いていると、
またラデルが立っていた。あ、あんたは超能力者なの?
「お客様。大変失礼致しました。私、お客様に食堂のご案内を忘れておりました。なんた
る失態。ご案内致します」
 一回目よりは大丈夫だったけど、やっぱり心臓に悪いわね。アレ。
食堂に到着すると、長いテーブルにこれでもかと言わんばかりの料理が並んでいた。
これ、ラデル一人で作ったの?
「はい。お客様の御口にあうかどうか心配ではありますが、心を込めて御作り致しました」
 席に着くところまでもが完璧なエスコート。悪魔な風貌だけど紳士だった。
「お客様、ワインはお好きですか」
 ええ。ここ最近飲んでないけど好きよ。
「それは良かった。今が飲み頃のワインがございますがお持ちいたしましょうか」
 お願いするわ。深々とお辞儀をしてからラデルはワインセラーへ向かった。その間、私
はまだ机の上に並んだ豪勢な料理にくぎ付けだった。なによりも驚いたのはこれをすべて
ラデル一人でこなしてしまうところだった。
「お待たせいたしました。赤と白をお持ちしました。最初は赤からをお勧めいたします」
 ラデルのおすすめする赤をグラスに注いでもらう。赤というよりは赤紫色の液体が並々
とグラスを満たしていく。一口含むと葡萄の芳醇な甘さ、酸味のバランスが心地よかった。
 最初の一皿は柔らかく煮込まれたお肉だった。少しだけ脂身が気になったが、ワインと
の相性は抜群だった。むしろ、もう少し脂っぽくても良かった。
 あっという間に食べ終わると、頃合いを見て次の料理を持ってきてくれた。次は炒めた
野菜がたっぷり入ったスープだった。一滴も残しちゃまずい……そんな気がしてゆっくり
と味わいながら完食。次は白身魚を香味野菜と一緒に蒸したものだった。蓋を開けた時に
ふわりと香ったビネガーが食欲をそそる。魚に関しては小骨まで綺麗に取り除かれたもの
で、一度も口の中でひっかからなかった。心を込めて作るとこういう手の込んだことも厭
わないのだろうか……。新しいグラスに注がれたのは黄金色に輝く白ワインだった。こち
らはどちらかというときりっと引き締まったような口当たりで、交互に口にすると、不思
議と口内がリセットされるような感覚だった。
 一口程度のデザートが運ばれてきて、口の中を更にリセット。うん。蜜がたっぷり詰ま
ったリンゴのシャーベットね。次は最初に出たお肉よりも少しボリュームのあるロースト
ビーフ。ソースに秘密があるのかしら?食べても食べても口の中がくどくならないし、い
くらでも食べられるかも……。
 私が食べている横でラデルは満足そうな顔をしていた。わ、私の顔に変なのくっついて
る?
「いえ。お客様が美味しそうに食べている顔を見ると……作った甲斐があります」
 その顔は満足そうに見えて、実はちょっとだけ寂しさが滲んでいた。なにかあったのか
な。
 そこから料理もデザートまで駆け抜けるように進んでいった。私は夢中で食べていた気
がする。だって……物凄く美味しかったんだもの。恥ずかしいけど、何回お替りしたか覚
えてないんだもん。
 食後の紅茶が運ばれてきた時には、私のお腹には液体以外は受け付けなかった。
 はぁ……美味しかった……ごちそうさまでした。身も心も満足だった。
「お粗末様でした」
 紅茶を飲み干すと、私の向かいにラデルが腰かけた。こう見るとそこまで悪魔悪魔して
ないんだけど……うーん。難しいわね。
 ラデル。ちょっと聞いてもいい?
「はい。なんでしょうか」
 あなた、なにか悩んでない?直球で聞くけど。
「いやはや。見抜かれてしまいましたか。……そうですね。少しだけお時間を頂戴しても
よろしいでしょうか」
 もちろんいいわよ。こんなにごちそうになったんだもの。
「こう見えて私は争いを好まぬ性質でね。悪魔故に誤解されるのは残念だが……偏見はい
つの世にも存在するもの。誤解を解くよう努めれば済む話だ」
 あ……。ラデルの発したその一言が私を貫いた。偏見という言葉が特にぐさりと刺さっ
た。私……私ったら……。申し訳ないことしちゃってたじゃないの。バカ……私のバカ。
いつの間にか目から大量の涙が溢れて、目の前にいるラデルの姿がぼやけて見えない位に。
それからなにかが爆発したように私は泣き出した。ラデルがいるのに……大声で、子供の
ように泣きじゃくった。そんな私を見てラデルは自分のポケットからハンカチーフを出し、
私にそっと差し出した。ラデルの優しさが身に染みてわかった。
 争いは好まない。だけど、見た目が悪魔な為に誤解をされてしまう。本人はそうじゃな
いと言ってもそれを信じてくれない。そう、初めてラデルを見た私の反応を何回も、何十
回も、もしかしたらそれよりも多く受けてきたんじゃ……そう思うと涙は止まらなかった。
 ごめんなさい……ラデル……本当にごめんなさい……。私……私……
「お客様を悲しませるつもりはなかったのですが……申し訳ございません」
 私は首を横に振ることしかできなかったけど、ラデルの気持ちは痛いほどにわかった。
「では、今度はお客様のとびきり嬉しかったお話をお聞かせ願いますか」
 へ?わ、私の?
「ええ。私、短い間ですがお客様は数々の困難を勝ち抜いてきたとお見受け致します。そ
の中でお客様が嬉しかったことや楽しかったことも数多く経験されたかと思います。な
ので、私事で誠に申し訳ございませんが、お客様のお話をお聞かせいただけたら……わ
がままを承知で申し上げました」
私の話?で、いいの?
「ええ。お聞かせ願えますか」
 わかった。話すわ。だけど、条件があるわ。
「はい。なんでしょうか」
 ラデルの淹れる紅茶を飲みながらじゃないと話さないわよ。それもティーポットたくさ
んの紅茶よ。
ラデルはくすりと笑いながら「畏まりました。すぐにご用意いたしますので、これから
ご案内するお部屋でお待ちください」と。食堂を後にし、談話室へと移動。
 談話室に入ると、大きな暖炉とロッキングチェアが目を引いた。部屋には小さなテーブ
ルとそれしかなく、とてもシンプルだった。腰かけると適度な揺れでなんとも心地よい。
天井を見上げるも、浮かぶのはラデルのちょっと寂し気な表情だった。なんか、本当に申
し訳ないこと言っちゃったな……。自分でも珍しくブルーな気分が抜けなくてちょっと困
っていた。
「お客様、お待たせしました。夜の気分にあうよう、キーマンという茶葉を使った紅茶を
ご用意いたしました」
 見た目は綺麗なオレンジ色で、香りは心安らぐ花の香り。口に含むと優しく、だけど奥
深さはしっかりとした飲み心地だった。なぜだろう……私はラデルに見透かされているの
だろうか……さっきから私の気分にジャストなものをセレクトしてる。
「御口に合いますでしょうか」
 うん。とっても美味しいわ。ありがと。じゃあ、私のとびきり嬉しかった話をするわね。

 ラデルは私の話を一言も挟まずにじっと聞いていてくれた。ただ、聞いてるだけじゃな
く、相槌や声の感情を出したりと話し手が嬉しくなるような反応を次々としてくれた。
話していると段々楽しくなってきて、あれこれと出てくるんだけど、次第にまた眠気がや
ってきて、しまいには談話室で寝てしまった。
「本日、お客様と出会えたことに感謝致します。お休みなさいませ」
 ラデルはなんかそんな事を言ってるような気がしたけど、意識はもう夢の中だった。
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