第1話

文字数 3,441文字

地面が悲鳴を上げている。カラカラの土の上にはミミズが乾涸びていた。蝉の鳴き声が絶えない夏休み前の学校最終日、ぼくたちに出された課題はたったひとつだけだった。
「遺書を書いてきてください。差出人は親です。それから、きみたちはこれが最期の夏休みになる。精々やり残すことのないように。」
それだけ言うと先生は何食わぬ顔で日直に号令を促す。自体が飲み込めていないまま日直の田中くんがたどたどしい号令をかけ、ぼくたちは反射的にそれに従った。がらがら、ぴしゃん。先生が後ろ手で閉めた教室のドアがそう音をたてた瞬間、室内はどよめきでいっぱいになる。色々な意見が飛び交う中、普段は聞きなれない単語が頭の中に散らかっていく。そもそも遺書とは、いったいなんのために書かされるのであろうか。鞄の中から電子辞書を取り出して調べた。書いてある文字を読んでも、さっぱり理解出来る気はしなかった。
「わたしたち、きっと戦争に行くんだわ」
有美ちゃんが立ち上がり、大きな声で言った。
途端に周りの女の子たちが皆泣き始めてしまう。もっとやりたいことがある、だの死にたくない、だの。それを見て男の子たちはなんとも言えない表情をしていた。誰も、誰にも声をかけられないまま複数人の泣き声が蝉の声を上塗りしていく。

戦争かあ。と、ぼくは思った。今どき若い子どもが戦争に使われるのは珍しい話ではなかったし、このクラスに入った時点でなんとなく予想はついていた。だから、みんなが泣いてしまっているこの状況に少しだけついていけない。みんなだってなんとなくわかっていただろうに、と思いながら鞄を肩にかけてドアを目指す。帰ろう。別に、夏休みがなくなる訳じゃない。
「ひろくん、帰るの?」
「うん。帰るよ。」
「はぁい。」
間延びした返事をした海ちゃんは、泣いている女の子や浮かない顔をした男の子に挨拶をしてぼくのあとをてけてけとついてきた。それから額にじっとりとまとわりついた汗をハンカチで拭って、ぼくの顔を見てから笑った。

海ちゃんには家族がいない。ひと月前の戦争で亡くなってしまったらしい。その戦争が終わって直ぐにぼくの家に居候することになった海ちゃんは、不思議な子だった。家族が死んだというのに悲しい顔ひとつせず、いつもぼくの話を楽しそうに聞く。聞けば大抵のことには答えてくれるし、それは相手がぼくじゃなくても変わらなかった。
「まさか親より先に死ぬとは思わなかったな。」
「でも、夏休みがあるよ!」
「そうだねぇ。海ちゃんはどこか行きたいところある?」
「うーん。ひろくんとならどこでもいいよ。」
あっけらんかんとそう言いきって笑う海ちゃんにぼくは言葉を失ってしまう。恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言う海ちゃんは、クラスの女の子たちとは全く違う分類だとぼくは思う。
「―――あ、」
そうだ。そういえば。海ちゃんには親がいない。親どころか家族ひとりと残っていないじゃないか。ぼくたちへ出された最期の夏休みの課題は、親宛なのだから海ちゃんは困ったに違いない。どうして先生に何も言わなかったのだろう、と海ちゃんに問おうとして口を開けたところに、やわらかな声が降ってきた。
「わたし、ひろくんに書くね。だからひろくん、わたしに書いてね。」
敢えて遺書という言葉を使わなかった海ちゃんの横顔は出会ってから今までの一ヶ月間でいちばん綺麗に見えた。ぼくは、海ちゃんの馬鹿げた言葉を否定することがどうしてかできずに、気づいたら返事をしていた。
「うん。約束だよ。」
その返事を聞いて海ちゃんは満足気だ。ぼくは、返事をしてしまったことに少しだけ後悔したが、海ちゃんの綺麗な横顔を見ることができたのでなんでもよいことにしてしまった。

海ちゃんがこのクラスに入れられた理由がなんとなくわかった気がする。
けれど、確信は持てなかったのでぼくは勇気をだして聞いてみることにした。
「海ちゃんのおとうさんとおかあさんは、どんな悪いことをしたの?」
「実は、悪さなんてしていないのよ。していたとしても私は聞かされていないの。だから、突然殺されてびっくりしちゃった。」
ははは。と笑い声が続く。悪いことをしていないのに戦争に出される理由は限られているし、その限られた理由は海ちゃんには当てはまらないのでぼくは驚いた。いや、もしかしたら海ちゃんは貴族の生まれなのかもしれないが、その限られた理由である可能性は限りなく低い。
きっと、海ちゃんの知らないところで悪さをしたのだろう。ぼくはどうにか自分を納得させて、それから海ちゃんへの返事を探した。
「ひろくんは?」
「えっ?」
「ひろくんのおとうさんとおかあさんは、なにしたの?」
海ちゃんのまんまるで綺麗な真っ黒い目の中にぼくが映っている。ぼくはしばらく考え込んでしまった。
ぼくの両親は、生まれながらに悪くなるように育てられたと聞かされている。元々そういう家系だったと使用人が言っていた。卑怯暗殺お手のもの。と、書いた巻物があるくらいふざけた家系だ。
そんな家系で育ったにも関わらず、悪行に手を染めることなくすくすく育ったぼくだったが、結局クラス分けでは駄目なクラスに配属されてしまった。
ぼくたちが通う学校のクラスは世間的に悪い事をした親から生まれた子どもばかりが集められるクラスだ。子どもが良くても親が駄目なら、世間では駄目になるらしい。
「なにってことはわからないんだけど、とにかく悪い家みたいだ。」
「あはは、なにそれ。じゃあほんとうは悪いことをしていなくても、悪くなってしまうのね。ひろくんもきっとそうよ。」
「そうかもしれない。」
言い得て妙だな、と思った。

それにしても、友達に手紙を書いたことはないから緊張する。文面はやっぱりぼくも海ちゃんも死ぬ体で書いた方がいいのだろうか。約一ヶ月後に迫っているじぶんたちへの死をそれとなく受け入れながら、手紙の書き出しを考える。海ちゃんへ。これでは普通すぎるだろうか。親愛なる海さんへ。いやいや、ぼくはこういうことを言うような人柄ではない。うんうんと頭を捻りながら文章を組み立てて入れば、海ちゃんがぼくの手を引いた。重心が傾いて危うく倒れそうになる。驚いて海ちゃんの方を見れば、海ちゃんは笑っていた。
「ひろくん、わたし死にたくないわ。」
それだけ言うと海ちゃんは、ぼくの手を引いたままどんどん帰り道を歩き出してしまう。何かを言うことも、足を止めることもできないままぼくは唯々、海ちゃんと繋がっている手を見つめていた。
ぼくたちが家に着く頃、蝉の鳴き声はとっくに止んでいた。


おくびょうもののひろくんへ。
こんにちは。お友達に手紙書くのははじめてなので、変なところがあっても許してくださいね。
ひろくんと出会ってからひと月が経ちました。最初は緊張したけれど、今はなんてことないわ。これも全部ひろくんのおかげです。もし、これを読んでいるひろくんの隣に私がいなくても、決して自分を責めたりしないでほしいの。
ひろくんには内緒にしていましたが、わたしのおとうさんは悪い人です。ひろくんのごりょうしんを殺す約束をえらい人としています。これを読んでる頃には、もうそれが実行されたあとかもしれません。代わりにあやまります。ごめんなさい。
わたしがひろくんのおうちに来たのは、てんがいこどくになったからではなく、お偉いさんの命令です。ひろくんの家系は残しておくと良くないみたい。でも、安心してください。ひろくんのことは殺さないでとおかあさんに頼んでおきました。わかったと言っていたので、きっと大丈夫。ひろくんみたいにステキな人が死ぬ必要はどこにもないよ。
もうひとつ、内緒にしてることがあるんだけれど、それは私が隣にいたら直接言います。もしいなかったら、言葉の通り墓まで持っていくわね。そういえば、これは遺書なので。私が死んでからしか読まないんだった。まあいっか。
明日からわたしとひろくんの最期の夏休みが始まります。とっても楽しみです。ひろくんと一緒に、色んなことができたらいいなと思います。それでは。
海より


夏休み最終日、血みどろの遺書が僕の家に届いた。これはさっき使用人に聞いたばかりの話だが、海ちゃんは自殺したらしい。なんでも、ぼくがこれから死ぬことに耐えられなかったそうだ。
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