第5話

文字数 69,908文字

「ほら、エサだ」
 エイジは牛肉が入った小鉢を床に置いた。
 仔猫は牛肉の匂いを嗅いでいる。
 エイジはスマホをリモコンにしてテレビの電源を入れた。

 「…は中国の宇宙ステーションの爆発では無いかと言われております。中国政府の王報道官は記者会見でこれを否定…」
エイジはチャンネルを変えた。

 「どうした? 松坂牛だぞ」
仔猫は牛肉の匂いを嗅いでいるだけでなかなか食べようとしない。

 「…が何らかの原因で爆発することで破片が宇宙空間に飛散します。それはもう四方八方にです。飛散した破片は周囲の人工衛星に衝突します。結果、人工衛星は破壊されさらに多くの破片を生み出します。そうした事が繰り返されることで衝突と破片が指数関数的に増大します。やがて破片の嵐が…」

 「何で食わねえ? まじいのかな?」
仔猫はテレビの方を見つめていた。

 「ケスラーシンドロームと呼ばれる現象です。全ての衛星が破壊される可能性が」

エイジは小鉢の中の牛肉を千切って自分の口に入れた。
仔猫の姿が見えない。

 「私のせいだ」
 「え?」
エイジは誰かの声を聞いた気がした。

 「社会生活への影響はどのようなものが考えられるでしょうか?」

 「テレビ?」

 「影響は甚大です。GPS、天気予報が利用できなくなります。通信衛星の停止によるインターネットや電話網への影響が考えられます。他にもNTPの停止による決済システムへの影響が」

 エイジは音を立てないよう包丁を取り出す。
 エイジは包丁を構えながらキッチンからリビングへ移動した。

リビングの中央には大きなビーズクッションが置いてある。

 「専門家の話では航空機の安全な運行ができなくなる恐れも指摘され……」

「いや、私だ」
明らかにテレビでは無い声だった。

 「軍事衛星の停止により、テロリストやK国の監視が行えなくなるとの懸念も」
エイジはテレビを消した。
リビング中にシンという音がした。


 「何かにぶつかった気はしたんだ」
 声はビーズクッションの辺りから聞こえているように思えた。

エイジはクッションの向こう側を覗いた。
仔猫がいた。エイジの方に背を向けて座っていた。
 「衛星ねぇ。 大げさな名前をつけたものだ」
仔猫の背中が小さく上下しているのが見えた。
 「おまえか?」エイジの声は震えていた。
仔猫の顔がクルリと振り向いた。
 「そう言ったはずだ」猫が言った。
 「うわっ!!」
エイジは持っていた包丁を仔猫に向けた。
 「仔猫にそんなものを向けるなよ」
エイジは何故だか少し恥ずかしくなって包丁を下ろした。「どうやって言葉を?」
 「習得した」
 「習得? 習得って?」エイジは仔猫の言葉をそのままオウム返しに聞いた。
 「お前……さてはバカだな…」
 仔猫はエイジの方に向き直りながら言った。
 「お前と寺西。姉との会話、そしてこの装置からの音声から日本語を習得したと言ったんだ」
仔猫は右前足を宙に上げた。それは飛び掛かる前のだとエイジは直感した。
 エイジは先程下ろした包丁を再び上げた。
 「動くな!……よ」
 仔猫は黙った。
 エイジは仔猫の眼を見た。猫の眼の中の瞳が縦長に縮みつつある事に気付いた。眼の表面に天井のシーリングライトが映っている。
 エイジは我に返って部屋全体を視野に収めた。
 「えっ!」
 エイジは仔猫が一周りも二周りも大きくなっていることに気付いた。
 成猫だった。いや成猫以上だ。まるで大型犬のような大きさだ。
 「化け……猫?!」
 エイジは包丁振り回しながら猫に突進した。
 「おい、やめろ! 」猫は包丁を避けながら言った。テレビの前に追い詰められた猫は三角飛びの要領でテレビ画面を蹴ってエイジに向かって跳んできた。
 「うわっ!」
 エイジは姿勢を崩した。エイジの足がテレビの前に置かれた電源タップに刺さっていたゲーム機のACアダプタのコードや携帯電話の充電コードに絡まってエイジは転倒した。
 「うぁぁ! うわッ!!!!」
 床に倒れたエイジは後頭部を床に打ちつけた。
 「いってぇぇ」
 しばらく頭部をさすっていた。頭部の痛みが収まると腹部の熱さに気付いた。
 自分の腹部から包丁の柄が生えているのが見えた。
 「マジか……」
 片手で包丁の柄を掴むと一気に引き抜いた。
 「かはっ!」
 体を起こそうと床に手をつくが力が入らない。
 エイジは仰向けになって天井を見た。
 抜かない方が良かったのかもしれない。たしかそんな話を映画で見た気がする。エイジは急に不安になってきた。
 キーボードを叩く音を聞こえてきた。パソコンはエイジの部屋にしかない。あの猫ならキーボードを叩いても不思議じゃないとエイジは思った。

 死ぬ……とか?

 「接着剤は何処だ」
 急に猫の声が近くで聞こえた。
 そんなものどうするんだとエイジは思った。
 「傷口を塞ぐんだ」
 猫は読心術でもあるかのように答えた。
 エイジはテレビの方を指差した。テレビ台の中にボール紙の箱があり、その中に接着剤が入っていた。箱には『1/35 陸上自衛隊 76式跳躍滑空機』と書かれている。
 何かが落ちる音がした。
 「これだな」
 猫の声は続いていたが、エイジは何もかも面倒になって目を閉じて黙っていた。
 「やりにくいな」
 エイジは腹部に人の手の温もりを感じて目を開けた。
 若い女がいた。
 大きな目と茶髪のロングヘア。
 間違いない。AV女優「楓イブ」だった。
 エイジはいよいよだなと思った。




 
 楓イブはまだそこにいた。
 朝日の中でイブはエイジのベッドで寝息を立てている。
 床の上で寝ていたエイジは起き上がってイブの寝顔を眺めた。
 
 エイジはトレーナーをまくりあげて傷口を見た。接着剤で留められた傷口は思ったよりもはるかに小さい。
 「おはこんばんわ」
 「ヤバッ!! 姉さん!!」
 「きゃぁあああ!! 何! 何! 何いい! あんた!」
 「違う、違う、違う、違う!」
 「あんた、まさか! 監禁したの? それ! それまさか血? ええ!? 死んでんの? 殺したの?! やめて!! やめてよーーー!」
 「違うって!!!」
 イブが起きる。
 「生きてる……よかった……」
 
 「で、どうなの?」
 「何が?」
 「あんな美人連れ込んで卒業したのかって聞いてんの、チェリーボーイ」
 「おい何言ってんだ! てめぇ」
 「こんばんわ」
 「おはよう! イブちゃん! イブちゃんってさ、すごい美人だね。あたしも仕事柄綺麗な子は見慣れてるけど、イブちゃんはちょっと次元が違う感じだね-。違う生物ってーか、ちょっと違うな、あのあれだ、違う星の生き物ってカンジ?」
 「ええ、この星のモノではありません」
 「イブちゃんって超オモロ」
 「でもホントありがと、この子が血ぃ吹いて倒れてるところを助けてくれたんだって? 全然事情が飲み込めないけど、どういう事?」
 「……」
 「後で説明するよ。まずは飯食おうぜ、飯。店はどうだった? 中国人の団体客」
 「なんかね。ヘンなのよ。全員無愛想なのよ」
 「中国人って愛想良くないじゃない?」
 「そんな事ないわよ。だいたい大声で何か喚いて笑いながら、おっぱいとかお尻触ってくるわよ。日本の女の人は全員アダルトビデオみたいな事してくれるって勘違いしてるみたいだけど」
 「こいつも触ってた。胸…」
 「何!! 何言い出すんだイブ! 触ってねえ! 何時だよ! 何時触ったつーんだよ!」
 「五時三十七分」
 「起きてたのかよ!」
 「エイジ!!」
 「……何だよ!」
 「あんた……サイテー」
 「はい……」

 「イブ、お前何しに地球に来たんだ?」
 「分からない」
 「記憶喪失かよ。いつからの記憶が無いんだ?」
 「一番古い記憶は……お前の部屋でテレビを見た記憶だ」
 「……それって昨日のことだろ」
 「そうだ。それ以前の記憶は無い」
 「言い切るねぇ。その殺し屋みたなしゃべり方はやめてみない?」
 「ああ、女言葉の事か?」
 「そうそう、”私”とか”かしら”とか”だわ”とか」
 「何故?」
 「……そういえば何でだろ。かわいいからだな」
 「ああ、私の胸を触りたいんだったな。触れ」
 「えっ。良いの?」
 「触りたいだけ触れ。ただ私に欲情しても遺伝子は残せんぞ。私はお前達の基準からしたら生物では無く鉱物に近いのだからな」
 「うぁ。やわらけぇ。感動だ。コレ、夢じゃねーよな」
 「朝触ってたろ」
 「イブ!」
 「どうした? 欲情したか?」
 「恥ずかしながら……」
 「どうした?」
 「キスさせてくれねぇか」
 「OK」
 「なんか、変な感じだ」
 「唇は神経が集中していて敏感だ。お互いの唇を合わせることで快感を感じるのだ」
 「いや、そうじゃなくて何か気分がわりいんだ」
 「失礼だろ、この女にも」
 「そういや、イブは他の人間にもなれるのかな?」
 「無理なようだ。人間はこの女以外にはなれないようだ。一ジャンルで一つの個体にしかなれないようだ」
 「ヘンだな」
 「そう、変だ。妙なルールだ。この点からも私は生物というより鉱物、いやプログラムに近いと思える」
 エイジ倒れる。

 「大丈夫か?」
 「ああ、一瞬気を失った」
 「一瞬でもない。今は十五時。あれから九時間経過した」
 「九時間? オレ九時間も寝てたのか?」
 「ああ、おまえが倒れて一時間後に体温が四十五度まで上昇。その後二時間体温はそのままま、その後体温が三度まで低下、約三十分前まで心肺停止状態だったぞ」
 「それ、死んでねぇか? 普通」
 「人間の体ではあり得ない。私とキスしたことと関係がありそうだが、私にも詳しいことは分からない」
 「まぁ、いいか。ところで、おっぱい触らせてくれねぇか?」
 「触ったら元気が出るのか」
 「ああ、起き上がれる」
 「好きなだけ触れ」
 「ああ、やっぱり夢のようだ」
 「エイジ、おまえまた体温が上昇してるぞ」
 
 エイジ鼻にテッシュを詰めている。
 曇天。
 「何処行くんだ?」
 「図書館だ」
 「何するんだ?」
 「勉強だよ」
 「何故?」
 「大検取るため」
 「大検?」
 「高校卒業資格のことだよ」
 「取ってどうすんだ?」
 「・・・・」
 「エイジ、お前軍隊入りたいんだろ?」

その時の戦績に世界が驚愕した。とにかく費用対効果が高かった。「ジャンパー」一機あたりの建造費用はおよそ二億円にもかかわらず数十億円クラスの戦車、戦闘機を次々と撃墜したのである。
日本は兵器の輸出が禁止されいる。そのため世界中の軍隊が「ジャンパー」をコピーして配備している。


何もかもが面倒だった。
家族構成の説明が面倒だった。
デリカシーの無い警官が面倒だった。
歩いているだけで職務質問されるこの田舎が面倒だった。移動は車が基本。自転車に乗っているのは中高生か外国人だけ。歩いているのは老人と子供だけ。まして夜歩く人間は皆無。
何より自分が面倒だった。

宇宙の話


 「・・・・」
 「違うのかぁ。・・・分かったAV男優の方か?」
 「なんでそうなる?」
 「おまえの部屋エロDVDかミリタリー関連の本しかなかったからな。アタリか? AVに出たいのか?」
 「違う! オレはジャンパー乗りになりたいの!」
 「ジャンパー? 服か?」
 「ちげーよ。機動砲台。これだ」エイジ、スマホを向ける。待ち受け画面に鎧姿に銃を構えたようなおかしなモノが映っている。
 イブ、スマホを奪って素早くいじる。
 「おいおい、貸すとは言ってねーよ」イブ、肘でスマホを奪われまいと防御。エイジあきらめる。
 「ふーん。一人乗りロボットか。身長三メートル。以外と小せーな」
 「だから効率がいいんだよ」
 「ええと、バネと人工筋肉の力で千メートル上空までジャンプ。そこから大型狙撃銃で三十キロ先の目標を攻撃。再び地上に着地。降下および着地の際の運動エネルギーを電気に変換して充電を行う。日本の陸上自衛隊のMMB(主力機動砲台)。極東重工製」 
 「アメリカ、フランス、ロシアに次いで、日本が実戦配備した次世代兵器なんだぜ」
 「ふ-ん。なんでそんモンに乗りたいんだよ?」
 「ロボットは理屈しゃねぇんだ。機動戦士ガンダムだよ! 装甲騎兵ボトムズだ! ・・・そこにロボットがあったら乗り込むのが男だ」
 「はははは。そこに穴があったら入れるのが男か? あははは」イブが涙を流して笑い出した。
 「オイッ!」
 電車の向かい。学ラン姿の寺西。
 「オイ! エイジ!」
 「あっ! 寺西……センパイ。ちわーす」
 「うるせんだよ。 何処行くんだヨ?」
 「可児の図書館っす。センパイは?」
 「いいねぇ、ニートは気楽でよ。そっち彼女か?」
 「はぁ、まぁ」
 「へぇ、可愛いじゃねぇか……? 何か…どっかで?」
 「ああ、よくこいつ女優に似てるって……」
 「AV女優の楓イブじゃねぇか?!!! ゼッテーそうだ! オレファン何だよ! ゼッテーそう!!」
 「………まぁ」
 「何でイブちゃんがこんなトコにいんだよ!! ええ!!」
 電車の中で大声を出す。何人かの男が気付く。
 「……えと」騒ぎはマズイ。
 「昨日からエイジさんのお姉さんのお店に営業で来てるんですぅ」
 「ええ、営業? ああ、おまえの姉ちゃんって何やってんの? パチ屋とか? そりゃねぇか……」
 「えと、キャバクラに勤めてます」
 「キャバ? どこ? 」
 「マーベラス」
 「ああ、和知の三叉路のトコだろ。でイブちゃんが来たっての? すげぇなマーベラス」
 「ええ、まぁ」
 「オレめちゃくちゃファンなんだぜ、イブちゃんの動画は全部もってる。オムニバスも持ってるし、本田さくら名義の時んヤツも持ってんだぜ」
 「……キモ」
 蹴り
 「エイジ、舐めてんなよ! こっち来い!! ぜってー今日のオレのバイト終わりでイブちゃんに会わせろ!! 分かったな。 10時に太田ボウルの駐車場だ。ぜってー連れてこい。ブッチしたら殺すゾ! わあったかぁ!!」
 「……っはぁ」
 「はぁじゃねぇよ!!!」
 鼻にパンチ。皆見ぬ振り。
 「イブちゃん来てくれればおまえ要らないから」
 「学校前ー。学校前。」

 鼻に血の染みたティッシュ。
 「どれが学校だ?」
 「昔すぐそこに高校があったけど今はどっかいったらしい。駅名だけ残った」
 「学校が無くなった時点で名前を変えないのか?」
 「一度決まった名前は簡単に変えられないからな」
 「何故?」
 「面倒だからだろ、色々」
 「面倒?」
 「ああ、もー! メンドクセーな! オレは殴られて鼻がいてぇの! メンドーな事説明させんなよ」
 「ああ、そういうことか・・・面倒って。そういや、殴られてたな」
 「ああ」
 「やり返さないのか? やり返さないと一方的にやられるぞ」
 「宇宙人のクセに対人関係が分かんのか?」
 「当然の理論の帰結だ。やり返さない相手からはリスク無く一方的に搾取できるからな。とすると相手の立場に立つと無制限に搾取するのが当然だ。そうしない理由は無い。だがなにがしかの反撃が予想される場合には話は違う、リスクを伴うからだ。そうなれば一方的搾取はしなくなる」
 「どこで覚えた?」
 「Wikipedia」
 「オレのスマホ! いいかげん返せよ!」
 
 図書館
 イブ、ずっとスマホを見ている。学校帰りの高校生がイブに釘付け。気付いてるのか気付いてないのか、イブはそれほど可愛い。
 「どうした? 体温が上昇してるぞ。大検に保険体育は無いらしいぞ」
 「Wikipediaでそんな冗談まで言えようになったのかよ。何だそのサイト、何見てんだ? 英語だな。読めるのか?」
 「MITの論文だ。日本語より簡単だ」
 「なら、英文教えてくれ。訳すコツは?」
 「文法と単語をインストールしろ」
 「おまえ…コンピュータなの?」
 「あと十五分で閉館です。お借りになりたい本がありましたカウンターまでお越しください。閉館間際はカウンターが大変混雑します」
 「いこうぜ。もうスマホ返せよ」
 イブ、スマホを投げて返す。エイジキャッチして、「なんだよ。こわしたのかよ。通信エラーが出てる。電話はできるみてぇだけどネットが使えねぇな」
 「えっ? そうなのか? 一括ダウンロードしたPDFで読んでだから気付かなかった」
 「まぁこのスマホもボロいんだけどな。後で再起動しとこ。そりゃそうと何か食べて帰ろうぜ。何食べたい?」
 「要らない」
 「朝からなんも食べてないだろ」
 「エネルギー供給が不要なんだ」
 「どういう事?」
 「原子力発電って知ってるか?」
 「原発な」
 「略しただけだぞソレ……。原発は投入したウラン以上の燃料が生成されるんだ」
 「分かんねぇな。なんつった? 使った以上にウラン? が生成される? 何で?」
 「つまり……面倒だな。まぁそういうモノだ。私の体内には増殖炉に近い仕組みがあると思う」
 「思うってどういうことだよ? 」
 「だって何も食べなくても腹すかないだもん」
 大きな目をさらに大きく開けた。
 「何でだろうな??」
 「しらねぇよ! 情緒不安定かよ!」

 ケンタッキー。
 「美味しい!!!」
 「骨は食うなよ!! 喉に刺さるぞ」
 「いや、イケル。食える!! 食えるぞエイジ!」

 マック
 「これがビックマックだ」
 「潰して食うとオツだなー!」

 吉野屋
 「うめぇえええ! コールスローっておかずになるなー! 」

 31。
 「美味しーーーー!!!」
 落とす。
 「なんじゃこりゃあああ!!」
 「うるせーな! 他の人に迷惑だろ! 泣くな、泣くな。もう一個買ってやるよ」
 「ホントか? エイジ! やった!! やったああ!! おっぱい触っていいぞ」
 「ホントかああ!!!?」
 「うゎ! 今触んなよ!」

 ファミリーマート。
 「なめらか~~~」
 「旨いだろ、そのプリン。プリンはファミマが一番だぜ」
 「旨い! 最高だ! でも行かなくて良いのか? 太田ボウル?」
 「行かねぇよ」
 「命を奪うと言ってたぞ」
 「ホントには殺さねぇよ。殺すってのはボコボコにするって意味だ」
 「だが私に相当入れ込んでたぞ」
 「何で分かる?」
 「体温、心拍数、発汗量」
 「まるで嘘発見器だな」
 「それにあいつポケットの中にナイフを持ってた」
 「何で分かる」
 「透けてみえるんだよ」
 「ホントか?!」
 「あと、手榴弾もあったな、あとトカレフ」
 「そいつは面倒だ」
 「そうだ、行かないと後で面倒だと思うぞ」
 「……知るかよ」
 「おまえの姉さんの店に押しかけることがあり得る。自宅は知られてないか?」
 「家バレてるわ」
 「行くしかないな」

 「おせえよ!!!」
 ドロップキック。
 「だが、イブちゃんを連れてきたな、でかした。早速消えろ」
 黒塗りのハイエース。
 「井口センパイ、澤田センパイ」
 「お前こそ誰だよ。 おい、寺西。 早くしろよ。時間無くなンだろうが」
 「大丈夫っすよ、井口さん。朝まであるんですし」
 「バーカ、山の上でトンのに時間かかんだろーがぁ。やっぱ、カーナビおかしくね? 壊れンじゃねぇ?」
 「何いってんすか? トル? 何をっすか?」エイジ
 バタフライナイフ。喉元。
 「ひっ!!」
 「イブちゃん、車乗って。でないとエイジ殺すよ」
 「どうする気?」
 「どうする気って、ヤル以外できんの? おめぇ」
 「そりゃひでぇ、井口さん。オレ、イブちゃんのファンなんすよ」
 「これくれえの玉いたろ今まで撮った中に」
 「いる訳ないでしょ、ど田舎のイモばっかですよ」
 「そうか?」 
 「エイジ。 突っ立って見てるのか? 可愛い女がさらわれるのを」
 「どうしろっての? 喉元にナイフがあんだぞ」
 「それがどうした。そいつが刺すの? 喉を? 刺さないね。そんなリスク取る覚悟はないよこいつに」
 「イブちゃん、何言っての? 刺すよ。早く車乗って」
 ナイフ捌き
 「人刺すのにそんな芸当は要らないだろ。ハッタリだ」
 イブTシャツ脱いで手に巻き付ける。
 「何? 何? 露出狂なの?」
 殴る。
 「顎を殴る」
 「イッっテぇ!! なぁ!! このクソアマぁ!!」
 ナイフを突き出してくる。避けてTシャツを巻き付けた手でナイフ掴む。血がにじむ。
 「血が!!」
 「血ぐらい出る!!」
 寺西の顎を殴る。
 「寺西!! 何やってる!!」
 運転席から降りようとする男。 エイジぽかんと見てる。降りるのを待っている。
 「エイジ! 何見てる! ドアを蹴れ!!」
 蹴ったドアで顔面を強打。
 「ドア蹴れ!!」
 イブ後部のスライドドアから降りようとする男の頭をヘッドロック。
 「首絞めりゃ抵抗できないんだ」
 車のキーを抜いて側溝に投げ捨てた。
 「イブ、どこでこんな……」
 「おまえの部屋のマンガに書いてあった」
 「えっ? マンガ? ああ、あれか”港区二代目キング”のことか」
 「顎を殴る、刃物を捕まえるには服を手に巻く、車から降りようとするヤツはドアを蹴る。キングが一巻でやってた」
 「ヘッドロックは?」
 「首は急所だ。マンガで読まなくても分かる」
 「オレにはできない。マンガの知識でケンカなんて」
 「私がさらわれたらおっぱいに触れないんだぞ!!」
 だまるエイジ。
 「いいかエイジ。やる時はやるんだ!! 」
 「それ”キング”のセリフ」
 
 エイジの家。
 「ただいま」
 「おかえり! 少年さくらんぼ」
 「何だよ。それ?」
 「面白い? ギャグよ、ギャグ。随分遅かったのね」
 「どこがギャグなんだよ」
 「あら、イブちゃん。今日も来てくれたの?」
 「はい! また泊めて頂けます?」
 姉、イブを一瞥。
 「良いわよ~。何なら一緒に住む?」
 「何でそんな軽いんだよ!」
 「何か事情あんでしょ」
 「エイジ、こっち来な」
 「なんだよ」
 「イブちゃんって……メンヘラでしょう?」
 「何でそうなるんだよ」
 「いいの、いいの。私そういうのに偏見無い人なの。お店でも若い子の相談に乗ったりするし」
 「へぇそれは……えらいね」
 「えらいでしょー。だから大事に守ってやんな」
 「おお」
 いぶかしむエイジ。
 「お前の姉さんはこれを見たんだ」
 「ああ、手首に傷。それがなんでメンヘラになるんだ?…………ああ…」
 「そういうことだ」
 「目ざといな」
 「それが女だ。いいか男は女を見るとき顔と胸しか見ていない」
 「そんな事は無いだろ。他の部分も見てるはずだ」
 「いいや、見てない。なら今日の私の靴下の色を言ってみろ。勿論見ずにだ」
 「白」
 「水色だ」
 「だが女は女を見るとき全身くまなく上から下まで見ている」
 「そんなもんかね」
 「おっぱい見てんじゃねぇ。今日のおまえはあまりにふがいなかった。触らせてやらない」 「チェッ」
 「マンガみたいなセリフだな」
 「何が?」
 「その”チェッ”ってやつ」
 「マンガに詳しいな。”キング”も言うはずだ」
 「いや、キングはチェッとは言わない」
 「しょうちゅう言うはずだ」
 「キングは……”チッ”だ」
 「どーでもいいよ。それよか手首みしてみ」
 救急セット。
 「もう治ってる・・・」
 イブ、テレビを点ける。
 映らない。
 「姉さん! テレビ壊れたみてぇだ!」
 「丁度、いいじゃない。勉強に集中できて」
 「おもしろき事もなきこの世をおもしくするは心なりけり」イブ
 「高杉晋作」
 「よく知ってな」
 「宇宙人に言われたくねぇよ。日本史は得意だ。まぁいいや、GSAでもやろ」エイジはスマホをVR用のゴーグルにはめ込んで被った。
 「何だそれ。エロいやつか?」
 「ちげーよ。GSA。Global Strategic Air for Jumper。自衛隊が提供しているジャンパーのシミュレーションだ」
 「なんだ。ゲームか」
 「ゲームじゃねぇよ。こいつはジャンパーの挙動をリアルに物理シミュレートしてる
 「ほう。どれくらいのパラメータをシミュレートしてんだ?」
 「…………膨大な……数だ!」

 雨。まるで夜。先ほど通り過ぎた軽トラはヘッドライトを点けていた。
  エイジ、スマホを取り出しながら、「雨か、午後も降んのかな……天気予報はと……」
 「あ-、まだつかえね。っかしいな。再起動したんだけどな」
 「悪いな……」
 「なんで謝るんだよ」
 「もし、スマホが使えてたしても天気予報は当たらないからだ」
 「なんで?」
 「気象衛星が無い」
 「ああ」
 「気象衛星とコンピュータシミュレーションのおかげで気象予測の精度は相当なものだった。ほとんど予定のように天気を考えてたんじゃないか」
 「よく分かるな。そう、そう予定。そんなカンジ。午後から雨が降るとキッチリ当ててきやがる。天気予報が外れるとかありえねぇもん」
 「そうか……」
 イブが目を伏せた。落ち込んでいるようにエイジには見えた。
 「しょうがねぇだろ、やっちまったモンは」
 「そうだな……」
 「天気が悪いせいだ。そうなんだ。天気が悪りぃと気分も滅入る。気分も悪くなるって」
 「天気と感情が連動するのか? 何でだ?」
 「何でって? そんなの当然だろ。晴れなら気分まで明るくなる。どんより曇ってるとふさぎ込んでくる。当然だな」
 「何で当然なんだ。私の疑問に答えてないぞ」
 「常識だ」
 「なるほど、最大公約数の共通認識か。ならお前も晴れが好きなのか?」
 「いや、オレは曇りが好きだ。今にも嵐が来そうな。空全体に黄色みかかったような曇りだと最高だな」
 「常識とはだいぶ違うな」
 「かもな、イブはどうなんだ?」
 「私は未だ晴れを見ていない」
 バンが横付け。
 「逃げろ!!」
 「何処へ?!」
 「図書館!!」
 二手に別れ逃げた。
 「おまえは死んどけ!」
 金属バット。
 チリツ! 頭をかすめる。
 「クソッ!」
 用水路に落ちた。水かさが多く流される。
 「もういい! 女は捕まえた! 留まンな!!」
 「ヤバイ! ヤバイ! イブがさらわれた。どうする。どうする。どうする!」
 服を脱いで絞る。水がしたたり落ちる。
 近くの民家に入っていく。
 ツーロックじゃない自転車を物色。リュックからドライバーを出して鍵を壊す。 
 「自転車借ります!!」
 「何処だ? 何処へ行く? イブをさらってどうする?」
 奴らのやることは決まってる。
 「だがイブは抵抗する。ラブホやビジホは無理。だとすると……廃墟だ! 廃墟! なんかあったはずだ。あああ! あれだ! 山の上のレストラン!」
 奴らは”山の上で撮る”って言ってたんだ。
  岩山の頂上にある廃墟になったレストラン。元はホテルらしい。頂上まで道はない。近くのJRの駅からわざわざ軽便鉄道が通っていた。軽便鉄道は岩山をくり抜いた駅に到着し客達は岩山内部のエレベータで上まで登ったらしい。エイジは実際に何度か目にしているがあまりに荒唐無稽で信じられない。でそのホテルが潰れてレストランになり、そのレストランもエイジが産まれる前に潰れたらしい。
 着いた。
 軽便鉄道のトンネルは鉄板で封鎖されている。
 どうやって頂上に登る? 奴らはどうやって登った? そう難しい方法ではないはずだ。まとめサイトで山の上レストランの写真を見たことがある。いわゆる廃墟マニアの間では知られた場所だ。そう考えながらエイジは答えに辿り着いた。
 そうだ、ネットを見れば良い。単純な話だ。まとめサイトではなく、廃墟マニアのホームページを見れば良い。行き方が書いてあるはずだ。
 エイジはスマホを手繰った。
 二分後、エイジは薄暗いコンクリートの縦穴を這うように伸びている鉄製の螺旋階段を登っていた。給水塔のメンテナンス用に設けられたものらしい。鉄が腐食して踏み抜きそうだったが、エイジは全速力で階段を駆け上っていく。
 頂上に着いた。雨は土砂降りになっていた。空は真っ暗だ。昼間とも思えない。
 茂みの向こうにまるで人気の無い第二校舎のような黒い影があった。
 それが山の上のレストランだ。
 なるべく音を立てないように入り口を見つけて建物に入った。
 キャーーーン。
 やけに響く。入り口で空き缶を蹴ってしまった。
 いる。とエイジは思った。
 嘘くさい静寂だ。
 エイジはホテルの中に入っていく。
 ガラスの破片が落ちている。
 雨音が小さくなった。こんな廃墟でも雨風はしのげる。
 「雨風がしのげる?」
 エイジは言ってから気付いた。
 おそらくここにはホームレスがいたはずだ。”奴ら”は”奴ら”をどうした? ただ追い出したのか? 
 エイジは耳を澄ませた。耳を澄ませると何故か鼻も効いた。
 「キヨミちゃん家の仏間みてぇな匂いがするな」
 線香のような匂いと雨音。
 それに混じる妙な音。
 …ひゅー……
 ?
 ……ひゅっ……
 ………しゅー…
 雨音に混じって別の音が聞こえる。
 エイジは音のする方に向かって歩いた。
 そこには赤黒い臓物のようなモノが転がっていた。音はその臓物のようなモノから発せられていた。
 …ひゅー……うぅうう。
 うめき声。それは人だった。ボロキレを体に巻き付けた男が地面で呻いていたのだ。
 「おっさん大丈夫か?」
 男は明らかに暴行を受けた様子だった。
 「てめぇの心配でもしてろヨ」
 チッ! エイジの後頭部を何がかすめた。
 エイジは振り返る。
 目に入ったのは上半身裸の寺西が金属バットをバックスイングしているところだった。
 「シネよ!!」
 エイジは寺西が持つ金属バットに書かれた”SSK”のロゴを見つめた。
 
 「佐々木スポーツだからSSKらしいよ」
 エイジは言った。
 「それホント?」
 よっくんは食いついてきた。
 「マジマジ」
 小学生二年のエイジは学校指定のジャージに野球帽を被った姿で少年野球クラブの練習に参加していた。正式にクラブに入部できるのは三年生からだ。エイジ達は半ば見習いのような扱いだった。だからユニホームではなく学校のジャージを着ているのだ。
 「ドルアーガの塔買ったよ」
 「ええ、すごい! どんなゲーム」
 「うんとね、ギャルっているのが主人公で剣を持ってて敵を倒しながら塔を登ってくんだよ」
 「へええ、ギャル? 変な名前だねぇ」
 まだまだ野球よりテレビゲームに夢中な年頃だった。球拾いそっちのけでテレビゲームの話をしていた。
 「エイジ!!」
 エイジは大声で自分の名前が呼ばれた。ただ事ではない響きがあった。
 バシッ!!
 エイジの目の前に男が現れ仁王立ちしている。エイジは何が起きたのか分からなかった。男の手にはボールが握られている。
 「お父さん……」
 「エイジ、練習に集中しろ」
 男はエイジの父親だった。
 「すんませーん!!」
 遠くで野球部のキャプテンが帽子を取って頭を下げている。
 「良いアタリだったぞ!!」父親はボールをバッティングピッチャーに返した。
 「すげえな、エイジの父さん。ライナー素手で取ったよ」よっくんが興奮気味に言った。
 忙しかった父親が貴重な休みを潰してエイジのために練習を手伝いに来ていたのだ。
 「ボールが手に当たる瞬間に手を引いて衝撃を吸収するのがコツだ」
 エイジの父は言った。

 ギンッ!!
 金属バットはエイジの手のひらで止まった。
 「ええ??!」
 「手を引いて衝撃を吸収するのがコツか……」エイジの独り言。
 「どうした?」寺西は笑った。
 エイジの腹めがけてヤクザキックを放る。
 エイジは金属バットをねじる。テコの原理でグリップを握る寺西の手はバットから引きはがされる。
 エイジはバットを素早く引き寄せる。
 ギッ!!
 寺西の足は金属バットで止められた。
 「どうした? どうした? エイジ。雰囲気変わったじゃねぇか」
 エイジは寺西の足をバットで押し返すと、宙に投げてからグリップを握って――
 フルスイング。
 ドンッ!!!
 寺西の太ももの横っ面に金属バットがまともに入った。
 「イブは何処だ?」
 「効くかよ。んなバットぉおお」
 寺西は地面にへたり込む。立とうともがくが足に力が入らず何度も地面に崩れ落ちる。まるで骨が抜かれたような様だった。
 「イブは何処だ?」
 エイジはバックスイングをする。
 『上からボールを叩くように振り抜け』頭の中で父親の声がする。
 「頭をボールに見立ててかよ」エイジが笑う。
 「おい、おい、何だよ。誰に言ってんだそれ。オレを殺す気か? やめろ! やめてくれ!」
 「えっ?」
 「イブちゃんは二階だ。そこの階段で二階に行け! さっさっと行けぇ!! 行ってくれええ!!」
 エイジ階段で二階へ。
 雨音。
 エイジは無言で奥へ進む。
 稲光。
 二秒後に雷鳴。
 エイジは確かに先ほどの稲光の際に人影を見た。だがあり得るだろうか、エイジが見たのは数十人の人影だった。
 雨音が止まっている。
 稲光。
 人影は無い。だが、今度はコンクリートの部屋中に飛び散った真っ赤な血が見えた。
 幻覚ではない。天井についた血がしたたり落ちて床で血だまりを作っている。
 「何だってんだよぉ」声が震えた。
 雨音が再開する。
 天井の鮮血は無くなっている。コンクリの裂け目から雨水が落ちている。
 稲光。
 雨音に混じって何かを引きずる音が聞こえる。
 何か重いモノを引きずる音だ。
 ずるずる……ずるずる。びちゃり。ずるずるびちゃり。
 「やべぇぇぞ、コレ」
 エイジに霊感は無いがただ事ではないことは分かった。
 稲光。
 雷鳴で気色の悪い音は消えた。
 部屋の一番奥にピンク色のマットレスが見えた。
 エイジはマットレス目がけて走った。
 そこには発電機、ライト、三脚に乗ったビデオカメラがあった。香でも炊いたような妙な匂いがする事にエイジは気付いた。
 ビデオカメラは地面に倒れており、ライトは割れている。何かがあった事は明白だった。
 先ほどまで人がいた気配はするが誰もいない。
 エイジはビデオカメラを立て直して再生ボタンを押した。

 「……で、どうするの?」
 「どうすんの? ってだからてめぇヤル事以外何かできんの? できたら見せてよ。皿回しとかよ。撮ってやっから。4kで」男の声。
 「4kじゃねぇよ。8kだ。後でVRでも撮るヨ」別の男の声。
 画面ではタンクトップの男がイブのパーカーを脱がしていく。男の腕にはドラゴンが巻き付いているかのようなタトゥーがある。
 イブは全く動じていない。
 「で、その子は誰?」
 「その…子…って?……ドレ?」男達が”ドレ”の部分でハモる。
 「ソレ」半裸のイブがカメラの方を指さす。
 画面がパンして真後ろに向く。
 そこにずぶ濡れの幼女がいた。
 エイジは幼女の顔を見たくないなと思った。
 といきなり幼女の顔が画面一杯に大写しになった。まるで音もなく瞬間移動してきたかのようだった。
 「うああああああああ!!!!!!!!!!」カメラの中の男とエイジがハモった。
 幼女の顔には目鼻が無く大きな口だけが雪山のクレバスのように赤黒く開いている。
 カメラの映像はメチャクチャに揺れて悲鳴だけが聞こえてくる。
 いきなり静かになり、カメラがコトリと揺れて画面には斜めになったコンクリの地面が映って安定した。
 幼女が一人画面の中に佇んでいる。
 よく見ると幼女の顔から手が伸びている。手にはドラゴンのタトゥー。
 「バキバキバキッ!!!」
 幼女はまるで綿菓子でも食べるかのようにドラゴンタトゥーの腕を平らげた。
 「へぇ、面白いね。あんた」どこからかイブの声。画面にイブの姿は無い。
 幼女は獣のように前屈みのポーズを取る。
 幼女の目鼻の無い顔の中心に緑色のクマと真っ青なアイシャドウが塗られた異常に大きな眼球が出現する。何故だか鼻は無いままだ。口はさらに大きく裂けていく、開口部は耳の下はおろか後頭部にまで到達していく。そしてそのまま缶詰の蓋のように幼女の口がぱかっと開く。無数の歯がびっしりと開口部に沿って並んでいる。牙のような歯や八重歯のような歯、乳歯や犬歯、もうデタラメに歯が縦に横に生えている。どの歯も黒ずんだり紫色に変色している。それらの気色の悪い歯群に血や皮や肉片が所々にこびりついている。
 さすが8Kだとエイジは心の片隅で感心した。
 「えっ?! 霊かと思ったけどあんたもしやアレなの? あの……アレ……」イブの素っ頓狂な声。
 「爽快!?」
 「妖怪だ!!」エイジが突っ込む。
 「そう!! それ!」
 背後でイブの声が聞こえた。
 振り向くとそこにイブがいた。イブの正面には先ほど画面で見たままの顔のぱっくり開いた幼女もいる。
 「な・な・な・生でた・た・た・タイ対面したくなカタナー」
 「何人だよ!?」
 「宇宙人のクセに突っ込んでんじゃねー!」
 「おっ、元気出てきたじゃねぇか。エイジ、これが現実だとでも? こんな非常識な壮快が現実にいると?」
 「妖怪だ!! それに非常識さで言えばお前も大概だ。だが言いたいことは分かる。現実とは思えねー!!」
 幼女はカエルのような姿勢でジャンプ。
 そのままコンクリの床に膝付きの姿勢で着地。コンクリの床を突き破って階下に落ちていった。穴から除くと着地した姿勢のまま顔だけ背中向きに回して睨んでいる。
 「だが、夢とも思えねぇ」
 幼女は階下から床を突き破って二階の床に着地。
 そのままエイジに突進。
 手を組み合う。
 すぐ目の前に歯。よだれ。
 「夢でも現実でも無いと何だと思う?」
 幼女ものすごい怪力。
 「知らねぇよ!! 助けてく!!」
 「ダメだ!」
 「何が?!」
 「この状態は何だ?! 観察・仮説・実験・検証・誤り訂正。それが科学だ!! 仮説は絶対に必要だ!!」
 「だから知らねぇよ!! オレにとってはただの現実だ!!」
 「なげやりな答えだな。現実なわけ無いだろ! 頭が開いた子供に襲われる現実が何処の世界にある?」
 腕を噛まれる。
 「うああああああぁあああ!!!」
 「うるさいなぁ。……それ痛いのか?」
 「いでえええ!!………って?……痛くねぇ……ははは……夢だ……これは夢なんだ」   イブ、エイジの頬を殴る。
 猛烈な痛み。口の中に広がる鉄の味。
 「あにずんだぁ!! いでぇ……あれ? これは痛え。 どういう??」
 「……現実と夢の中間??」
 「それを何と言う」
 「白昼夢……夢遊病……ちがうな……わかった!! わかった!! 幻覚!! 幻覚だ!!」
 「Ping・Pong!」
 「英語?!」
  幼女消えている。
 「私も殴れ!」
 エイジ殴れない。
 イブため息をついて、自分で自分を殴る。イブ折れた歯をはき出す。
 「殴りすぎだろ!!」
 床に寺西とツレが倒れている。
 「どういう?」
 「こいつらも利用されていた。幻覚剤だ」
 「何? 薬? どこで? 飲んでないぞ、オレ。イブは飲んだ?」
 イブ、寺西の瞼開ける。
 「いや、私は昨日から何も飲み食いしていない」
 「ええっ?! なんで?」
 「お前がくれなかったからだ」
 イブ、寺西の口を開けて匂いを嗅ぐ。
 「アーモンドの香り……」
 「チョコアーモンドでも食ったのか?」
 「ヒ素だ」
 「シソ? 梅干し?」
 イブはエイジを無視。
 「何が目的だ?」
 イブがエイジに抱きついてくる。エイジ久々の胸の感触が嬉しい。
 イブ、エイジを地面に押し倒す。
 「何? 何?」
 「狙撃された」
 「立つぞ、走れ!!」
 ビシッ!!
 マシンガン。
 コンクリートの柱が吹き飛ぶ。
 「何何だよ!! 今度は」
 イブ自分の胸を見ている。
 Tシャツをまくり上げる。
 お腹に銃痕。ふさがっていく。
 「ふええぇぇ、さすがエイリアーン」
 「エイリアン……私だ!」
 「何?」
 「私が目的なんだ!!」
 「どうした? 何言ってんだ?」
 「ここにいろ!!」
 イブ走り出す。
 イブに向かって銃撃。
 エイジ、目を閉じていたが意を決して立ち上がりイブを追う。
 ひゅるひゅるという音が聞こえる。爆発。床が崩れる。
 階段。
 「イブーー!!」
 「エイジ! ついてくるなぁ!!」
 階段を飛び降りる。
 カチリ。
 天井が爆発。
 イブ、エイジを庇う。
 二人、咳き込みながら立ち上がる。
 目の前にガスマスクの男、何故か宅配便の制服を着ている。
 「そうか、あの香か」
 「どっちだ?」ガスマスクの男は銃を構えながら言った。
 エイジはきょとんとしている。
 「私だ」
 イブが言葉を発した瞬間、男はイブの顔面目がけて銃を撃った。
 エイジは呼吸ができない。
 イブの顔を見る。大きな目、通った鼻筋、小さな口。全てある。
 だが右耳は無かった。根元からなくなっているのだ。
 そして撃たれて跡形も無くなっていたイブの耳が再生していく。
 「確かにお前だ」
 男は地面に落ちたイブの肉片をピンセットでつまむと鉄でできた野球ボールのような容器に入れる。
 イブは銃を奪おうと手を伸ばす。男、イブの両目に発砲。最初から決めていたかのような素早さ。
 イブの手が銃を掴む。ジュッという音。焼けた銃身で肌が焼けた。
 エイジ動けない。
 男がエイジに向かって口を開く、口は耳元まで裂けて歯のある部分にはコンパスやメス、カッターナイフの刃、十徳ナイフ、セラミック包丁などのあらゆる刃物が歯茎から突き出してくる。
 「げ、げ、幻覚だ」
 わかっちゃいるが足が震える。
 男が銃とは反対の手をエイジに向かって手を広げる。
 指は五本ある。いや六本? 七本? 指から次々と小さな手が生えてくる。そしてその手からもまた手が生えてくる。
 
 足が震えていた。
 少年野球の県大会の時。あの時も打席に入ると足は震えていた。
 エイジはピッチャーに向かって叫んだ。
 「さぁ来ーーい!!」
 緊張しようが、ビビろうが、やらなきゃいけねぇ時はやるんだ。ただやる。ナイキも言ってる「Just Do It.」
 で、 今がそん時。

 エイジは眼前の無数の手の一本を掴むと思いっきり噛みついた。
 そう、噛みついた。
 「クッ!」
 視界の無数の手が一瞬で無くなった。
 ガンッ!! 
 銃声。
 エイジの視界は真っ白に飛んだ。何も見えないし何も聞こえない。
 風洞実験室に入ったみたいな向かい風。やがて聞こえる水の流れる音。
 気付くとエイジは岩の上に座っていた。見たことも無い程大きな岩だ。
 「イブ!?」
 「ここだよ」イブはすぐ後ろに立っていた。
 ここは川の中州だった。上流から流れてきた岩だけで出来た中州だった。
 川の流れの向こうに山があって頂上に人工物のシルエットが夜でも分かった。
 「どうなった?」
 「私とガスマスク野郎が銃を取り合ってたらあんたがあいつの太ももに噛みついた」
 「足に!? かっしーな、腕に噛みついたつもりだったんだけど」
 「そう、太もも。で私が銃を取り上げてあいつの足元を撃った」
 「脅し?」
 「そう警告。でもあいつは懲りもせずナイフを取り出して喉元を狙ってきた」
 「ひぇ」
 「お前のな」
 「ひえええぇぇ!!」
 「であの爆発が起きた」
 「閃光弾だよ」低い男の声。
 「誰だ!」エイジが叫ぶ。
 「随分だな。君を守るために使った」アロハを着た男が突然現れた。エイジの肩に手を回す。
 「うあぁ」
 「エイジ、情けない声だすんじゃねぇよ。おっさん! あんた一人じゃないな」イブ。
 「よく分かるね。超能力?」
 「傷だらけのダサイGショック。やけくそみたいに焼けた肌。センスのかけらもない程短く刈り込んだ髪。見せ筋じゃないが気色の悪い筋肉マン。おまけに男色趣味。消防士かとも思ったが、胸元に見えてる識別票。自衛隊だ」
 「まるで講談だ」
 「どこでそんな知識を」エイジ小声。
 「・・・ボーイズ小説」
 「統合幕僚庁情報部調査準備室の田端健吾だ」
 「・・・」
 「・・・・・・・・・・」
 「・・・・で?」
 「君たちの名前は?」
 「ああ、私がイブ。こっちがエイジ。知ってんだろ?」
 「もちろん」
 「何でこんな所に?」
 「三つ理由がある。まず一つ、見ての通りこの中州は離れ小島で誰も近寄れないから人目をひかない。二つめ、あの廃墟がここからだとよく見える。絶好の狙撃ポイントだ。三つめ、これが最も重要な理由になるよ」
 爆発音。廃墟から黒煙。
 「おっと、廃墟をホントの廃墟になったようだよ」
 「死体を隠すためか?」
 「何とも・・・」
 「あいつは何モンだ?」
 「寒い国から来たスパイとでも言っておこうか」
 「えっ?」
 「ジョン・ル・カレさ。まぁいい、君達は我々が保護する」
 「我々?」
 どこからかネット。イブが絡まる。
 「また飛ばれたらやっかいだからな」
 「知ってたのか?」
 「勿論、それが僕達が此処に陣取った三つめの理由だ。君が着地するポイントはここだと予測した。理由はさっき僕があげた二つの理由と同じ」
 自動小銃を持った宅配便の制服の男達が現れる。
 「あんたらホントに自衛隊?」エイジ。
 「隠密部隊なモンでね」田端。
 「ジャンパー持ってきて無いの?」
 「ジャンパーが好きなのか?」田端が笑う。
 「大好きだ!」
 「きゃあああああああああああ!!!」
 「どうした? イブ! あっ! ヤバイ」
 エイジ、耳をふさぐ。
 イブと一緒にムカデが網の中に入っている。
 「いやああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」イブパニクる。
 「っ!!」
 「おおぃ!! おい! クソッ!」
 「耳が・・・!」
 『声・・・何だ? この声!! まるで・・・音響(ソニック)・・・爆弾(ボム)』
 自称自衛隊員達が地面に膝をついて倒れる。アロハシャツの田端だけが平然としている。
 エイジ、寺西のバタフライナイフで網を切り裂きイブを抱きしめる。
 「もう、大丈夫だ」
 「もう・・・いない?」
 「ああ、もういない。みろよ」
 エイジの足の下でムカデが断末魔。
 「良かった・・・図書館の図鑑で見て絶対にムリ! って思ったんだ」
 「ムカデを?」
 「うん」
 「でも、もう大丈夫。それよりそろそろ奴らが正気を取り戻す。どうする?」
 「わけない」
 「なんで? 見ての通りの離れ小島だ」
 「そう此処には飛んで来た。あっそうだその前に」
 イブ、エイジのスマホを取り上げていじる。
 スマホから「統合幕僚庁情報部調査準備室の田端健吾だよ」という声。
 「あんたを動画撮った。ネットに上げられたくなかったら私たちに手を出すな」
 イブ、エイジの背中に乗る。
 「イブ、首をシメルな」
 「仕方ないだろ、これから飛ぶんだから。我慢しろ。替わりにおっぱい当ててやるよ」
 「ト」
 クレーンで引っ張ったみたいな勢いで夜空に急上昇。
 「ブ??!!!!!」
 眼下に夜の犬山市。
 「すげぇ!! けど、怖すぎる!! もっと低く飛んでくれ!!」
 「だめだ! まだ狙撃される危険性がある」
  月。
 「もっと高く飛ぶぜ! フライ~ ハ~~イ~~~!」
 「うぁああああ!・・・でも、ここまで高いと逆に怖くないな」
 「ヤフー!」
 「ご機嫌だな、イブ」
 ★田端、タブレットを見る。エイジの場所が地図に表示されている。
 「GPSは使えねぇが発信器で何とかなるな」

 成層圏。
 「もう宇宙・・・じゃ・・ねぇか! 戻れ! 戻れ!」
 「宇宙じゃねぇよ。綺麗だろ。見せたかったんだ。おまえに。見ろよ。空気が薄いから星が瞬いてねぇだろ」
 「さすがに・・・高すぎ・・・寒ぃ。イブ・・・おまえ・・・まつげが・・・凍ってんぞ」
 「おまえこそ鼻毛をキラキラさせてんじゃねぇよ」 
 「ところで・・・あいつらは・・・何モン・・・なんだ?」
 「ガスマスクの男は北の情報機関らしい。田端はヤツの言う通りの自衛隊か・・・もしくはアメリカの情報機関か」
 「アメ・・・リカ?・・・・何・・・で?」
 「死にそうだな、少し高度を下げてやる」
 イブ急降下。
 「え?! スカイツリー!」
 「元気んなったな! エイジ! じゃあ、スカイツリー行くか?」
 「まさか、スカイツリーに着地したのか?!!」
 「好きなんだろ、おまえ」
 「そういう問題じゃねぇ!! どうすんだよ。こんなトコに着地して。めちゃくちゃこええよ! 早く行こうぜ」
 「ダメだ、動けねぇ」
 「何で?」
 「何というか・・・」
 「何だ?」
 「エネルギーを消費した」
 「無限機関じゃねぇのか?」
 「それにしたって消費エネルギーが多すぎた」
 「どうすんだよ」
 「大丈夫だ。人並みには動ける」
 「ただの人がどうやってスカリツリーから降りるんだよ!!」
 「大丈夫だ。騒ぐな。考えろ。Thinkだよ。ワトソンだよ」
 「ホームズのつもりかよ」
 「違う。ジェームス・ワトソンだ」
 「誰?」
 「IBMの二代目社長だ」
 「それが何の関係があるんだよ!」
 「Think。考えるんだよ。したら道は開かれる・・・」
 「考えるねぇ・・・ここは最上部の通信用基部だ。スカイツリーのプラモを作ったから分かる。ここから展望台の上まで降りれりゃなんとかなる。屋根のハッチから展望台の中には入れるだろうからな」
 「ふうん。にしたって数十メートルは降りる必要があるな」
 「唯一の道だと思うぞ」
 「可能性を限定するな。どうせ狙うなら場外ホームランだ」
 「何を?! うあああ」
 イブ、エイジに抱きつき落下。
 クレーターの中心にイブ。イブの上に放心状態のエイジ。
 「この星に落下してきたんだ。これくらい何でもない」
 「オレ・・・は・・・・ちがう」
 「さてと、どこ行く?」
 「い・・・え・・・」
 「家には帰れねぇよ。田端が張ってるだろうから」
 「ねぇちゃん?!」
 「大丈夫だ。奴らはお姉さんには手は出さない」
 「何で?!」
 「目的は私。相手はプロ。無関係の人間に手を出して警察沙汰になるようなヘタは打たない」
 「いいけど、何で寝転んだままなんだ?」
 「言ったろ、エネルギー切れだ。何か買ってこい」
 「何がいい?」
 「ケンタ・・・」
 
 東京。ホテルの一室。
 黒いスーツの男がソファに座ってテレビを見ている。
 テレビでは仮面の男が両手の銃を乱射している。
 「何です? それ」白い革ジャンの男が部屋に入るなり聞いた。男は手にアタッシュケースを持っている。
 「アメリカコミックスのヒーローだよ。これのどこがヒーローなんだ? 五十口径の拳銃で人の頭をウリみたいに撃ち抜い廻ってる。551号は?」スーツの男が言った。
 「消されました」革ジャンの男は答えながら、膝にアタッシュケースをおいてフタを開けた。
 「無駄死にではあるまい」
 「DNAを入手しました」革ジャンの男は鉄球のようなものを取り出し見せた。
 スーツの男は球を受け取る。
 「ハラショ! 上出来。他国は?」
 スーツの男は鉄球をサイドテーブルの上に置くと、代わりにテーブルからワイングラスを取り上げて、革ジャンの男にグラスを差し出す。「飲め。長野だ。ブルゴーニュに匹敵するよ」 「ありがとうございます」革ジャンの男はグラスを空にした。
アメリカは証拠隠滅工作に自衛隊を使ってます。モサド、MI6も動き出していました」
 「エイリアン争奪戦か。ぞっとしないな。どういう作戦だ?」
 「ローカルに確保させて輸送時に奪取するつもりのようです」
 「どこも同じか」
 「はい。目標は現在東京です。横須賀までの輸送経路が草刈り場になるでしょう」
 「我が国は独自色を出そうじゃないか。世界で最初の人工衛星を飛ばしのは我が祖国だ。アメリカンショートヘアに負けたとあってはあの世でライカ犬に会わせる顔がない」
 「犬好きとは存じませんでした」
 「大嫌いだ」
 革ジャンの男の口から血の泡が流れ出る。ワイングラスが転がる。
 革ジャンの男が膝をつく。
 「ブフッ!!…な……ゴブッ!!……な………ぜ?」
 「特にCIAの犬は」
 革ジャンの男が手で銃を握る形をつくりながら腕を上げる。
 スーツの男は素早くサイドテーブルの上のフォークを掴むと、フォークに刺さったチーズもろとも革ジャン男の目を突く。
 革ジャンの男がサイドテーブルを倒す。
 鉄球がテーブルから床の上に落ちる。鉄球は絨毯の床の上にでバウンドするとさっての方向に飛んでいく。
 「あっ!バカ!」スーツの男が
 鉄球の中から石炭のような石くれが飛び出す。
 飛び出した石くれはバウンドする度に石くれは砕けて小さくなっていく。
 石くれが四度バウンドするうちに石くれは破片と同じ大きさになり、床の上には黒い粉と顆粒状の破片が残った。
 革ジャンの男は床の上でフォークを引き抜く。
 「ずいぶん毒に耐性のある男だな」懐から出した拳銃を取り出しながら言った。銃口にサイレンサーを取り付けようとしている時だった。
 爆竹のような安っぽい銃声。
 スーツの男は自分の体を見る。
 腹には何もない。胸にも何もない。よく見るとノリの効いたドレスシャツのポケットのあたりに小さな黒い焦げ跡を見つけた。
 その穴から硫黄の匂いが立ち上る。それがスーツの男がこの世で嗅いだ最後の匂いだった。 同じ匂いが革ジャンの男が掲げた手からも漂っていた。その手の中には小さな飛び出し式の単発銃が収まっている。
 ばたりとその手は絨毯の上に崩れ落ちるのと同時にテレビでは派手な爆発の映像。
 床の上の黒い粉が舞い上がって煙のように舞う。煙の濃度がどんどん上がっていき、反対に透明度はどんどん落ちていく。やがて煙ではなく黒い物体になる。つや消しの黒。立体感がまるでない。その粘土のような黒いものは人の形のようにも見えた。
 チャンネルが変わる。
 テレビ画面では肉食恐竜が人を襲っている。テレビ画面に血しぶきか飛ぶ。画面の中の血ではない。テレビ画面表面に血が飛び垂れて落ちていく。
 チャンネルが変わる。
 殺人鬼がチェーンソーで若い女に襲いかかる。またもやテレビ画面表面に血しぶきが飛ぶ。 チャンネルが変わる。
 ゾンビが街中に溢れている。
 チャンネルが変わる。
 首に鎖を付けて人間同士が殴り合っている。
 チャンネルが次々と変わる。
 一人ソファに座った黒い人型はチャンネルを変え続けた。
 絨毯の上には黒いスーツの男と白い革ジャンの男が倒れている。テレビの光が白い革ジャンを青色や赤色に照らしている。




 スカイツリーのモールのフードコート。
 「実際ケンタッキー食いながら歩くヤツはいねぇよ」
 「骨なしは食べやすいけどやっぱ味はオリジナルチキンに一日の長があるな」
 「聞いてるか? それにもう金はねぇからな」
 「なんだぁ。ケチ」
 「四十個も食っといてよく言うぜ」
 「満腹にはほど遠い。地球一周に行けるか行けないかくらいだな」
 「十分だろ。何事も八分目が大切だぜ。そういや腹どうなっての? 腹。みせてみ。腹」
 「腹? ほれ」
 「うぁあああ。三段腹になってるぅう」
 「褒めるなよ。照れる」
 「褒めてねぇよ!!」
 「あれ何だ?」
 「ああ、アトムだ」
 「アトム?」
 「そ、このおっさんが描いたマンガだ」
 「手塚治虫・・・」
 「アトムはあんま興味ねぇけど、ブラックジャックとか火の鳥、アドルフに告ぐなんかも面白かったぜ・・・イブ?」
 「・・・・・・」
 「どうした? 何で泣いてんだ?」
 「うっ・・・なんだ?・・・これ・・・?」
 「アトムのラストシーンだな。地球に向かってきた隕石に向かって突撃してんだよ」
 「アトムはどうなる? やっぱ死ぬのか?」
 「どうだったかな・・・あっ、死ぬわ。ほれ、別れを告げてるぞ」
 「うああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんん!!!」
 「何でお前が泣くんだよ!!」
 「ぐすッ・・・悪ぃ・・・」
 「ほれ、このフリップに書いてある。アトムの悲劇的な最後は多くの日本の子供達に衝撃を与えた。現在日本は産業用ロボットの輸出大国である。その原因がアトムにあるとする説もある。『禁断の惑星』や『宇宙の旅』、『ターミネータ』のように外国の映画や小説で描かれるロボットの多くが人間に反乱するのに比べ、日本人の多くはロボットを人間の友人として捉えている。かつて日本の自動車工場を訪れた外国人達が一様に驚いたのが、日本人がロボットアームに愛称を付ける姿だったという。そういったものの根源には神道に置ける八百万の神のようにどんなモノにも魂が宿るとする考えがあるという説もあるが、子供の頃に見たアトムの最後がある種のトラウマになっている事が十分考えられる。地球を救うため自らを犠牲にしたアトムの姿にロボットへの敬意と愛情が日本の子供達の頭にインプットされたのだとしたら。 それはとても幸福な事といえよう」
 山下達郎の歌が聞こえてきた。
 僕らは大人になってもアトムの子供さ
 「うああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんん!!! アトムぅううう!!!」
 ガラスが割れ、人々が逃げ惑う。
 目の前のベビーカーが空中に浮き上がる。
 「イブ!!」
 「うあああああああああああああああああああああああああああああああああん!!」
 アトムの人形の頭が砕け散る。
 爆音。
 「イブ!!」
 アトムの体が吹き飛ぶ。
 ベビーカーがゆっくりと四散していく。
 イブの目はベビーカーの内側を捉えた。イブの眼球の脇から涙が湧れ出る。
 「・・・ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」イブの声が辺りを満たす。
 エイジのスマホが鳴る。独特のアラート音。
 爆音と黒煙。全ての音が停止。
 宙に浮くイブ。リボンが蒸発し髪の毛が逆巻く。
 エイジには何が起こったのか全く分からなかった。

 エイジの姉は遅い昼食を取ろうとしていた。
 食卓の上には瓶詰めの鮭と玄米のどんぶり飯。それに野菜ジュースが注がれたグラスがああった。
 箸を咥えてテレビのリモコンを操作する。テレビ局は全てメンテ中。
 「何だってのよ。使えないわね」
 動画投稿サイトに変更。
 口から箸が落ちる。
 「えっ?」
 テレビ画面には東京スカイツリー。見たこともない程巨大な黒煙が立ち上っている。黒煙はスカイツリーに匹敵する程大きい。
 スカイツリーの上部がゆっくりと回転しながら崩落していく。
 「えっ……うそ」
 同時にリモコンが手から離れ床に激突していく。外れる電池カバー。飛び出す充電式の単三電池。
 スカイツリーの崩落は連鎖反応のようにツリーの中程まで進みあとは黒煙で何も見えなくなっていく。やがて画面全体が真っ暗になった。急に救急車やパトカーのサイレンとヘリコプターの騒音が大きくなり やがて無音になった。
 姉は今見たものが非現実すぎてCGのように見えた。まるで現実感が無い。
 「三つ葉ニュースです。ご覧頂いた映像は一時間前の東京スカイツリーの崩落です。中距離ミサイルによる攻撃です。ミサイルの発射地点は不明。軍事衛星、GPS、衛星通信が使用できないタイミングを狙ったテロであることは間違いないでしょう。昨日横浜港に入港したアメリカ太平洋艦隊のトロロープ司令官は東京湾外海に空母を展開させることを表明しています」
 「なにコレ・・・」
 姉、スマホでエイジに電話。
 「ただいま回線が大変混雑しております。災害掲示板をご利用ください。アドレスはエイイティティーピーエスドットスラッシュスラッシュ・・・・」

 エイジ
 「生きてる……」
 ガレキの山。エイジは先ほどまでスカイツリー下部の商業施設三階にいた。今いるガレキが地上なのかどうかも分からない。そもそも何故自分が助かったのかも分からない。
 「イブは?」
 見当たらない。
 「イブ……」
 すぐ横のガレキが動く。
 「しまった! 崩れる!!」
 ガレキが崩れる。黒煙の中に全長三メートル程の人影。
 「無事みたいだな」聞き覚えのある妙に軽薄な声が拡声器を通して言った。
 「田端さん?」
 「ああ」
 黒煙が晴れた。鋳造工程独特の梨地につや消し迷彩のボディ。人工筋肉のアクチュエータが背中に背負った電池とモータにつながったその姿。
 「フタマル式ジャンパー!」エイジの目の前には夢にまで見た陸上自衛隊の機動砲台、通称”ジャンパー”がいた。
 「掴まれ」
 しゃがむ。足には四駆のようなバネが着いておりそれがギリギリと音を立てて収縮していく。
 「三秒後にジャンプする」
 アメフトロボの足は縮んで身長は元の半分ほどになっている。イジは急いでジャンパーの肩に溶接された取っ手を両手で掴む。
 「3・2・1・今!!」田端が言った。
 バネが伸び。田端とエイジは空中に打ちあがる。エイジの背骨がなすがままに曲がっていく。恐ろしい加速度。
 足元に広がる見渡す限りのガレキ。
 「あれだ」
 田端は上空を指さす。はるか上空に機影。
 「F44?」
 「ああ」
 戦闘機が宙返りをしている。
 田端は銃を構える。
 「見ろ」
 田端は器用に銃のスコープを覘かせてくれた。通常の八十八式狙撃銃をそのままスケールアップしたジャンパー専用の特大サイズだ。巨大なスコープは両眼で覗けた。
 イブがいた。
 コンピュータ制御でジャンパーの手首が細かく動いておりスコープはイブを自動追尾し続けている。
 スコープ内には全裸のイブが戦闘機と併走する様子が映っている。
 刹那。イブの目がこちらを見た。
 エイジが知っているイブでは無い。エイジはスコープから顔を離した。
 ガンッ!!
 「え?」
 反動で八十八式狙撃銃が真上を向いた。
 「ダメだ。効かねぇ。落ちるぞ」田端。
 ジャンパーは小学校の体育館に墜落。
 衝撃をダンパーと人工筋肉が吸収。
 ジャンパーの胸部が車のボンネットのように開く。「みえたか?」生身の田端がそう言った。
 「イブを撃ったんですか?!」
 「ああ、弾丸は素手で止められた」
 「何してんです!」
 「日本時間九時にインド艦隊が極秘に運用していた無人潜水艦が制御を奪われた。日本、台湾、中国のランドマークに連続してミサイルを発射。日本のスカイツリー、台湾のタイペイ102、中国の上海タワーが崩落。潜水艦は今も行方不明だ」
 「イブが?」
 「違うよ。バカ。テロだ。テロ! 彼女は勘違いしてる。だが彼女は俺たちがスカイツリーを攻撃したんだと思ってる。俺たちは身柄を確保するためスカイツリーに展開していただけだ」
 「何でスカイツリーだと」
 エイジは記憶を手繰る。あの時、田端はエイジの肩に手を置いた。
 エイジは肩の辺りを探る。服についていたシールのようなものが付いていた。シールの内側に円盤状の金属があった。まるでボタン電池のように見えた。
 「身柄を確保してどうするんです?」
 「実験とかだろ。列強による捕獲合戦は開始されてる。誰がお姫様のハートを射止めるのか」
 「……ふざけてる!」
 「ああ、ふざけてる。そんな事をしてる場合じゃない」
 エイジには意外な答えだった。
 「彼女は人工衛星をきれいさっぱり掃除しちまった。大国の監視が効かないせいで、テロの大量発生だ。イスラム教原理主義、キリスト教原理主義、カルト教団、ロシア、極東、中央アジア、中東、アフリカ、の反政府組織、無政府主義者、もう何がなにやら。」
 「ちょっと! 待ってください。そんな事になってるんですか? いったいいつの事です?」
 「二日前だ。オレ達が知ったのは2時間前」
 「なんでそんなことに?」
 「人工衛星が無くなっただけで世界はめちゃくちゃだ」
 エイジはポケットからスマホを取り出してブラウザを起動した。
 通信エラーのメッセージ。
 「インターネットってのはDNS(名前解決サーバ)がないと使えない脆弱なシロモノだ。コピーは世界中にごまんとあるんだが大元はたった十台しかない。テロリスト共は手始めにそいつを破壊しやがった。まるで示し合わせたみてぇによ」
 「じゃあネットは使えない?」
 爆発音。
 体育館の屋根から鉄骨が落下。床に突き刺さる。
 「いいか、オレは彼女をアメリカに引き渡す任務をしている。オレは日本人じゃない。日本人が何人死のうが知ったことじゃない」
 田端はエイジの鼻先に拳銃を突きつけた。拳銃が身近になさ過ぎるせいでどうみてもモデルガンに見える。
 「自衛隊じゃないの」
 「CIAだ」
 「スパイ」
 「そうだ。映画みたいだろ? だがそんな事もどうでもいい。もうCIAもアメリカもどうでもいんだよ」
 田端はそう言いながら拳銃を構えたまま片手でベルトを外しはじめている。エイジが拳銃を奪おうかどうか迷っているうちに田端はジャンパーから降りた。
 「乗れ」
 「えっ?」
 「乗るんだ」田端は拳銃の安全装置を外した。
 「乗るんだよ! 乗って彼女を確保しろ! 話はそれからだ!!」
 エイジはジャンパーに乗り込んだ。
 「何でオレが言うことを聞くと思うんです?」
 「ああ、言いたいことは分かる。ハッチを閉めたらこいつは使えない」田端は拳銃の先を上下に動かした。
 「だがオマエは言うことを聞く。理由は二つ。
 「まずそこ見てみろ」ジャンパーの内部にガムテープで固定されたハードディスクのようなものがあった。
 「C4爆弾だ」
 エイジ固まる。
 「で、これがそのスイッチ。遠隔で爆破できる」田端はGショックのリューズに拳銃の先でカツンと触れた。
 「……分かりました。で、オレがこいつの操作ができると?」
 「できんだろ。GSAのシミュレーションでSSSならオレよりうまいよ。というよりおまえよりうまい奴は教導隊ぐらいだ」田端は拳銃をホルスターに納めながら言った。
 「知ってましたか」
 「SSSを取ったのは日本で七人。おまえの名前は一番上だったからな。たいしたモンだよ。GSAはオレから見ても実際の挙動に極めて近い。ゲームの振りをしてるが、実際はパイロット候補選抜用のプログラムだ。開発にはネズミの国と同じくらいの金が掛かってる」
 エイジは黙ったハッチを閉めた。
 ジャンパーの目が光る。
 「もう一つの理由は?」拡声器から声。
 ジャンパーの脚部が沈み込む。ギリギリと音を立てる身の丈もある巨大なバネ。
 「今確保しないと、あの子は殺される」田端は大声で言った。
 ジャンパーが消えて、ドンッ!という音が後に残った。
 「シミュレーションにG(重力)はないぜ」田端は笑った。
 エイジはコクピットの中で計器類にしこたま頭をぶつけていた。
 「あのやろう……ヘルメット寄越すの忘れてるだろ……ぜってー」
 頭から血が流れる。額を通って眉間を通過する。
 生ぬるい。エイジは両手で髪をかき上げる。髪で血を拭いた。髪の毛が逆立つ。
 操作は分かっている。シミュレーション時間は優に七百時間を超えている。目をつぶっても操作できる。
 「(Gが)これほどのモンか……想像……以上だ。高度は? ナナヒャク!」操作ミスを防ぐためエイジはジャンパーの操作中ずっと独り言を言うことにしている。大戦のエースパイロットの真似だ。
 「回転式鏡面望遠鏡展開! 目標補足。 距離三千!」
 ジャンパーは最高高度に達しようとしていた。
 「銃器展開! 弾薬装填確認、ヨーシ!」
 ジャンパーの身の丈の三倍はある巨大なハチハチ砲を背中から取り出しスコープを覗く。
 「光学拡大鏡補足。発射三秒前!」スコープの中にイブがいる。F44のコクピット後方に取りついている。機体にエルボーを食らわせようとしているところだった。
 「サン」
 F44のベクターノズルから炎が上がる。エルボーでエンジンを破壊したのだ。
 「ニィィ」
 爆走するF44。
 「イマッ!」エイジはトリガーを引く。声が引きつる。
 ハチハチ砲の内部から総身鉄鋼弾が発射される。砲身内部にはらせん状に溝が切られている。ライフリングだ。弾丸は秒速一キロの初速でライフリングに沿って回転しながら進む。砲身内のガスは摂氏七百度に達し銃身が赤黒くなる。銃口から弾丸が飛び出し、マズルブレーキから高温のガスが射出される。銃身は反動で真上に跳ね上がり、次弾が装填される。衝撃でエイジは再び計器に頭をぶつける。

 地上の田端。上空で爆発を確認。
 「やったか?」田端はホルスターから電子単眼鏡を取り出してのぞき込む。黒い煙が空に舞っている。自動追尾モードへの切り替えボタンを押す。降下姿勢のジャンパーが映る。続けざまにボタンを押す。回転しながら空を落下していく凧が映る。真っ黒な翼に染め抜かれた日の丸。FF44の主翼だ。
 「いいえ、ガーゴイルです。ガーゴイルが撃墜されました」田端の骨振動イヤフォンから観測所の報告が入る。
 「くそっ! こっから降下だ。狙撃は困難だぞ」
 
 「くそっ!」エイジはスコープ画面を睨んで言った。額から血が流れる。
 「装填確認ヨシ! 目標補足。 距離二千!」手で血を拭く。
 「降下翼展開!」
 ジャンパーの肩に取り付けられた装甲兼カナード翼が向きを変え真横に広がる。準備体操のようにフラップが伸び縮みする。
 ジャンパー内のモニタにイブが映っている。惜しげもなく裸体を晒している。だがエイジは性的な興味をまるで覚えない。髪の毛を束ねていたリボンはなく。美しかった顔は煤で真っ黒だった。
 エイジはスコープの倍率を上げてイブの顔をアップで映す。イブの目に知性は見て取れない。
 「まるで狼少女……」
 エイジはイブの片手にリレー競争に使うバトンのようなものが握られていることに気付いた。
 「しまった!」

 イブ、弾丸を投げてくる。
 田端目線。空中に黒煙。近くにジャンパーの部品が撃墜。
 「足か」
 エイジ次弾発射。
 イブかわしながら弾丸をキャッチ。
 エイジ発射。イブの髪をかする。
 イブ弾丸を投げる。エイジ、降下速度速めてよける。
 発射、イブ弾丸キャッチ。イブ投げ返す。エイジ避ける。
 「あんな芸当がジャンパーに可能なんですね。一人乗りの空飛ぶ自走砲台だと思ってました」
 「ディスってんな。だが良い例えだ。言い得て妙とはこの事だ。だが奴は反応速度で避けてんじゃない。射撃と回避運動をセットで操作することで超反応のように見えているだけで実際にはヤマカンだ」
 発射。発射。発射。
 田端「一回のジャンプで! 信じがたいね。何発目だい?」
 「十三発です。陸自記録は八発です」
 「へえ。だがもう銃身が持たないだろ。それにもうすぐ着地だ。足がないから跳べない。終わりだね」

 地上まで二百メートル。
 イブ、ジャンパーにとりつく。両手でジャンパーの耳の辺りを掴んで両膝蹴り。
 エイジ緊急用レバーを押す。
 ジャンパーの顔が吹き飛ぶ。イブ吹き飛ぶ。エイジ吹きさらしの空の元イブを見る。
 顔に吹き付ける強風。音を立てる鋼鉄? チンチンと音を立てるハチハチ砲。
 エイジの手が、足が震えた。
 これは、
 ゲームじゃない。分かってはいるがモニタを通して見ていると実感が無かった。
 それにイブの目。まるで”目に映る全て壊して廻る異常者”のようではないか。いや、”異常者”ならまだましだ。そついは人間だ。イブは人ですらない。
 ”人間以上”
 イブすぐに姿勢を変える、エイジ目が合う。
 イブの目にエイジ”ものごごろ”を一瞬見て取る。手足の震えが収まる。びびってる場合じゃない。
 「副武装展開」
 ジャンパーは両手で抱えたハチハチ砲を右手の脇で挟み込むと左手を離す。エイジは絶妙なバランスで片手持ちのハチハチ砲とジャンパーの機体を操り、ジャンパーの左手をハチハチ砲から離して、腰にマウントされている刀の柄に手を掛けた。ぬらりと刀が鞘から抜ける。身の丈ニメートル。厚さ十センチの巨大な日本刀が受けた太陽の光を跳ね返す。
 
 田端の単眼鏡に右手にハチハチ砲、左手に日本刀を構えたジャンパーが映る。
 「でたらめだ!」田端は笑う。

 エイジ、別の操縦桿を握る。ジャンパーには五系統、十二個の操縦桿がある。エイジはその全ての操縦桿の”アソビ”まで熟知している。
 「降下翼、手動操縦へ切替!」
 ジャンパーの肩の降下翼が小刻みに動く。ジャンパーはまるで推力があるかのようにイブの方向へと吸い寄せられていく。勿論ジャンパーは空中での推力を一切持たない。一度飛び上がったら空中から狙撃などのオペレーションを行った後は地上に格好良く落下する以外にやることはない。エイジは降下時の姿勢制御の達人であり、物理に反して上昇する事以外ジャンパーを自由自在に操れた。
 目と鼻の先の距離にイブ。地上までの距離百メートル。
 ジャンパー日本刀を振るう。イブ指先で止めて刃先を押しつぶす。イブの指の形に刃が欠ける。日本刀を引く。
 地上までの距離 五十メートル。
 ジャンパーハチハチ砲も振り回す。
 田端「ホントにでたらめだ」
 イブ、ジャンパーの腹部にキック。エイジ衝撃で嘔吐。
 ジャンパー足を蟹挟みの要領でイブを掴む。
 地上まで六メートル。
 ジャンパー、ハチハチ砲を下に向ける。砲の先は地面。撃つ。反動でジャンパーが上昇。
 ハチハチ砲を抱えた右手が砕けていく。ジャンパー右手に構うことなく、日本刀を直上に切り上げる。
 イブ、切り上げられた直線上を通って真っ逆さまに落下。アスファルトにクレータができる。ジャンパー左足だけで着地。左足沈み込む。ギリギリと音を立てる。
 静止状態。
 田端走って行く。
 イブ目を開ける。瞳に知性の光。
 イブ「田端さんだっけ?」
 田端「確保させてくれるか?」
 「ケンタ食わせてくれるならね」
 イブを背負う。ジャンパーを見上げる。
 「エイジ?」
 田端「片足で着地。天才というべきだろうな」
 イブ墜落した戦闘機を見る。
 「私が……?」
 エイジジャンパーを降りる。
 エイジ、クレータの中心にいるイブを抱きしめる。

 ★アカリ編
 奥泉アカリの視界は回転していた。
 視界の中心には"ホシ”がいる。
 ホシの背後には観覧車が見える。今のアカリには観覧者がひどく幼稚に見えた。
 回転する視界にあって観覧車はあまり見た目が変わらない。アカリはそれが少し可笑しかった。こんな事を考えている場合ではない。任務に集中しなければ・・・アカリがそう思うほど思い出が飛び回る。走馬燈なのだろうか? アカリの頭に不吉な連想が一瞬浮かんで消えた。
 観覧車といえば昔遊園地にあった"ロックンロール"という遊具が思い出された。犬山モンキーパークにあった。切り分けたロールケーキのような筒の中で内周に背中を付けるよう二人がけの椅子が向かい合って据え付けられており、そのロールケーキが回転する。乗り込んだ人間は遠心力のせいで椅子が真上きても落ちることなく円周に張り付いたままの姿勢だ。回転する度に大笑いする弟の顔を見てアカリも笑った。
 弟。弟は今頃何をしてるだろうか? アカリは子供の頃弟にしたした非道な仕打ちを思い出していた。”お姉ちゃんの”と油性インキで書いておいたプリンを黙って弟が食べたことに腹を立てて股間を蹴り上げたことがあった。しかも遊びに来ていた弟の友達の前でだ。四年前祖母の葬式で会った時に弟は笑いながら自分の妻にそれを話していた。弟はアカリに似ずケンカが弱かった。アカリは弟があの気の強そうな奥さんとうまくやっていけるか急に心配になった。
 人の心配をしてる場合か? 自分は三十を超えて独身ではないか。女子寮で牢名主同然になっている自分を思って頬が熱くなった。それは同時に犬山モンキーパークでのファーストキスを思い出していたからだった。
 次から次へと思い出が溢れてくる。これは走馬燈なのだろうかとアカリは思った。
  空飛ぶダンボに乗っている時にキスをされた。相手は普段は威勢が良いがいざという時に根性の無い男だった。 あいつはロボット好きだったなとアカリは思い出した。
 ロボットと言うと怒ったな。
 「ヘビーフレームだ。略称HF。創世機甲スパルタカスは最高だぜ」男はスマホの画像を指差して鼻を膨らませた。
 そこには不細工なロボットが映っていた。アカリは正直理解できなかった。肩が大きすぎて顔が三つあるアメフトの選手のようだとアカリは思った。
 アカリはそのロボットが敵をパンチすると腕から薬莢が飛び出すことを思い出した。
 そして、その男の腹にパンチしたことを思い出した。
 アカリは防衛大学へ入学し、その男とはそれっきりだった。
 女子学生は少なくわずか三パーセント。アカリはプライドはズタズタだった。
 男勝りで浮気男の顎にパンチを入れたアカリが男達にいいようにオモチャにされた。
 柔道の授業では投げ飛ばされ、寝技と称して胸や股間を散々触られた。
 最初の夏休みの最後の日、郷里から大学近くのアパートに戻っていたアカリは深夜、二十四時間営業のスーパーに買い物に出かけた。スーパーの店内に人は疎らでこの世の終わりのような有様だった。
 うずたかく積み上げられた納豆と豆腐を見つめているうちに、アカリは明日から大学が始まることが信じられなくなっていた。
 大学にはもう戻りたくない。アカリは「国産小粒ひきわり納豆」の表面ラベルに涙を落とした。
 アカリを嗤う男達の映像がフラッシュバックした。
 アカリは悔しくて悲しくて狂おしかった。無性に蒸し暑くなり食品コーナーを離れた。
 そのスーパーは食品と医薬品に加えて少しばかり電化製品を扱っており、電化製品を扱っている割には薄暗いLED照明の下で、聞いたこともないメーカーの安売りテレビがニュースを映していた。
 そこには奇妙な人型のスーツが映し出されていた。アナウンサーは陸上自衛隊の兵器だと伝えている。だがイメージ映像では真っ青な大空をバックに宙に浮いている。おまけに画面右上の説明のスーパーには「跳躍砲兵」と白抜きされている。
 「なんだ跳躍って」
 アカリは画面に釘付けになった。アカリは映画だろうと考えていた。
 ジャンパーだった。
 ジャンパーが総合火力演習で初披露されたのだ。
 アカリは思わず「ボトムズじゃん」と言って笑った。
 次の瞬間画面に見入った。
 ジャンパーが樹海を背景にはるか上空に浮かんでいたのだ。
 「えっ?」
 アカリは多くの視聴者同様”良いお客さん”だった。
 まんまとこのニュース番組に嵌り込んだ。
 ジャンパーには自分を射出する推進力は備えておらず強力なバネの力で打ち上がっているということが映像で説明された。
 アカリはジャンパーに乗り込んで空を飛ぶ自分を夢想してわくわくしていた。久しく感じなかった心持ちだった。

 初めて見たジャンパーはロボットというよりスーツに近い感じがした。
 
 跳躍から上空二千メートルに到達して二十キロ先の目標を砲撃した。

 ジャンパーがいかに革新的な兵器であるか軍人の卵であるアカリにもすぐに理解できた。
 跳躍だけで宙を舞ったのだ。上空二千メートルから目標を目視しての砲撃。弾着の観測、修正も自身で行える。
 高々度に打ち上がる一人乗りの砲台。製造費は戦闘機の三十分の一で済み。燃料は充電済みの蓄電池とガソリンがたったの10リットル。革新的な新兵器だった。
 だが世界の評価は思いがけず低かった。いはく”またアニメの国日本がやってくれた”という雰囲気だった。有用性は怪しまれた。
 翌年防衛大学にも導入された。この新兵器のパイロットの育成が急がれた。
 アカリはジャンパー乗りを志望した。ジャンパー乗りに求められる条件は次の通りだった。 ・小柄なこと
 ・低温、高気圧、衝撃に耐性があること
 どちらも女性が生まれつき備えている特性だった。宇宙飛行士に求められる特性と同じだった。
 女であることが誇らしかった。言葉に出して言ったことはないがそう思っていた。
 アカリは寝ても覚めてジャンパーのことばかり考えた。
 弾道計算も力学も極めた。アカリは電卓さえあればジャンパーを飛ばせた。
 アメリカとの演習であるリムパックでは空母間を跳躍移動する”八艘飛び”を披露。後に”ハッソウ”はジャンパーの技名として国際的に通用するようになる。
 自衛隊はやがてアカリを広告塔として世間に露出させるようになった。理由は容姿だった。アカリはショートカットでボーイシュさが売りの当時流行の若手女優によく似ていたのだ。
 アカリの人気は日増しに高まった。
 やがて、国籍不明撃墜事件でアカリの名は世界が知るところとなった。
 2月16日深夜二時突如石川県七尾氏上空に国籍不明のステルス戦闘機が現れた。付近の氷見市の山中ではジャンパーの夜間演習が行われていた。実戦を熱望する陸軍幕僚による政治もあって演習中のジャンパー部隊にスクランブル発進の命が下った。
 アカリは七回の跳躍で国籍不明機から二キロの位置に付けた。威嚇射撃がコクピットに命中。パイロットは即死。機体は国道脇のガソリンスタンドに墜落。スタンドごと爆発炎上した。死亡者六名。陸上自衛隊創設以来の大惨事となった。
 故意によるものか偶然かは議論が分かれたがジャンパーが戦闘機を撃墜可能なことが実戦で証明されたのだ。ジャンパーの費用対効果は明白だった。
 この日よりジャンパー製造に列強は急速に追従した。コストは常に物事を決める指針となってきたのだ。
 死者に民間人が含まれていたことから、アカリのイメージは悪化。広告塔としての地位を負われた。
 アカリにとっては最悪だった。地元へ帰れば腫れ物扱い。母親にあまり外を出歩くなと言われた。
 反自衛隊組織からの嫌がらせ。人殺しのレッテル。業務上過失致死の裁判。
 やがて教導隊として各地でジャンパーの指導にあたることになった。今日は守山駐屯地でスクランブルの命を受けた。
 「ターゲットは?」アカリ
 「人間の形をしているが正体は不明。何らかの方法で飛行する。おまけに熱線を発する。すでに名古屋市内で甚大な被害が出ている。確認できしだい殺せ。周囲への被害はこれを許可しない。分かっていると思うが」
 「ハッ!」
 教導隊に発進命令は下らない。汚名挽回のチャンスと捕らえた。
 輸送機の扉開く。戦闘の一機が破壊。輸送機のコクピットが炎上。
 三機空中へ。
 輸送機から着地。一気にパワーを充填。跳躍。
 ターゲットを発見。
 狙撃。
 熱線で弾丸が消失。片足切断。一機は胴体を打ち抜かれ集合住宅へ落下。
 ホシは飛行。刀を抜いて片腕で応戦。
 切る。
 またくっつく。
 蹴りで吹き飛ばされる。NHK放送センタービルの壁に片足を着いて衝撃を吸収。
 窓に捕まる。市内は地獄の様相。

 ★名古屋戦。圧倒的なホシを描く。白兵戦で全く勝負にならない。

 「勝てないぞ。退却だ。空爆の判断が下った」
 「空爆? 市内を?」
 「そうだ。上の決断だ」

 七年と二ヶ月と三日と三時間三十四分二十五秒前。
 部活を卒業して受験勉強に身を入れる季節だった。
 アカリはロボット好きの男と帰宅中だった。
 自転車を漕いで二人で田舎道を走った。夕暮れを過ぎて周囲は夜に変わる一歩手前だった。 「そんなに飛ばすなって。パンツ見えてんぞ」男が叫ぶ。
 「それがどうした! 勝てなきゃ。合格までおあずけだ」アカリは自転車のギアを一番軽くしてペダルを高回転に廻す。重いギアで踏ん張るより軽いギアで高速回転させた方がスピードが出ることをアカリは知っていた。だからいざという時のママチャリの勝負では負けたことがない。
 「おい。ちょっと待て! それあり? 待ててっ! くそっ!」男が言った。
 アカリは勝利を確信して自宅までの最後のストレートへかかるカーブを曲がった。
 前方に黒の電気自動車。やけに速度が遅い。アカリは電気自動車の横をパスして前に出る。通り抜けるとき車内はむさ苦しい男四人を満載しているのが見えた。アカリは違和感を感じた。アカリは自分の胸元やスカートを凝視するどうしようもない男がいるのには慣れている。だが今の違和感は説明が難しかった。男達の視線は何かを品定めするような目なのだ。
 アカリは違和感の原因がすぐに分かった。
 自動車の前方にセーラー服姿の他校の生徒が自転車を漕いでいたのだ。アカリはその女生徒を瞬時に追い越す。なぜなら女生徒の自転車の速度が極めて遅かったからだ。
 アカリは振り返る。自動車は自転車のうしろをゆっくりと付いてくる。
 アカリは全身の血が沸き立つ思いがしていた。
 「やった! 追いついた」
 「あのクルマ、痴漢だ」
 「えっ? でもよ、あの子を追い抜けねぇだけじゃねぇ?」
 「人気が無い場所で車ぶつけて救護するふる振りしてさらってくんだ。聞いたことあるでしょ?」
 「でもよ、面倒だろ」
 男の額に汗が浮かんで来るのをアカリは見ていた。この男はダメだ。人の価値はこういう時に決まる。アカリはいつか見たハリウッドの戦争映画の登場人物のセリフを思い出した。
 アカリは十字路まで来ると自転車で道を塞いだ。顔中から汗が噴き出る。
 後ろから自動車のヘッドライトが迫る。
 ハイビーム。
 「牽かれるぞ!」
 振り返ると視界に白色が突き刺さり全体に広がる。なぜだかアカリは運転席の男が笑っているように思えた。
 「マジで! アカリ……」ロボット好きの男の情けない声が聞こえる。
 アカリは答えない。
 「来るなら来い!」
 アカリは小さな声で言った。
 エンジンが耳障りな音を上げていく。

 七年と二ヶ月と三日と三時間三十四分二十五秒後
 ディーゼルエンジンのピストンはリズミカルに動いていた。ディーゼルエンジンは発電機を廻した。発電機が生み出した電気は整流器を通過してリチウム電池を充電していた。リチウム電池から流れた電気がコクピットのメインディスプレイを映し出していた。メインディスプレイにはこちらに突進してくるホシが映っている。
 アカリはホシを睨みながら操縦桿から手を離してグローブ越しに手のひらを見ながら握ったり開いたりした。その手は震えていた。
 アカリは操縦桿を再び握る。
 ジャンパーの拳が油圧シリンダとアクチェイターの作用で固く握られていく。
 アカリの右目は先ほどの熱線のせいで火傷を負っていた。目を開くことができない。アカリをモデルにした自衛官募集のポスターが盗まれる程の美貌は今は見る影もない。だがその顔は職業軍人そのものだった。
 アカリのジャンパーはNHK放送ビルの十五階の窓に片手突っ込んでぶら下がっていた。
 アカリは名古屋市内をぐるりと見回した。テレビ塔やビル群が雪にお湯を掛けたたように穴だらけになっていく様子を思い浮かべた。
 「退却だ。空爆は待ってくれないぞ」無線から響く師団長の声で我に返った。
 アカリはホシを見た。
 ホシは宙に浮かんで泰然としている。まるで自分は死ぬことの無い”物語の主人公”だと言わんばかりのように見えた。
 「ここで引けば、何のためのジャンパーですか? 国民の命を守れず何のための自衛隊ですか?」
 「命令違反か。戻って営倉入りする気か?」
 「師団長。私がホシを釘付けにします。空自に空爆目標は市内全域ではなく”オアシス”を中心にした一ブロックに限定するよう伝えてください!」
 「奥泉!命令に服従しろ。貴様がそこにいようといまいと市内全域に空爆は開始される!」
 「師団長、この通話は暗号された直接通信です。盗聴の恐れはありません。いいですか、私が生き残れば”私へのアレ”をネットで拡散します。私に確実に死んで欲しければ空軍に目標地点を伝えなさい!」
 「……なんとかする。だが……きっちり死ねよ」無線が切れた。
 アカリのジャンパーはNHK放送ビルの壁面を利用して跳躍姿勢を取った。片足となった右足が沈み込む。アカリはコクピットの座席の座面の下からコードでつながれたままの箱を取り出すとすばやく軍用ナイフでコードを切断していく。それが終わるとコクピットを開けた。外気が流れ込んでくる。少し寒いなとアカリは思いながら跳躍を開始した。
 ジャンパーは水平にジャンプした。
 片足での跳躍のためバランスが取れず機体が回転する。風圧で開いたままのコクピットのキャノピーつまりジャンパーの頭部が千切れて吹き飛ぶ。落下した頭部は道路上の軽自動車のボンネットを凹ませた。
 アカリは肉眼で回転するホシを見た。金属光沢のある黒い液体のように見えた。アカリは自分の計画に全てを賭けた。
 ジャンパーは日本刀でホシに斬りかかる。ホシの胴体に日本刀が食い込むがみぞおちあたりで日本刀は止まる。ホシはジャンパーの右手を掴むと胴体から引きちぎった。金属片とコードとオイルが空中に四散する。ジャンパーは残った左手でホシを掴む。ホシは構わず残された右足を刈るように回し蹴りを放つ。ジャンパーの右足はネジ切れて落下する。ホシの体も捻れていく、日本刀の開けたホシの胴体の開口部が広がる。アカリは金属の箱を脇に抱えてコクピットから乗り出すと開口部にそれを投げ入れた。ホシは日本刀を引き抜くと胴体だけになったジャンパーを袈裟切りで真っ二つにした。アカリはジャンパーから前方回転で飛び出した。丸まって頭部を庇った姿勢のままアカリは宙を舞う。地面に衝突すれば終わりだ。あるいはセントラルパークの木の上に落下して枝に引っ掛かりながらならばあるいは助かる可能性があるかもしれない。そう考えていたアカリの体は汚泥の中に埋まっていた。市内を流れる庄内川の底の汚泥を搬送中だった4トントラックの荷台にアカリは落下したのだった。口と鼻に汚泥が流れ込んでくる。石かビンのような何か固いものが顔や体のあちこちを押してきた。驚く程間抜けな死に様だと思った。空爆ではなくトラックの荷台で泥の中での窒息死。私の死体を見た人間は困惑するだろうなとアカリは思った。
 やがてアカリの頭は空気への渇望が支配した。どんな事も空気をたっぷり吸い込むまでは考えられなくなっていた。苦しくて呼吸がしたすぎて、このまま死んでしまいたいとさえ思った。空爆で死んだ方が百万倍もマシだとさえアカリは思い始めていた。

 「投下開始」
 C330爆撃機の爆撃手(ボマー)はインターコムが命じるままに投下レバーを引いた。
 空中に放り出されたD4炸裂弾とD2破装甲爆弾は名古屋市の中心部の商業施設”アオシス21”の水が満たされた天井を目指すように落ちていった。その様はまるで”夕立”のようだった。

 アカリは自分の体が斜め上に引っ張られていくのを感じていた。誰かがアカリを泥の中から強力な力で引き揚げてくれたのかもしれないとアカリは期待した。途端、体は真下に落ちていきトラックの荷台の底の鉄板に打ち付けられた。アカリは泥の中でシェイクされていることを理解した。
 トラックは激しく横転して通りを”ロックンロール”のように回転しながら飛び跳ねていた。

 「すごい熱さだ。ここまで熱が昇ってくる」
 C330爆撃機の爆撃手は二の腕で顔を庇いながら、急いでハッチを閉めながら「ドローン発進!」とインターコムに向かって言った。
 C330爆撃機の主翼の下面にコバンザメのようにへばりついていたP4ドローンが次々と発進していく。P4ドローンは地上高六十メートルの高さまで降下すると腹部からプロプラ式のドローンを発進させていく。プロペラ式ドローンにはカメラとセンサーが取り付けられており収集されたデータはP4ドローンを中継基地としC330爆撃機に送られ、そこからから守山の自衛隊駐屯地の大型モニタにフィルタを施された各種映像として像を結んでいた。
 「ホシは?」司令官が言った。
 「確認できません。ゼロメートルから一ブロック内に一切の生物反応は確認できません」
 「ホシは生物ではないんだろう」司令官はスーツを着た白人に尋ねた。スーツのポケットには銀色のスペースペンシルが刺さっている。
 「はい。彼は我々の知る生物とは異なります。しいて言えば我々の知るシリコン半導体コンピュータに近い存在です。ですがD4炸裂弾程の熱と衝撃を受けると防御のため固体金属に変化します。そうなれば狙い通り、今度はD2破装甲爆弾によって粉々にできます」
 「そういう話だったな。何故貴国にそのような知見があるのか問うてはいけないらしいがな。だが見てくれモニタを。我々の手は血で汚れた。市街地を爆撃したのだ。総理、長官は責任を取って辞職。幕僚長と私は詰め腹を切らされる。本当に奴は死んだのか? 市民は意味ある死だったのか?!」
 「ハラキリ?」スーツの白人が興味深そうに言った。目が笑っていた。
 司令官は白人に殴りかかった。白人はパンチを避けた。周囲を見るとオペレータ、士官達が白人を睨んでいる。
 「助かるにはD4炸裂弾の熱を下げる媒体が必要です。しかも蒸発が困難な……そう、泥のような半液状の物質が理想です。加えてD2破装甲爆弾を受け止める厚い装甲が必要です。奴がミルクセーキで満たした戦車に乗り込まない限り大丈夫ですよ」白人は先ほどの態度を弁解するようにまくし立てた。
 「飛んでったらそれまでだ」司令官は乱れた制服を直しながら言った。
 白人は何も言わなかった。
 「通りで生物反応!」オペレータが叫んだ。
 「映像を出せ!」
 中央モニタには横転したトラックの荷台から這い出す真っ黒な人影が映し出された。
 「奴だ……」司令官は抑揚の無い声で言った。白人は急いでどこかへ電話をかけ始めた。
 モニタの中の人影は通りに転がると四つん這いになっているようだった。オペレータがモニタを拡大した。
 「嘔吐?」白人は電話を持ったままモニタに向かって呟いた。
 「ひっ……人だ!」司令官の声が響いた。




 「貴金属にも?」優しそうな熊のような男。べっこうのセルメガネ。
 「ええ」
 イブ。ヘッドギアやコードが取り付けられている。
 イブはまるで金色の銅像に変化。
 熊男タブレットを見る。
 「金だ」
 イブ戻る。
 「水銀にも?」
 「なれるけど……なりたくない」
 「どういう意味?」
 イブエイジを見る。
 「オレはいない方がいいか?」
 エイジ部屋を出る。階段を登る。
 F44が着艦。
 空母のデッキだった。
 田端が降りてくる。
 「さんきゅう。さんきゅう」
 「どうしたんです?」
 「乗って見たみたかったんだよ最新鋭機によ。ジャンパーの開発時に訓練機で練習したきりだったからすげえ新鮮だったぜ。おまえらのおかげだ。なんでも言うこと聞いてくれる」
 「へえ。良かったですね」
 「なんだよ。ノリ悪いな。イブちゃんは?」
 「テストです。横須賀を出航してから毎日、毎日テストです」
 「そうか……」
 田端、電子タバコに火を点ける。
 「イブちゃんな、なんで楓イブの姿のままなんだろうな。なんにでもなられるのにだ」
 「さあ?」
 「ふうん」
 「イブは……何者なんでしょうか?」
 「さあな。オレのカミさんはフランス人だ。我が強くて意見を絶対に曲げない。おまけに未だに地雷が分からない」
 「?」
 「何モンでもいいんだよ。ただ愛情を持って接すればよ」
 田端のスマホに着信。
 「なんだと? 死者数は? で……ホシは? あっ! くそっ!」
 「どうしました?」
 「電話が切れまくりやがる。名古屋にエイリアンが出現したそうだ。市内を空爆までしたが取り逃がした。ホシへの発信器の取り付けには成功。ホシは現在、中国国境付近を北上中」
 「市内を……空爆? あの……名古屋市を?」
 「ああ! そうだ」田端はスマホをいじりながら五月蠅そうに答えた。
 「死者は? 被害は?」
 「駄目だ。この船のプロキシを経由してもネットには繋がらねぇ。ブリッジ行くぞ!」田端はハッチを開けて船内に戻る。船内で体格の良いアメリカ人の海兵隊を避けたり、ぶつかったりしながら田端とエイジはブリッジに到達した。ブリッジの中は広く、四五十人くらいの海兵隊員で満たされていたが、皆一様に静かだった。ただ、英語のラジオ放送”ヴォイスオブアメリカ”が流れていた。
 「……太平洋上の空母”ミズーリ”からロシアのハバロフスクへ向けて大使を乗せた輸送機が発進した模様……死者・行方不明者数は現在不明。数十万人規模に膨らむ事が予想されます。ボランティアを含む近隣の米国人の名古屋市内への移動は控えてください。また日本人の間で核爆弾が使用されたという情報が拡散していますがデマです。信じないようにしてください……また太平洋上の空母”ミズーリ”からロシアのハバロフスクへ向けて大使を乗せた輸送機が発進した模様です……」
 「田端!」白い海軍の制服を着た男が沈黙を破って言った。
 「艦長!」田端は敬礼をする。
 「聞いたか?」」
 「?」田端は答えに窮した。
 「そのラジオの”ハバロフスクへ向けて大使を乗せた輸送機が発進した”というのは我々への命令だ。メテオガールを乗せてハバロフスクに向かってくれ」
 「私もですが?」
 「ガールはボーイがいないと制御できないんだろ? 君はボーイを通してガールを制御するために同伴しろ」
 田端はエイジの顔を見てから艦長の顔を見た。
 「分かってる、田端。その子がジャンプボーイだろ? 聞かれてもいい、どうせ同じことだ」
 「どういう意味です?」田端は言った。エイジも同じ疑問を感じていた。
 「”メテオガールにもジャンプボーイにも力を借りる。社会主義の奴らにもだ。遠慮はしない”大統領の言葉だ」
 田端は敬礼をした。
 「どういう?」エイジは田端に質問した。
 「イブちゃんにもおまえにも働いて貰う。聞いただろ。”遠慮はしない”って」
 
 輸送機の中は旅客機とは全く異なっていた。輸送機内部の大部分のスペースを占めているのはシートを掛けられた大きな物体であり、人の方はジェラルミン製の骨組みの壁面に据え付けられた椅子に縛り付けられていた。イブとエイジ、田端は両脇を武装した海兵隊員に固められながら椅子の上に座っていた。
 「何だと思う?」イブはエイジに言った。
 「何が?」
 「これだよ」イブは靴のつま先で輸送機中央に鎮座しているシートを掛けられた物体を指した。
 「武器か弾薬のコンテナだろう」
 「妙なシルエットだろ」
 「シルエット……って」エイジは改めてシートを掛けられた物体を見た。
 「コンテナにしては妙に凹凸があるな。なんだか人型のようにも見える」
 「……人型の兵器といえば!」イブはエイジの耳元に囁いた。
 「ジャンパー……か」エイジもイブの耳元に囁いた。イブは目を閉じて聞いていたが「エイジさん正解です。どうぞお触りください」と胸を張りながら言った。
 「何で分かった」
 「目を閉じて振動を感じてみろ」エイジはいわれるままに目を閉じた。主翼のジェットエンジンの振動を感じた。だがそれとは別の確かな振動を感じた。振動の元は目の前のこいつだ。とエイジは思った。
 「エンジン……」
 「そう、この子は……スタンバイ状態だ」
 「なんで……そんなことを……」
 「怖いんだよ」
 「何が?」
 「私がだよ!!」イブは急に大声を出した。驚くエイジを見てイブはけたけた笑った。
 「ったく。うるせいな。まだカブスの外野席の椅子の方が座り後心地が良い」田端は耳栓をしながら文句を言った。
 「飛行機に弱いの?」イブが聞く。
 「頭痛がすんだよ。あーやだ」田端はそう言うと、空母から持ち込んだチョコレートシェークのストローを咥えて目を閉じた。それを見てイブが笑う。エイジはイブの笑顔を凝視した。
 「何だ? エイジ」イブがエイジの方を向いた。
 「何でもない」
 「そんなことないだろ、私の顔か胸を見てただろ。やらしーなー」
 「んなことするかよ。それよりテストは大丈夫だったか? 毎日毎日ずっとやってたろ」
 「ギブアンドテイクだ。一流の科学者達のレクチャーを受けられて満足だ。あの人たちも私を思う存分調べられて満足……なのかな?」イブが困ったような表情を浮かべた。可憐なその表情にエイジは思わず「何かおかしなことされてねぇか?」と口走った。
 「浣腸とか?」イブが真顔で言った。
 「ブッ!!!」田端がチョコレート吹いた。田端の向こう隣に座っていた黒人の海兵隊員が悪態をついた。
 「されたのか?」エイジが真顔で聞いた。田端はまたチョコレートを吹いたため黒人は田端からシェークの容器を取り上げた。
 「されてねぇよ。ただ潰されたり、凍らされたりはしたな」
 「えええ?! 大丈夫なのかよ!」
 「問題ない。ちょっと体力使うけど。ああ、でも一回死にかけたな-。けどケンタとサーティーワンを食べれば復活だよ。そういやどっちもアメリカのお店なんだって。あの船大量にケンタとアイス積んでたな。ただアイスはサーティーワンじゃないから、ホッピングシャワーが無いんだよな-」
 呆気ににとられるエイジを見てイブが笑う。
 「そうか、イブちゃんの実験データを送ったのか……」そう呟く田端の隣の黒人が「口をふけよ」と言った。それを無視して田端もまたイブの笑顔を見つめていた。

 ハバロフスクに到着したのは夜だった。
 空港には照明車があちこちにいて濡れた路面を照らしていた。
 輸送機のハッチが開くとアメリカ兵の厳重の警護を引き連れてイブ達が降りる。輸送機はその後も慎重にカバーを掛けられた積み荷の搬出作業を続けていた。
 軍事用空港に関わらず目に付く場所に旅客機がずらりと並んでいた。エアフォースワン、イギリスと日本の政府専用機。それにフランスとカナダのコンコルド2。
 田端は「まるで合成写真みたいだよ」と言った。
 「何で各国首脳が集まってきてるんです?」
 「あっ、エイジ賢そうな言葉使えるんじゃん。”かっこくしゅのう”だって」
 「うるせー」
 「あっ、胸さわってんじゃねぇよ」
 「ホシは制御不能だ。中国とロシアは隠してるが国土の三分の一は失っているはずだ」
 「えっ!? 失ってるって! どういう意味です?」
 「そのまんまだよ。大連をホシに襲われた中国はミサイル攻撃をしたんだが、なんでか生物兵器も使用しちまったらしい。恐怖からだろうな。ンなモンはホシに対して効果は全く無くて、ただ市民を虐殺しちまうことになった」
 「……めちゃくちゃ……ですね。でもそれたけで国土を失うことにはならないんじゃないですか?」
 「ホシによる混乱に乗じて各民族のテロが相継いだ。ウィグル、チベット、エトセトラ……他民族国家の中国は打ち上げ花火専門のドンキホーテなのさ。おまけにインド、ロシア、日本、南沙じゃアジア諸国と絶賛国境争い中だ。各国の国粋右巻きテロリストの良い標的だよ」
 「何いってんです?」
 「で、ホシの通過する都市は名古屋みたいに焼き払われた。いや、名古屋よりもタチが悪い、中国じゃ跳躍機をただの一度もぶつけられなかった。中国の跳躍機は遠く国境線に配備されてたわけだ。おまけにホシは中国のミサイルを誘導してロシア領土に落とした。賢いよ。ロシアは骨髄反射でミサイルを中国へ打ち返す。中国も打ち返す。ミサイルラリーだよ」
 「ええええええええ!!!?」
 「中国は大連~北京以東、ロシアはウラジオストック以東が焦土と化した。核ミサイルが使われなかったのは不幸中の幸いだ。奴らにも一片の良識があったらしい」
 「ふええ、それで世界各国が一致団結してホシを倒そうって話になったんですね」
 「まあな。ラリーはどの国にも起こりえるからな」
 「各国の輸送機も来てますね」
 「よく知ってるね-エイジ。ゲーム?」イブが茶化す。
 「まあな」エイジが赤面する。「跳躍機を積んでるとか?」
 「そうだよ!」イブがそう叫んで、アメリカの輸送機から搬出されている積み荷のカバーをめくった。兵士達は苦笑するがイブ相手には何もできなかった。
 そこにあったのはアメリカ陸軍の跳躍機だった。
 「グラスホッパー……だよね? 完成してたんだ!」エイジはアメリカ陸軍の制式跳躍機M4A9通称"グラスホッパー”に駆け寄った。マッシブな体型、分厚い装甲にリアクティブアーマ、4本のコイルダンパーとダブルウィッシュボーンを装備したいかにもアメリカンなシルエットだった。
 最初は笑顔だったエイジの顔が足の装甲を見た途端渋いものに変わってしまった。
 「どうした、エイジ。あんまり格好良くないかな?」
 「装甲が厚すぎる。これじゃ高く跳べねぇよ」
 「装甲の厚みは八センチ。跳躍高度は最高三千メートルらしいよ」
 「ホントかよ。薄い装甲で高く飛んで遠くを撃ってこそ跳躍砲兵だぜ。これじゃ遅い。良い標的だ。ん? 何で装甲とか知ってんだ?」
 「ハッキングだよ、ハッキング。ハッピーハッキング」
 「空母を?」
 「そ」イブはスマホを見せた。マスタングの三次元映像に続いてホシの映像が映し出された。
 「それ自衛隊の?」
 「そこまでだ」田端がイブのスマホを取り上げなから言った。「中国の国家主席と人民解放軍が列車でご到着だそうだ。そういうモンを見せびらかせるのはやめておけ」
 「何で? みんな一緒に戦うんじゃないの」イブが無邪気な顔で言った。
 「そうさ、ホシと戦う。だが秘密は必要だ。夫婦の間にさえな。国家同士は推して知るべしさ」田端はイブにスマホを返しながら言った。
 「”おしてしるべし” って何だ?」イブがエイジに向かって言った。
 「人に聞く前にスマホのスイッチを押して検索すべきだ。っていう意味だな」エイジは澄まして答えた。
 「違ってたらコロス」
 「何でだよ!」
 「…………あっー!! ざけんなよ! "推しはかる"って意味じゃん」イブはエイジにヘッドロックを掛けた。
 「あ-まって。まって。ギブ、ギブ。タンマ、タンマ」エイジはイブの腕を小刻みに叩いた。
 「降参するのはえーな」イブはあきれながら腕をほどいた。

 「イブ君、ひさしぶりだねぇ」
 セルメガネの熊のような男が現れた。空母でイブをテストしていた科学者だ。
 「何だよ、おっさんここまで付いてきたのかよ」
 「君がいるなら地の果てでも行くよぉ」
 「うぇぇ。もういいって」イブは掌を上向きにして口の前に置く仕草をした。
 「ふふふ。テストはもうしないよ。身長、体重、視力、聴力、心電図、血液検査、尿検査、X線検査でざっと小一時間ばかりご一緒させてください。姫よ」
 熊男はタブレットを脇に挟むとうやうやしく膝を折って胸に手を当てた。そして胸に当てた手をイブの方へ向けた。
 「うぇ。なんだよそれ」
 「古式の求婚のポーズです。ジュリエットよ」
 「イブちゃん、体調のチェックは受けてくれ。頼む」田端が言った。
 イブはエイジの顔を見た。エイジは頷いて「行けよ、イブ。さっさっと済ませてケンタ食おうぜ」と言った。
 「ケンタ! ほんとだな?!」イブは笑った。
 熊男はイブの手を取って「あっちだ。イブ君、行こう」と満面の笑みを浮かべてイブをエスコートしようとした。「手ぇつなぐなよ。手が腐る。どっちだ?」イブは熊男の手を払って聞いた。「あっち」熊男は哀しそうな顔をして陸地に上がった大型客船のようなの空港ターミナルを指差した。「ああ、あれ。じゃあな、行ってくらあ」イブは後ろ手に三本指のピースのような形を作って軽く振ると空港ターミナルに向かって歩き出した。その後は熊男と助手達がそそくさとついて行く。
 エイジはそれを見ながら後悔の理由を考えていた。イブが熊男を見たときに一瞬だけ見せた嫌悪感の混じった哀しい表情は何なのか。機内でイブが実験について言った事は本当なのか。エイジはどちらの理由も分からなかった。ただ「イブ、離れるな。ここにいろ」と言う勇気がエイジには無かった。この場の雰囲気を悪くしたくは無かったし、彼氏面してイブに意見するのは躊躇われたからだ。
 「良かったのか? イブちゃんと離れて」田端が核心を突いた。
 「核心突きますね」エイジは本音を言うしか無かった。
 「どう転ぶやら……」
 「えっ?」
 「いや、いいんだ。イブちゃんは体調チェック。首脳達は会議。軍人達は戦争の準備だ。オレ達はやることがない。ついてこい。良いものを見せてやる。せっかくこんな所まで来たんだからな」田端は近くにあったカートの運転席に座った。エイジは助手席に座る。
 エイジと田端は空港内をドライブよろしく走った。
 滑走路には輸送機から降ろされて運ばれていく各国のジャンパーがシートを外され、照明車の灯りを照り返していた。
 アメリカの”グラスホッパー”、フランスの”ガンナー”、中国の”陽明”、日本の”ジャンパー”、ドイツの"DB"、ロシアの"パベル"がまるでモーターショーのように並んでいた。
 「なんで跳躍機中心の編成なんです?」エイジが言った。
 「遠距離戦が得意でいざとなれば白兵戦もこなせて、空爆が開始されたらすぐに離脱できる。戦闘機や戦車には無理な話だ。ジャンパーにしかできない芸当だ」
 「ホシに空爆するんですか?」
 「ああ、最後にはそうなる。そうだな……作戦はざっとこんな感じだろう。各国の混成機動部隊がホシをあるポイントで釘付けにする。そこを米仏露共同で空爆を行う」
 「日本でも空爆を行いましたが効果がありませんでしたよ」
 「通常火薬ではな」
 「核ですか。土地が汚染されます」
 「ここでホシを殲滅できなきゃ、オレ達はこの星の主人じゃなくなる。汚染もクソない」
 カートは人気の無い格納庫の中に滑り込んだ。田端はカートを止めると壁際にあった炭酸ドリンクのディスペンサーの所に行った。田端は手間取りながらドリンクを購入した。
 「ロシアにも自動販売機があるですね」エイジは差し出された緑色のドリンクの匂いを嗅ぎながら言った。
 「当然だろ」
 「自動販売機があるのは日本だけと聞いてたんで」
 「そんなことはない。世界各国にあるさ。道ばたに置いてあるのは日本だけだがな。アメリカだと大学や病院、会社とかに置いてあるな」
 エイジは妙な匂いのするドリンクを口に含んだ。「うわ。まずっ~」
 「空爆で勝敗が決することができなった場合イブちゃんにホシの始末を頼みたい」田端は言った。
 「えっ!? 何を急に……。それに、オレとなんの関係があるんです?!」
 「イブちゃんはおまえの言うことを聞くからだ。なぜイブちゃんがおまえを特別視するのか理由は分からない。多くの識者達は恋愛感情の一種だと結論付けている。まぁ、おれだってそう思う。イブちゃんはおまえが好きなんだ。それは間違いない」
 エイジは赤面した。ごまかすように口を開いた。「でもイブにはホシと戦う義理はないですよ。あいつ自分の興味の無いことにはとことこん興味が無いですよ。あいつが言うことを聞いてくれるかどうか分かりませんよ。そんな緩い感じでいいんですか?」
 「勿論よくない。イブちゃんの出番がある時は九回裏ツーアウト、ツーストライクの土壇場だからな。確実に戦ってもらう必要がある。どんな手を使っても……だ」
 エイジは田端を見つめた。
 沈黙を破って田端のスマホが鳴った。田端はしばらく黙って聞いていた。エイジを一瞥してから「ただいま」と言った。
 「ただいま」とは帰宅時の挨拶の方ではなく「今すぐ」の意味なんだろうなと思った辺りでエイジの意識は途切れた。

(あれだ……ソーダ……あれば……不味かった……)




 天井の照明が目に入った。
 自分が柔らかなベッドに寝ている事と消毒の匂いに気付いた。
 病院だ。
 奥泉アカリは意識を取り戻した。
 体を起こしてみたがどこにも痛みはない。部屋を見回す。窓の無い狭い個室だった。部屋の中には申し訳程度の洗面台と椅子が一脚あるだけだった。
 「すみませーん」アカリはおそらく廊下に面しているであろうドアに向かって呼びかけた。すぐにドアが開いて看護婦が入ってきた。
 ドアのすぐ近くのコンセントが日本のものではなく外国にあるコンセントであると気付いた直後だった。
 入ってきたのは黒人の看護婦だった。薄緑の服を腕まくりして片手でパッドを見ながら入ってきた。看護婦は早口で何かをまくしたてた。アカリは「イングリッシュ」という単語だけがかろうじて聞き取れた。
 看護婦は体温測定、血液採取、点滴の交換をてきぱきと進めた。そして最後にアカリの左目を覆う眼帯を困ったような表情で一瞥すると部屋を出て行った。
 アカリはベットから起き上がると洗面台の前の鏡を見た。鏡の中には体中に眼帯を巻いた自分がいた。左目には眼帯までしている。アカリはゆっくりと眼帯に手を伸ばした。その時。
 「お体の具合は如何ですか?」スーツ姿の白人の男が部屋に入ってきた。スーツのポケットには銀色のスペースペンシルが刺さっている。。
 「どちらサマです?」アカリは咄嗟に言った。外国人に素性を尋ねるには最もふさわしくない言い方だと反省した。
 スーツの白人は足を開くと腰を落とすと上向きに手を開いてアカリの方に向けながら声を上げた。
 「名乗る程のモノではありませんが。名乗らないと会話が成立しない。西国は米の国、米国は桑の港。シスコに発しました。ケン・トーマスと申します。呼びにくいようでしたらケン・タカクラとお呼びください」
 「何でだよ!」アカリはケンが言い終わらないうちに言った。
 「お元気のようですね。アカリ嬢。良いことです」ケンをアカリに握手を求めた。アカリはその手を取ると「ケンさんは軍人ですね」と笑いながら言った。
 「分かりますか?」
 「手を触れば分かります。それに脇のホルスターにミグレンが見えました。今年から海兵隊の制式拳銃に採用されたんですよね」
 「そうなんです。何が哀しくて旧共産圏の拳銃を使わねばならないのか。全く理解に苦しみます」
 「お察しします。ところでケンさんここはどこです?」
 「何処だと思います?」
 アカリは目を伏せて考えているようだった。
 ぶーんという空調の音だけが響いた。
 「空母ドナルド・トランプの中でしょうか?」アカリが言った。
 「何故分かったんです?」
 「これです」アカリは腕時計を見せた。画面には先ほどの黒人の看護婦のSNSが映っていた。SNSには空母ドナルド・トランプ内での生活が紹介されていた。ケンはアカリが向けた腕時計の画面を指でスクロールした。
 「小さな文字ですね。ほーなるほど。海の上では曜日感覚が狂いやすいから毎週金曜日はカレーなんですね。へーこの習慣って日本の海上自衛隊から取り入れたんですね」ケンは画面から顔を離すとアカリを見て言った。「どうやって、あの看護婦のSNSに行き着いたんです?」
 「顔を盗み撮りして画像検索したんです」
 「なるほど……。単純だが効果的だ。お察しの通りです。ここは原子力空母ドナルド・トランプの中です。他に質問は?」
 「ではケン・タカクラ。質問させてください。私に何をしたんです?」
 「ミス・アカリ。あなたの質問は的確で実に気持ちが良い。いいでしょう。説明します。あなたは名古屋市内でホシと戦ったのです」
 「ええ」
 「"ホシ”とはスターの意味らしいですね。なるほど言い得て妙だ。異星人。エリアン、地球外生命体ですからね。小牧市の県営愛知空港に現れたホシは周囲を破壊しながら名古屋市内に入り、破壊活動を続けました。あなたは名古屋市内の守山の自衛隊駐屯地にいらっしゃった。そこでホシのスクランブル発進の命を受けられたのです。どうです。覚えておいてですか?」
 アカリは何も言わなかった。
 「そうでしょう。そうでしょう。短期記憶は一時的に消され、記憶の断片がランダムでソートされ過去の出来事がフラッシュバックしてしまうこともあります。人によってはあまり重要そうでない、今まで一度も思い出したとこが無いようなどうでもいいことが思い出されてしまうこともあるようです」
 「ということは、私は大けがを負ったようですね。ホシに負けたんですね」アカリはスマホをいじりでした。
 「ええ、あなたはホシに負けました。あなただけではありません。スクランブル発進した部隊は全滅です」
 アカリはスマホを落とした。だが手はスマホを持った姿勢で固まっている。
 「生き残ったのはあなた一人です」
 アカリは飛び起き鏡の前で眼帯を引きちぎった。
 「美しいですね。そういえば私の部下があなたをモデルにしたポスターを持っていましたよ。ジエイカンボシュウでしたっけ?」
 鏡の中にはアカリの整った美しい顔があった。
 「ああ、あれですか。あれはよく撮れてました。でも分かっています。上の下くらいのルックスです。モデルや芸能人程には全く及びませんが、自衛官としては美人。その程度です」
 「でも何故急いで鏡を覗き込んだんです。ご自分の容姿が大切なのでは?」
 アカリはそれを聞いて鼻で笑った。
 「違うのですか? 本当はそのお美しい容姿が大切なのでしょう」ケンは意地悪く言った。
 アカリは鏡からケンの方に向き直った。視線もくれずに腕に刺さった点滴用のチューブを抜き取った。視線はケンの青い瞳を射抜いたままだった。
 「私が大切なのはこの瞳なんです」
 ケンはアカリの大きな瞳に見入った。気付くとアカリはケンに近寄ってきていた。腰を左右に振るような妙な歩き方だった。腰と連動してアカリの胸が動いた。豊かな胸は患者用のスモックの中で跳ねるように動いていた。ケンの視線は自然の摂理に従い胸とアカリの顔を往復していた。胸はすぐ目前に来ていた。
 「何を見てるんです。ケン・タカクラ?」
 ケンはアカリの顔を見た。
 アカリは微笑んだ。
 ケンもつられて笑った。
 次の瞬間、彼の前に銀色に輝く弾丸状の物体を持つアカリの手が突き出された。
 「それは……」
 ケンは胸元のポケットに手を当てた。そこにはあるべきものが無かった。ケンがポケットに刺しているスペースペンシル。宇宙でも書けるよう圧力調整されたボールペン。レプリカではなく実際に宇宙に行ってきた本物だった。宇宙飛行士だったケンの父親の形見の品だった。
 「返しなさい!」ケンは声をあげた。
 アカリはペンを真上に投げた。ペンは天井ギリギリをゆっくりと回転する。ケンは救いを求めるような両手の形でペンを追う。
 ペンはケンの手中に帰還した。大きく息を吐き出した。
 「これがミグレンね。なかなか持ちやすい」
 ケンの背中に拳銃が突きつけられた。
 ケンはゆっくりとスペースペンシルを胸のポケットに納めながら言った。「まるでニンジャだ。いやクノイチだっけ?」
 「さぁ、急ぎます。部屋を出なさい」
 ケンはおとなしく部屋の外へ出た。部屋の外は廊下ではなく空母の甲板の上だった。病室は甲板上に作られたセットのような代物だった。
 兵士数十人が自動小銃を構えて病室を囲んでいた。兵士の後ろには台座に乗った機関砲がこちらを向いてた。 「銃を返して頂こうか?」
 アカリは思わず「くそっ!」と言った。
 次の瞬間、アカリの体は宙に浮いていた。
 「えっ!? 何! 何! 」アカリの体はゆっくりと上昇していく。今や甲板から三メートルほど浮き上がっていた。 「撃て!」ケンが言った。
 自動小銃がアカリ目がけて火を噴いた。四百五十二発の7.62ミリNATO弾は全てアカリのきめの細かい柔肌に弾かれた。
 ケンは笑いながら拳銃を撃った。「まるできかないね」
 機関砲が近所で雷が落ち続けているかのような轟音を響かせた。アカリは垂直に上昇していく。轟音が止んでも上昇を続けた。やがて眼下に空母ドナルド・トランプの全景が入るほど上昇すると一息ついた。
 「どうした、私……」アカリは自分の体を見た。患者用のスモックは殆ど原型をとどめておらず、布きれが首の回りに巻き付いているだけで、アカリはほぼ全裸だった。そしてどこにも傷は無かった。
 「ハウッ!」
 アカリは下腹に鈍痛を感じた。
 アカリは眼下の空母を睨んだ。視界がまるで望遠鏡のズームしていく。甲板の上ではアメリカ軍陸軍の跳躍機”グラスホッパー”が持つ八十八式狙撃銃のマズルブレーキから煙りが上がっていた。
 アカリの下腹部にめり込んでいた鉄パイプのような弾丸が押し返されて落下した。
 グラスホッパーはギリギリと沈み込んで跳躍に備えて運動エネルギーをため込んだ。
 車が衝突でもしたかのような金属音がしてグラスホッパーは甲板から姿を消して、アカリの上空千メートルの位置に移動していた。グラスホッパーの肩から展開された翼兼エアブレーキのおかげでゆっくりと降下しながらアカリの頭部を狙って第二弾が発射された。
 アカリはその様子を凝視していた。「目が自慢なんです」誰に言うともなくアカリは言った。グラスホッパーが第二弾を発射するより速くアカリはグラスホッパーの顔に「ってね」と言いながら膝蹴りを食らわせていた。おかげでカメラやレーダーの詰まった頭部ユニットは胴体から泣き別れとなり、第二弾は明後日の方向へ飛んでいった。
 グラスホッパーは銃を捨てると腰に取り付けられた斧を両手で持った。アカリは落下していく八十八式狙撃銃を追いかけた。狙撃銃に空中で追いつくと両手で掴んだ。
 グラスホッパーは姿勢制御用のスラスターを全力で吹かしてアカリの真上から迫った。
 アカリは真下を向いていた全長五メートルの狙撃銃を天に向けて旗手のように掲げた。
 グラスホッパーが斧で斬りかかる。
 アカリは狙撃銃をバットのように振るった。
 狙撃銃と斧がぶつかり、火花が飛んだ。
 両者はそのまま落下してドナルド・トランプの甲板に着地した。
 アカリは狙撃銃を野球の打者のよろしく構えた。グラスホッパーもアパッチよろしく斧を構えた。 巨大な跳躍機用の狙撃銃を持つアカリはまるで自分より何倍も大きい死骸を巣穴に運ぶアリのようだった。そのアリはさらに自分よりも巨大なグラスホッパーに向かって全速力で突進した。
 跳躍するだろうとアカリは予測した。敵はアメリカ軍兵士。私のような正体不明の敵との白兵戦は避ける はずだ。
 高層ビルから落とされた巨大な金庫が地面に激突したかのような金属音がした。
 グラスホッパーの足が甲板を蹴った音だった。跳躍時の初速はマッハを超える。音がした時には甲板上にグラスホッパーの姿は無かった。
 そしてアカリの姿もすでに無く、甲板の上にはアカリの足の形にくぼんだ跡がくっきりと残っていた。
 アカリもジャンプしておりグラスホッパーと併走して飛んでいた。
 アカリはグラスホッパーを狙って狙撃銃を真横に振った。狙撃銃はグラスホッパーの腕を折って、胴体にめり込んだ。それでもアカリは力を抜かず狙撃銃を振り抜いた。
 グラスホッパーは今来た空中の道を逆に辿り甲板に叩きつけられた。
 甲板の上にはバラバラ死体のようなグラスホッパーの体のパーツが散乱した。
 アカリは甲板に浮かぶ離れ小島のようなブリッジに丁度良い足場を見つけて立った。肩に狙撃銃を構えたその姿はまるで鬼のようだった。
 「私の体に何をした!!」
 「待てぇ-! タンマ! アカリ嬢、待ってくれ!」
 拡声器の品質の悪いスピーカーを通した声が響いた。甲板の上からケンが呼びかけていた。
 「何を待つんです?」アカリはケンの方を見ずに聞いた。
 「話を聞いてくれ!」
 「私のメリットは?」
 「私の話を聞けば、君の体に何が起きたか分かる」
 「続けてください!」
 「三日前、私は全身大やけどを追った瀕死の君をこの船に搬送した」
 アカリは黙って聞いていた。
 ケンは続けた。
 「仕方無かった! 君を助けるにはそれしか方法が無かったのだ!」
 アカリは頭が熱くなるのを感じた。
 「何故なんです!」アカリは言った。
 「言ったはずだ。君の命を救うためだ!
 「自衛隊の作戦中に負傷を負った私をアメリカ海兵隊の貴方が確保して、アメリカの原子力空母に搬送する必要があったんです!」
 ケンはため息をついた。
 「ホシと戦って唯一生き残ったからだ」
 「だから……。だからって……アメリカ人が私の体をどうこうしてよいことにはならない!!」
 「違う。違うんだ、アカリ嬢」
 アカリはブリッジを狙って狙撃銃を振り抜いた。ブリッジの中の人間は一人も欠ける事なくアカリを見ていた。
 その衆人環視の中でアカリは消えた。
 例の大きな金属音がした。
 アカリは空中で両手をそれぞれグラスホッパーに掴まれた姿勢で打ち上げ花火のように空中を上昇していた。甲板とブリッジに据え付けられた自動砲台の銃口がアカリの方を向いた。銃口は上下左右に微調整するよう動き続けていた。
 マズイ! 体を固定されたまま100ミリの砲弾を食らえばいくらこの体でもただでは済まない。
 ヒュン!
 アカリの顔面に先の方がボーリング玉のように丸まった形状の砲弾が打ち込まれた。アカリは顔が内側へ陥没するような感覚がした。直後に胸、腹、下腹部、太股、すねに同時に砲弾が撃ち込まれた。
 両脇を固めるグラスホッパーはアカリの背後から首筋と腰の位置に斧を打ち込んだ。
 アカリの顔を隠していた砲弾が弾かれるようにして落下していく。同じように胸以下に打ち込まれた砲弾も次々と落下していく。
 「ひぇ! 分かった! アカリ嬢」甲板ではなおもケンが声を張り上げていた。
 砲弾が無くなったアカリは何ともないすました顔だった。アカリは両腕をグラスホッパーに掴まれたまま、鉄棒の要領で一回転した。ジャンパーの腕はねじ切られアカリは難なく自由を取り戻した。
 「本当の事を言う! 君をこの船に運んできた時、君はすでに死んでいたんだ!!」
 アカリは甲板に舞い戻りケンの前に立った。「詳しく! 」アカリがそう言うとケンは拡声器を捨てた。ケンはあきらかにこの状況を楽しんでいた。
 「君を助けようとしたのは勿論日本の陸上自衛隊だ。君は栄で回収されるとすぐに病院に搬送された。だが病院で行われたのは治療ではなく君の死亡確認だけだった。君の死は世界の損失だと私は思った。誰もが”ホシ”と戦える訳ではない。事実精鋭だった君の部隊は君を覗いて全員死亡した」
 「それは私が優秀だった訳ではありません。私が生き残ったのは……運が良かったからです」
 アカリの声は小さく心細くなっていった。
 「その通りだよ! アカリ嬢! 君は非常に運が良い! 君は跳躍機でホシと大立ち回りを演じた。そしてヤツに発信器を取り付けてくれた。君は眠っていたからよく知らないだろうが、あれから世界中がホシにこっぴどい目にあわされてきた。もしあの発信器がなければ、米露が共闘しようとしているホシ殲滅作戦を立案することすら出来なかっただろう。なにしろ君は跳躍機のポン刀でホシに斬りかかったのだからな。全く驚くやらバカバカしいやら。話は少しそれるが、そもそもが陸自の跳躍機が日本刀を標準装備している事が私には随分の金と手間の掛かった笑いのネタに思えるよ!」
 「ではグラスホッパーが斧を装備しているのはジョークではないと?」アカリはニコリともせずやり返した。
 「ハハハハ。実はジョークなんだよ! ワシントンの時代から斧はアメリカ人の勇気の証でね! どうだい、笑えるだろう?!」
 アカリはクスリともしない。
 「……それはまぁいいとして……君は名古屋市内全域が空爆で焼かれる中、おしくもホシとの一騎打ちに敗れた。勿論君はただ負けるような真似はしなかった。先ほども言ったようにホシに発信器を”埋め込む”という離れ業をやってのけた」
 「それで?」
 「それで君は偶然通りかかった汚泥を満載していたトラックの荷台にこれまた偶然落下した。空爆に使われたD4炸裂弾の熱を下げる媒体に囲まれており、なおかつD2破装甲爆弾から身を守れるような鉄の板にも囲まれている最高の環境にね。全く驚く限りだよ」
 「貴方が何度もおっしゃった通り全くの偶然です」
 「そう強運が招いた偶然だ。私はそう考えた。だから君の死が確認された静岡の病院からここに搬送してきたんだ」
 「何故この空母に?」
 「ここにはエイリアンのサンプルがあったからね」
 「ッ?! ホシの?」
 「いや、ホシとは別のだ。ホシは異星人だ。地球に流れてきた地球外生命体だ」
 「何で言い切れるんです?」
 「衛星が

。そしてこの船には三日前まで一人のエイリアンがいた。私達は彼女の、いや、彼かもしれない。とにもかくにも私達の手元には彼女から採取したサンプルがあった。そして同じく

 「別の! もう一体いるんですか?」アカリは大声を出した。
 ケンは髪を掻きながら、少し声のトーンを落として話しはじめた。「先日のスカイツリー崩落を知ってるね?」
 「ええ、インドの潜水艦を奪ったテロトリストによるミサイルに攻撃です」
 「実はそこでF44も撃墜されているんだ」
 「F44が? 変ですね。スカイツリーは中距離ミサイルで攻撃されたんです。インドの中距離ミサイルがどのようなものかは知りませんが、F44を撃墜できるような熱追尾式では無かったと思います。そこから二つ疑問点が湧きます。F44を撃墜したのは何者か? そして"何故F44は出撃したのか?"という2点です」
 アカリは息を飲んだ。
 「出撃理由はそこ(スカイツリー)にエイリアンがいたから……そしてF44を撃墜したのはエイリアン……」
 「ご明察!」
 「そして……そのエイリアンはF44を撃墜はするが、空母を破壊しない程度には理性があった。……空母に乗せたのは本国への移送のためですね」
 ケンは何も言わず頷いた。
 「今もこの空母の中に?」
 ケンは首を横に振った。「彼女……エイリアンの事を我々は”イブちゃん”と呼んでいるのでね。彼女はもうこの空母には乗っていない」
 「とにかく私の体にサンプルを移植した……ということですか?」
 「そういっては差し支えがある。何しろ我々がやったのは実に簡単な事なんでね。君の遺体が入ったケースの中にサンプルを放り込んだだけなんだ」
 「えっ!?」アカリは大きな目をさらに大きく見開いた。「それでどうなったんです」
 「サンプルは飛び跳ねて君の口の中に入った。事象としては以上だ。そして君は五分後に蘇生し三時間後には目を覚ました。今から三時間五分前の話だ」
 「甲板に作った偽の病室を機関銃や跳躍機で取り囲んだのは何故です?」
 「不測の事態に備えてね。まぁ実際不測の事態になってしまった訳だが……」甲板上に散乱するグラスホッパーの部品と腕を千切られたグラスホッパーの方を順番に見ながらケンは言った。
 「君は奥泉アカリとしての人格も記憶もあるようだ。ただ異常な力と運動能力と飛翔能力まで身に付けている。天国に行ってすぐこの世にUターンしてきたんだ。全く運がいい。私はツキを信じるタチでね。あの時我々は実験台を欲していたし、君はホシと戦って死んでいた。これを強運と言わないのなら運命と言うべきだ。君はこの件に関わるよう神様に筋書きされているんだよ」
 「なるほど……」アカリは自分の掌を見つめながらあまりにいい加減な話に半ば放心気味に言った。
 「で、どんな作戦なんです?」
 「一言で言えば核による空爆だよ」
 「空爆までどうやって動きを封じるんです」
 「跳躍機だよ。君のおかげでホシへの有用性は確認済みだ」ケンは事もなげに言った。「勿論君にも加勢を頼みたい」と言った。
 「そのための"私"という訳ですね」アカリは拳を自分の掌に打ち込んだ。
 「ザッツ、ライト!」ケンがウィンクした。





 「協力すればあの子の解放は約束するわ」モニタの向こうの純白のスーツに身を包んだ中年の白人女が言った。女のスーツの襟には金属製の星条旗のバッチがあった。
 「今日は西暦何年何月何日だ」イブがモニタに向かって言った。
 「何? 怒ってらっしゃるの?」モニタの中のスーツの女は眉をしかめた。
 「名前と日付を言え。ババァ!」イブは怒鳴った。
 「言う必要はありません」抑揚の無い男の声が割って入ってきた。モニタの向こう側からの声だった。
 「勿論」スーツの女は表情も変えずに言った。そして続けた。「でも、イブさん。この会話を録画して公開したって誰もあなたに同情しないと思うわよ。何しろあなたは人が必死で打ち上げた衛星を全部壊してテロリストを大量生産した大悪党なんですもの。そもそもホシだってあなたが持ち込んだものじゃなくて? 科学者達はこの短期間に互いに面識の無い二種類のエイリアンが地球に来訪する可能性は万に一つもないと言っていたわ。そりゃそうでしょうね。ホシもあなたと関係があると考えた方が合理的よ。どう? ホシを殺すのに力を貸しくれても罰は当たらないんじゃない? 」
 「エイジを解放するという保証は?」
 「見なさい」スーツの女が言った。モニタの映像が切り替わった。そこにはオレンジ色のアメリカの囚人服に身を包んだエイジが映っていた。エイジの両側後方には屈強な迷彩服の男の二人自動小銃を持って立っている。エイジは後ろでで縛られているらしく手は画面に映らない。
 「エイジ!」イブはモニタに唾を飛ばして呼びかけた。だがエイジにはイブの声は聞こえていないようで何の反応も無かった。右後方の迷彩服の男がエイジの横に進み出た。映像はそのままで先ほどのスーツの女の声が聞こえた。
 「力を貸してくれたらこの子は解放します。でも保証というものはあげられないわ。私を信じてくださるしかありません」
 「人質で脅すようなクソ野郎をどうやって信じるってんだよ。いや、野郎っていのは男を表すんだったな。くそ女郎!! これも違うな……」
 「やって」スーツの女の声を合図に迷彩服の男はエイジを鼻先を殴った。エイジは鼻血を吹き出し、囚人服の前面は見る見る血に染まっていった。エイジは口を歪めて奇妙な表情を作ってから口をすぼめて何かを吐き出した。画面はパンしてエイジの吹き出したモノを追った。コンクリートの床の上に敷かれたシートの上に転がる血まみれの切歯を捕らえて画面は止まった。そしてすぐにエイジの顔に戻った。エイジは何かを言っていた。画面からは音声が一切聞こえない。どうやらエイジはカメラに向かって必死で何かを叫んでいるようだった。
 「かわいそうに、命乞いをしているのよ」画面はスーツの女の姿に切り替わった。「どう? 協力する気になった? そんなに無理なお願いかしら? ホシを始末して欲しいと言ってるだけよ。科学者の中には泣き別れたあなたご自身だと言っている者も居るわ。どちらにしろ地球外生命体の貴方が責任を持つべきよ」
 「アレは私じゃない。何なんかのは私にも分からない」
 「ままいいわ。あなたもホシも我々の熱核兵器でちゃんと消えてくださいな」
 「……クソ野郎……」
 「また私に汚い言葉を使ったわね。あの子も可哀想に」
 画面はまたエイジに切り替わった。エイジの鼻からはまだ鼻血が出続けていた。エイジの囚人服の首もとはオレンジ色から赤暗色に変わっていた。迷彩服の男がエイジの顔を思いっきり殴った。エイジの顔から飛んだ血が画面側に飛んできた。カメラのレンズにエイジの血が付着した。血で見にくくなった画面の中でやはりエイジは何かを叫んでいるらしかった。イブはエイジの顔を撫でるようモニタの画面に指を這わせた。
 「……分かった。言うことを聞く。エイジの解放は何時だ?」
 「作戦終了時よ。あなたが私達の命令に最後まで準拠していたと私が判断した場合に、作戦の成功と失敗に関わりなくあの子を解放するわ。約束する。2030年7月24日。合衆国大統領エレナ・エレン。    どう? ちゃんと録画できてる?」
 イブは隠し持っていたスマホを取り出すと画面をいじった。
 『……合衆国大統領エレナ・エレン    どう? ちゃんと録画できてる? 』スマホから声が聞こえた。
 「よろしい。じゃあ、せいぜい従順にね」モニタはそう言って消えた。
 イブの乗ったVTOL機のエンジン音が甲高い音を出し始めた。
 「こちらタイガーワン。離陸許可を願う」パイロットが管制に呼びかけた。
 「タイガーワン。離陸を許可する。繰り返すタイガーワン離陸を許可する」
 VTOLは陸地から離れ曇天の雲に吸い込まれるように上昇していった。
 イブは誰に言うでもなく声をあげず口を動かした。画面上でのエイジの口の形が再現できるまで何度も、何度もそうしていた。その口と舌の形は発音していれば次のように聞こえた。
 (イブ、オレを捨てろ)




 ツングース平野の雪原は跳躍機でいっぱいだった。半径二十キロの範囲に跳躍機が円形状に布陣していた。円形の中心に近い位置はドイツの"DB"、フランスの”ガンナー”、日本の"ジャンパー"が各数十機ずつ陣取っていた。その周囲には中国の”陽明”とロシアの"パベル"が各数百機規模を配していた。一番外周にはアメリカの”グラスホッパー”がその数実に二千機以上で取り囲んでいた。
 跳躍機の開発は日本が先行した。次いでアメリカがグラスホッパーを実戦投入した。グラスホッパーは当初こそ日本のジャンパーに機能面で遅れをとっていたが実戦経験がグラスホッパーを鍛え上げた。各地の紛争に容赦なく投入されたグラスホッパーは改善を積み重ね二度のマイナーチェンジを得てついには"世界最強の跳躍機"の称号を勝ち取った。
 ロシアのパベル開発にはアメリカに潜入していたスパイによるグラスホッパーの機密情報に負うところが多かったと言われた。そのためパベルの外観はグラスホッパーによく似ていた。だが実際にはグラスホッパーのオペレーティングシステムの開発を担当した会社がグラスホッパーの設計情報をロシアに渡したためである。その会社は後でオペレーティングシステムをロシアに高値で売りつける算段だった。だがソフトウェアにはびた一文金を払わないのがロシアの流儀である。結局ロシアはオペレーティングシステムは買わずに自前で準備した。そのためパベルの火器管制システムは各国に比べ二回り半遅れていた。だが熟練者が使えば西側製のものと遜色無いとも言われていた。
 中国の陽明が登場した当初はロシアから貸与されたパベルをほぼそのままコピーしたものと揶揄されていた。だが、性能はパベルを上回る。陽明を見た陸上自衛隊士官は外観はパベルに近いが内部はジャンパーにかなり近いと評した。中国にとって日本の軍事機密情報は公開情報に等しかった。
 ドイツのDBとフランスのガンナーは実は同じ機体である。当初はユーロ全体で統一跳躍機を開発する計画だったのがすったもんだの末ドイツとフランスの二カ国による共同開発となった。この前代未聞の開発計画は大方の予想を覆し大成功となった。二カ国とも正式名称”ユーロワン”を嫌いそれぞれDB、ガンナーと通称している。第三国への輸出が最も盛んである。そのため中東において史上初めて跳躍機同士の戦闘を行った。
 ツングース平野に居並ぶ各国の跳躍機は日本のジャンパー以外はオリーブドライ迷彩のため雪原でよく目立った。ジャンパーはきまじめな日本らしくロシアにあわせて冬期迷彩を施されていた。
 各国の通信チャンネルは統一されておらずこの作戦では全員が中国製のスマホを利用した。韓国製のSNSアプリとアメリカの大手検索会社の同時通訳サービスにより各自は意思疎通を図った。

 フランス陸軍のピエール・ロアールは必死で呼吸していた。酸素マスク付きのヘルメットを被って狭いコクピットに押し込められているのが怖かった。跳躍機のパイロットには全く向いてない。自分でそう思った。呼吸の仕方を忘れてしまったのではないかとよりいっそう不安になっていた。
 「攻撃開始」

 今、何て言った?
 ああ、攻撃が開始されたんだ……。

 スマホから延びるヘッドセットからの音声通信だった。発進元はアメリカ海兵隊の観測隊。
 「セーヌ。モニタを切り替えてくれ」ピエールは平静を装って言った。
 モニタに観測隊による望遠カメラの映像がワイプで映し出された。草原のような場所に土煙が上がっている。光学望遠らしく映像は鮮明では無かった。
 「セーヌ。状況は?」
 「百五秒前にツングース川右岸三キロの位置で奥泉アカリ機が輸送機から降下を開始しました」
 「あの女、本当にたった一人で?」
 「作戦計画に変更はありません」
 「大したもんだよ。だがシャンディガフは二度と飲みたくないね」
 「何の話です?」
 「忘れてくれ」
 ピエールは昨晩の合同壮行会の事を思い返した。


 跳躍機用の大型輸送機を整備するためのやけくそみたいに大きな格納庫はよく冷えた。弾薬ケースにコンパネを乗せただけの急場作りのテーブルの上にはボルシチ、麻婆豆腐、豚肉のカツレツ、助六寿司、チリコンカン、シャンディガフが並んだ。
 アメリカのお調子者の誰かが「フライドポテトはフランス料理だろ」と声を上げた。「何でだ?」という合いの手が入る。「フレンチフライって言うだろ?」アメリカ人となぜだか中国人が大笑いして、フランス人となぜだかロシア人がそれを睨んだ。
 ピエールは何も喉を通らなかった。ボルチシは腐ったような味がしたし、カツレツの油は胸焼けをおこしそうだった。辛いモノは嫌いだから麻婆豆腐とチリコンカンは食べられないし、助六寿司は何かの冗談だった。飲み物で唇を濡らして時間を潰していた。早く寝たかった。寒さと時差ボケと死の恐怖で立っているのがやっとだった。周りの奴らは楽しそうに飲んだり食べたりしている。軍人というものは何故絶望的なほどデリカシーが欠如しているんだろう? それとも自分が悪いのだろうか? ピエールは自分の適正の方を疑い始めた。
 そんな時だった。搬入ゲート用のコンクリート台を利用したステージの上へ一人の女が上がった。いや、上がっていることに気付いた。女は軍服と制帽を一部の隙も無く身に付けおり、右腕に日の丸(ピエールはまるでミートボールのようだなと思った)を縫い付けていた。
 (やれやれ、今度は出たがりビッチのご登場だ)ピエールは嫌気がした。(我ら悲劇の主人公。お涙頂戴の大演説か?)
 「日本の奥泉アカリです」
 女が喋りだしたが、誰も注意を払わなかった。
 「皆さんに明日の作戦を説明させて頂きます」
 (ストリップもあるかもとちょっぴり期待した自分がバカだった)とピエールは思った。
 「私がホシを仕留めます。皆さんには後方支援をお願いしたい」
  会場の雑音が一段静まった。
 「もう一度言いますね。私がホシとサシでやり合う。皆さんには跳躍機による高々度からの遠距離射撃をお願いしたいのです」
 会場は完全に静まり返った。
 「明日、まず戦端を開くのは私。皆さんは円陣隊形を組んで待機ください。円陣は全部で八カ所、ホシを取り囲むよう布陣してください。ホシは現在ツングース川左岸の平野部で活動停止していますから、平野部を取り囲むようホシの北、北東、東、東南、南、南西、西、西北の合計八カ所です。見てください」
 アカリはスマホをプロジェクターにして格納庫の壁に映像を投影した。巨大なすり鉢状の地形が映った。すり鉢はかなり大きかった。近くの木の大きさから推測して野球場くらいの広さがある。そのすり鉢状の中心に妙に光沢のある人影があった。濡れているかのような真っ黒な表面を持つ人影。
 (あれが……)
 「ホシです! 」アカリが大きな声を出した。ピエールは近くの何人かの肩がぴくりと動いたのを見た。
 「ホシの身長は約七メートル。日本での発見時の身長はニメートル以下でした。中国、ロシアでは少なくとも倍の四メートル以上となっていました。身長が伸びている理由は分かっていません。ホシは脚部を利用して地中を垂直に掘り進んでいます」
 (高速回転するコマ)をピエールは想像した。
 「現在は地表からは姿は全く見えませんが発信器は動作を続けており、ホシが地下千メートルの位置で停止していることが分かっています。この位置には鉄分を多く含む玄武岩のプレートがあり、ホシはそれに阻まれていると推測されています」
 格納庫の壁に投影された映像は地球の断面図のイラストに変わった。地表、プレート、外殻、中心のコア。薄皮のような地表面部分が拡大され、そのごく表面近くでホシが停止している想像図が表示された。
 (何が言いたい? ホシは所詮パイの薄皮の中でもがくバクテリアとでも軽視したいのか? 蛮勇からくる敵の軽視は危険だ)ピエールは思った。
 「私はホシの上空からジャンパーを使ってロシア製のパイルバンカーミサイルを射出します。本来は爆撃機から投下するものですが正確にホシ付近に投下するためジャンパーを使用します。パイルバンカーミサイルをご存じない幸せな方にご説明します。このミサイルは弾頭が劣化ウランで出来ているため地中深くまで沈降してから爆裂します。今回の状況にはぴったりの兵器てす。このミサイルを十分おきに三発投下します。二発でホシのいる深度までが地表にむき出しになる計算です。中央にホシの居るクレータをイメージしてください。最後に三発目をホシ目がけて投下します。直撃すれば黒煙が上がると私は直感を以て推測しています。これが開戦の狼煙となります」
 (で? 次は?)
 「皆さんには私の一発目のミサイル投下開始からきっかり九十秒後にジャンプを開始して頂きます。三発目のミサイルがホシを直撃する直前に皆さんは電離層まで上がっているはずです」
 (で、その次は?)
 「黒煙を観測したら攻撃開始です。地表までの降下中に可能な限りの弾を黒煙を目印に撃ち込んでください」
 (それで?)
 「皆さんの攻撃が終了した頃、私は地表に降下します。最後は私が白兵戦でカタを付けます」
 「馬鹿な!? 」ピエールは思わす声を上げた。
 声を上げたのはピエールだけでは無かった。会場中が一気に騒がしくなった。
 軍人達の喧噪を打ち消すように本物の轟音が轟いた。
 (ターボプロップファン!)ピエールはステージの丁度反対側を振り返った。格納庫の扉をこじ開ける機械の手が見えた。扉は不器用に上下しながら横にスライドして開いた。そこにはピエールが初めて見るゴリラのような跳躍機がいた。そのゴリラは斧を両手に握っていた。アメリカ兵が「グラスホッパー!」と声を上げたせいでピエールはその醜いゴリラがアメリカ陸軍の制式跳躍機「グラスホッパー」であることを知った。
 (バカみたいにデカイな。アメリカらしい)
 ゴリラは片手に持っていた斧を投げた。ピルール達の上空を通過して巨大な斧がステージすれすれに飛んでいった。
 (えっ?)
 ピエールはステージを見た。
 斧がステージの上で静止していた。
 (は? )
 アカリが三本の指で一メートル近い斧の刃の部分を掴んでいた。
 ピエールは何が起きているのか理解できなかった。
 「さあ! どいてどいて! デモだよデモ! デモンストレーションだ! 」
 グラスホッパーのスピーカーから陽気な男の声が聞こえた。グラスホッパーはピエール達兵士がステージ前から移動するよう手で払うしぐさを繰り返した。ステージ前に空間ができるとグラスホッパーはしゃがみ込んだ。脚部のウィッシュボーンがギリギリと音を立て油圧シリンダーがミシミシと悲鳴を上げた。鋼鉄の装甲がぐにゃりと歪んでいく。
 (跳ぶ気だ! )ピエールは頭を押さえて地面に倒れるよう伏せた。ピエールを真似て皆一斉に地面に伏せた。
 「まるでマスゲームだね! そう思わないか? アカリ嬢?」グラスホッパーはそう言うと地面を蹴ってステージに向かって跳んだ。
 アカリは持っていた斧を捨てると両手でグラスホッパーを押し止めた。つんざくような金属音がした。グラスホッパーの運動エネルギーはゼロになって全身にまとっていた追加装甲がボトボトと落下した。そしてバランスを崩してふらつき、ついにはテージ上から後ろに倒れ込んだ。地面に倒れ込んだグラスホッパーのコクピットハッチが開くとスーツ姿のアメリカ人が笑いながら降りてきてステージに立ってアカリの横に並んだ。
 「修理費用は三億円ってところかな?」男が言った。誰も何も言わなかった。
 「私なら勝てます」アカリが言った。会場がざわつき始めた。
 ピエールは呆気にとられた。
 「皆さんは遠距離支援に集中してください。私がカタを付けます」
 「バンザーイ!! 」
 誰かが叫んだ。何人かが同調して万歳のかけ声が上がった。
 アカリがステージから降りると駆け寄って握手を求めるちょっとした騒動がおこった。
 「アカリ! バンザーイ! バンザーイ!」日本人とアメリカ人が騒ぎだした。中国人とロシア人はそれをむっつりと眺めた。
 ホシと同様にアカリも人間でないことは明白だった。だが誰もそのことを指摘しない。
 ――明日死ななくていいかもしれない。
 皆がそう思った。
 やがて会場の一角で広がった酒の掛け合いが伝搬していった。何故か殴り合いも始まっていた。
 (生きて還れる! )
 ピエールはそう思うと周りがバラ色に見えてきた。そして何杯目か忘れてしまったシャンディガフをあおった。




 「アカリ機、一発目のミサイルを投下しました」セーヌが言った。
 「カウントダウン開始」ピエールは言った。
 「どうされました? 心拍数がいつもより高いですよ」
 「二日酔いだよ」
 ピエールは自分の手を見た。小刻みに震えている。
 二日酔いではない。
 ピエールは怖かった。今から十五分以内にこの世とおさらばするかもしれない。
 (宇宙人と戦う? 何でオレが? 何で前線に? うそだろ? オレだって野次馬がいい……)
 「弾着五秒前。ショックに備えてください」
 (アカリが放ったパイルバンカーミサイル……)
 「四秒」
 (誰かホシと戦っている……)ピエールはそれが有り難かった。心強かった
 「三秒」
 (オレはいつからこんなに気弱に?)
 「二秒」
 ピエールは拳を握った。
 「一秒」
 地面が揺れた。
 しばらくしてから揺れが収まるとピエールは酸素マスクを外して機内で嘔吐した。
 ピエールは自分の胸を殴った。
 コクピットの照明が赤色に切り替わり、甲高い電子音と「対ショック! 対ショック!」というセーヌの声が響いた。 「大丈夫だ。セーヌ。自分で殴ったんだよ」

 「セーヌ」はアメリカのインターネット検索会社が提供しているAIだった。今回の作戦に参加している各国用にアレンジしてあるが根本的にはアメリカの「サム」をベースにしていた。
 イブの地球衝突に伴う衛星通信のダウンにより海底ケーブルを使ったインターネット通信は輻輳しており使い物にならなくなっていた。そこでサーバを空母ドナルド・トランプに満載してアメリカからクルスクに運んであった。
 「セーヌ」はフランス向けのAI人格。フランス語でしゃべりる女性人格のAI。
 他にも中国の「宝玉」。ロシアの「ニコライ」。イギリスの「ノーマン」が準備された。日本は特別にデータを持ち込み「桜」なるAIを使用していた。AIの性別は中国、日本、フランス以外は男性だった。
 こうしたAIの利用は各パイロットの裁量に任されていたがほぼ全員が使用していた。誰しも一人きりで死にたくはないのだ。

 「警告を解除します」セーヌは続けて「自傷行為でしたらカウンセリングを受けられることをお勧めします」と言った。
 「そうするよ」ピエールはコンソール画面の右下に映るタイマーを見ながら言った。
 デジタルタイマーは攻撃開始の通信が入った時からカウントダウンを続けていた。59、58、57、56、55……アラビア数字が遷移していく。ピエールはずっとカウントダウンを眺めていたいという誘惑を振り切った。
 「五秒あれば十分だが、そろそろ準備するか……。デートにはいつも遅れていたからね」ピエールは右手のマニュインターフェースの親指に割り当てたキーを押した。このキーはショートカットキーだった。
 ガンナーの脚部が金属音を立てて押しつぶされるよう変形していく。ガンナーが跳躍準備形態に移行していった。ガンナーの全高が半分ほどに縮まる。タイマーの文字は四十秒を切るところだった。
 「セーヌ。十秒前からカウントダウンを頼むよ」
 「分かりました」
 ピエールはコンソールの上部に黄色のマスキングテープで貼り付けた写真を見た。ピエールの実家の裏窓から撮ったものだった。家庭菜園の畑とリンゴの木、父親手作りの農機具用の小屋。日没直前で写真全体は暗かった。リンゴの木の枝の向こうに見えるほぼ沈みきった夕日が唯一の光源だった。
 ピエールは自分の息子にあのリンゴを食べさせた事があっただろうかと思い出そうとした。そして今度の夏に実家に帰った時にはあの木に登らせてやらなければ。あの木の最初の二股の所に足を掛けて横になるのは最高に気持ちが良い。木漏れ日を眺めてながら目を閉じると頭の中に直接太陽の光が差し込んでくる不思議な感覚がしたものだった。
 「十秒」
 ピエールは目を開けた。
 「九秒」
 ボタンとトリガに指を這わせる。
 「八秒」
 フットスイッチに掛けた足をかかとを軸に宙に浮かせた。
 「七秒」
 ピエールは目を閉じてセーヌの声を聞いた。
 「六秒……五秒……四秒……三秒」
 ピエールは目を開けて左端のフットスイッチを踏み込んだ。
 「二秒」
 コクピットの外から大きな金属音が聞こえた。ガンナーを地面に押しとどめていたストッパーが外れた音だった。
 「一秒」
 ピエールは別のフットスイッチを踏み抜く勢いで押し込んだ。
 ガンナーの姿は消えた。ガンナーの代わりにそこに現れた雪煙がまるで命を持っているかのように成長していく。
 ガンナーは地上千メートルの位置を時速三百キロで上昇中だった。
 ピエールはガタガタと揺れる機内でセーヌに命じた。
 「上がったらハッチを開けてくれ」
 「了解。肉眼で?」
 「そうだよ。この目でみたいのさ」ピエールは顎の下に降ろしていた酸素マスクを所定の位置に戻してからベルトで固定した。
 上昇を続けるガンナーの機体が白く染まった。高度三千メートルを超え、気温はマイナス四度。機体表面の水分が凍り付いたためだ。
 「電離層に到達。あと十秒で”テッペン”です」
 「”テッペン”か。君も跳躍機乗りなんだな」
 「ジャーゴン(符丁)はコミュニケーションコストを下げてくれますから。スコープの移動はこちらでやりましょうか?」
 ピエールはトリガに人差し指を掛けた。
 「いいや、自分でやるよ」
 「”テッペン”到達。 ハッチ開閉します」
 コクピットの上部が開き外気が流れ込んできた。眼下に地球があった。地平線が丸みを帯びている。まさに球体だ。
 「降下翼展開します」
 ガンナーの背嚢の側部にスキー板のように折りたたまれていた翼が広がった。
 ピエールはマニュインターフェースを掴んだまま弓を引くように腕を絞った。ガンナーはピエールの腕の動きと同期してピエールと同じように腕を絞った。ピエールはマニュインターフェースを微調整してコクピットからガンナーが構える1045mmNATO無滑空砲に備え付けられたスコープが覗けるようにした。スコープには土石流の様な雲が映っており、その隙間で小さな稲光が時折光るのが見えた。
 「黒煙確認しました。スコープに投影します」
 「さすがだ。これじゃ何も見えないからね」
 ピエールはスコープの中の雲の上に半透明の赤い円を認めた。
 百五秒前にアカリはパイルバンカーミサイルを投下した。地中深く潜っているホシを地表に露出させるためだ。二発のミサイルでホシは露出し、三発目のミサイルはホシを直撃する。すると黒煙が上がるとアカリは宣った。
 「毎分四メールで降下中。落下までに八発の射撃が可能です」
 「十発撃つよ」ピエールはトリガを引いた。
 発射の反動でガンナーの腕がのけぞった。
 無滑空砲の砲身から飛び出した直径1040mmの完全鉄鋼弾は時速で千二百キロの速度で空気を切り裂いて進んだ。電離層を抜けて雲を突き抜けていく。地上には直径数百メートルのクレータが広がっており、中央には高層ビルのような黒煙があった。弾は黒煙の中に音もなく吸い込まれていった。二秒後には五発の別の弾が黒煙に吸い込まれ、三秒後には三十三発の弾が、四秒後には二百四十八発の弾が、五秒後には四千九百七発の弾が黒煙に吸い込まれていった。
 黒煙は土砂降りのように降り注ぐ弾丸によって削られ徐々に小さくなっていった。
 ピエールは知らなかったが、ピエールが初弾だった。初弾から一分後、黒煙に吸い込まれいった完全鉄鋼弾もまたピエールのガンナーが放ったものだった。
 黒煙は半分ほど晴れ、そこに真っ黒な巨大な箱が姿を現した。一辺が四百メートルのつや消しブラックの立方体。それがロシアの大地に地上高数十メートルの位置で浮遊していた。
 立方体の八つの頂点が昼白色の光を宿した。やがてその光から無数に延びるレーザーが発せられた。まるで網の目のように、レーザの一本一本の向きと角度は全て異なっていた。立方体の直上を除く全天球をドーナッツ状に照射していた。
 「セーヌ! これは?!」ピエールは言った。
 ガンナーのコクピットは光に満たされていた。
 「ね……つ……」
 セーヌはそれ以上答えず。ガンナーの駆動音はコンセントを抜いたようにぷつりと消えた。
 光が視界の全てを覆った。
 ピエールは十年前の昼下がりの事を思い出していた。生まれたばかりの息子を病院から自宅に持ち帰った日のことだった。アパートの窓からは強烈な西日が差し込んでいた。息子を眺める妻の笑顔も紅く染まっていた。
 (暖かい……)
 ヘルメットが溶けたしてまるで蜂蜜のようにピエールの顔にへばりついた。
 ピエールは叫んだ。

 ロシア上空の三万機の跳躍機の同時爆発は月の静かなる海にある国際月面基地(IMB)からも観測できた。

 その跳躍機――灰色の冬季迷彩が施された「ジャンパー」は今まさに着地するところだった。
 「武装回収!」アカリは言った。
 ジャンパーは地面に足を着けた。着地の衝撃を吸収するため脛が折れて内部のダンパーがむき出しとなる。
 自然とジャンパーの両手が地面に近づく。地面には無数のジャンパー用狙撃銃と日本刀が円形に敷き詰められていた。それは日本が持つジャンパー用武装の全てだった。ジャンパーは武器の海に点々と存在する――まるで島のような――武器の置かれていない空白地帯の一つに着地した。
 「回収完了。跳躍可能」AI”桜”が言った。
 「行くよ! 」
 ジャンパーは弾けるように空に打ち上がった。十メートルほどの雪煙が舞う。反対に空中から幾筋もの光が地面をオレンジ色に染めた。地面に残された狙撃銃は次々と暴発していきやがて爆発の連鎖が結合して大爆発となった。爆発に巻き込まれた日本刀が所構わず飛んでいく。水平に飛んでいるものや垂直に打ち上がるものもあった。
 ジャンパーの方は上昇中にも関わらず姿勢制御用のスラスターを吹かした。まるで川上りをする鮭のように蛇行しながら上昇していく。
 「減速しています。予測高度千メートル」
 「仕方ないよ。背中を刺される訳にはいかないからね」
アカリはそう言いながらコンソールに映る日本刀を見た。それはジャンパーをいったん追い越すがすぐに減速して落ちていく。
 「”テッペン”到達まで一分」
 アカリは息を吸い込んでコンソールを見た。
 コンソールには黒い立方体が映っていた。
 「”テッペン”到達! 」
 「装弾任せた。一秒も無駄にするな」
 ジャンパーは右腕だけで狙撃銃を撃った。反動で右腕が持ち上がる。スラスターを吹かせて丁度一回転して元の位置に戻るとすぐに狙撃を再開した。傍目にはジャンパーは高速回転しているように見えた。
 ジャンパーは合計三十六発の弾丸を三分四十秒の間に放った。弾丸は特殊で本作戦のために特別に製造されたものだった。D2爆雷を小型化して直径十センチの劣化ウラン弾に押し込んだような代物だった。弾丸が黒い立方体に向けて飛翔していく。
 アカリには弾丸の歩みがひどく遅く感じられて苛立った。
 アカリはふと眼下を見下ろした。地面を照らしているオレンジ色の光の筋があった。光の筋は黒い立方体の頂点から伸びていた。よく見ると光の筋はまるで触手のように動いている。何かを探しているように。
 「来る! 」アカリはそう言ってスラスターを吹かす。ジャンパーは真上に急上昇する。光の筋が先程までジャンパーがいた空間を指す。
 光はジャンパーを追尾する。
 「スラスター停止。降下翼を風に立てる!」アカリは両手で操作しながら早口でまくし立てた。
 ジャンパーは弧を描いて急降下していく。
 「チェンジアップを加えました」"桜"が言った。
 「い……い……ね……」アカリは笑顔で言った。猛烈なGで口が開かず舌足らずになる。
 戦闘機と同じくジャンパーの挙動の限界は人間だった。"人間以上"の存在となったアカリが操るジャンパーは人間というボトルネックを解消していた。光はジャンパーの軌道を追うばかりでいつまでたっても追いつけない。
 立方体の上面から炎の柱が上がった。高さ三十メートルの紅蓮の塔。その塔が僅かに縮んだ瞬間に次の炎の柱が上がった。同じように次の炎とまた次の炎が次々と立ちのぼる。立方体はまるで、上面から炎のトゲが突き出しているかのような有り様だった。

炎が収まる。
ジャンパー地面に着地。すぐにジャンプ。狙撃中に光があたる。右腕ごと爆発。ローリングしながら立方体に向かって飛んで行く。
抜刀。
立方体の上面にホシがいる。
ジャンパー。ホシに切りかかる。ホシの体に刀が刺さる。半分ほど切ったところでホシが刀を掴む。
 「しまった」
 ホシが真っ黒な顔に笑みを浮かべたとアカリは思った。
 立方体から伸びた光の筋がジャンパーを捕らえる。ジャンパー爆発。
煙が消えると宙に浮かぶアカリがいた。自衛隊の制服姿。ホシも立方体の上面から浮上してアカリと同じ高さで静止する。
 立方体が動き出す。立方体の下面から光が照射される。地面が水平になる。凹凸が消えた。山が削られ、川や池は埋められる。立方体は少しずつ動いていく。
 アカリはホシと向き合って静止したまま。採掘現場のような音が轟く。
 「桜、いる?」アカリ、腕時計に話し掛ける。
 「います。筐体のせいで処理能力は落ちますが、あなたが気付くことはありま」
 「よかった! あれ、見える? 」
 「解析中です」
 「あなたが? 」
 アカリは腕時計を見つめた。”桜”は沈黙したまま。
 「……極東リージョンのDCが」
 「フフ……」アカリ微笑む。
 アカリ吹っ飛ぶ。車に牽かれたことを思いだす。
 車を降りた黒い人影。アカリの胸と下腹部を触る。顔は真っ黒で見えない。頭にはニット帽。その顔が視界一杯に近づいてくる。
 
 アカリ。顔を守っていた手を降ろす。食いしばった歯から血がしたたる。
 ホシが拳を振るう。
 「避けてください!!!! 」
 アカリ急降下。
 立方体の上に着地。ホシも立方体に着地。
 アカリ、髪をかきあげる。サイドの髪がごっそりなくなっている。
 ホシ消える。次に現れたときはアカリの目前。アカリの視界一杯にホシの真っ黒な体。
 「うあああああああ!!!!」
 アカリ正拳突き。拳が空を切る。切られた空気は衝撃波となって甲高い破裂音と供に空気中に白いドーナッツ状の雲を作り出した。
 雲の輪の向こうには青空が見えた。
 ホシの姿はどこにもない。
 アカリの頬を汗が流れる。汗は顎の縁を伝って地面に落ちる。
 「上です!!!!!」絶叫のような桜の声。
 アカリが上を向く。
 真っ黒な影が放射状に広がる。アカリは左右どちらに避けるか一瞬悩んだ。おかげでタイミングが遅れる。
 床に転がるアカリの左腕。ホシはその腕の上に着地した。大理石のような地面に鮮血と肉片の地図が描かれた。
 アカリは自分の腕を潰されるのを見ていた。
 ――どうする?
 ――目で追えない。奴の動きを予測して攻撃する?
 ――そんなの上手くいくわけない!
 ホシがアカリは見た。ホシが消える。何もない空間でホシの真っ黒な顔が笑ったように見えた。
 ――消える?
 「●×?▲%&$$!!」桜の声。
 その時、地面のアカリの肉片の中に埋まっていた腕時計が爆発した。血がスローモーションのように空中を漂う。飛び散った血が人の形を成していく。
 アカリの目が血まみれのホシの姿を捉えた。
 ニット帽を被った真っ黒な顔の男に見えた。
 アカリはその顔に全力でアッパーカットを放り込んだ。
 バンッ!!!!!!!
 鋭い破裂音。
 ホシは動きを止めた。手のひらを真上に向けて手刀を水平に振り切った姿勢で静止していた。
 「やった……」アカリが言った。
 ぼとり。
 重量物が地面に落ちる音。
 アカリは膝をついた。
 「私は……やったん……だ……」
 それがアカリの発した最後の言葉だった。
 地面に落ちたアカリの首。 
 ホシはアカリの首を持ち上げると自分の顔に押し当てた。アカリの顔は何も無いホシの顔面にめり込んでいきやがて完全に消えた。ホシはアカリの胴体にまたがると顔を押し当てる。ホシが顔を押し当てた部分が消えていく。まるでホシはアカリを食しているようだった。
 やがて立方体の上にはホシだけが残った。アカリの血も肉も一切残らなかった。
 ただ焼け焦げた腕時計の残骸が残されていた。
 ホシが立ち上がる。
 先ほどよりも二回りほど大きくなっていた。
 ギェィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンン!!!!!
 ジェットエンジンのような音。ホシの咆哮だった。
 それを合図のように立方体の頂点からオレンジ色の光線が放たれた。
 光線は地面から水平線方向へ伸びてやがて上空に照射に向きを変え、最後には立方体の真上に収束した。 立方体の真上に収束した光は上空一万メートルの位置で光輝く球体の像を結んだ。
 この間、半径百キロ圏内の七十五の街や村が消失した。その中にはロシア空軍基地の一部も含まれていた。


 エイジの前にはコンクリートの壁があった。
 コンクリートの濃淡がかたどる形を見るともなく見ていた。やがて二つの楕円形に視線が集中していた。
 エイジにはそれがイブの乳房のように見えていた。

 エイジの部屋。
 素っ裸のイブとエイジ。
 「いつまでおっぱい見てんだよ」イブはエイジの方を向いて笑顔で言った。
 「みてねーよ」エイジは赤面で応戦する。
 「さっき、さんざん触ったろ! 」イブは満面の笑みでエイジを追い込む。
 「わりぃ」
 「でも……おまえに触られるのは……嫌じゃない」イブが赤面しながら言った。
 遠くで車が一台通り過ぎる音が聞こえた。
 「恥ずいな……この空気」エイジが言った。イブは「ああ」と応えた。
 その場の沈黙がシーンという有るはずの無い擬音語となってエイジには聞こえた。
 イブは立ち上がって窓を開ける。空には星が見える。イブは窓枠に座って星を見上げた。
 「私って……何だろうな……」イブは空の星に向かって言った。
 「宇宙人だろ」
 「答えになってない。そういう意味ではおまえだって宇宙人だ」イブは微笑んだ。
 エイジは上半身を起こして天井を見上げると目を閉じてから一気にまくしたてた。
 「イブ、おまえは宇宙を飛んでた。すんげぇ距離をだ。多分、何千年とかだろうな。なんか地球から一番近い星? とかでも何光年と離れてるはずだ。だから眠りながら飛んでたはずだ。もし起きてたらヒマすぎてもたないからな。でもあんまりに長い眠りで自分が誰か忘れちまったんだよ。おまえにとっちゃ、寝てた時間の方が起きてる時間より圧倒的に長くなっちまったからだ。だから起きてた時の事を全く思い出せなくなった。多分……夢を見てたのかもしれねぇ。オレはそう思う」
 「夢?……ねぇ……まぁ……夢かもな。おまえとこうしてるのはサ」イブはエイジに向き直って笑った。
 エイジはこの笑顔を忘れないように覚えておこうと思った。なぜだか強くそう思った。
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