第7話 ナイフファイト

文字数 2,577文字

 標的と私は、ナイフの刃先を相手に向けながら向かい合っている。
 ナイフを使う相手と、正面から立ち会うのは久しぶりだ。アドレナリンが分泌され始めたことで、ウィッグの下で髪の毛が逆立ち、瞳孔が開いて世界が明るくなるのが分かった。血流の量が増して、耳の中で鼓動の音が響く。

 始まりは唐突だった。標的の体がふと沈むと、地面からガラガラヘビが飛び掛かるようにダガーが突き出された。
 脇腹を狙ってきたダガーを持つ右腕を、私は左手で外に払った。カランビットで手首をざっくりと切り裂いてやるつもりだったが、刃が触れるよりも早く、標的の腕は引き戻されていた。
 私は踏み込みながら、右手のナイフを標的の顔へと振るったが、引き戻された標的のダガーが、またもヘビのスピードでもって突き出されてきた。
 踏み込みをやめてスウェーしたところを、標的は距離を詰めてくる。動きにスキがない。
 まっすぐ来るかと思われた標的は、私の左側へとステップし、肩めがけてジャブのようにダガーを振ってきた。僧帽筋を切断して腕を動かなくする狙いだ。
 体を開いてかわしたが、コートの表面を刃が切り裂いたのが分かった。体を開いた動きで右足から踏み込み、目を切りつけるが、左腕で手首を受け止められてブロックされた。
 腕をつかんで来ようとしてきたので、とっさに振り払いながら、右足で相手の脇腹を蹴り上げた、ブーツ越しに、相手の肋骨がきしむ感触が伝わってくる。標的の動きが止まったタイミングで、カランビットをふるって今度こそ目を切りつける。

 標的がダガーを引き戻して受け止めると、内反りの刃と鋸刃がぶつかって不快な音を奏でた。
 腹にナイフをねじ込んでやろうとしたが、それよりも早く相手の左拳が私の顔めがけて繰り出されてきた。とっさに顔をのけぞらせたが、間髪入れずに前蹴りが腹にぶつかってきた。
 息を吐いて腹筋を締めたが、丸太でもぶつかってきたかのような衝撃が炸裂して、私の体は後ろにふっ飛ばされた。何とか後頭部を守って受け身を取り、飛ばされた勢いを利用して後転して、何とか足を地面につけた状態に戻った。
 そのまま近づいてこようとしてきた標的をけん制するため、ナイフを構えて前に突き出す。再びにらみ合う状態になったが、やはり私の方が不利だ。フィジカルの面では勝てないのはわかり切っている。
 とはいっても、負けるつもりはさらさらない。

 ナイフの柄頭につけたストラップを手に通し、一周巻いて柄とともに握りこんだ。これで握りが緩んでも落とさない。
 足を地面に滑らせるように右に回りながら、相手との間合いを詰めた。標的は完璧な中段の構えを取り、私に刃先をぴたりと合わせて迎え撃つ姿勢でいる。
 フェイントで右に回るこむように見せかけて、左に低く踏み込んで下から腕を狙う。ダガーが引かれ、槍並みの間合いと鋭さで突き出されてきた。何とか間合いを外すが、槍が鞭へと変わって、こちらの顔めがけて振るわれる。
 やはり相手の間合いの方が長い。突き出されるナイフを持つ手を狙おうとしても、かわされて刃が振るわれる。

 喉元を狙ってきたときに、手をめがけてカランビットで切り付けたが、相手は既にナイフを戻そうとしていた。
 そのタイミングを狙い、私は左手のグリップを緩めた。人差し指にかけていた柄頭のリングを中心に、ガンマンが銃をスピンさせるようにナイフを回転させる。
 柄の分だけ間合いが伸び、鉤爪の先端が手の小指側を切り裂いた。標的が反射的に手を引っ込めようとしたところで、私は左足を振り上げて、つま先で標的の手首を下側から蹴り上げた。
 標的の手からダガーが飛んだ。それが地面に落ちる前に踏み込んで、右手のナイフを脇腹めがけて突き出したが、左腕で払われた。その代償として、標的の上腕がざっくり切り裂かれた。

 状況は私に有利に働いている。このまま少しずつ切り付けていけば、いずれ無防備な胴体に刃をねじ込むことになる。
 返す刀でもう一度切りつけようとしたが、左手で上に払われた。こちらの胴ががら空きになる。防ごうとしたが、素早く繰り出されたジャブが肋骨に突き刺さった。
 骨に響く痛みに動きが止まり、標的は私の右腕を払った手で握り、そのまま捻じって脇固めの形で極めてくる。斜め後ろに腕を伸ばされて締めあげられ、カランビットで切り付けることもできない。
 骨がきしみ、靭帯が引き延ばされる痛みが伝わってくる。

 ナイフを握る右拳に強い衝撃と痛みが走った。ナイフを奪おうと、標的が手を殴っている。
 このままでは肘が逆に曲がる。ナイフまで奪われれば優位が消える。
 私はナイフを取り落とさないように柄を握りこみながら、両足に力を入れた。一気に地面を蹴り、固められている右腕を中心に、前方宙返りの形で回転する。私の全体重を使った力で振りほどかれた形になり、標的が私の腕を放した。
 着地しながら身を沈め、相手の膝の裏を蹴る。バランスを崩して前のめりになったところに、サッカーボールのように腹を蹴りつけてやる。
 みぞおちにまともに靴先がめり込んだように見えたが、標的は一気に身を起こしてつかみかかってきた。予想以上に素早い動きで、両手首をそれぞれ掴まれる。

 暴漢がこうやってきたときの一般的な対抗策として、股間めがけて膝を振り上げてやる。
 しかし、膝が標的のタマを叩き潰すよりも早く、相手が頭を思いきり前に振ってきた。額がまともに私の鼻柱を捉え、軟骨がへしゃげる音と共に、目の前でフラッシュがたかれたかのような衝撃が弾ける。
 意識が吹っ飛びそうになるのをこらえ、2発目に備えてあごを引いた。左手をおさえていた手が離れるのを感じたが、逆手で切り付けるには距離が近すぎる。こちらから頭突きを見舞ってやろうとしたとき、あごに物が突き刺さるような鋭い衝撃が走り、視界ががくんと上を向いた。
 視線だけかろうじて前に維持すると、降り上げられた標的の肘が見えた。こちらのあご先めがけて、肘を上向きに振ったらしい。目の前を星が飛び、視界がぼやけて判断能力が失われかけるのが分かった。

 腕が私の後頭部へと伸ばされ、ポニーテイルにしている後ろ髪を掴んだ。
 次はどう来るか。ひねって首をへし折る、喉を叩いて気管を潰す。いずれにしても致命的だ。
 だが、どれもうまくいかないのを私は知っていた。
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