昼休みの避難所 一話

文字数 1,385文字

 僕がその場所に到着したとき、すでに彼女はそこでお弁当を食べていた。
 有名な飲料水メーカーの名前が描かれた三人掛けの青いベンチの端っこに座り、黄色いお弁当をちょこんと膝の上に乗せ、焦げ目のついたウインナーを口に運んでいる。無感情な視線は誰もいないグラウンドに向けられていてそこからなにかを読み取ることはできない。

 僕はそんな彼女の姿を睨みつけてから柱の陰を立ち去った。学校で唯一のあの場所を取られたら僕が昼食を食べる場所はもう一つしかない。校舎に戻り誰もいない男子トイレに入ると、洋式便所の上に座って母が作ってくれたお弁当を開いた。



 体育館一階に位置するピロティは喧騒に包まれる昼休みの校舎とは別棟にあって、誰にも邪魔されずに一人の時間を過ごせる唯一の場所だった。僕にとって、学校の中でそんな場所を作れたのはほとんど奇跡に等しいことだったのだ。

 隣のクラスの安藤さんが、そんな僕の唯一の居場所をかすめ取って昼休みの時間を過ごし始めたのはつい最近のこと。
 彼女はご飯を食べ終えると、風呂敷に包んだお弁当を膝の上に乗せたまま昼休みが終わるギリギリの時間まで外を眺めている。どしゃ降りの雨の日でも、吹き飛ばされてしまうような強風が吹いていても彼女はいつもと変わらず無表情な、あるいは憂鬱そうな表情をしてそこに佇んでいた。

 少しでもここで昼休みを過ごせないかと思っていた僕はいつまで経ってもその場所を離れない彼女の姿を見ていつも少なからず失望していたものだ。
 だってそうだろう? 誰かに優しく接する事ができるのはいつも決まって自分に余裕がある人だけだ。自分が生きることだけで一杯一杯の僕には、彼女に優しさを分けてあげることはできないのだ。


 だからある日を境に安藤さんがこの場所に来なくなったとき、僕は心の中で小さくガッツポーズを作った。これでようやく綺麗な空気の中でご飯を食べることができる。
 僕は彼女にずっと占領されていた青いベンチでお弁当を食べ始めた。気持ちの良い日差しが校庭に降り注ぎ、小さな鳥たちが気持ちよさそうに青い空を泳いでいた。文句の言いようのない、お弁当日和だ。

 しかし僕は、自分の心の中にずっしりとした質量を持つ暗雲が立ちこめているのを認めないわけにはいかなかった。その原因が安藤さんのことだと気づくのに時間はかからなかった。

 どうして彼女は急にここに来なくなってしまったのだろう。
 教室の中に居場所ができてここになんて来る必要はなくなってしまったのだろうか?
 それとも、彼女はここではない場所の昼休みの死角を見つけたのだろうか?

 その二つの可能性はどちらも僕を空虚な気持ちにさせた。どうしてかは分からないけれど、彼女が今ここにいないことが僕にとって辛いことになっていたのだ。
 お弁当を食べ終えた僕は彼女の真似をして誰もいない昼休みの校庭をじっと眺めてみた。彼女に寄り添うことができるのは似たもの同士の僕しかいないと思ったのだ。
 でも結局、彼女の胸中を探り当てることは出来なかった。思えば、僕は彼女と会話を交わしたこともなければ、視線が交わったことすらないのだ。僕が彼女について知っているのは、黄色いお弁当を使っているという事と、隣のクラスでいじめられているという事実だけだった。

 安藤さんが不登校になっていたことを知ったのは、それから数週間が経った後だった。
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