第1話

文字数 1,986文字

木南(こなみ)探偵事務所』
 それが、僕が5年前に設立した探偵事務所の名前だ。
 探偵になることが、僕の小さいころからの夢だった。
 子ども心を忘れない。それが僕のモットーだ。
「ラン、おいで」
 僕が虚空に向かって呼びかけると、何もなかった場所から小さな少女が現れた。
 金髪、とがった耳、そして薄く光る羽。
 彼女は、僕が幼いころから見えている妖精だ。
 僕が困ったときに小さなヒントを出してくれる、優秀な相棒。
 ランという名前は、名探偵コ〇ンのキャラクターにちなんでつけた。
「さあ、今日も事件を解決しに行こうか」
 僕の言葉に応えるように、彼女はくるりと僕の周りを回った。

 3年前に大きな事件を解決したことで有名になり、一時期は毎日大忙しだった。
 しかし、時がたつにつれて事件は忘れられ、事務所は廃業の危機を迎えていた。

 そんな、ある日のこと。
 電話してきた依頼人を待っているとき、僕のスマホが鳴った。
「よー木南、オレオレ! ちょっと頼みがあるんだけどさ」
「……まずは名乗れよ、山田」
「ごめんごめん!」
 かけてきたのは、高校時代の親友、山田。今は警察官として働いていて、僕にときどき依頼をしてくる。
 以前解決した大きな事件も、こいつが持ってきた事件だった。
「で? 今日はどんな事件だ?」
「事件……とまではいかないんだけどな。最近このあたりで多発している落書きの被害は知ってるか?」
「もちろん」
「警察にも、通報が相次いでてさ、その調査を依頼したいんだ」
「ああ、りょうか――」
 承諾しかけて、はっと立ち止まる。
 今待っている依頼と、同時に受けられるか?
 もうすぐ来る依頼人は、不倫調査だ。
 あちこちに聞き込みに行き、場合によっては張り込みなんかもする必要がある。
 しかしそれは、落書きの件についても言えるだろう。
 同時には無理だ。
 じゃあ、どっちを受けようか?
 不倫調査の方は、金持ちからの依頼だから、報酬が高い。現在赤字のこの事務所を維持するにはこちらの依頼の方がいい。
 だか、その一方で、山田の依頼を断るのも気が引ける。
 いつも頼りにしてもらっているし、もっと腕のある事務所に頼まずうちに依頼を持ってきてくれるのはありがたい。
 金か、つながりか。
「……少し、返事を待ってもらえるか?」
「おう。また連絡してくれ」
 少し申し訳ないと思いながら、僕は電話を切った。

「ラン、どう思う?」
 ランはいつも、こういう相談にものってくれる。
「金とつながり、どっちを取ればいいと……、ラン?」
 いつもならもう現れているランが、現れない。
「ラン? どこに行ったんだ、ラン!」
 いくら呼んでも、事務所に彼女が現れることはなかった。

「そろそろ、依頼人が来る時間か……」
 しばらく放心状態でソファに座っていた僕は、そうつぶやいて立ち上がった。
 だけど、やる気が起きない。
 心にぽっかり、穴が開いてしまったようだ。
 どうして見えなくなったんだろう。
 昔は友達の中にも、妖精が見えるやつはいた。
 だが、時がたつにつれてだんだん減っていき、ついには僕以外、誰も見えなくなってしまった。
『俺たちももう、大人だからな』
 あいつらは笑ってそう言った。
 僕も大人になってしまったということか。
 ……寂しいな。
 ランと過ごした日々が、次々とよみがえってくる。
 浮気調査だとか猫探しだとか、地味な仕事もあった。
 でも、時々舞い込んでくる面白い事件があるから、僕は探偵をやめられな――

 そうか。

 この迷いには、子ども心がなかったんだ。

 金かつながりか、なんて比べるのが間違っていた。
 わくわくするような事件を解決するために、僕は探偵になったんだ。
 子ども心を忘れない。それが僕のモットーじゃないか。
 それならもう、結論は一つ。
 僕は、ちょうどやってきた依頼人に向けて、言った。
「申し訳ないのですが、他の依頼が来てしまって……。他の探偵事務所をあたっていただけますか?」

 他の事務所を一緒に探し、なんとか依頼人に帰ってもらった後。
「……ラン?」
 恐る恐る呼びかけてみると。
 一瞬の間のあと……、妖精が現れた。
「よかった……」
 僕は、へなへなと膝から崩れ落ちた。
 今回のことで、よくわかった。
 ヒントをくれるから、だけじゃない。
 ランは小さいころから共に夢を追いかけてきた、かけがえのない相棒だったんだ。
「ごめんよ、もう自分に嘘はつかない。自分の心の赴くままに進んでいくよ」
 僕がそう言うと、約束だからね、とでも言うように、彼女は腰に片手を当て、ピッと僕の鼻先に指を突き付けた。

「さあ、今日も事件を解決しに行こうか」
 そう言って、今日も僕はランとともに町を歩く。
 わくわくする事件を、求めて。
 見た目は大人でも、心は子どもだ。
 事務所のポスターには、こんな一文が追加された。

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