第1話

文字数 1,984文字

 その日のケントは、いつものカフェオレが、苦く感じた。
 ケントは、鉄道ジャーナルのライターだった。
 また、失敗をした。
 ケントは、また、仕事で失敗をした。
 泣きそうになったケントは、もう、職場にいなくて良いと言われそうで、しかし、注意しすぎた上司も「今日は、もう、帰って良いよ」と言って、帰ろうとしていた。
 本当は、一緒に、仕事をしていたユウナのせいだった。
 ユウナが、本当は、電話で勘違いをして、ケントに伝えたのが良くなかった。
 ユウナは、普段から、ケントを馬鹿にしていた。
 やれ、クルマの運転ができないの、お酒を飲むとすぐに顔が真っ赤になるから、やめておけ、だの、それから、そんな顔は、確かに、ジャニーズに似てると言われるけど、何にもできないの、とか、色んな事を言って、苦しめていた。
 ユウナは、ケントに「夢が、京急快特の運転士になりたい」とか言って「もっと、お金儲けができるとか、そんな夢がないのか」とか言って、いつも馬鹿にしていたのだが、今回は、それどころではなくなった。
 相手の取引先は、都営地下鉄の車両工場のお偉いさんで、元々、都営浅草線の運転士をしていた人だったのに、ユウナは、粗相をして、会社が進めていた取材を台無しにしてしまった。
 ただ、ユウナは、さすがに、自分が悪いと思っていたのだが、「女だから、仕方がない」と大目に見てもらって、ケントが怒られていた。
 そして、ケントは、新橋の会社を出ようとしたら、慌てて、ユウナも飛び出してきた。
 ケントは、傘をさして、これから、都営浅草線の新橋駅に向かおうとしていた。
 ユウナも、こっちに来ている。
「何だよ?」
「いや、野口さんに、悪いと思って」
「は?」
「今日の取材を台無しにしたのは、私で…」
「うん」
「あの…」
「何?」
「今日、これから、遊びに行きませんか?」
「…」
「今から、横浜まで行きませんか?」
 少し、ケントは、黙って、ユウナを観ていた。
 本当は、ケントは、女性が苦手だった。そして、この年齢になっても、言い負かされていた。今の鉄道出版社が、拾ってくれたのは、ケントが、たまたま、「電車の運転士になりたいから」と面接のときに言ったからだった。
 本当は、文章を書くのが、苦手なくせに入ったのだから。
 それでも、入社できて、仕事ができたのは、前職が、地下鉄の運転士だったのも大きい。
 鉄道に関する知識があったのだから。
 ケントは、少し、困惑しているユウナを、観て、ほくそ笑む感じだった。
 本当は、内心では、「こんな女子は、苦手だ」とか思いながら、しかし、ケントは、いつも、アダルトサイトの動画で、お世話になって、それで、処理をしている。そして、女子とのデートなんてほとんどなく、せいぜい、電車の話しかできず、「ヲタクは、気持ち悪い」と言われていた。
 ケントは、嬉しいと思っていた。だが、ユウナとどう接したら良いのか、分からない。
「あの」
「何?」
「京急品川駅から乗ろうよ」
 とユウナは、言った。
 この時、ユウナは、必死になって言った。
 そして、二人は、そのまま、京急品川駅に向かった。
 その時の雨は、どこか、辛かった気持ちが、優しく感じた。
「まもなく、二番線に、快特三崎口行きが、入ります」「この電車の停車駅は、蒲田、川崎…」とアナウンスが、プラットフォームに流れた。
「野口さん」
「何?」
「ほら、野口さんの好きな京急快特よ」
 少し、恥ずかしい感じがしていた。そして、ユウナは、そのまま、写メを撮った。
「今、写メを撮ったよ」
 とユウナは、言った。
 ユウナは、ケントの手をつないで、そのまま、車内に乗り込んだ。この時、ケントは、思わず、ドキッとした。
 ケントは、ユウナと電車に乗って、そのまま、東京湾の光景を見た。
 建物の光は、さっきまで、ケントの失敗を責めているかのように、ケントの心を辛くしていたが、電車に乗って、品川を出たら、少しだけ、温かく感じた。
 ケントは、中学生の時、学校が嫌で、東海道線で、東京駅から静岡の三島まで、行ったことがあった。そして、両輪や教師にかなり、怒られたのだが、こうした30歳を過ぎた今ならどうだったのかと思う。
 そして、今、横にユウナが、いる。
 さっき、ユウナを責めたのだが、どうだろうか?
 仕事の失敗と、俺の過去の逃避行。
 比べることなんてできないけど、どうだったのか。
 京急快特は、いつしか品川から、あっという間に、川崎から、横浜まで走っていた。
 だが、今、自分の横には、ユウナがいる。
 失敗をした償いに、こうして、普段、馬鹿にしていた京急快特に乗っている。
「まもなく、横浜、横浜に着きます」
 と車内放送が、流れた。
「今日さ、駅を降りたら、どこかで、パスタでも食べない?」とケントは、言った。そして、二人で、パスタを食べたらしい。そして、ケントのカフェオレも甘く感じたらしい。
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