第1話

文字数 1,473文字

君が生まれた夏の終わり

 君のきょうだいの話をしようと思う。そう、二匹の美しい雌猫、リートとアリデードがうちに来た理由をね。それは、君が生まれた夏の終わり。ぼくがまだ、猫の集会に参加していたころの話だ。

 夏の夜は蒸し暑い昼間の空気を冷やすようにぬたりと訪れる。日光の消えた空に星たちのささやかな灯りがともると、猫たちの時間がはじまる。
 アストロラーベはこのあたりのボス猫で、なわばりの秩序だ。右腕のメーターと左腕のティンパンを従えて、夜の集会を取り仕切る。メーターもティンパンもさくら猫だが、アストロラーベはそうではない。人間に一度も捕まったことがないのが彼の自慢だ。彼の愛する妻のルーラ。美しい娘のリートは、くるくると回って自分のしっぽを追いかけるのが癖。アリデードは二番目の娘で、目を離すとすぐにどこかへ行ってしまう。どちらも世話係のティンパンを翻弄するお転婆娘たちだ。
 星の美しい夜の幻のような猫集会。
「今夜でここに来るのは最後になりそうだ」
「それは残念だ。人間の唯一の参加者」
 僕がさっと手を挙げて発言すると、アストロラーベが厳かに答える。彼が話す間、「にゃーにゃー」言うものはいない。みな、ぴたりと静かになる。そもそも猫たちはテレパシーで会話している。だから、猫集会を見た人間たちは「猫たちが無言でただ集まっている」と思うのだ。
 唯一テレパシーに参加できない僕だけが声帯を使って発言し、アストロラーベはそれに猫語で答えてくれる。つまり、ぼくには猫語が理解できる。普通の人間が見たら、にゃーにゃー言う猫に話しかけるへんなおっさんだけれど。
「だけどもしかしたら、ぼくの力が引き継がれるかもしれない」
「なるほど、新入りの人間を迎える準備もしておこう」
 アストロラーベは賢い。ぼくが言わんとしたことを瞬時に理解してくれた。
「どうだ、娘たちを人間の世界に遊学させてみようと思うのだが、おまえには覚悟があるか」
 ぼくはアストロラーベの考えがわかった。去勢手術の意味を語った際に、野良猫より家猫の方が寿命が長いという話をしたことがある。ボスの彼だって永遠の命を持っているわけではない。娘たちの行く末を心配するのは当然だ。
 だが命を二つ、いや、これから三つも預かることになるのかと思うと、ぼくは慎重になった。
「妻に相談してみるよ」
「うむ。よい返事を期待している。娘の美しい耳をちょん切られるのは、人間の善意とは言え、いささか惜しい」
「さくらみたいな耳、ぼくは好きだよ」
 ぼくはボスの両サイドで恥ずかしそうにするメーターとティンパンを気遣った。
「君たちとお別れするのはさみしいな。でも、ぼくはもう、人間のおとうさんになってしまったからなぁ」
「人生に別れはつきもの。人間よ、達者で生きろ」
 ぼくなんかより寿命がずっと短いはずのアストロラーベに励まされてしまった。ぼくらは本当に偶然出会い、なぜだかわからないままに、時折ぼくはこの猫集会に参加していた。
 さくら猫の意味を教えたのもぼくだ。最初は子分を傷つけられたと怒っていたアストロラーベも、それから少し考えをあらためてくれて、もっと人間のことを知りたいと言うようになった。
「おまえの子に会えるのを楽しみにしている」
 別れ際、娘たちを父親のまなざしで見つめながら、アストロラーベがそう言った。ぼくは父親の後輩として、彼の娘を保護しよう、奥さんをなんとしてでも説得するぞと心に誓った。
 
 そんなわけで、二匹はうちにいるってわけ。
 おや、君はアストロラーベを知ってるのかい? もしかして、君も猫語がわかるのかな。
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