親愛なる田島先生へ

文字数 4,764文字

「あの、すみません。字を教える家庭教師って聞いていたんですけど」
 坂崎と名乗った男性に、僕は問いかけた。
 アルバイトの現場として指定された住所はオフィス街のど真ん中で、薄々おかしいとは思っていたのだけれど、案内された会議室に子供の姿はない。
「それであってるよ。ただ、田島くんが教える相手は人間じゃなくて、この子」
 この子、と言って坂崎さんが示した先にあるのは、デスクトップのパソコンと液晶タブ、それから小さいクレーンのような機械の腕だけだ。機械の腕の先にはボールペンがセットされていて、開かれたノートの上で静止している。
「冗談……とかじゃないんですよね」
「レトロ、田島くんに挨拶して」
 坂崎さんの声に反応して、機械の腕がキュイン、キュインと音を立てて動く。ノートの上へ、まるで印刷したように正確な形で文字が紡がれる。
『年賀状の宛名書き、憧れのあの人へのラブレター、やる気を見せたい履歴書作り、煩わしさからの解放と、手書き文字の温かさをご家庭へお届けするお手紙代筆ロボ。LETR-032と申します。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。どうぞお気軽にレトロとお呼びください』
「あ、はい、よろしくお願いします」
 書かれた文字に、思わず頭を下げる。下げてから、いやこれって意味があるのだろうかと思いなおす。コンビニの無人レジは増えてきたけれど、決められた応答以外をスムーズにできるレベルとなると、まだ一般に普及したというニュースを聞いた覚えはない。
「これ、声が聞こえてるんですよね」
 坂崎さんに顔を向けると、もちろんとうなずかれた。
「今は会話もできるよ。高価になりすぎるから製品版にはつかない機能だけどね。うちの代行ロボシリーズはだいたいこの方法で学習させてる。食堂で炒飯を作るロボとかも出してるんだけど、見たことないかな」
「いえ……ちょっと覚えがないですね。ええと、それよりも、もう十分に整った字を書けていると思うんですけど」
 僕は改めてノートへ視線を向ける。すると、視線の先でレトロの腕が動いた。さらさらと書かれたのは短い言葉。
『違います。これでは手書きと呼べません』
 まるで印刷されたみたいに整った文字。僕もさっき、そう思ったばかりだった。
「うん、私たち開発チームも同じように考えている。これではデフォルトで設定した書体をなぞっているだけだ。手書き文字の温かさ、なんて売り文句は使えない。必要なのは癖とブレ、けれど確かにレトロが書いたと分かる筆跡なんだよ」
 坂崎さんの熱弁に、ちょっとのけ反ってしまう。けれど、言わんとすることはわかった。バイトの応募に、いまどき珍しく手書きの履歴書が必要だった理由も。
「でも、坂崎さんたちが教えるわけにはいかなかったんですか?」
 ふと疑問が浮かんで聞いてみる。
「まあ気になるよね。答えはとても簡単な話なんだけど。レトロ、私が教えた字で書いてみて」
 声に反応して、レトロの腕がキュインと音を立てて動く。数秒後には、ノートの上にミミズがのたうち回っていた。たぶん、日本語じゃなくて古代文字か何かなんだと思う。
「ひどい」
 思わず口に出てしまった。手厳しいね、と坂崎さんが笑う。
「す、すみません。ええと、あの、それで、これはどっちなんですか」
 僕は言葉を濁して問いかけた。つまりそう、とても言いにくいのだけれど、学習機能自体に問題があったのか、それとも教えた人たちに問題があったのかという根本的なことだ。
「もちろん、レトロの仕事は完璧だよ」
 胸ポケットにさしていたボールペンをとって、坂崎さんはノートに何かを書きつけた。何かが書きつけられたということは分かったけれど、僕にはそれを読むことができない。しかし、なるほど、レトロの仕事は完璧だった。
「分かりました。頑張って字を教えます」
『改めて、よろしくお願いします。残念ながら私の腕は、握手には対応していませんが』
「それじゃあ本格採用決定だ。短い間だけど、よろしく頼むよ。握手は私がレトロの代わりにしておこう」
 僕の手を力強く握って、坂崎さんはぶんぶんと上下に振った。
 このとき僕は、もう一つ思っていたことがあるのだけど、割のいいバイトを逃すのはあまりに惜しくて、それを口に出すことはしなかった。

   ◆

『そもそも、私のアームで書いた文字は手書きに入るのでしょうか』
 バイトを始めて数日、レトロは自分の存在意義を否定にかかった。僕が聞けなかった疑問を、レトロ自身も抱えていたらしい。
「それ、坂崎さんに向けて書いたら駄目ですからね」
 言いながら、僕は液タブに文字を書いていく。持ち込んだ小説の文章を端から書き写す作業は、通っていた書道教室での臨書を少し思い出す。
 レトロに字を教える作業は、実際のところ僕が大量に文字を書く、ということだった。液タブを通してペン先の位置や速度、筆圧を覚えさせる。それから、腕に貼り付けられたマーカーを通してモーションキャプチャもしているらしい。
 だから、レトロ自身が字を書く必要はあまりない。ただ、どれくらい学習できたかを僕たちが確認するために、雑談という形での出力は積極的に行われた。
『実は、もう坂崎さんたちにも聞いたことがあります』
「あるんですか……」
 坂崎さんはいい年をした大人だから大丈夫だと思うけど、僕だったら泣くかもしれない。「この子」なんて呼ぶくらい思い入れがあるみたいだったし。
『Letterの型番を持つ私の通称がRetroなのは皮肉だそうですよ。企画室の懐古主義め、とも言っていました』
「おおう」
 聞いてしまうレトロもレトロだけど、坂崎さんたちの回答も容赦がないものだった。そのあたり、開発者と人工知能の機微というのは、僕の感覚ではうまく理解できない。
「正直に言うと、最初は僕も、ロボットの手書きって意味が分からないなと思いました」
 たった今、ノートへ書き出されたレトロの文字を見る。もう、最初の頃のように印刷されたみたいな、なんて感覚は受けない。
 ノートに書かれた文字を指でなぞる。僕の筆跡に似ているけれど、決して同じにならないその文字を。レトロの中で、今までに覚えた文字がいくつも重なり合って、ハネやトメの癖となって表れている。そこにはきっと僕だけじゃなくて、坂崎さんたちも、パソコンのデザイン書体だっているはずだ。
「これは、あなたの字ですよ。同じ文字を書ける人は世界中のどこを探したっていません」
 レトロの演算装置は僕の言葉なんて一瞬で解釈を終えているだろうに、その機械の腕が動き出すまで、少し時間が必要だった。それでも、キュインと鳴ったモーターの音がいつもよりも低かったように感じたのは僕の気のせいだと思う。
『製品版では、学習結果がコピーされて世界中に溢れるんですけどね』
「そうでしたね。そういえば……」
 僕はその先の言葉を飲み込んだ。
 バイトの初日に坂崎さんが言っていた言葉を思い出したのだ。製品版では高価すぎるからつかない機能。
 LETR-032という代筆ロボットはきっと製品化される。でもそこに、僕や坂崎さんがレトロと呼ぶこの子は、いない。
 やっぱり僕には、開発者と人工知能の機微というものが理解できていない。坂崎さんはいい年をした大人だから大丈夫だと思うけど、僕だったら泣いてしまう。

   ◆

『有給休暇をください』
 レトロがノートにそんなことを書いたのは、僕のアルバイト最終日だった。僕の腕にセンサーマーカーを貼り付けていた坂崎さんが、きょとんとした顔をしている。
「有休、ほしいの?」
『ロボットの権利条約で一定水準以上の人工知能は一部の労働基本権を有すると認められています。私の稼働時間なら問題なく申請が通るはずです。時間休で構いません』
 言われてみれば、数年前にニュースで見た気がする話だ。
 こういう会社で働いているわけだから、坂崎さんは僕よりも詳しいのだろう。うんうんと頷いている。
「できれば昨日のうちに言ってほしかったけど、まあ大丈夫だよ。なにか買ってきて欲しいものとかあるかい?」
「え、レトロってお給料が出てるんですか?」
 少し驚く。有給休暇と言っていたからには、やっぱりそういうことなのだろうか。
「いや、出ていないけどね。代行ロボのシリーズ開発ではチームで毎回カンパしてるんだよ。特に何もなければ、この子を納品したあとの打ち上げでお茶菓子に化ける」
 坂崎さんたちはレトロのような子と、何度も関わってきたのだ。僕よりもずっと長い間。
『便箋と、新しいペンをお願いします。それから会社の電気代を』
 レトロの書いた言葉を読んで、坂崎さんはにこりと笑って頷いた。
 ちょっと待っていてねと僕とレトロに声をかけて部屋を出ていった坂崎さんは、五分とせずに戻ってきた。
「やあ、待たせたね。有休の申請もしてきたよ。電話でだけど」
 とてもコンビニや文房具屋へと行って帰ってこれる時間ではない。有給休暇の申請までしてきたと言うのならなおさらだ。
 けれど、坂崎さんが持ってきた袋にはしっかりと、封の切られていない便箋に、真新しいペン、さらには封筒や切手までが入っていた。
「これを渡せるってことは、私たちの勝ちだよ、レトロ。企画室の連中はアホだ。代筆ロボットより、もっとすごい存在をてんで分かっちゃいない」
 そう言って、坂崎さんは丁寧に便箋とペンを用意していった。
 セッティングを終えると、坂崎さんは僕の背中をバンと叩いた。出会った最初から、身振り手振りが大きい人だけど、今日ばかりはなんだか僕にも気持ちがわかるような気がした。
「田島くんのおかげだよ。私たちの字だけでは、きっとレトロはこう育たなかった」
「僕の字だけでも、こうはならなかったと思います」
 レトロの腕が、キュインと音を立てて動く。
 綴られた文字の中に僕と同じトメの癖を見つける。漢字と平仮名のサイズ比が僕よりも少し極端なあたりは、開発チームの誰かの癖なのだろう。
『すみません。そういえば私は、田島先生の下のお名前を知りませんでした』
 せっかく用意した便箋の一枚目は、まずいつもの雑談から始まってしまった。
 僕と坂崎さんは目を合わせて笑った。
 センサーマーカーを最後まで取り付けてもらって、僕はいつもと同じように液晶タブの前でペンを持つ。
 簡単な漢字だし、たぶんこれまでのバイト中に何度も書いたことのある文字だ。だけど文字は単体だけでなく、前後にある文字や文章全体との兼ね合いで少しずつバランスが変わる。
 だから僕はできるだけ丁寧に自分の名前を書いた。レトロには少しでも綺麗な形で、僕の名前を憶えていてほしかった。

   ◆

 僕がレトロや坂崎さんと関わったのは、その短期バイトが最初で最後で、もうずっと昔の話になる。アルバイトを終えた数ヶ月後にはお手紙代筆ロボットが大々的に発売されて、それが僕や坂崎さんやレトロにとって何を意味するかなんて言うまでもなかった。
 今の僕にはいくつか趣味があるけれど、その一つがポストに届いたダイレクトメールを隅々まで読むことだ。そう言うと、たいていの人が「変わった趣味ですね」と目を丸くする。
 僕の仕事が書道教室の講師だということを知っている相手なら、「研究熱心なんですね」なんてことを言ってくることもある。
 もちろん、僕は研究熱心なわけではない。
 私が教えた最初の生徒の痕跡を、探しているだけなのだ。あの日もらった手紙と同じ筆跡は、今でもたまにダイレクトメールに混じっている。

〈親愛なる田島勇先生へ・了〉
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