第1話

文字数 1,851文字

僕の会社の喫煙所は屋上にあった。
7月に入ったばかりなのに、35℃を超える猛暑日が続いていた。
炎天下でも、喫煙するのはやめられなかった。
シャツにしみができるほど汗をかきながら、煙草に火をつける。
「お、すまんね野崎くん。火を貸してくれないか?」
僕を追いかけるように喫煙所にやってきた上司が、煙草をくわえたまま顔を寄せてきた。
火をつけろというのだ。
僕は少し腰を引かせながら、その煙草に火をつける。
「サンキュー。それにしても暑いねぇ」
上司の顔には滝のような汗が流れていた。
水浴びでもしてきたかのように濡れていて、気持ち悪いほどだ。
「汗、大丈夫っすか?」
拭けよという意味で言ったのだが、上司は鼻から煙を出しながら訊いてきた。
「野崎くんって課金したことある?」
「はあ。ゲームアプリっすか?」
「ゲームじゃないよ。自分自身に、だよ」
「自分に課金っすか?」
「そう。自分に」
「いやぁ。ないっすね~」
上司はポケットからハンカチを取り出して、顔の汗をおさえるように丁寧に拭いた。
「そういえば、髪増えましたよね?」
上司の顔を見ていたら、ふさふさの髪が気になって、つい口に出してしまう。
バーコードヘアがトレードマークの上司だったので、社内で増毛かカツラじゃないかと噂になっていたのだ。
「気づいてくれたか野崎くん。そうなんだよ。私はここに課金したんだよ」
と上司は上機嫌で自身の頭を指差した。
「そ、そうなんすね。めっちゃ似合ってますよ」
怒られるかと思ったが、まさかの上機嫌だったので僕はそれにまた困惑した。
「実はフシギな粉をふっているんだよ。この粉をふると髪がみるみる増えるんだ」
「へえ。そうなんすね」
夜中の通販番組で紹介しているハゲ隠しの粉かなと僕は想像して返事をした。
はっきり言ってどうでもよかった。
煙草を吸う至福の時間をゆっくり過ごしたかったのに、これじゃあ逆にストレスが溜まる。
僕は煙草の火を消して立ち上がる。すると、
「ちょっといいかい? 野崎くん」
「な、なんすか……」
上司に呼び止められ、立ちつくす。
「この粉はね、なんでも増やすことができるんだよ」
「え? どういう……」
上司は胸ポケットから新しい煙草を一本取り出し、髪を指で払って粉を落とした。
自身の髪にかけた粉を払い落としたのだ。き、気持ち悪い。
すると、みるみるうちに煙草が一本から三本に増えたのだ。
「え!? どういうことっすか!?」
僕は前のめりになって、増えた煙草を凝視した。
「すごいだろう? これ、手品じゃないからな。この粉をかけると、本当に何でも増えるんだよ」
「そ、その粉どこで買ったんすか?」
「ヒ・ミ・ツ。この粉は限られた人にしか買えないんだよ」
「限られた人っすか……」
「そう。俺は選ばれたんだよ」
「その粉はあと残りどのくらいあるんすか?」
訊ねると上司は大きなため息をついた。
「それなんだよ。今、俺の頭にふりかかっているので最後なんだ…」
「え? もうそんなに使い切っちゃったんすか?」
「元々頭にふりかける一回分しか買えなかったんだよ。たまたま汗を拭こうとタオルを頭に当てたら、粉がついてタオルが増えて。それでこのフシギな粉の正体を知ったわけだよ」
「え? じゃあ髪洗ってないんすか?」
「そうなんだよ。粉を流すのがもったいなくて、ずっと洗ってないんだ」
僕はドン引きして後退る。
「なんでも増えるんなら、お金に粉をかけて増やせばいいんじゃないすかね? そしたらまた新しい粉が買えるんじゃ……」
言い終わる前に、上司は飛び跳ねた。
「すごい! 野崎くん! 君は天才だね!! どうしてそれを思いつかなかったんだろう。早速試してみるよ!!」
上司は煙草をくわえたまま喫煙所から走り去っていった。
社内に戻ると、上司の姿はなかった。
どうやら無断早退したらしい。
僕は汗だくになった顔を洗って、シャツを着替えた。

翌日になっても上司は出勤してこなかった。無断欠勤だった。
上司は僕の助言通りにお金を増やしてとんずらしたのかなと思っていたら、三日後に上司が逮捕されたと警察から連絡が入った。
容疑は通貨偽造罪。
あのフシギな粉でお金を増やしたが、同じお札を増やす、つまりコピーだったがために通貨偽造で逮捕されてしまったというのだ。
お札には記番号が印刷されているため、ただ複製するだけでは使用できない。

翌日の新聞に顔写真付きで上司の逮捕記事が掲載されていた。
僕は屋上の喫煙所で、その新聞を読みながら煙草に火をつけた。
写真の上司はすっかり元通りのバーコードヘアになっていて、思わず吹き出して笑ってしまった。
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