第1話

文字数 3,029文字

 隣の男性が気にかかる。いろんな意味で。
 葵はこの二階建てワンルームマンションの二階に一番奥の部屋をゲットしたのは、もう一年以上まえになる。
 親から独立してこのマンションに引っ越しのだが、道路から一階の手前のほうで、ただでさえ壁天井がうすいので両脇、上階からの騒音が気になってしかたがなかった。
 それでなんとか二階のいちばん奥に引っ越せないかと目論んでいたのだが、そこは別の女性が住んでいた。
 それがある休日、部屋の荷物を彼氏らしきクルマに乗せていくのをまのあたりにして、管理会社に問い合わせると案の定部屋が空いたという。
 違約金などあったが、早速移り住んだ。
 なにせ上階、サイドが一つなので、横一つだけを気にすればいい。
 たしかに道路からいちばん遠いというのはあったけど、周りはそううるさくない民家ばかりだし、音のことを考えると快適だった。
 それに横は女性でいるのかいないのかわからないほど静かな人だった。
 ある意味、知らないあいだに亡くなっていたらどうしようというような感じの人だった。
 それでもあまりにも静かなので問い合わせると、もういないという。引っ越したのだ。
 つまり誰もいないというのはベストで天国だった。
 でもそのような状態はあまり長くは続かない。
 引っ越してきたのだ。それも若くて大きな男が。
 会社がえりに自分のまえを見慣れない男が歩いていて、それが同じマンションに入り、自分の横の部屋にさっと入ったときは卒倒しそうになった。
 天国なのに騒音等で悩まされるかもしれない。
 葵は覚悟した。
 最悪、また引っ越そう。
 それからというもの、その男とかちあわないよう目をくばり、自然と横の部屋の音に気をむけるようになった。
 どうせ音楽とか我が物顔で流すんだろうと覚悟していたけど、意外に静か。さすがにまえの女性ほど静かではなかったけど。
 とりあえずほっとした。
 このままいてくれてもいい。
 そんなふうだから、ちょっとは気になってきた。
 帰りのコンビニで偶然みかけ、顔をちら見した。
 それが思いのほかイケメン。
 それも自分がファンの芸能人に似ていなくもなった。
 そんな人が自分の部屋に住んでいるなんて。
 一気に体が火照った。
 そんなふうだから、偶然はちあわせたら会釈ぐらいしてもいいかと思えるようになった。
 葵は声フェチでもあったので、どんな声してるんだろうと気になった。
 コンビニでは無言だった。
 もし声もあの芸能人に似ていたら。
 テンションあがりまくってしまうかもしれない。

 そうは思っていても仕事がいそがしく日々がすぎていった。
 とめようにも流れていく時間の中でテレビ、ニュース等をさわがす事件がおこった。
 それは月一回のわりあいで、若い女性が殺されるという事件が発生した。
 それも咬まれたようなあとがあった。
 それが満月の夜なものだから、満月に影響されての犯行だとか、狼男だとか推測する記事が躍った。
 葵自身もとにかく気をつけようと思った。
 犯行は夜でなるべく早く帰ろうとこころがけた。
 家族も心配して電話をかけてきた。
 でも月一回の犯行なものだから、ほとぼりがさめて、また満月の夜の犯行でというのがくりかえされた。
 いいかげん満月前になるとマスコミがさわぎ、警察も警戒警備を重視するということになった。
 満月になると、やたら警察官が多いという報告がされるようになった。
 警察官も威信をかけて、その日に人を集めているのだろう。
 満月の夜になり、早めに部屋にもどってゆっくりしていると、横の部屋の男ががちゃりと外出していく音が聞こえてきた。
 男なもんだから気楽なもんだなと思った。
 でももし隣の男が犯……。
 葵はもしやと日記をひっくりかえした。
 葵はよほどいそがしくないかぎり、一日の出来事はことこまかに日記に書くのだ。
 それで調べた。
 約一か月前の満月の夜、二か月前、三か月前……。
 秒針が進むごとに、その針で刺されるようにチクチクと痛んで慄然としてきた。
 満月の夜になると男は外出していた。そのたびに葵はこんな時間にどこ行くんだろう、コンビニかなとか書き込んでいた。
 なぜ気づかなかったのだろうか。
 その翌日には死体がみつかっているのに。
 それとも惚れてしまったか。
 葵は気になってしかたがなかった。
 夜遅くに男が帰ってきた音が聞こえた。

 その翌日、遺体はみつからなかった。
 ほっとしていたら数日後みつかった。
 山奥に遺体があって発見がおくれたらしい。
 世間は噴火したように騒然とした。
 葵の胸も荒波にもまれていた。
 もしかしたら……。
 警察に通報すべきか。
 警察にはそのような誰それが怪しいという通報が殺到しているらしい。
 夜に外出していたのはたまたまかもしれず、そんな情報見向きされるだろうか?
 もっとなにか証拠みたいなものがあったら……。

 事件の犯人が捕まらないまま、また日々がすぎていった。
 葵も通報できないでいた。
 親に言うと心配されるし……。
 女友達に言うもの怖がられるだろうし。
 こういうとき彼氏がいたら。
 そのようにしてまた満月の夜がきた。
 しかも休日。
 世間では若い女性は外出しないように呼びかけられ、じっさいニュースの街灯カメラでは少なかった。
 いても彼氏持ちか、女性グループだった。
 また一人女性が歩いていたら早く家に帰るよう警官が呼びかけていた。
 若い女性だけではなく年配の女性ももしやと早く帰っていた。
 葵も自室にいたが、いつまでもこのような社会でいいとは思ってなかった。
 休日に女友達と遊びたいと思っていた。
 隣の男はどうなんだろう。
 自然と耳をそばだてる。
 また夜中にでていった。コンビニかな?
 葵もとびだしていた。
 コンビニとかなら問題ない。
 外にとびだすと男が見えた。
 どこに行くのかというとコンビニだった。
 雑誌コーナーで立ち読みしだした。
 なんだ立ち読みか。
 葵は自室にもどった。
 それから一時間後、男は部屋にもどったようだった。
 翌日、死体は発見されなかった。
 それより、警戒中の警官に男がとりおさえられ、話をきいているとニュースがでた。
 世間に喜びのニュースが溢れた。
 男は犯行を自供こそしてないが、凶器を持ち歩いており、ほぼ間違いなく、自供も時間の問題もと予測する記事が躍った。
 葵もほっとした。
 犯人捕まって。
 隣の男が犯人じゃなくって。
 そりゃ、そうだ。
 隣の男が犯人なわけない。
 とにかく安心した。

 それから一か月というもの速かった。
 容疑者の自供はまだだったが、ほぼその男が犯人ということで世間は安心していた。
 それでまた満月の夜になる。
 その夜も休日だった。
 以前のように制限はかからなかった。
 容疑者は捕まっているし、事件はおきなかったから。
 でも葵は外出をひかえていた。
 親が心配していたからだ。
 隣の男とはいうと、また夜中に外出するようだ。
 またコンビニ行くんだろう。
 そういえばあたしもコンビニに行きたい。
 もし目でも合えば会釈してもいい。
 そう思うとお財布を持って、ガチャリとドアを開けた。
 外にでて、とびあがった。
 そこに人が立っていたからだ。
 隣の男だった。
 まっすぐこちらを見ていた。
 かたまっていると、こう言ってきた。
「またコンビニのほうに行って、中には入らず帰るんですか。散歩だったらいっしょに行きましょうよ」
 それは顔が似ている芸能人とは似ても似つかない変な声だった。

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